カテゴリー「♖博多座」の114件の記事

2025/03/14

欺き続ける孤独

3月8日に、宝塚歌劇花組博多座公演「マジシャンの憂鬱」「Jubilee」初日を観劇しました。
お芝居もショーもとても楽しくて幸せな時間でした。

「マジシャンの憂鬱」は、私が座った座席位置のせいもあるかもしれませんがさいしょのうちは音響が賑やかすぎて気になってしまったり、前の座席の方が片時もじっとしていないためにずっと視界を妨げられていたりでなかなか内容に集中できないでいたのですが、主人公のシャンドール(永久輝せあさん)が街角でヴェロニカ(星空美咲さん)に声をかけられたあたりから落ち着いて芝居を見ることができて、その後はさいごまで芝居やパフォーマンスを楽しく見ることができました。
正塚先生の作品はセリフを聞き逃さないことが大事なので、永久輝さんと星空さんの滑舌は聞き取りやすくて内容がすっと頭に入ってくるのがとてもよかったです。

初演の瀬奈じゅんさんのシャンドールはこなれ感と人を食ったような雰囲気が魅力的でしたが、永久輝さんのシャンドールは真面目だなという印象をうけました。ボルディジャールを放って逃げることは無理でしょうと。
初演の彩乃かなみさんのヴェロニカは重いものを背負っている気の毒な女性に感じていたけれど、星空さんのヴェロニカはさっぱりとしていて楽に見れたように思います。ちょっとズレている感じかとてもチャーミングでした。そのあたりはテイストが『令和』なのかなぁ。仕事に邁進する姿が素敵だなと感じました。そしてあの彩乃さんが歌ったナンバーを歌いこなしていることに頼もしいなぁ恐れ入ったなぁと思いました。

皇太子ボルディジャール役の聖乃あすかさんは滑舌は甘めでしたが、間や唐突な身体表現が面白くて独特な認知の仕方をするボルディジャールを魅力的に演じていて気がつくと引き込まれていました。
皇太子妃マレーク役の美羽愛さんは、カタコンベで登場した時のダンスが幻想的で目を奪われました。いつのまにかそこにいて心もとなく寄る辺ない風情にはアデルハイド(凛城きらさん)が庇護本能をかきたてられるのも納得でした。

墓守のシュトルムフェルド役の高翔みず希さんと妻のアデルハイド役の凛城きらさんは、ひと言発するだけで面白かったです。
じつはイメージ的に配役が逆(妻役が高翔さんで夫役が凛城さん)かと思っていたので登場のときはあれ?と驚きました。どちらでもできる専科のお2人凄いなぁと思いました。

細かい見どころがたくさんある作品なのでリピートが楽しそうです。

「Jubilee」は、大劇場や東京公演をご覧になった方々から良いショーだからお楽しみにと言われていたのですが、違わず華やかで心浮き立つ作品でした。
クラシックのアレンジ曲で構成されたショーでしたが、元気でカッコ良くてこれがいまの花組なんだなぁと。
若手の方々がダンスパートを目まぐるしいほど順々に踊っていく場面がよかったなぁと思います。
そしてやっぱり花娘の群舞はいいなぁ。一気に世界が爛漫と明るくなる気がします。なんでしょうねあれは。

個人的に初日を観劇するのは受け入れ態勢になるまでけっこう時間がかかる質なのですが、さいしょの強張りもあっという間に溶けてしまっていました。
見終わったとたんに次の観劇がたのしみ~と思いました。
いつもとはちがい、地元ならではの週1で観劇できる博多座公演期間を愉しみたいと思います。

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2025/02/24

真っ赤な嘘に染め上げろ

2月12日に博多座にて歌舞伎NEXT「朧の森に棲む鬼」を見てきました。

思っていた以上に新感線でした。
2007年版は見ていないんですが、この役は古田新太さんだな、高田聖子さんだな、粟根まことさんだろうな、と思ったり。

それに加えて、凄絶な立ち廻りや思わず見惚れてしまう所作、見得や六方、だんまり、人形振り、本水にさいごは宙乗りなど歌舞伎的演出が目白押しで、そこに大向こうもかかって、歌舞伎初心者の私には目を瞠る瞬間の連続でした。歌舞伎って凄いなあと感嘆しまくりでした。(一昨年見た「流白浪燦星(ルパン三世)」での愛之助さんのレクチャーがいまも歌舞伎を見る面白さをマシマシにしてくれています)

