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2025年1月の2件の記事

2025/01/27

きれいはきたない

1月13日に博多座にて、祝祭音楽劇「天保十二年のシェイクスピア」を見てきました。

とにかく醜悪。これほどの醜悪さをこれほどまでに情熱的に描こうとする理由はなんだろう。そこになにを見出そうとしているのだろうと思いました。

私も知っているシェイクスピア作品のセリフやシチュエーションがいくつもあって「あーこれは!」と思う楽しみがありました。東京公演を見た方からシェイクスピア作品を知っていると楽しめるとは聞いていましたが、こんなにたくさん織り込まれているとはとびっくりでした。私の知らない作品もたくさん散りばめられているんだろうなと思いました。

浦井健治さん演じる佐渡の三世次はリチャード3世だなぁと思いました。その見た目も。
私のリチャード3世のビジュアルイメージはBBCの「ホロウ・クラウン」のベネディクト・カンバーバッチですが、カンバーバッチも凄いなぁと思っていましたが、舞台上でずっとあの姿勢でどす黒い気を放つ浦井さんも凄いなぁと思いました。

三世次がこの世界を憎んでいるのはその見た目による拒絶や排除を受けつづけた過去があるから、ってことなのかな。登場したときからすでにこの世への憎悪で満ち満ちているかんじだったけれど。
きれいは汚い、汚いはきれいと、この世で価値あるとされるものを見下して嫌悪されるものを持ち上げて冷笑していないと生きていられない人だというのはわかりました。
そのくせ美しいおさちに横恋慕して彼女の夫を殺めたうえに自分の妻にして。おまえの美しさが悪いのだという理屈は自分勝手な男の常套句すぎて呆れました。

大貫勇輔さん演じるきじるしの王次はハムレットでロミオ。
母親のお文がああだからかもしれないけれども女性蔑視がひどすぎる。姿がすこぶる良いぶん罪深くて。お冬に対してあんまりすぎて引きました。
ああこれは、自分の姿がすこぶる良かったらこうやって女に報復してやるのにという作者の怨念が凝り固まった役でもあるのかな。
三世次とおなじで「すべて悪いのは女」なのだな。
それでいて好きな女性と相思相愛になったら浮かれまくってまわりが見えなくなってしまう。(女性を蔑視する人ほどその傾向があるのでとてもリアル)

天保12年という日本のエンタメの危機の時代を舞台にして、シェイクスピアの全作品のなにがしかを登場させた戯曲を描くという難業を成し遂げた凄さに唸り演者のレベルの高さに驚きつつも、なんでもかんでも性的なものにこじつけてそれがカッコイイとされていた昭和(戦後)の価値観と、女性にはなんでも無条件に受容する聖女と寝首を掻く悪女とどうでもいい女(はけ口にはする)しかいないかのような世界観にうんざりしてしまったのが正直なところでした。
いまこの作品を上演したかったのはどうして?と思わずにはいられませんでした。

CAST

佐渡の三世次/浦井健治
きじるしの王次/大貫勇輔
お光、おさち/唯月ふうか
お里/土井ケイト
よだれ牛の紋太、蝮の九郎治、ほか/阿部 裕
小見川の花平、笹川の繁蔵、ほか/玉置孝匡
お文/瀬奈じゅん
鰤の十兵衛、大前田の栄五郎、ほか/中村梅雀
尾瀬の幕兵衛/章 平
佐吉、ほか/猪野広樹
お冬、ほか/綾 凰華
浮舟太夫、ほか/福田えり
清滝の老婆、飯炊きのおこま婆/梅沢昌代
隊長/木場勝己
(1月13日博多座)

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2025/01/11

普通のとなり

1月6日に博多座にて「next to normal」を見てきました。
私にとっての2025年の初観劇です。(ちなみに2024年の観劇おさめは「モーツァルト!」でした)

望海風斗さんが博多座に来るなら見なくちゃと思ってチケットをとってから作品の概要を知りました。(1年に1度は博多で望海さんを見たいですよね)
双極性障害の女性の役だと知って俄然興味が湧いて観劇を楽しみにしていました。そういうミュージカルってあるんだ!?ってかんじで。

冒頭から躁状態のダイアナと振り回される家族の描写。これは家族も疲弊しそう。だけどなんだろうな違和感がぬぐえない。
舞台を見すすめながら、ダイアナが抱えている問題は双極性障害以外にあるのではないかなと思えてきました。なにかとても違和感。

夫のダンはダイアナをいつも通っているらしいクリニックに連れて行くけれど、そこのドクターは薬の説明ばかり。ダイアナ自身を診ているようには見えないし、ダイアナも治りたがっているように見えない。
戯曲的な誇張もあるのかもしれないけれど、このドクターはダイアナには合っていないんじゃないのかな。(っていうかこのドクターが合う患者がいるのかな。とにかく向精神薬がほしいという人なら歓迎だろうけど)

