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2023/08/13

朝まで歩こう肩を組み。

8月4日東京宝塚劇場にて星組公演「1789」を見てきました。

終演直後自分は成仏したんじゃないかなと思いました。
もしかして私は迦陵頻伽の聲を聞いていたんじゃないかなと。
これが法悦というものなのかな。
自分の語彙では表現できない満足感に脳がバグを起こしておりました。

数日経ち幾分冷静になってきたので感想を書こうとするのですが、やはりなかなか言葉がみつかりません。
刹那刹那に感じた技術的な凄さや舞台の上の1人1人から漲っていたものを表現する言葉を知らない自分にがっかりです。
でも感動を書き残しておきたいのでどうにか書いてみようと思います。

1か月ちょっと前に宝塚大劇場で見たものとは別物だと感じました。
あの時は大好きなナンバーをようやく自分の耳で生で聴けたことに心が震えましたが、今回は1つの作品としての完成度の高さに打ちのめされました。
舞台の上にいる1人1人から漲るものが凄まじかったです。
オケも宝塚大劇場よりもドラマティックで色っぽい印象でした。(音の聞こえ自体は大劇場の方がよかったのですが)

「ロミジュリ」初演を観劇してから13年(私は博多座で観劇)、タカラジェンヌがフレンチロックミュージカルをここまでアーティスティックに上演する日が来ようとは。頭を抱えたあの時には想像もできませんでした。

あの時は宝塚とフレンチロックとの音楽性のあまりの乖離に頭を抱えてしまったのでした。
宝塚には音楽性よりも「宝塚らしいもの」をという思いをいっそう強く抱き、以来宝塚で上演されるフレンチロックミュージカルには食指が動かなかったのですが、礼真琴さんなら・・とロックオペラ「モーツァルト」を見に行き「ロミジュリ」を見に行き、そのたしかな実力と感性に心酔し礼真琴さんの星組で「1789」が上演されることを熱望して、いまここ。
そしてこの満足感たるや。

でもこれはメインキャストだけが巧くてもどうにもならないことだということも実感しました。
この10余年で宝塚歌劇の音楽性が大きく変わったこと。下級生に至るまで1人1人の体にこのリズムが沁み込んでいるんだということをしみじみと感じました。
あの時無謀ともいえる挑戦をし宝塚ファンに衝撃を与えた初演「ロミジュリ」のメンバー・関係者の手探りの努力があってこそのいまなんだなぁということも強く思います。
さらに、宝塚の番手主義とは相容れない群像劇をそのヒエラルキーを崩してまでも上演した、2015年のあの「1789」月組初演があったからこそ。

すべてはあの一歩から。生みの苦しみを経て、綿々と積み重ねられた努力の末に結実した一つの公演がこの「1789」であり、そしてこれから生み出されていく作品なんだなぁと深く思います。

話を今回観劇した「1789」東京公演に戻します。
大劇場の観劇時にはもどかしく思ったところも、今回の観劇ではまったく感じませんでした。
それどころか期待以上のものを体感することができて感激もひとしお。

ラストのロナンのせり上がりも心の準備ができていたので問題なしでした。
座席の位置も関係があったのかもしれません。今回は1階の下手端っこだったので人権宣言をじっくり堪能してからロナンが登場した印象でした。(大劇場では2階最前センターだったので人権宣言が終わるか否かで目に入って来たのが大いに戸惑った原因ではと思います。座席位置大事)

礼真琴さんは私の快感のツボを全部圧していかれました。
こんなふうに歌って聞かせてもらえたらもう思い残すことはござらん・・です。
いえチケットさえあれば何回でも見たいし聞きたいですが。

父親を殺され農地を奪われて衝動的に故郷を飛び出したロナンが、若き革命家たちやともに働く印刷工たち、再会した妹、フェルゼン伯爵らを通じて成長しながら恋をし、憎しみや疑念、葛藤を抱きもがきながら成長していく様が手に取るように伝わり物語世界にどっぷりとはまりました。

「革命の兄弟」のロナンと、デムーランとロベスピエールとのやり取りは1人1人のキャラクターの違い、立ち位置、考え方、受け取り方の違いがよく見えました。
理想主義でロマンティストのデムーラン。懐疑的で原理主義のロベスピエール。

ロナンが「俺にも幸せ求める権利がある」と言えば「当然だ」と肯定するロペスピエール。
ロナンの「やりたい仕事につく権利がある」にはデムーランが「勿論だ」。
さらに「誰が誰を好きになってもかまわない」には前のめりに「その通りだ」と返すデムーランに対して反応薄めのロベスピエール笑。
さらに「自由と平等」でその違いが際立ちます。

ダントンは人情派で寛容、ファシリテーター的なところもある。デムーランとロベスピエールがかなり強烈なのでその努力が不発に終わることもあるみたい・・天華えまさん演じるこの作品のダントンはそんな立ち位置かな。
「パレ・ロワイヤル」はそんな彼がよくわかるナンバーだなぁと思います。
「氏素性なんて関係ない」「学問がなくてもかまわない」――その意味のリアルがわかっているのは実は革命家3人のうちではダントンだけなのではないかなと思いました。
だからソレーヌも彼の言葉に耳を傾けることができたんじゃないかな。
デムーランとロベスピエールがそのことを理解するのはもっと後、ロナンという存在に関わって現実を突きつけられ、その行動力と人々からの信頼を目の当たりにしてからだと思います。

「サ・イラ・モナムール」での恋人との関係も三者三様で面白かったです。
同じ理想を目指していることが大事なデムーランとリュシル。そばにいて共に戦うのが当たり前なダントンとソレーヌ。
危険行動に恋人を連れていく気がないロベスピエール。そもそも志を共有するという気がないのかな。また後顧の憂いは断ちたい人なのかなと。

私が「1789」が好きな理由はやはりこの革命家たちにワクワクさせられるからだと思いました。
革命家それぞれがセンターに立つナンバーが、その大勢のダンスパフォーマンスも含めて心が昂るところ、三者三様の個性がはっきりしてそれぞれに異なったロナンとの絡み方が面白いからなのだということを実感しました。

大劇場で喉を傷めている様子だった極美さんも難なく高音で歌い上げていて最高でした。
「誰のために踊らされているのか」のダンスパフォーマンスは舞台上の全員がいっそう力強くなっていて、見ていてドーパミン的幸福感が凄かったです。依存性が高いナンバーだなと再確認。

暁さんの朗々とした歌声と礼さんとのハモリも最高。
声が安定しているからこそフェイクも効いていて心地よかったです。

大劇場公演では大人しめに感じた有沙瞳さんのマリー・アントワネットも印象がまったく違いました。
1幕では誰よりも華やかで無邪気にチャーミングだったアントワネットが、2幕では動じない威厳を身に纏い質素なドレスを着ても存在感が滲み出ていました。自分自身の人生を自分で選び択る決意に溢れた「神様の裁き」は感動しました。

オランプは居方が難しい役なんだなとあらためて思いました。
猪突猛進でロナンの人生を変えてしまう、無茶ぶりで父親を危険に巻き込んでしまう。一歩間違うと反感をもたれてしまいそうなキャラを舞空瞳さんはいい塩梅で演じているなぁと思いました。
これこそがヒロイン力かなぁと。

東宝版を見ていた時にも思っていましたが、オランプは平民なんだろうかそれとも下級貴族なんだろうかと今回もやはり思いました。
姓にDuがつくので貴族かなと思っていたのですがアルトワ伯がオランプに銃を突き付けられた時に「平民に武器を持たせるとろくなことはない」と言うのがちょっと引っ掛かったり。

お父さんは中尉ということなので、平民から中尉なら出世した方だと思うし平民の中では裕福な部類かなと思うけれど、貴族なら年齢的にも中尉止まりだと名ばかりの底辺の貴族ってことになるなぁと。
いずれにしても娘に王太子の養育係ができるほどの教育を受けさせているのは凄いことだなと思います。
そしてアントワネットは意外とそういう倹しげで教養の高い人が好きですよね。
マリア・テレジアの教育の賜物でしょうか。

「神様の裁き」を歌うアントワネットの背後で戯れるルイ16世と子どもたち。この後のルイ・シャルルの運命を思うと、この愛らしいマリー・テレーズがのちにアルトワ伯以上に怖い人になるのだと思うとなんともやりきれない思いになりました。
(マリー・テレーズにとって母はどんな人だったのだろう・・)