そしてやっぱり脚本に惚れ惚れしてしまうのは性かなぁ。
脚本も演出も演者もどこをとっても凄いなぁと感服しまくり。この打ちのめされるような満足感はなかなか味わえないなぁと大興奮、大満足の観劇体験でした。
歌舞伎って凄いエンタメだなぁと思いました。

松也さんのライ、幸四郎さんのサダミツの回だったのですが、ずっと幸四郎さんがいないなぁ・・と思っていて、さいごのさいごのカーテンコールでサダミツ登場時に背景の映像に幸四郎さんのお名前が出て、えええーっと驚きました。まんまとしてやられていました。
幸四郎さんがライをつとめる大千穐楽のライブ配信は平日だけれど見逃し配信もあるということなので購入しました。どんなライなのか楽しみです。
(けっきょく24日の松也さんのライブ配信も購入してしまって・・まんまとカモです・・)

松也さんのライは迫力が凄かったです。本当に剣に操られているように見えました。どういう体幹をしているんだろう・・。
口先では迎合しながら相手に顔が見えない向きで別の思惑がある表情を見せるのは「リチャード3世」ぽいなぁと思いました。
となると冒頭の3人の魔物(オボロ)に「王になる者」と言われるところが「マクベス」をリスペクトしているのかな。
歌舞伎以外の演劇にも挑戦してきた松也さんがいま、歌舞伎に誇りと充実感をもってこの舞台に立っている、そんな印象を受けました。

松也さんのライと尾上右近さんのキンタとの掛け合いもとても面白くて、シュテンの血人形の契りの意味がわかったときのライに僅かに動揺があったように見えたのは、端からシュテンと義兄弟の契りなどかわすつもりもなくて代わりにキンタの血をつかったことでキンタの命を危うくしたことを悟ってなのかな?
どんな相手も利用するし平然と騙し裏切ることもなんとも思っていないライだけど、ちょっとだけキンタに「あはれ」を感じているのかなぁと思いました。その本人さえ意識していないちょっとした「あはれ」が最終的に自滅につながるのがまたあはれでこの筋書きの痺れるところだなぁと思いました。
松也さんライと右近さんキンタの関係性がとても刺さったので、幸四郎さんのライとキンタではどうなるのだろうと興味がわいています。

時蔵さん演じるツナと坂東彌十郎さんのオオキミも好きだなぁと思いました。
時蔵さんのツナは女性性をほぼ封印した凛々しく美しい女性であるところがガツンと心を奪われました。すっとしたストイックな武人で女性で懊悩しがち。(まんまオスカルだな)それを女方が演じているところ。
(これまでもお嬢吉三や富姫や凜とした女方に心奪われていたから、ツナに惹かれるのは道理なのかな・・?)

オオキミは花道から登場のときから愛らしくて心掴まれました。「3人しかいないけど」もチャーミング。
玉座に上るため身を翻して打ちかけた着物を払う所作とタイミングがシキブともピタリと一緒で見惚れていました。
コミカルかと思いきやするっと様式美を決めるなど油断できない感じにぎゅっと心掴まれました。
坂東新悟さんが演じたシキブはじっさいに近くにいたら苦手なタイプだと思うのだけど、内に秘めたかなしみのようなものも感じて憎めない人だなぁと思いました。
そのかなしみというのは、ツナが感情を抑えているけれど心に嘘はないのとは対照的に、シキブは感情豊かに見せながら実は本心を隠して生きているからかなぁと思いました。そういうすごく女性ゆえな有り様にリアリティを感じてかなしくて憎めなかったのかなぁ。

観劇中のほぼどの瞬間も感動していてとても忙しかったです。演者のパフォーマンスにセリフに展開に。登場人物たちの名前にも。これってこういうこと? これってどういうこと? これって・・と。述べだすときりがないくらいに。とても面白かったです。

2月24日(松也さんライ千秋楽)と25日千穐楽(幸四郎さんライ)のライブ配信も購入したので、観劇中にこれは?あれは?と思っていたことを検証したり、ライが変わることでどうなるのかとか、また自分が何をどう思うのかとか、楽しみにしたいと思います。