ダンはダイアナを治療に通わせたら良くなると思っているみたいだけど、そうじゃないんじゃないかな。
ダイアナは苦しんでいるようなんだけど治ろうとは思っていないみたいでそれも違和感。躁状態のときだからかのかもしれないけれど。
ダンの説得に、ダンの彼女のために良かれと思う気持ちに抗うすべがないままに医者にかかっているだけみたい。
家族を疲弊させている自覚はあると思うんだけど、治療して自分の感情を自分でコントロールして自身もふくめて家族のひとりひとりが憂いなく前向きに生きていけるようにしたいと思わないのかな。
かかっているドクターがよくないのは不幸だなと思うけれど。自分からドクターを替えるように動いたり、それについてダンと正面から話し合ったりはしないんだな。
筋道が見えない、先の見通しができない、それがダイアナが抱えている困難(障がい)そのものなのかもしれないけれども。それってダイアナだけの問題なのかな。

突然感情を爆発させたり、興奮したら自分の行動を止められなかったり(床にパンを拡げてサンドウィッチを作りまくったり)、その場にふさわしくないきわどい言葉を発したり、と異常行動といえばそうなんだけど、とんでもない浪費とか反社会的行為とか性的奔放でトラブルを起こしまくっているというわけではないみたいで。どういうきっかけでメンタルクリニックを受診したのかなとも思いました。
自分自身をやばいと自覚しているというよりは、抱えきれないもので心がいっぱいいっぱいなんじゃないの?と。
こうなるにいたった精神的負荷がなにかあるんじゃないのかなと。

と思っていたところ、ナタリーが言った兄は自分が生まれる前に亡くなっているという言葉にそういうことか!と思いました。
冒頭で18歳の息子から自分の昼間の行動について尋ねられたダイアナが思いつくままに答えたような内容を息子があっさり受け容れることに違和感があったし・・。
処方された向精神薬をトイレに流してしまうときにも都合よく現れてダイアナを唆していたし。
そうかイマジナリーサンだったのか。
ダイアナはなぜイマジナリーサンを生み出したのか、それが解けないと家族は前にすすめないような気がしました。

ダンは家族とは夫婦とは「かくあるべき」が強い人のように見えました。
「かくあるべき」から外れたことからは目を逸らす。息子ゲイブの死からも、本来のダイアナからも。(「かくあるべき」から外れた気分障害の妻には治療を勧めるのが夫として「かくあるべき」なのかな)
ダイアナは真実はとことん突き止めたい人なのではないかと思いました。原因や責任をはっきりとさせないと前にすすめない人なんじゃないかな。
それをしなかったから、その先にすすめなかったのかも。

ダイアナは若くして予期せぬ妊娠をしたことで人生が大きく変わってしまった。
妊娠出産という自分の体の変化を受け容れること、描いていた進路、歩むはずだった未来から外れて家事育児に専念することを受け容れること、そして扱い方もわからない赤ん坊の存在を受け容れること、を極めて短い数か月のあいだに一気に余儀なくされたのだろうなと思います。
ひとつひとつの変化を完全には受け容れきれないまま必死で育児をして、もはや自分のすべてになっていた生後8ヶ月の息子の死という現実に直面して、彼女にはもうそれを受け容れるキャパシティが残っていなかったのじゃないのかなと思いました。

夜通し泣きつづける我が子にパニックになってしまっていた彼女にダンは「大丈夫、きっと良くなる」と言ってなだめたのだろうと思いました。いま困難を抱える彼女にそう言っているように。
なにもわからず手探りで育児をしながら、幾度か医者にも相談して・・そのたびに心配ないと、乳児は泣くのが仕事だからとか乳児によくあるぐずりだとか言われていたのかなと思います。
(権威ある者の言葉に全責任を委ね自分では判断しないのがダンの癖のように思います)

ダイアナの母親は、少女の頃のダイアナのことを元気な子だったと言っていたそう。
娘のナタリーはダイアナに似ているのだと思いました。
ナタリーのようにダイアナも活発で才気に溢れ寝ることも惜しんでどんどん課題をやっつけてしまうような少女だったのかなと。
だからナタリーのことをダイアナはまっすぐに見ることができなかったのかもしれないなと思います。置き去りにした自分がそこにいるから。
ダイアナには置いてきた自分と向き合うことが必要なのじゃないかな。
置いてきた自分をいまの自分のなかに取り込んで、止まっていた鼓動を動かす作業が必要なのじゃないかなと思います。

抱えきれない目の前の問題に直面したときに「大丈夫、きっと良くなる」と根拠が稀薄でも自分にも家族にも言い聞かせて(難しいことは専門家に丸投げして判断を仰いで)有無を言わさず前にすすもうとするダンとは反対に、ダイアナは立ち止まって現実をしっかり自分で咀嚼して責任や根拠を明確にしたいタイプなのじゃないのかなと思いました。
ダンといるとダイアナは抱えきれないモヤモヤをいっぱい抱えてしまう気がします。ダンの長所ともいえる性質がダイアナと相性が悪そうです。
ここはいったん離れて、自分のことや、ダンについてや、息子や娘のことをいままでとはちがう目線で見て考えてみることがダイアナには必要なんだなと思いました。
だからこれは前向きなラストなんだなと。そう思いました。
普通じゃないけど普通のとなりで普通に生きようともがきながら生きている人びとが暮らしている。そうなんだよなぁと肯いてしまう作品でした。

CAST

ダイアナ/望海風斗
ゲイブ/甲斐翔真
ダン/渡辺大輔
ナタリー/小向なる
ヘンリー/吉高志音
ドクター・マッデン/ドクター・ファイン/中河内雅貴

(2025年1月6日博多座)

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