瀬央ゆりあさん演じるアルトワ伯は、大劇場よりさらにクセの強い印象でした。
妖しくてシニカルで。
国王の孫で王太子の弟として生まれ、国王の末弟として育つってどんな感覚だったんだろうと思わず考えてしまいました。
アルトワ伯の人生にとても興味が湧きました。
それから今のこの瀬央ゆりあさんにオスカー・ワイルドの戯曲の主人公を演じてもらいたいなぁと思いました。田渕作品なんて面白そう。
(いやそれって「ザ・ジェントル・ライヤー」やんって思いますが、いまの瀬央さんの「ザ・ジェントル・ライアー」を見てみたいなぁと)

どの登場人物も魅力的で、この作品を上演する星組は幸運だなぁと思いました。
作品を引き寄せるのも実力のうちだなぁとも。

幸せな体験に感謝です。

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2023/05/23

幻のヌベラージュ。

5月19日に東京宝塚劇場にて宙組公演「カジノ・ロワイヤル ~我が名はボンド~」を見てきました。
ひと月前に宝塚大劇場で観劇していたので、過大な期待はせずに宝塚を楽しめたらいいなというつもりで臨みました。

バカラの場面など、大劇場公演では散漫に感じた箇所がイキイキとした場面に変わっていてやはり東京公演はいいなぁと思いました。
大勢口の場面が希薄な印象になってしまうのが宙組の悪い伝統だなぁと他の組を見た後など特に思います。
(「High&Low」の時は全くそんなことはなかったのですが)
私は宝塚大劇場での観劇がメインなので東京公演では良くなっているというのも、それはそれでなんだかなぁという気持ちになります。
このスロースターターな組気質が改善されることを切に願っています。

真風さんと潤花さんがパラシュートに乗っている場面は2人のこれまでを思うとやっぱりせつなくて、フィナーレのデュエットダンスは2人のあまりの美しさと輝きに気づいたら涙目になっていました。

演者が放つ刹那の輝きに感動はしたけれど、やはり作品自体はしっくりこないというか、引っ掛かるところがあって気持ちがうまく乗れませんでした。
プロローグの男役たちのスーツのダンスにはテンション爆上がりだったのに、場面が替わりジャマイカでボンドが女の子たちにマティーニとシガレットをもらい「サンキュー、ローズ、リリー」でやっぱりだめだこりゃになりました。
最初から最後まで気持ちのアップダウンが激しい作品でした。

マリンブルーのジャケットに白いパンツの伊出達の真風さんが若大将にしか見えない呪いにかかってしまったのは辛かったです。銀橋の歩き方もあの場面だけなんというかとても昭和で。作品の年代に合っているといえばそうなのかもしれないですが。スタイリッシュはどこに行ったん?と思いました。

デルフィーヌに対するボンドのセリフも
苦手でした。最初のとおりすがりのキスの場面から。どうだ俺は凄いんだぞとずっと言っているみたい。
ヒロインをもっと対等に対話ができる大人の女性に設定できなかったのかなぁ。ボンドが始終器の小さい男に見えて残念でした。

ムラで見た時よりもCIAのフェリックス・ライター役の紫藤りゅうさんの顔つきが変わったなと思いました。強くて正しいと自負する「アメリカの貴族」の末裔という印象。お金にものをいわせてストレートに物事を思い通りに動かす「世界のお坊ちゃま」。いかにも60年代のアメリカのイメージ。

対して瑠風輝さん演じるルネ・マティスが人が好すぎて英米に対して卑屈なのが気になりました。根は良い人でも時にはプライドの高さが垣間見えてほしいし卑屈ではなく皮肉に聞こえるくらいのエスプリがほしいな。
フェリックスの「マテリアル(物質・金)」とマティスの「エスプリ(精神・軽妙洒脱な知性)」の対比が見えてこそ、米仏の2人が配置されている意味があるのではないかと思います。
60年代はフランスにとって苦しい時代だけど人生の価値はお金だけではない、そんな矜持を人々は持っている。
「フランスは貧しいからこそ卑屈になることを拒否する」と戦後ドゴールは言ったそうですが(その高慢な気取り屋ぶりを実利主義者のルーズベルトは鼻で嗤ったとか)、ルネもまた内心に哲学と愛があるフランス人だと思いたいです。

トップコンビと長く組に貢献した組長さんの退団公演ということもあり、随所に過去作を彷彿とさせるセリフがあったり、演じる本人たちの関係性と照らし合わせて感傷的にさせる場面もあったのですが、作品として最も心に響いたのはミシェル役の桜木みなとさんが歌った歌(「夢醒めて」)でした。歌詞の言葉ひとつひとつが沁みました。
潤花さんが歌う「RED BLACK GREEN」も素直に胸にきました。

スメルシュの鷹翔千空さんはやっぱり身のこなしがカッコよくて、登場すると勝手に目が追っていました。
桜木みなとさん、鷹翔千空さん、花菱りずさんの役になりきった芝居が光って見えました。
(若翔りつさんもかなりの芝居巧者なのだけど役が残念すぎて)

ドクトル・ツバイシュタインの場面は東京でもこのままなのかーと残念に思いました。
ナチスに協力したドイツ人科学者が何をしたか、戦後その技術力を目当てに連合国側の米ソが何をしたか、そしてソ連が彼らに何をしたか。彼らの研究が戦後の世界になにをもたらしたか。そんなことが頭を過って。
易々とルシッフルのもとに行けるくらいだからソ連にとってもそれほど重要な人物じゃないよねとも思うし、実際そういう役だったんだけども思想が問題な人物なわけで、コミカルな仕立てにしているのがなおさらでとても無邪気に笑えませんしグロテスクに感じました。

皇帝ゲオルギーは立ち上がるとかも正直いらないよねと思います。ボンドのおじいさん設定も。アナグラムも別にあれでなくても。
退団者への餞の気持ちはわかるのですがよほど巧くやらないと世界観が壊れてしまうなぁと思いました。

イルカはやっぱり謎でした。
人命救助するイルカはいるけどイコール「イルカは人を愛する」とはならないと思うし。個体差だし知能が高い分残酷であったりもするし。なぜ急にジェイムズ・ボンドが夢見る夢子ちゃんみたいになるん?と。
理想をイルカに託してロマンを語っているの? でも私が真風さんのボンドに見たいロマンはそこじゃないんだなぁ。
同調するデルフィーヌもなかなかだなぁというか、ボンドがイルカの話題を出したらすかさず「私の名前はイルカって意味なの」と言い出したのは彼女だったし。そういう意味では2人とも夢見る夢子ちゃんでお似合いなのかも。
いや、ボンドは彼女のことをちゃんとリサーチしてて、名前に因んだイルカの話題を出すとすぐに食いついてくるとわかってやっている作戦に見えたらなるほどね~と思うのだけど、そうは見えない。案外本気ですよね。

真風さんは大人っぽい役が似合うと思われがちだけど、トニーやニコライ、フランツやローレンスなど純粋な青年役が素敵だと私は思っています。
今回のボンドみたいに人生経験の浅い女性をターゲットに見下している感じがする役は苦手だなぁ。おそらく私は小池先生のオリジナル作品の主人公が苦手なんだと思うのだけど、今回のボンドは究極に私が苦手な匂いがするのと真風さんはなぜかその私が苦手なところをより強調しちゃうんだろうなと思います。私に起因する問題だと思いますが。

「アナスタシア」のディミトリはいままで宝塚で見た主人公の中でも屈指で好きです。「神々の土地」のフェリックスも最高だったなぁ。麗しのルイ14世も好きだったし、屈折してたり変人だったりする真風さんの役も純粋な役と同じくらい好きです。
わたし的に、真風さんのラストがこの役なのが遣る瀬無いというのが引っ掛かっているのかなぁ。
もしかしたら私が見たかった真風さんの片鱗を今回の鷹翔千空さんに見出しているから鷹翔さんに釘付けになってしまうのかもしれないなぁ。
(これを書きながら録画していた2016年の宙組「バレンシアの熱い花」を見ているこの瞬間も真風さんのラモンのカッコよさに見惚れていました)

「007」だと期待しなければ、宝塚らしい退団公演だと思えましたし愛のある脚本だなとも感じました。
引っ掛かるところはあるけれど、真風さんが晴れやかに卒業されたらそれがいちばんだし。
と自分を納得させて劇場を出てスマホを開いたら、千秋楽の全世界配信のニュースが。
喜ばしいはずなのに手放しに喜べない。
最後の最後にやってくれるなぁ涙。

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2023/03/07

ハプスブルクを頼む。

3月1日に東京宝塚劇場にて花組公演「うたかたの恋」と「ENCHANTEMENT-華麗なる香水(パルファン)」を見てきました。

「うたかたの恋」は小柳奈穂子先生による新演出がとても良いと聞いて楽しみにしていました。
書き加えられた部分によってそれまでふんわりしていた時代背景や状況が顕らかになり、私は夢物語を見る目線ではなく、史劇を見るようなシビアな目線で見ていたようです。
結果としてマイヤーリンク事件の後味の悪さを噛みしめることになりました。