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2025/01/27

きれいはきたない

1月13日に博多座にて、祝祭音楽劇「天保十二年のシェイクスピア」を見てきました。

とにかく醜悪。これほどの醜悪さをこれほどまでに情熱的に描こうとする理由はなんだろう。そこになにを見出そうとしているのだろうと思いました。

私も知っているシェイクスピア作品のセリフやシチュエーションがいくつもあって「あーこれは!」と思う楽しみがありました。東京公演を見た方からシェイクスピア作品を知っていると楽しめるとは聞いていましたが、こんなにたくさん織り込まれているとはとびっくりでした。私の知らない作品もたくさん散りばめられているんだろうなと思いました。

浦井健治さん演じる佐渡の三世次はリチャード3世だなぁと思いました。その見た目も。
私のリチャード3世のビジュアルイメージはBBCの「ホロウ・クラウン」のベネディクト・カンバーバッチですが、カンバーバッチも凄いなぁと思っていましたが、舞台上でずっとあの姿勢でどす黒い気を放つ浦井さんも凄いなぁと思いました。

三世次がこの世界を憎んでいるのはその見た目による拒絶や排除を受けつづけた過去があるから、ってことなのかな。登場したときからすでにこの世への憎悪で満ち満ちているかんじだったけれど。
きれいは汚い、汚いはきれいと、この世で価値あるとされるものを見下して嫌悪されるものを持ち上げて冷笑していないと生きていられない人だというのはわかりました。
そのくせ美しいおさちに横恋慕して彼女の夫を殺めたうえに自分の妻にして。おまえの美しさが悪いのだという理屈は自分勝手な男の常套句すぎて呆れました。

大貫勇輔さん演じるきじるしの王次はハムレットでロミオ。
母親のお文がああだからかもしれないけれども女性蔑視がひどすぎる。姿がすこぶる良いぶん罪深くて。お冬に対してあんまりすぎて引きました。
ああこれは、自分の姿がすこぶる良かったらこうやって女に報復してやるのにという作者の怨念が凝り固まった役でもあるのかな。
三世次とおなじで「すべて悪いのは女」なのだな。
それでいて好きな女性と相思相愛になったら浮かれまくってまわりが見えなくなってしまう。(女性を蔑視する人ほどその傾向があるのでとてもリアル)

天保12年という日本のエンタメの危機の時代を舞台にして、シェイクスピアの全作品のなにがしかを登場させた戯曲を描くという難業を成し遂げた凄さに唸り演者のレベルの高さに驚きつつも、なんでもかんでも性的なものにこじつけてそれがカッコイイとされていた昭和(戦後)の価値観と、女性にはなんでも無条件に受容する聖女と寝首を掻く悪女とどうでもいい女(はけ口にはする)しかいないかのような世界観にうんざりしてしまったのが正直なところでした。
いまこの作品を上演したかったのはどうして?と思わずにはいられませんでした。

CAST

佐渡の三世次/浦井健治
きじるしの王次/大貫勇輔
お光、おさち/唯月ふうか
お里/土井ケイト
よだれ牛の紋太、蝮の九郎治、ほか/阿部 裕
小見川の花平、笹川の繁蔵、ほか/玉置孝匡
お文/瀬奈じゅん
鰤の十兵衛、大前田の栄五郎、ほか/中村梅雀
尾瀬の幕兵衛/章 平
佐吉、ほか/猪野広樹
お冬、ほか/綾 凰華
浮舟太夫、ほか/福田えり
清滝の老婆、飯炊きのおこま婆/梅沢昌代
隊長/木場勝己
(1月13日博多座)

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2025/01/11

普通のとなり

1月6日に博多座にて「next to normal」を見てきました。
私にとっての2025年の初観劇です。(ちなみに2024年の観劇おさめは「モーツァルト!」でした)

望海風斗さんが博多座に来るなら見なくちゃと思ってチケットをとってから作品の概要を知りました。(1年に1度は博多で望海さんを見たいですよね)
双極性障害の女性の役だと知って俄然興味が湧いて観劇を楽しみにしていました。そういうミュージカルってあるんだ!?ってかんじで。

冒頭から躁状態のダイアナと振り回される家族の描写。これは家族も疲弊しそう。だけどなんだろうな違和感がぬぐえない。
舞台を見すすめながら、ダイアナが抱えている問題は双極性障害以外にあるのではないかなと思えてきました。なにかとても違和感。

夫のダンはダイアナをいつも通っているらしいクリニックに連れて行くけれど、そこのドクターは薬の説明ばかり。ダイアナ自身を診ているようには見えないし、ダイアナも治りたがっているように見えない。
戯曲的な誇張もあるのかもしれないけれど、このドクターはダイアナには合っていないんじゃないのかな。(っていうかこのドクターが合う患者がいるのかな。とにかく向精神薬がほしいという人なら歓迎だろうけど)

ダンはダイアナを治療に通わせたら良くなると思っているみたいだけど、そうじゃないんじゃないかな。
ダイアナは苦しんでいるようなんだけど治ろうとは思っていないみたいでそれも違和感。躁状態のときだからかのかもしれないけれど。
ダンの説得に、ダンの彼女のために良かれと思う気持ちに抗うすべがないままに医者にかかっているだけみたい。
家族を疲弊させている自覚はあると思うんだけど、治療して自分の感情を自分でコントロールして自身もふくめて家族のひとりひとりが憂いなく前向きに生きていけるようにしたいと思わないのかな。
かかっているドクターがよくないのは不幸だなと思うけれど。自分からドクターを替えるように動いたり、それについてダンと正面から話し合ったりはしないんだな。
筋道が見えない、先の見通しができない、それがダイアナが抱えている困難(障がい)そのものなのかもしれないけれども。それってダイアナだけの問題なのかな。

突然感情を爆発させたり、興奮したら自分の行動を止められなかったり(床にパンを拡げてサンドウィッチを作りまくったり)、その場にふさわしくないきわどい言葉を発したり、と異常行動といえばそうなんだけど、とんでもない浪費とか反社会的行為とか性的奔放でトラブルを起こしまくっているというわけではないみたいで。どういうきっかけでメンタルクリニックを受診したのかなとも思いました。
自分自身をやばいと自覚しているというよりは、抱えきれないもので心がいっぱいいっぱいなんじゃないの?と。
こうなるにいたった精神的負荷がなにかあるんじゃないのかなと。

と思っていたところ、ナタリーが言った兄は自分が生まれる前に亡くなっているという言葉にそういうことか!と思いました。
冒頭で18歳の息子から自分の昼間の行動について尋ねられたダイアナが思いつくままに答えたような内容を息子があっさり受け容れることに違和感があったし・・。
処方された向精神薬をトイレに流してしまうときにも都合よく現れてダイアナを唆していたし。
そうかイマジナリーサンだったのか。
ダイアナはなぜイマジナリーサンを生み出したのか、それが解けないと家族は前にすすめないような気がしました。

ダンは家族とは夫婦とは「かくあるべき」が強い人のように見えました。
「かくあるべき」から外れたことからは目を逸らす。息子ゲイブの死からも、本来のダイアナからも。(「かくあるべき」から外れた気分障害の妻には治療を勧めるのが夫として「かくあるべき」なのかな)
ダイアナは真実はとことん突き止めたい人なのではないかと思いました。原因や責任をはっきりとさせないと前にすすめない人なんじゃないかな。
それをしなかったから、その先にすすめなかったのかも。

ダイアナは若くして予期せぬ妊娠をしたことで人生が大きく変わってしまった。
妊娠出産という自分の体の変化を受け容れること、描いていた進路、歩むはずだった未来から外れて家事育児に専念することを受け容れること、そして扱い方もわからない赤ん坊の存在を受け容れること、を極めて短い数か月のあいだに一気に余儀なくされたのだろうなと思います。
ひとつひとつの変化を完全には受け容れきれないまま必死で育児をして、もはや自分のすべてになっていた生後8ヶ月の息子の死という現実に直面して、彼女にはもうそれを受け容れるキャパシティが残っていなかったのじゃないのかなと思いました。

夜通し泣きつづける我が子にパニックになってしまっていた彼女にダンは「大丈夫、きっと良くなる」と言ってなだめたのだろうと思いました。いま困難を抱える彼女にそう言っているように。
なにもわからず手探りで育児をしながら、幾度か医者にも相談して・・そのたびに心配ないと、乳児は泣くのが仕事だからとか乳児によくあるぐずりだとか言われていたのかなと思います。
(権威ある者の言葉に全責任を委ね自分では判断しないのがダンの癖のように思います)