現実との折り合いが悪い大人が、自分は世の中の誰ともちがうと夢想しがちな年ごろの年少者の夢を喰らって利用している様が浮き彫りになったように感じました。
ことに酒場で自暴自棄のルドルフが罪のないマリーを責める様子が、モラ男の典型を見るようで心理的アラートが誘発されたようです。
思い通りにいかないことに腹を立てている甘えたオトナと、見たことのない大人の弱さを直にぶつけられてそれを愛しいと感じ彼を支えられるのは自分しかいないと思い込んでしまった少女の図にぞっとしてしまったのです
(あなたしかいないのではなくて、みんなが手を退いてしまった男なのよ、その男は)

この甘えたでダメな感じが真実に近いルドルフなんだろうなとも思います。
それに対してマリーも現実的な人物に描かれていたなら別の受け取り方ができたのかもしれないのですが、旧時代の夢を一身に背負ったようなマリーだったので、ルドルフ役の柚香光さんが心の機微を繊細に演じるほど、マリー役の星風まどかさんが宝塚ファンが求めるマリー像に近づけるほどいたたまれなさを感じました
その立場、その美貌で夢見るマリーを有頂天にさせたあげくに死出の道連れにする正当性をどうやっても見出せなくて。

従来の「うたかたの恋」を見るとき、私は頭で主人公がおかれた状況や心情を補完しながら見ていたと思います。そうするのは、すでに初演の頃とは見ているこちら側の感覚や価値観が変わっていたからだと思います。
聡明で孤独な皇太子とけなげな少女の悲恋にロマンを感じ、頑迷な父帝や権力に固執する政敵を憎み、母后や伯爵夫人の機知に富んだ会話や人間味あふれる従僕たちのやりとりに人の世の機微を感じてひとときの夢を味わう作品だったのかな、もともとは。
でもいつしか見る側も努力をしないと楽しめなくなっていました。

時代が進み自分も年齢を重ねたことで、責任ある立場の大人がうら若い女性と情死を選ぶには納得がいく理由がないと受け容れ難くなり。
また同時代を描いた新しい作品での同名のキャラクターの描かれ方に触れることで、父帝がただの頑迷ではなかったのではと考えたり。
機知に富んで見える伯爵夫人のセリフも宮廷の薄暗いところで権力者を相手に女衒のようなことして生き抜く女性ゆえのわきまえた仕草なのだと知るようになると、あの狂言回しが「キッチュ!(まがいものだ!)」とせせら笑ったおとぎ話を無垢な気持ちで見ることは適わなくなってきたのだと思います。

そういうわけで、今回の新演出に期待を抱いて観劇したのですが、こもごも雑念が膨らみ純粋な目線で見ることができなかったのかなぁと思います。
柴田先生が脚本を書かれた時代の価値観や史観が支配する場面、新しく書かれた現在の価値観や史観による場面がパッチワークのように交錯し視点を定めることができないまま見終わってしまった感じです。
さらに同作映画にこんな場面があったなぁと思うとその映画の世界観に私の意識も一瞬飛んだりもして。
物語に浸るより、考察しながら見てしまいました。

「おとぎ話フィルター」が外れてしまったために、いままで気にしないようにしていた部分に気を取られたのもあります。
そもそもなぜジャンはヨハンじゃないのかなぁとか。
クロード・アネの原作がフランス語で書かれたもので名前もフランス式になっていたと思うので、柴田先生もそれに由ったのかなと思いプログラムを見ると、フランツ・フェルディナント大公も「フランソワ・フェルディナンド大公」になっていました。(だから恋人もゾフィーじゃなくてソフィーなのか)
名前の表記は原作にならってフランス名で統一しているのでしょうか。
それで今回の新キャラであるマリーの兄の名前もジョルジュなのかな。観劇時なぜゲオルクじゃないんだろうと疑問に思っていました。(母親がギリシャ系でマルセイユ生まれらしいけど←観劇後に調べてみました)

かと思うと、従来は「ヨゼフ皇帝」と表記されていたフランツ・ヨーゼフが新演出では「フランツ」(ファーストネームのみ)になっていて、これも不思議に思います。
舞台を見るのにどうでもいいことなのかもしれませんが、意味なくそうされている訳ではないと思うのです。その理由がわかれば喉の痞えも取れるのではないかといろいろ考えてしまいます。

こたびの新演出ではフェルディナント大公の恋人ゾフィー・ホテクも新キャラとして登場し、フェルディナント大公が彼女を「召使い」と紹介したのでそれにも、え?となりましたが(実際には彼女はフリードリヒ大公妃の女官をしていたボヘミアの伯爵令嬢だったのだけど)、これは貴賤婚をわかりやすくするために平民に改変したのかなと思いました。
この時代、ルドルフ皇太子を筆頭にハプスブルク家には大勢の大公殿下がいたそうですが、貴賤婚を選ぶ大公が次々増えていくのですよね。
彼らは家憲により王族以外との結婚が許されなかった(貴族もNG)けれど、それでは当時50名以上いたといわれるハプスブルク家の大公たちは結婚のチャンスを逃してしまうし、貴賤婚のたびに皇籍から除籍していては後継者の選定が難航していくのは顕らか。
フェルディナンド大公やジャン・サルヴァドル大公が自由恋愛で伴侶を選ぼうとしているのも時代の必然だなと思います。そんな彼らをルドルフが眩しく羨ましく思うのも肯けました。
これもまたハプスブルク帝国の崩壊を予感させるエピソードだなと思いました。

新演出でとくに好きだったところは、冒頭のプリンスたちのウィンナワルツです。
「うたかたの恋」というとプロローグでルドルフとマリーが歌う深紅の大階段、そしてそれに続く貴公子たちのウィンナワルツが最大の見どころですが、今回はそのウィンナワルツがさらに見応えのある見せ場になっていました。どのプリンスも麗しく、どのプリンスもダンスに長けていて、1人ひとりを眺めてうっとりしたいのに・・やがてこの場面が終わってしまうのを惜しまずにいられませんでした。

シュラット夫人がオフィーリアのアリアを歌う場面もよかったです。フランスオペラ「ハムレット」の音楽はこの作品の世界観にぴったりでした。(その衣装からして彼女は歌唱披露しただけでオフィーリアを演じたわけではないんですよね?)
バレエの場面も素敵でした。美しいものを見ることには価値があるのだとしみじみと感じました。
ザッシェル料理店にはこれまでもおなじみのロシアの歌手マリンカ、プラーター公園のタバーンには新キャラのミッツィと、歌姫に活躍の場があるのもいいなぁと思いました。
ミッツィってあのミッツィ?(ミッツィ・カスパル)と思うと、ルドルフの別の顔を思い起こしてしまい複雑な気持ちになってしまったのも否めませんが。

ルドルフを追い詰める包囲網がわかりやすく描かれたことで、柴田作品独特の「語らない中に語られているもの」が見えなくなってしまった気もします。
なにげないやりとりに込められた意味に気づいた時の面白さが柴田作品の真骨頂だったなぁと。
けれどいまの時代に「語らない中に語る」というようなことをすると、思いもよらない受け取り方をされたりもするので難しい。そういうことが通用しない時代になったんだなぁと思います。

それから柴田作品は、女性は分別をわきまえてどんなときでも微笑みを絶やさずけなげに振る舞いなさいのメッセージも強くて、いまこの時代にそのまま見せられると鼻白んでしまうのも確かです。当時はそのほうが幸せを掴めるという女性たちへの愛を込めたメッセージだったのかもしれませんが。(「バレンシアの熱い花」はどうなるのかいまから心配・・)

思えば、これほど宝塚の今と昔に思いを馳せられる作品もないなぁと思います。
そしてこれからの宝塚は、と思いを遣らずにいられません。


野口先生のショー「ENCHANTEMENT-華麗なる香水(パルファン)」は宝塚を見たぞという満足感に浸れる作品でした。
コスチュームが豪華な舞台は多々あれど、必然性などおかまいなしに次から次へと豪華なコスチュームを着替えて見せることができるのは宝塚しかないのではと思います。まさにそんなショーでした。