ダイアナの母親は、少女の頃のダイアナのことを元気な子だったと言っていたそう。
娘のナタリーはダイアナに似ているのだと思いました。
ナタリーのようにダイアナも活発で才気に溢れ寝ることも惜しんでどんどん課題をやっつけてしまうような少女だったのかなと。
だからナタリーのことをダイアナはまっすぐに見ることができなかったのかもしれないなと思います。置き去りにした自分がそこにいるから。
ダイアナには置いてきた自分と向き合うことが必要なのじゃないかな。
置いてきた自分をいまの自分のなかに取り込んで、止まっていた鼓動を動かす作業が必要なのじゃないかなと思います。

抱えきれない目の前の問題に直面したときに「大丈夫、きっと良くなる」と根拠が稀薄でも自分にも家族にも言い聞かせて(難しいことは専門家に丸投げして判断を仰いで)有無を言わさず前にすすもうとするダンとは反対に、ダイアナは立ち止まって現実をしっかり自分で咀嚼して責任や根拠を明確にしたいタイプなのじゃないのかなと思いました。
ダンといるとダイアナは抱えきれないモヤモヤをいっぱい抱えてしまう気がします。ダンの長所ともいえる性質がダイアナと相性が悪そうです。
ここはいったん離れて、自分のことや、ダンについてや、息子や娘のことをいままでとはちがう目線で見て考えてみることがダイアナには必要なんだなと思いました。
だからこれは前向きなラストなんだなと。そう思いました。
普通じゃないけど普通のとなりで普通に生きようともがきながら生きている人びとが暮らしている。そうなんだよなぁと肯いてしまう作品でした。

CAST

ダイアナ/望海風斗
ゲイブ/甲斐翔真
ダン/渡辺大輔
ナタリー/小向なる
ヘンリー/吉高志音
ドクター・マッデン/ドクター・ファイン/中河内雅貴

(2025年1月6日博多座)

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2024/12/27

いのちのある限り求めつづける

11月30日に博多座にてミュージカル「モーツァルト!」を見てきました。
この日はツアーの大千穐楽でした。

感想を書こうとして前回この作品を見たのはいつだっけ?と記録を辿ったら2005年11月の博多座公演(19年前!)でした。
ああそれで、こんな内容だったっけ?と不思議なかんじがしたのだなと合点がいきました。
ヴォルフと父、コンスタンツェ、ナンネール、ほかの人物たち、そのそれぞれとの関係、そして男爵夫人の歌など、一つ一つが記憶していたものとはちがった印象でいまの私の心に映りました。
演出やキャストが変わったこともあるのでしょうが、なによりも自分自身の状況が変わったことが、そう思った一番の理由だったのかなと思います。なにしろ20年近くの歳月を経ているので。

博多座での上演自体が2005年以来19年ぶりの2回目のようですが、その間、帝劇にも大阪にも見に行っていなかったのも自分としては衝撃でした。
地元で公演がなかったこともありますが、中川晃教さんのヴォルフガングで正解を見た気がしていたのも遠征しなかった理由だったと思います。
(2018年と2021年は同時期に公演していた作品=「1789」とか星組ロミジュリとの日程調整も難しかったみたいです・・遠征の民のつらさ・・)

前置きが長くなりましたが、19年の月日を経て2024年版「モーツァルト!」を見た私の感想です。

古川雄大さんのヴォルフガングの解像度の高さに、なるほどそうなのかと肯きながら見ていました。
こんなに精神が幼くて気分の浮き沈みが激しく衝動的で自己管理が甘かったらトラブルばかりに見舞われて生きにくいだろうな。
本人に代わって管理してくれる人が必要なのに、そういう人とは距離を置きたいんだな。言いつけや約束を守る自信がないものね。正しい行いができなかったことを指摘され自己肯定感削がれるのはつらいものね。
「このままの僕を愛してほしい」んだよねと。
そのままが好きだと言ってくれたコンスタンツェにそばにいてほしかったんだなと。
だけど彼女は「彼女に見えるそのままのヴォルフ」が好きで。父レオポルドほどにはヴォルフのことを理解しているわけではなくて。だからすれ違ってしまうのはしょうがないなと思いました。