私がいちばん心に残ったのは、パリのベル・エポックの場面、盆の上を回る美男美女たちかなぁ。
聖乃あすかさんが凄まじいほどの美女でびっくりしました。
早くもここが私的クライマックス!と思ったところでしたが、次のNYの場面での柚香光さん登場で心が舞い踊りました。
やはり小粋に踊ってこそ花男。
中国の場面は艶やかで、ミュージカルナンバーの場面は洒脱で目にも麗しく軽快な黒燕尾も愉しくて、そしてデュエットダンスにうっとり。(影ソロもよかったです)
芳しいひとときはあっという間に終わってしまいました。

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2022/04/23

俺の生まれはバルセロナ。

4月8日に東京宝塚劇場にて宙組公演「NEVER SAY GOODBYE」を見てきました。

新型コロナウィルスの影響で宝塚大劇場での上演回数が半減して、私が見ることができたのは千秋楽を含めて3公演。
そして東京公演はこの1回きりの観劇となりました。

ジョルジュ(真風涼帆さん)については先に感想を書きましたのでそのほかの感想をと思いますが、書き出すと終わりが見えないほど次々に湧いてくるものがあるので、時代背景に想いを馳せながらムラと印象が変わったなと思ったことを交えながら書いていきたいと思います。

まずプロローグのエンリケ(奈央麗斗さん)がヴィセント(芹香斗亜さん)にそっくり!とびっくりしました。
おじいさん似だったのねー。
ムラではそれほど思わなかった気がします。東京公演ではお化粧や髪型で寄せてきたのかな。(もしかするとムラで私が気づいていなかっただけなこともあり得ますが)
ペギー(潤花ちゃん)もおばあさんにそっくりだし笑、紛れもなく2人の孫なんだなぁと思いました。
こうして孫たちがスペインの地で邂逅できてよかったなぁとしみじみしました。

物語ののち反乱軍が勝利してフランコ独裁政権になったスペインの地を、キャサリン(潤花ちゃん)は二度と踏むことはできなくて、ヴィセントに会うこともジョルジュ(真風涼帆さん)の最期について話を聴くこともできなかったことを思うと、こうして2人が平和な時代を生きて会えて話していることが感動でした。
これもフランコ独裁政権が終わったから実現したことなんだなぁ。

ペギーが言っている1992年のバルセロナ・オリンピック、開催当時はよくわかってはいなかったんだけどそれでも歴史的なことが起きているんだなぁと思ったものです。
そこにはたくさんの人びとの想いが詰まっていたんだなぁ。

余談ですが、その開会式ではフレディ・マーキュリーがバルセロナ出身のオペラ歌手モンセラート・カバリエと一緒に歌うはずだったんですよね。前年に亡くなってしまわなければ・・
オリンピックの公式サイトにフレディ・マーキュリーとカバリエが歌っている楽曲「バロセロナ」を使用したモンタージュビデオがあったのでリンクしておきます。
ビデオにはジョルジュたちが過ごしたサグラダファミリアの1992年当時の映像や、バルセロナオリンピックスタジアムも映っています。
このスタジアムは、1936年の人民オリンピックに使用されるはずだったものを改修したのだそうです。ヴィセントやビル(瑠風輝さん)たちがこの場所でリハーサルしたんだなぁ。
(こちらも→ Freddie Mercury ft. Montserrat Caballe - Barcelona (Live in Olimpiada Cultural)  )

初演の時は、世界史の中の出来事だなぁという捉え方しかしていなかったと思うのですが、2022年のいまのこの世界情勢の中だからこそ1992年のバルセロナの人びとの歓喜の意味に想いを馳せることができる気がします。
そんないまこの時に見る「NEVER SAY GOODBYE」となりました。

物語は1936年に遡り、舞台はきな臭いヨーロッパとは遠く離れたアメリカ、ハリウッドのクラブ「ココナツ・グルーヴ」。
前年には「TOP HAT」同年にはチャップリンの「モダン・タイムス」が公開されたそんな時代なんですね。
(「TOP HAT」では英米と南欧との格差が感じ取れますし、「モダン・タイムス」は労働者をただの歯車として消費する資本主義社会を批判的に描いているように見えます)

新作映画の製作発表パーティに集うセレブたち。そして紹介される出演者や関係者たち。
そのなかにラジオ・バルセロナのプロデューサーのパオロ・カルレス(松風輝さん)がいて、当時誕生したばかりの社会主義国スペイン共和国について歌い、海の向こうのヨーロッパでは労働者が国を動かす時代が到来したことを示唆。

私はパオロさんが片頬を上げて哂うのが好きで、見るたびに出た出たこれこれとニヤニヤしました。
人好きのする気さくな笑顔を相手に見せながら、見せていない方で哂ってる。同時に2つの顔をして同時に2つのことを考えているみたい。
言葉巧みに都合の悪い真実についてはすっとぼけて相手にとって耳障りの良い話を滔々としてその気にさせる。→スタイン氏(寿つかささん)はすっかりその気。
どんなピンチも言葉の言い換え、発想の転換で切り抜けていきそう。
いかにもやり手興行師な風情。いいキャラ作っているなーと思います。

時代の空気はハリウッドの若者たちにも影響を与えていて、キャサリンや仕事仲間のピーター(春瀬央季さん)も純粋に社会主義思想に理想を抱いているみたいで、ピーターはユニオンを作ろうと持ち掛けて仲間から渋い顔をされているし、キャサリンはそんな仲間たちに「情けない」と檄を飛ばしている。

この場面は都会に集う若い知識人のリアルが感じられるなぁと思いました。不満はこぼすけれど実際に行動を促されると尻込みしてしまう。とてもよくわかります。
彼らが歌い継ぐ洗練されたメロディもアメリカだなぁと思いました。こういう曲調は舞台がスペインに移ると聴けなくなるので噛みしめて聴きました。

そしてキャサリンが自分を鼓舞する勇ましい「ハッ!」が好き。この無謀で理想を食べて生きているキラキラしたかんじは嫌いじゃないなぁと。むしろ微笑ましくてフフッと笑ってしまいました。
当時の彼らにとって、ヨーロッパの情勢はどんなふうに映っていたのかな。自分たちとはかけ離れた遠い海の向こうの出来事? それとも共感? この頃はまさかスペインで内戦が起きるとは思っていなかったのだろうな。(だからこそマークたち一行もロケの下見を名目に物見遊山でスペインまで行ったのだろうし)

アニータ役の瀬戸花まりさんは歌うまさんなのは知っていましたが、ムラで見た時は曲調と声質が合っていないかなと思っていました。初演の毬穂えりなさんがとても豊かな声音で素晴らしかったので、どうしてもその記憶が呼び起こされて。
でも東京のアニータは歌い方から変わったみたいで、とても深みのある歌声が素晴らしくて聞き惚れました。
アジトをみつけてあげたり、ヴィセントの実家の片づけを手伝ったり、かと思うとキャサリンに出国の手配をしてあげたり、彼女が味方についていなかったら、彼らはもっと早くに破綻していたんじゃないかしら。
キリっとした頼もしさもあるのに、セリフのないところでは愛おしそうな眼差しでジョルジュたちをみつめているのもいいなと思います。
そもそもどうして彼女はジョルジュたちと行動をともにしているのかなと想像してしまいます。

テレサ役の水音志保さんは「夢千鳥」につづいての抜擢かな。ここ数年気になる娘役さんだったのでキャスト表にテレサとあるのを見てとても嬉しかったです。
2番手の芹香さんに寄り添っても遜色ないし、愛されている女性のきらめきや自分の踊りで生きていく強さとしなやかさも見て取れてとても好きでした。
美原志帆さんや音波みのりさんみたいな綺麗なお姉さま役ができる人になって、これからも楽しませてもらえたら嬉しいです。

キャスト表を見て楽しみにしていたもう1人、ラパッショナリア役の留依蒔世さん。歌声の迫力さすがでした。
ムラでの初見の時は、娘役さんのキーがちょっと苦しそうかな?と思ったのですが、ムラ千秋楽そして東京とどんどん声が安定して迫力が増していたので、東京千秋楽にはどうなっているのかと思います。(私はライビュでしか聞けないのが残念)
歌もさることながら、娘役さんたちを率いて、そして男役さんたちに交じっての市街戦も女性としてカッコよくて素敵でした。
フィナーレでもとてもしなやかで力強い娘役ダンスを披露していて、見応えのあるパフォーマーぶりで魅了されました。宙組になくてはならない存在だと思います。

そしてバルセロナ市長役の若翔りつさん。市長の内戦勃発を知らせる歌は初演では風莉じんさんの歌唱力に驚いた記憶がありますが、若翔さんもぶれることなく素晴らしかったです。こんなに歌える人とは知りませんでした。
「バルセロナの悲劇」でラパッショナリア役の留依蒔世さんと一緒に歌うところは聞いていて高揚しました。歌うまさんが合わさるとこうなるの??と。
あの場面はコーラスも最高で、その押し寄せるような歌声のうねりに涙を流して聴いていました。

故郷バルセロナを愛するヴィセントのソロ曲「俺にはできない」は、初演の「それでーもーおーれはのーこるー大切なーものをまーもるーためー」のほうがインパクトあって(いろんな意味で)わかりやすかったなぁと思います。
初演でヴィセントは脳みそ筋肉だけど愛すべき人、と強くインプットされている私はムラの初見で大いに混乱してしまいました。

ヴィセントは初演では2番手の役にしてはそこまで大きな役という印象ではなかったので(アギラールのほうが2番手っぽい役だなと思っていました)、ベテラン2番手芹香斗亜さんのために書き足しされるんじゃないかなーと思っていたのですが、場面として大きな書き足しはされていなかったようでした。
いちばん変わったと思ったのはソロ曲「俺にはできない」が、メロディも歌詞も別物になっていたこと。
ほかはココナツ・グルーヴの登場の場面で「オーレ!」と決めポーズをするだけだったところで、1フレーズ歌が入ったとかそんな感じ。戦場の場面が増えてくれたらいいなぁなんて思っていたのですが。

場面を増やさないかわりに、芹香さんのためにソロ曲で銀橋を渡ることにしたのだなと思うんですけど(初演では銀橋は渡っていないので)、そうするためには初演のナンバーでは長さが足りないし、芹香さんの歌唱力を活かすべくワイルドホーン氏に歌いあげ系の新曲を書いてもらったのだろうな。
曲のタイトルはそのまま、メロディアスな曲調に。歌詞も内容はほぼそのまま言葉数が倍以上増えてより抒情的に、感傷的になっていました。
そのためヴィセントという人が謎な人物になったように私には感じられました。

あの場面は、闘牛士たちがバックヤードで「闘牛の中心地のセビリアが反乱軍の手に落ちた」「俺たち闘牛士はこれからどうなる」と喧々囂々と言い合って「闘牛を続けるためになんとかして南部へ行こう」という話で纏まりつつある中で、ベンチに座ったままずっと黙りこくっていたヴィセントが「俺の生まれはバルセロナ」「俺は残る二度と闘牛できなくても」と闘牛士仲間と行動を共にしないで1人残ってバルセロナで反乱軍と戦う決意を言い放つんですよね。

「敵と味方か」ともヴィセントは言ってる。
闘牛士というのは王侯貴族や伝統と深く結びついている職業なのでしょう。
反乱軍は、社会主義国となったスペインで既得権益を失ってしまった王侯貴族や教会、ブルジョワたちに支持されて勢力を強めていったわけで、闘牛士たちはそうした反乱軍を支持する人びとの庇護下に入るために南部へ下ろうとしているということなのではと思います。
だからヴィセントの「俺にはできない」に繋がるんだと思うんですが、脚本上それに少しも言及しないので1人ヒロイックな妄想に耽って歌っているみたいな印象をうけてしまいました。

ヴィセントってジョルジュのことを子や孫に語り継ぎ、その命ともいえるカメラを、ジョルジュとキャサリンのあいだに宿った命に連なる孫のペギーに受け継ぐとても意味深いところを担うなど、ファンクションとしての役割は重要なのに、人物の肉付けや整合性に粗さが否めない描かれ方をしているので演じる芹香さんも作り上げるのに苦労したのではないかな。

セビリアはフランコ将軍たちが蜂起したモロッコからは目と鼻の先のスペイン南部の都市で、バルセロナはスペイン北部のフランス国境と接したカタルーニャ地方にある都市。整備された道路を通ってもおよそ1000Kmちかい道程。(Google map調べ)
セビリア生まれのファン(真名瀬みらさん)をはじめ、ホアキン(秋音光さん)、ラモン(秋奈るいさん)、カルロス(水香依千さん)、アントニオ(穂稀せりさん)、ペドロ(雪輝れんやさん)たちは、無事に戦火を掻い潜って南部に辿り着けたのでしょうか。

彼らにはイデオロギーなどどうでもよくて、純粋に人生を懸けた闘牛をつづけたいという一途な気持ちで命を懸けた行動を余儀なくされている。
どこをとっても戦争は残酷だと思います。
たとえそこに英雄がいたとしても美談にしてはいけないものだと思います。

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2022/04/17

ぼくはデラシネ。

4月8日に東京宝塚劇場にて宙組公演「NEVER SAY GOODBYE」を見てきました。

当初は東京公演の観劇は予定していなかったのですが、宝塚大劇場公演の上演日数が半減し私の観劇回数も大幅に減ってしまうとわかったので慌てて友の会の先行にエントリー。辛うじて1公演当選したので日帰り遠征と相成りました。

4月2日の東京公演初日から1週間ほどたったところでしたが、ムラの千秋楽より一段と凄いことになっていました。
舞台の上の誰もがこの瞬間に命を懸けている。そんな気迫を感じる舞台でした。

東京宝塚劇場はたしか昨年末にリニューアル工事をしたとのことですが、音響設備も変わったのかな?
セリフやソロ曲の聴こえが凄くいいなと思いました。逆にコーラスになると音を絞り過ぎてるんじゃないかな?と思うところも時々。
それでもどのコーラスナンバーも素晴らしくて、これを浴びるために来たのだと何度も舞台に向かって拝みたい気持ちになりました。
「バルセロナの悲劇」では歌声のうねりに圧倒されて気づくと涙が出ていました。

2幕のサンジョルディの祭り場面のジョルジュ(真風涼帆さん)とキャサリン(潤花さん)のデュエットダンスも息をのむほど美しくて光の中に溶けていってしまいそう・・と思っていたら自分の涙で滲んでいたせいでした。
舞台上の人びとに心を振るわせられどおしの観劇でした。

ジョルジュはココナツ・グルーヴで登場するときの雰囲気がムラで見た時と変わっていた気がしました。
足取りも軽やかで、真風さんには珍しく“チャラい”。銀橋でのソロの歌い方も変わった気がします。
都会のプレイボーイ感がすごく出ていて初演の和央ようかさんに寄っているかんじがしました。
それと真風さんかなり痩せられたかな?とも。

最初は軽くて軟派な印象だった彼が、ワルシャワの貧しい街角で育ち、内緒で故郷を飛び出しウィーンで苦学の末に賞をとり・・という思いがけない過去を語る効果はてきめん。知らず知らずその熱唱に引き込まれて聴き入っていました。ムラではこんなに歌詞を噛みしめて聴いてなかったな。

自分を根無し草だという彼にキャサリンが心をゆるしはじめているのも手に取るようにわかりました。これは恋に堕ちはじめているな。
と感じ入っているところに、さりげなく「ピーターって彼氏?」って訊いているのが耳に入ってきて、コノヒトハー!?ってなりました。
そういうところよね。カメラの腕ももちろん凄いんでしょうが、むしろ女性の扱いで上り詰めた人なんだなと思いました。
プレイボーイが生業みたいになっちゃっているんだな。
「ぼくはデラシネ」と過去の話をするのも手口だわね。マリブビーチに誘うのも。常套手段。

キャサリンはすっかり魅入られてしまっているみたいだなぁ。ジョルジュには彼女みたいな純粋な女性をぽうっとさせるのは朝飯前みたい。
そのくせ愛を鼻で嗤うような態度をとる。愛も女性も彼には重要ではない、とるに足らない人生のおまけみたいなものなんだろうなと思いました。
すくなくともこのときはそう感じていそう。

ムラで見た時に釈然としなかったのが、こんなに時代の先を行くような知的な人がなぜカメラを武器に持ち替えてヴィセント(芹香斗亜さん)たちと一緒に異国で戦う決意をするのかということでした。
結果あんまりジョルジュに好い印象を抱けなくて、今回もそうなるのかなと思ったのですが。豈図らんや。。。

今回感じたのは、彼は懸命に生きている1人の人間なんだなということでした。
「どんなに赤くルージュを引いても僕のこの眼は騙せない」
というけれど自分自身についてはどうなのかしら。
彼が自分を作らない女性に惹かれるのは、彼自身が自分を覆い隠して生きているからじゃないのかな。
あなたが女性に求めていることは、そのまま自分に求めていることなんじゃないの?と思いました。

見た目に反して、本当は田舎育ちのナイーブな人なんじゃないかな。とも感じて。
パリで出逢ったエレン(天彩峰里さん)は彼にはパリよりももっと都会から来た華やかで思ったことを臆せず口にする「自分を作らない人」に見えたのではないかしら。そんな彼女が魅力的に映ったのは肯ける気がします。