父レオポルドは息子の特性はよく理解していて、どうすべきかは示せるけれども、息子の気持ちを汲んで寄り添ってやることは得意じゃないみたい。
短絡的な息子に、そのままの彼をその特性ごと愛している父の深い思いを理解させるのは難しいことだなぁと思いながら見ていました。
狡さがなくては生きていけない世間を生きる人びとに簡単に騙され利用され尽くしていく息子の未来が父だからこそ見えてしまう。そうなってほしくはなかったから、自分の目の届く範囲にいてほしかったんだろうな・・と父の気持ちをしみじみと感じてしまったのは、いまの私だからこそだなぁと思いました。
ヴォルフを自由にしてあげればいいのにと思って見ていた19年前とはちがう感想を持ちました。
ただ自由に解き放ってあげればいいわけではない。それはいまだからこそわかります。

19年前は男爵夫人が歌う「星から降る金」に感じ入って感動の涙だったのですが、今回は「とは言っても・・」と思いつつ聞いている自分がいました。何より「王様は息子を愛していた」の歌詞が胸に刺さりました。こんなに奇跡のような、こんなに特性の強い息子をもってしまったら親はどうしたらいいのかな。
それにしても涼風真世さんの男爵夫人はキラキラとしていて、本当に特別な人なんだなぁと思わせられました。でも俗っぽさも見えて、そこが以前見た男爵夫人とはちがっていて惹かれました。

コンスタンツェ役の真彩希帆さんは、「LUPIN~カリオストロ伯爵夫人の秘密~」で演じたクラリスが面白かったのでどんなコンスタンツェになるのだろうと楽しみでした。
『推し』を目の前にして自分の妄想に耽るようなクラリスにいたく共感した記憶があります。
今回のコンスタンツェも1幕ではいまをときめくキラキラのヴォルフに気後れして距離を置いて眺めているような様子、才能ある姉にくらべて自分なんかと思っている風情がオタクっぽくて好きだなぁと思いました。
ヴォルフに「そのままのあなたが好き」と言うのも、タカラジェンヌのお茶会で憧れのスターへの告白タイムをいただいちゃって、気の利いた言葉も浮かばず振り切ったテンションのままとっさに口走ってしまった・・みたいなシチュエーションが思い浮かんで、既視感があるなぁなんて思ってしまいました。(どういう限定シチュエーション。。)

そんなコンスタンツェが2幕では、自分の存在意義がわからなくなって絶唱するところは、いったい彼女になにが?!と思いました。
いやいや。わかる気はしたのです。姉たちにくらべられ、出来が悪いと親に見下されて自己肯定感が低かった娘が、愛するヴォルフのために存在意義を示さなくてはと思えば思うほどなにもできなくて。やらなくてはと思えば思うほど逃げ癖が出てしまうそんなかんじなんだろうなぁと。
そんな不如意な現実もなにもかも忘れて無我の境地になれる、時間を忘れられる行為に没頭してしまう。
踊り続けることで到達する恍惚感は彼女に万能感を感じさせてくれるのだろうなと。
でも醒めると自分が放り投げたままの現実が目の前に。そのくりかえし。
しみついた負の行動パターンを変えられない。新しい行動に出る勇気をもてないのは成功体験が乏しいからだろうなぁとか。
ヴォルフに愛された理由もおそらく正しくは理解していなくて、なにかがきっと掛け違っている。彼にどうしてほしいかも言語化できていなくて。
そんな彼女をだれも助けてくれない。それどころか2人のあいだにあったものまで毟りとっていってしまう。
2幕までにどんなことがあったのかは描かれてはいないけれども、想像できました。

狡猾に見える人も居丈高な人物も、どの登場人物も時代を必死に生きていているのだなぁとそれはしみじみと思いました。生きていくというのは誰にとってもイージーモードではないんだと。
そんな世の中で才能(アマデ)とヴォルフとコンスタンツェはどう共生したらよかったのだろうと考えてしまうけれど。正解があるとしても、その通りに生きられる人など極々僅かなのだろうと思います。
それでも死ぬまでは生きていかなくちゃならないのだなぁ。そんなふうに思う作品でした。