彼はとても苦労をしてきて生き抜くために過剰適応してしまった人に思えました。
そして時代の最先端を生きる都会的な人物に擬態していたのじゃないかな。
息を吐くようにキザにふるまったり口説き文句に近いことをさらりと言ったりと、とても優秀な人なので完璧に擬態できてしまっているけれど、心の奥の翳りが彼を苦しくさせているのではないかなとその姿を追いながら思いました。
それが彼の「人生の真実」探しにつながっているのかな。

そんな時にキャサリンに出逢ってしまった。
自分が涼しい笑顔の裏で誤魔化していることをずけずけと口にする女性。怒りの感情を素直に出せて、やりたいと思うことに猪突猛進できる人。そんなふうに生きて来れた人。
ジョルジュが彼女に惹かれるのもまた肯けました。
彼女の中に別の人生を生きてきた自分を見ているような眩しさを感じてる?
「おなじものを見ようとする」ことにこだわる理由も見えたような気がしました。
彼女はやっと出会えた自分、半身を得た感覚なんだろうなぁ。
そりゃあフィジカル的にも精神的にも高揚してしまうよなぁ。
「ぼくは君に出会うために生まれてきた」 
もう天国から音楽が降り注いでいましたね。

彼女との間に自他の区別がなくなっている状態のところに、彼女が彼女自身の意思で彼が望んでいないことをしようとする。
そりゃあ混乱してしまうよなぁ。このときの彼にとって彼女は自分なんだから。
いっときも離れがたい気持ちなのはわかります。彼女が自分とおなじテンションじゃないことに狼狽えるのも。
それを「男のエゴか」とか言っちゃうから誤解を招く。
ジョルジュが抱いているその気持ちには男も女もないものだから。自他を同一視して闇に落ちてしまうことはたとえば親子やファンとアイドルの間にも起こるものだから。
人は苦しみもがきながら他人も傷つけてしまう。

田舎の閉塞感に耐えきれずに都会に夢をもとめて飛び出したけれど、本当の自分の居場所をみつけられないまま自分を根無し草だと感じている。
そんな彼が、キャサリンに出会いその魂の中に、本来の自分を見出し取り戻す。
そうして自分の中にあった、無意識に蓋をしていた祖国と残してきた家族への罪悪感が、祖国ポーランドとおなじようにロシアとドイツの板挟みになっているスペインで戦っているヴィセントたちの姿をレンズを通して見ているうちに、かたちを成してきたのかなぁと思いました。
その贖いをしないと自分に筋を通すことができない。
祖国ポーランドを侵略しようとするナチスドイツ。
そのナチスドイツから軍事力の支援を受けてスペイン共和国を武力攻撃するフランコ将軍率いる反乱軍と戦うことは、彼にとって贖罪として整合性のとれることなんだろうなぁと思いました。
そこに自分自身の生きる意味を見出してしまった。
見た目のクールでリベラルな都会人とはかけ離れた、泥臭くてエモい人だったんだな。本来は。
他人も自分も欺いて生きてきて、このスペインでようやく真実の自分に辿り着いた。

彼は「人格者」でも聖人君主でもない。
迷える羊がやっと自分が属する群れをみつけたんだな。
「もうデラシネじゃあない」

「そしてその真実を共有できる君というひとに出会えた」
ちょっと待って? 
相変わらず自他の区別がついていないんだなぁ。
そのロジックはキャサリンを納得させるためのものではなくて、自分が満足するためのものだなぁ。

言われる側としては、そんな説明でどうして別れなくちゃいけないのか。になると思うんだけど。
でも彼を愛していて、デラシネであることがジョルジュの痛みだったことを知っているキャサリンには、やっと自分の生きる意味をみつけたというジョルジュを止めることはできないのだろうなぁ。
ホスピタリティ溢れるこの潤花ちゃんキャサリンは、彼を笑顔で見送ることが彼にとっての救いだという思いで受け入れたんだろうなぁと見ていて思いました。
その懐の深さに泣けました。

けっきょく自分の進む道を彼女にゆるされたことでジョルジュは救われたのだろうな。
あの瞬間がジョルジュには宝物なのだろうな。(キャサリンにはこれからの辛い現実のはじまりの瞬間だと思うけれど)

最後の最後まで女性に甘やかされて行ってしまった。
大人になって誰かを受容するのではなく少年の心のままで。
それともこれからの数か月で彼もまた誰かの心を受け容れ救ったかしら。
描かれていない時間をあれやこれやと想像してしまいます。

もう1人、ジョルジュが傷つけた女性エレン(天彩峰里ちゃん)。
彼の女性の好みは一貫して「自分を作らない人」だったのだろうと思います。
エレンもきっと心のままを口にし態度に出す人で、そういうところが眩しくて惹かれたのじゃないかなと思うけれども、でも彼女もまたハリウッドの美人女優という世間から求められる存在に擬態している人なのかもとも思います。
もしかしてエレンとジョルジュは似た者同士なんじゃないかなと。
だから一緒にいるのが辛くなったのじゃない?と。

そんなエレンの「真実」との乖離に彼が勝手にモヤっているところに、キャサリンに出遭ってしまったのだなぁ。
「あのひとのどこがわたしよりいいの?」と正面から問い質すエレンは、自分を作らない素敵な人だと思うけど。
そのプライドも素敵。
この再演のエレンが私はとっても好きで、会って話してみたいなぁ。一緒に大ジョルジュディスり大会を開催したいなぁと思ったりします。
キャサリンも参加してくれるなら大歓迎。

もしジョルジュがキャサリンとともに帰国して一緒に暮らしたとしても、彼があのまんまだったらいずれ大喧嘩になったんじゃないかな。
でも共に暮らして彼も彼女もすこしずつ変わって、しあわせに生涯を終える未来もあったはずだけど。
いま思うのは、どの選択もまちがいじゃない。
懸命に生きた人びとの物語だったなということです。

(感想を書いていたらあまりに長くなってしまったので、ジョルジュについてだけを残しました。ほかの部分はまたまとめられたらいいなぁ。でも千秋楽までに終わるかな・・)

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2021/09/30

新しい冒険へ。

9月26日東京宝塚劇場にて宙組公演シャーロック・ホームズ-The Game Is Afoot!-」「Délicieux!-甘美なる巴里-」千秋楽を見てきました。

やはり東京宝塚劇場には魔法があるようです。
「シャーロック・ホームズ」の登場人物たちの独唱がとても胸に響きました。音楽のテンポが心地よかったです。
モリアーティに夢の中で追い詰めら
れるシーンもエコーが強めにかかって幻想シーンだとわかりやすくなっていました。
回数を重ねることで役者同士の芝居の方向性も定まるのかセリフの間や強弱なども微調整されたかんじですごくハマっていてノーストレスで物語世界を堪能しました。

221Bの「退屈だ~~」の場面で、真風ホームズがやっていた「退屈だお化け」ってなんなんですかね笑。ずんワトスンに無茶ぶりしたかと思ったら「私が退屈だ大魔王だ」ってなんなんなん???笑。ぜんぜんわからなかったけれど面白かったです笑。
そしてそれを受けてのららハドスンさんの「プンプン大魔王だからね」が可愛くて可愛くて。

221Bに過去の依頼人が押し掛ける場面、退団者の七生眞希さんのマシューズ内務大臣のまわりを秋音ソールズベリー首相閣下たちがぐるぐるして順々にハグしてました。七生マシューズ身動きとれず為すがまま笑。うんそういうところだよねって思いました。
この場面はオペラグラスを使っていたので全体を把握していないのですが、もしかして同じく退団する遥羽ららちゃんも皆からハグされていたのかな。

ラストの退団者の美月悠さんの牧師さまと星月梨旺さん七生眞希さんの墓守のところに日雇い労働者に扮した真風ホームズさんがスコップを担いで近づく場面では、ムラの千秋楽とおなじく真風さんが東京宝塚劇場の土?を掘って3人に渡していたんですけど、さらに何かキラッとする小さなものを3人お1人お1人に渡してらっしゃいました。
オペラグラスで見ても私の座席(1階下手)からはよく見えなかったのですが、1シリング銀貨じゃないかなと教えていただきました。
たしかに白っぽくて小さくて丸くてキラッとしてたし、真風さんの摘み方もそんなかんじだなと思いました。なにより冒頭でイレギュラーズに1シリングずつ渡していた時と同じ変装をしていますし。
まぁ真相は退団者の皆さまのみが知る、かなぁ。(もう知る手立てがないのが寂しいです)
ムラでの初見のときは、退団する人が墓守って??と戸惑ったのですが、最後の公演で真風さんと自由に交流できる場面を作ってくれて、生田先生ありがとうございましたという気持ちです。

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2021/09/24

ひとりひとりの人と人が生きた軌跡が見えてくる。

9月14日と15日に東京宝塚劇場にて宙組公演シャーロック・ホームズ-The Game Is Afoot!-」「Délicieux!-甘美なる巴里-」を見てきました。

東京宝塚劇場のサイズのせいなのか音響のせいなのか、大劇場公演で数回見ているのでお芝居もショーも見どころがわかった状態だからか、東京宝塚劇場には特別な魔法があるのかなと思うくらい、ひたすらパフォーマンスを愉しむことができて2日間3公演があっという間でした。

初っ端から真風ホームズが歌うテーマ曲「鎖の一環」の歌詞が心に沁みました。なんだろうとてもせつない。薄暗いロンドンの閉塞感と情景が目に浮かびました。
そして1人ひとりのキャラクターがとても愛おしかったです。

シャーロックが滝の上で戦っている時、ワトソンはあんなに彼の身を心配しているんですね。アイリーンより心配してるんじゃないかな。(アイリーンは後ろ向きだからよくわからないのもあるけど)
滝から落ちた時には気の毒なくらいに嘆いていて、あれは絶対心の傷として引き摺ると思いました。カウンセリングが必要な状態では。あのままほうっておいていいのかな。メアリーが癒してくれるのかな。(でもメアリーも・・と考えてしまう)

とぼけたホームズ兄弟も好きでした。どことなく似ている気がするシャーロックとマイクロフト。真風さんと凛城きらさん、同期なんですよね。
凛城さんはこの公演をさいごに宙組生じゃなくなってしまうんだなぁ。「ベルばら」のダグー大佐のキャラ作りが好きだったなぁ。ある時期の宙組は元雪組生がお芝居を支えているんじゃないかと思うほど彼女たちが突出してて、そのうちのメンバーだったんですよね。
(雪組生は初日からキャラを作ってくるのが巧いと思っているのですが、潤花ちゃんにもその片鱗が
うかがえて私の心の中の雪組リスペクトが発動しました)
「サンクチュアリ」のギーズ公も印象的でした。そして「神々の土地」の美しくて繊細で茨の棘の上に立っているような痛々しいアレクサンドラ皇后の衝撃は忘れられません。
どこか一歩退いたようなクールな印象がありつつ面白さと端正さを兼ね備えた凛城さんが演じるマイクロフトは今作私の中のベストアクトです。
専科異動第1作目「プロミセス・プロミセス」※見れたらいいなぁ(※完全に勘違いしていましたが、凛城さんは全国ツアーでした💦 全ツは行きます!!!)「NEVER SAY GOODBYE」にも出演してほしいなぁ※※。(ジョルジュたちと行動を共にするラジオバルセロナのパオロを凛城さんでどうでしょう小池先生 ※※残念ながらこの願いは叶わずでした・・涙)

あんなに優秀な部下を揃えておいて間の抜けた失敗をするモリアーティも好き。
世界を支配しようとする彼はマッドサイエンティストの類なんでしょうか。兄のモリアーティ大佐の動機や目的はなんなんだろう。弟よりはよほどまともな人に見えるのに。陸軍大佐にまで出世しているのに。なぜ弟のいいなり? 溺愛? それとも弱みを握られているのでしょうか。これだという確信がないまま千秋楽になっちゃうのかな。
ムラの初見ではいろんな疑問が湧き、それも何度か見ているうちに一つ一つ納得できていったのですが、まさかこの疑問が最後まで残るとは思っていませんでした。

もう一つ残っていた疑問はレストレード警部がマイクロフトを撲ることでしたが、これはマイクロフトが女王陛下から直接お声を賜る政府高官にもかかわらず「偉そうに見えないという特殊能力の持ち主」というのと、フロックコートに勲章まで付けているマイクロフトを官僚と気づかないようなレストレードの「観察眼のなさゆえ」の複合的理由かなと思いました。これでは事件解決なんて無理。それで警部なのも不思議ですが。
あれでレストレードの進退に一切不問のマイクロフトは本当に「いい人」だなと思います。それが成立するマイクロフトなんですよね。


「デリシュー」はとにかくとってもとっても楽しかったです。愉しくて可愛くてせつなくて。
東京公演初見では、久しぶりに体感する生のショーに心が震えて、中詰めの「Amor Amor Amor」の歌詞で「・・決して忘れはしない」を耳にしたとたんにわわわわ~っと退団される方のことが浮かんできてそれからは何を見ても胸がいっぱいになってしまい、その後のキャンディーマンもI love Parisも虹色の薔薇も笑いながら涙という状態で、マスクをしていて良かったと思いました。

それから東京公演になっていちばん変わったのが「フォレノワール」のレザンちゃん(桜木みなとさん)かもと思いました。
のっけからプンスカしていて表情がとても可愛くて目が離せませんでした。ベラミの真風涼帆さんやアメリカンチェリーの潤花ちゃんに対してコロコロと表情が変わって、ムラよりコミカルに感じました。
大劇場公演で苦手だったのは、レザンちゃんが何を考えているのかわからない、というかわかりたくなかったからというのも大きかったかもしれません。
登場人物の気持ちを誰ひとりわかりたくなかった、そんな場面だったのが、ちょっとだけレザンちゃんが好きになることで紛れたかも。
それでもやっぱり誰かの尊厳を貶めるのはだめだと思うし、弱い立場にある人が尊厳を傷つけられていることを当たり前だと思ってしまうようなストーリーは受け入れ難いなと思います。

いろんなことを思ってたくさんのことを考えたこの公演もあと数日で終わってしまいます。
そして千秋楽を最後にもう宝塚の舞台では逢えなくなってしまう人も・・。
千秋楽まで何事もなく公演が続きますように。そして千秋楽は卒業する方々がしあわせな1日となりますように。

(2021/9/25 私の思い違いと最新ニュースを得て、※と ※※を書き足しました)

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2021/05/07

僕は怖い。

4月23日に東京宝塚劇場にて星組公演「ロミオとジュリエット」B日程を見てきました。

ムラでAB日程をそれぞれ見て、A日程はこの後ムラの千秋楽と東京の千秋楽をライブビューイングで見ることができるけれど、B日程はもう二度と見られないのかと思うと居ても立ってもいられず友の会にエントリーしたところ幸運にもチケットを手にすることができました。
(緊急事態宣言の再々発出により4/26以降の公演が中止となり、結果的に5/2にB日程の無観客上演のライブ配信をもう1度見ることができたのですが)

A日程とB日程、より宝塚度が高いのはA日程のほうだと思うのですが、B日程には私を中毒にさせる要素がありました。
愛ちゃん(愛月ひかるさん)の死はもちろんのことですが、礼真琴さんのロミオ、綺城ひか理さんのベンヴォーリオ、天華えまさんマーキューシオが作り出す関係性が好きでたまりませんでした。3人で歌う「世界の王」のハモリはとても心地よく、マーキューシオの「マブの女王」ベンヴォーリオの「どうやって伝えよう」そして皆で掛け合う「街で噂が」は、こんなふうに歌って聞かせてもらえるとはと。なんども聴きたくなるくらい好きです。
「決闘」はナンバー内のそれぞれのキャラクターの心情が、ムラで見た時よりもさらに鮮明に見える気がして、ロミオの気持ちを思うベンヴォーリオも見たいし、ティボルトにだけはムキになってしまうマーキューシオの狂気と挑発のぶつかりあいも見たいし、目が足りなくて困りました。

ロミオ、ベンヴォーリオ、マーキューシオの3人のバランス、モンタギュー家に連なる者とはいえバックボーンのちがう3人の若者がそれぞれに漠然とした不安や苛立ちを抱えてそこに存在する感じが好きでした。
“チーム・モンタギュー”としての絶秒な距離感。チームであることがいちばんのアイデンティティーであること。まだ社会的責任を負う必要のない青春の輝きと万能感のグルーヴ。それが綻びていくときの葛藤や希求や狂気、無力感。普遍的な懊悩を抱える若者像が胸に刺さりました。
私にとってそれが魅力でした。

それもみんな主演のロミオ役の礼真琴さんとジュリエット役の舞空瞳さんが安定の実力と魅力で舞台を引っ張っているからこそだと思います。
2人とも可愛らしくてピュアピュアしてて、夢見るロミオとロミオよりはちょっと現実的だけどやっぱり世間知らずなジュリエットの関係性が微笑ましくて、見ている私の頬は緩みっぱなしでマスクをしていて本当に良かったと思いました。
自分を16年間育ててくれた乳母さんが結婚していたことも思いつかないジュリエットの自分のことにしか興味がない若さが眩しくて。素直で我儘で自分がどれだけ守られているかも知らない舞空瞳さんのジュリエット像が大好きでした。