大千穐楽の挨拶では、古川雄大さんが珍しく1人で長い間話つづけていたことが印象的でした。それくらい思いの深い作品なのかなと。
自分よりももっとこの役に相応しい役者がいるのではないかと思う中で主演のヴォルフガングを演じることになった2018年の頃の話や。(恐れながら私もそう思った1人です。それはまったくの見当違いだったと舞台を見て思い知りましたが)
そのときから父親役として成長を見守りつづけてくれた市村正親さんとの関係。さらにミュージカル俳優として駆け出しの頃にルドルフとトートとして対峙した山口祐一郎さんとのことや(なんと祐一郎さんから手を取られて一緒に『闇が広がる』のステップを披露!)。

古川さんの話を聞きながら、はじめてルドルフとしての彼を見て、なんという王子感だろうとドキドキしたことなども思い起こされて、その彼がいまここに主演として立っていることに深い感慨を覚えました。さらに今回同じヴォルフガングをダブルキャストで演じられた若い京本大我さんに先輩としてエールを贈られていることにも。
私が10余年ただただ劇場に通って観劇資金のためにちまちまと仕事をしている間に想像もつかないような努力を重ねて役者としても人としてもこんなに成長したのだなぁと尊敬の念が溢れました。(頼もしく成長されたなぁと思う様子もありながら周囲の人々が思わず見守りたくなるのではという雰囲気も相変わらずで、そういうところが魅力なのかなぁとも)

その後古川さんの紹介をうけて登壇された演出の小池修一郎氏の話はさらに長くて、さすが小池氏だなぁと思いました。
高みをめざして努力をつづけ成長を遂げていく1人の人と長く関わり見守りつづけることの喜びが感じられる話で、かつこの「モーツァルト!」という作品とも照らし合わせながら、どんなことがあろうと人は生きていかなくてはいけないという話に(話の内容は次々と多岐に展開していましたが)そうだよねぇと深く肯かずにいられませんでした。
作品に登場する人物にも、舞台上で演じる人びとにも、それを支える人びとにも、それぞれに生きなければいけない人生がある。きっと私自身にも。
と、そんな思いを心に刻んだ観劇でした。

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2024/07/29

どいつもこいつも

7月24日に博多座にて劇団☆新感線の「バサラオ」を見てきました。

脚本家が怖い 

久々に脚本家って怖いと思いました。
緻密につくりあげられた世界観、その中で自在に戯れる感覚を味わいました。
イメージを具現化する演出、役者の力量にも感服でした。
終演してもしばしこの世界に浸っていたい、そんな作品に出会いました。
とはいえ短期間でリピートするには気力体力がそうとう必要なボリューム(内容)だったので映像でリピートしたいなぁと思います。(出ますよね??)

裏切り寝返り。敵と思えば味方に味方と思えば敵に、戦途中でも入れ替わり、こんどはどっち??? 登場人物たち皆がおのれの義を貫くゆえなんだけども。
どいつもこいつもロックだなぁ。
あ、いまのいいな、と思った次にはとんでもなく外道なふるまいにうげぇ、のドライブ感。

ヒュウガ/生田斗真さん

冒頭で生田斗真さん演じるヒュウガが歌っていた「眩しさと傷みは似ている」が観劇中ずっとあたまに残っていて、それって憧れのロックスターを見ていた時の感覚とおなじだなぁと。
憧れたロックスターのイメージが物語を背負ったらこんな感じになるのかなぁと思いました。
それにしてもあれだけ美しいの顔がいいのと連呼され、そのことが理由となり動機となる役を納得させて物語を成立させる生田斗真さんの凄さときたら・・。美しいと自ら言い他人に言われて刹那も揺らがない気力がもう、尋常ではないと思いました。(これが背負っているひとの迫力なんだ・・)

カイリ/中村倫也さん

カイリを演じる中村倫也さんの芝居の巧さはこれまた凄いなぁと思いました。
とんでもなく複雑で面倒で難しい役を齟齬なくあのラストに持っていった力量に驚きでした。
誰よりもいちばんいろんな人物と絡んでいて、その時々に見せる顔に違和がなくて、次々に変わる状況とも矛盾がない。おかしいじゃんとか納得できないとかにすこしもならなかったこと。それが不思議。凄すぎ。
エグい人物しか出てこない作品でしたが、いちばんマトモそうな顔をしていちばんエグかったのがカイリだったんではないかと。
あれとかあれとかあれとか・・・。その人物がどう行動するか、結果どうなるかも読んで布石を敷いていたってことですよね。ひぇ~怖い。
それは村にいるときからはじまっていて、再会は必然ってこと? 《犬》として諸国を渡り歩いていたのだからヒュウガの動向も知らないわけがないですよね。ひぇ~怖い怖い。
(ヒュウガがエリザベートならカイリはトートで、ヒュウガがトート閣下ならカイリはルキーニ、みたいな・・。《グランデ・アモーレ》ですよね)