有沙瞳さんの乳母は宝塚大劇場で1か月前に見たときよりもさらに素晴らしくなっていて感動しました。彼女のジュリエットへの愛はどこまで深いのだろうと。
歌唱力のある娘役さんですが、ムラで見た時はさすがの有沙瞳さんでも乳母のアリアの音域の広さに苦労されているなぁと思ったのですが、東京公演では歌唱法を変えられたようで、余裕で歌いあげられているうえに情感が増していました。と同時に巧さに驕らず研鑽を怠らない姿勢に感銘をうけました。
キャピュレット卿役の天寿光希さんもムラとは歌唱法が変わったように感じました。娘に対して巧く愛情表現できない父親の心情がムラで見た時よりもより響いて胸が痛かったです。

基本的に関西での観劇が主なので、宝塚大劇場で1か月上演された公演を東京宝塚劇場で観劇する機会があるとそのパフォーマンスの深化に驚かされます。もっと頻繁に東京公演を観劇できたらどんなに良いだろうと思います。

じつは、今回の上京自体が昨年の2月の宙組公演「エル ハポン -イスパニアのサムライ- 」以来で、3月に観劇予定だった雪組公演「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」が公演中止となって以降ずっと東京公演の観劇を見送っていました。
今年の3月に第2回目の緊急事態宣言が解除され、以降はオリンピックに向けてワクチン接種もすすんで感染拡大も収まっていくのではないかという甘い見通しで今回の観劇を計画しました。
時節柄、空港も機内もホテルも細心の感染予防対策が取られ、私自身もできうる限りの感染予防を考え、公共交通機関の利用はラッシュ時を避け食事はすべてテイクアウトでホテルで1人で摂るようにしたのですが、まさかのまさか劇場であんなに会話が飛び交っているとは。
「会話はお控えください」と繰り返し繰り返しアナウンスされ、劇場スタッフの方々もいつもとはちがう強ばった表情で拡声器を使い会話を控えるように呼び掛けているのもかかわらず、ずっと談笑をやめない人たちがいて驚きました。
その会話を続けていることで周囲を不安にさせている事実を認識してほしいなと思いました。

帰宅後
第3回目の緊急事態宣言の発出により4/26以降の公演の中止が発表になり、予定していた宙組「恋千鳥」と「ホテルスヴィッツラハウス」、花組「アウグストゥス」の観劇が泡と消えて愕然としましたが、反面ホッとしたのも事実です。あの不安な客席に座らなくてよいのだと思うと。
どれだけ自分が注意していようとまったく気にしない人がおなじ空間に一緒にいるのだという現実。その不安が劇場から人びとの足を遠のかせてしまうかもしれないということをもっと重く受け止めてほしいと思います。
こんご公演が再開される折にはその不安が解消されていることを切に願います。

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2020/02/25

方々、さらばでござる。

2月12日と16日、東京宝塚劇場にて宙組公演「El Japón(エル ハポン) -イスパニアのサムライ-」と「アクアヴィーテ!!~生命の水~ 」を見てきました。
2月16日は千秋楽でした。東京宝塚劇場で千秋楽を観劇するのは、凰稀かなめさんの退団公演以来です。(近年はありがいたいことに映画館のライブビューイングで見させてもらっていますが・・時代は移り変わりゆきますです)

同公演は、宝塚大劇場で12月上旬に観劇して以来2か月ぶりの観劇でした。
待ち遠しくて、1月の終わりに観劇まであと何日かなぁと考えて、まだ半月以上も先なことに愕然としたりもしていました。
この公演は上演期間が1か月半と通常より長かったのでした(涙)。(「白夜の誓い」の時も1か月半だったので、東京の2月公演はそういう傾向なのでしょうか)

ということで待ちに待っての観劇の感想です。

「エルハポン」はストーリーの流れがすごくよくなっていると感じました。出演者全員の目指すところが1つになっていると。
そのうえで、それぞれの役の奥行きも感じられてとても面白く観劇しました。

いちばん変わった印象をうけたのは、星風まどかちゃん演じるカタリナかな。心の動きがすごく伝わってきました。
酒場でのシーン。いつもより声のトーンがちがうカタリナ。無理に明るくふるまおうとしているよう。
治道の帰国が近いことを知り1人ですべてを背負う覚悟でいるのかなぁ。でも寂しさは隠せないでいる。昔の幸せな頃を思い出したり。明るく自分に言い聞かせてみたり。揺れ動いている気持ちがすごく伝わってきました。

いつもは気丈なカタリナの弱さに触れた治道の戸惑い、心に湧き出す愛しさ、その思いゆえに彼女が笑みをとりもどすように柄でもないダンスを自らいざない(でもいつのまにかあっさり会得していた・・さすが剣士)、というそんなエモーショナルな流れが手に取るように見えて。
いつのまにか言葉はなくとも交わす目線とダンスとで心を通わすようになっていた治道とカタリナに涙しました。
そこから治道と訣しあらためて覚悟を決めたカタリナが歌うアリアのなんとも心に沁みること・・。2人の芝居がここまで来たのだなぁ。
真風さんは心を打つ芝居を自然にする人だなぁ。そして千秋楽にはずれなしの人だなぁと思います。
みちすじがちゃんと見えている人なんだろうなぁと思います。

主演の2人の芝居の深まり。そして2人とはちがうところで繰り広げられる人物たちの生き様、咆哮もさらに面白くなっていました。

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2019/12/04

おとぎ話の終わりは。

11月21日に東京宝塚劇場にて、花組公演「A Fairy Tale -青い薔薇の精-」と「シャルム!」を見てきました。
みりおちゃん(明日海りおさん)の宝塚最後の公演、はたしてチケットが手に入るのだろうかと思っていましたが、幸運にも友の会で当選して見納めすることができました。

お芝居「A Fairy Tale」は終演後、景子先生、これでもかと少女趣味をぶち込んで来ましたね(笑)と思って笑えてしまいました。
設定も舞台美術もセリフの端々も。過剰なほどに美しく清らで、自分が好まないものは世界観から排除してしまうそんな少女の夢。こそばゆいけど嫌いじゃないです。
本意でない政略結婚だったとはいえ、夫である相手に「あなたを愛したことなど一度もない」と言い切ってしまえるヒロインの強情な潔癖さ。これは遁世して夢見る少女小説家にでもなるしかありませんなと思ったらある意味正解で(笑)。
そういえば、寄宿学校でも授業中に妖精の絵を描いたり仕事を持ちたいなどと言ってクラスメイトの少女たちに引かれていたなぁ。夢想の中に生きてほかの少女たちからは孤立しているそんな子だったよね、シャーロット(華優希さん)は。
たぶん、このシャーロットというヒロインに共感する、あるいは自分を重ねてしまう宝塚ファンはすくなくないのではないかな。

なんだか笑えてしまったのはそんな心当たりが私にもあったからかなと思います。
そしてやっぱり終わりがハッピーエンドだったのも大きいかなと思います。(相変わらず権威主義で無神経なところがあるなぁ景子先生、、と思うところもありましたが。自分がハッピーでいるために踏みつけにしている存在に気づいてもいなさそうなところがあるなぁと。オールオッケーとは思えない部分が)

お芝居ラストのみりおエリュの振り向きざまの表情にいろんなものが過って見えたように思いますが、そのなかに悪戯好きのフェアリーの顔も見えた気がしました。
ああ、これもみりおちゃんが持っているもののひとつなんだなと思って、この期に及んで可笑しくなってしまったのもありました。
思い込み激しく一途に突き進んで破滅していく役がこのうえもなく似合っていたみりおちゃんですが、ほくそ笑む悪戯な妖精の顔もたしかに持っていたよなぁと。
端から見ていてちょっと辻褄が・・とか、えっこれで彼らが誰かのために生きていると思えるの・・とか、唖然とするストーリー運びであっても、心底から心を動かし嘘にならないところ、さすがだなぁと思いました。この純粋さがタカラジェンヌの鑑だなぁと。

この繊細な薔薇様が棲む世界を無邪気に愛した頃、遠く隔たり信じることが出来なかった頃、かけがえのないものと気づく頃。
妖精とは。
自分と重ねてみるとさまざま思うことが過るのは、みりおちゃんやそれぞれの役を演じきった花組の生徒さんたちの力によるものだったなぁと思います。いまの花組はすごく力のある組だなぁとしみじみ思います。芝居の良い組になりましたよねぇ。

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