サキド/りょうさん、アキノ/西野七瀬さん、クスマ/村木よし子さん

3人の女性リーダーたち、女大名サキド(りょうさん)、朝廷の戦女アキノ(西野七瀬さん)、朝廷側の落武者集団の女傑クスマ(村木よし子さん)は三者三様の性格と矜持で自分の意思で戦う姿がよかったです。
女性だからと黙らせられたりしない世界観。男性たちのなかで女性性を一身に引き受ける『紅一点キャラ』じゃなくて本当によいなぁと思いました。

派手好みの女大名サキドはハンサムで凄味があって最高でした。美と粋を追求する意気地《サキド好み》がゆえにヒュウガを意識せずにいられないんだろうなぁ。
アキノはトンデモアブナイ戦女(いくさめ)。自分のこだわりを追い求め一般的な価値には無頓着(ゆえに孤立してるけどそれも無頓着)。権力者にはこのうえなく手駒にしやすいタイプ。サキド様がおのれの美意識から常ならぬ道を選択するのに対してナチュラルボーンの逸脱者。彼女をほうっておけないカコ様(中谷さとみさん)の気持ちわかる~と思いました。
クスマはいちばん義理人情に篤い人間的な「いいひと」。だからこそ葛藤するし良心に縛られる。そこがほかの登場人物たちとは一線を画しているんだなぁと。ほんと傍若無人に好き勝手やる人たちに囲まれて分が悪すぎるけどその選択もクスマらしいなぁと思いました。(ゴノミカドの皇子とともに倒幕のために戦う天皇の忠臣クスマってクスノキサシゲですよね? え、まってもしかしてサキドってキドウヨ? ではキタタカ時?? ・・といまになって気づく・・)

ゴノミカド/古田新太さん

古田新太さんのゴノミカドは後醍醐天皇がモデルなのはまちがいないと思うのだけど、古田さんのゴノミカドでこれまで私のなかで曖昧模糊としていた後醍醐天皇の解像度が上がったような気がします。
凡人にも親しみやすい物言いやふるまい(ヤカラ文化の人びとに響きそうな)とはうらはらの知略。ポピュリズムを利用する専制君主みたいなアンビバレンスを平然と内在させて、苦労人らしいあたまの切れがあるかと思えば頑迷なところもあり、もはや何ものにも共感不能なかんじ。愚帝と見せてじつは尋常ではない切れ者?かと思いきややっぱり・・?(器が大きいのかそうではいのか、そこも自由自在なのか)
この人物と渡り合うキャラクターを作り上げようとしたらそりゃあトンデモないひとたちになるわ・・と思いました。
主人公のヒュウガやカイリもかれに対抗できるトンデモなスケールがないと納得できないですもん。
一昨年「薔薇とサムライ2」を見たとき、古田さんは後進に禅譲されるのかなぁなんて思ったのですが、いやいやいや。誰にも替わることができない取り扱い注意な不敵のゴノミカド古田さんを見られて大満足でした。

キタタカ/粟根まことさん、タダノミヤ/インディ高橋さん

執権キタタカの粟根まことさんは冒頭で世界観、登場人物たちの関係性を見せてここからはじまる物語への導入を助けてくれてやっぱり凄い役者さんだなぁと思いました。彼が悪の敵役なのかと思っていたら、あ——れ——? 彼よりもよっぽど酷いひとたちがいっぱい出てくる?? 物語の水準点みたいな役?
インディ高橋さん演じるゴノミカドの皇子タダノミヤは笑っていいのか悲しんでいいのか戸惑ってしまう不思議な存在。きっとその時の自分の心次第で変わる、そんな気がしました。

ひとときの夢を見ました

酷い登場人物ばかりで嫌な気持ちになりそうなのに不思議とそうはなりませんでした。
たぶん何ものにも媚びていないキャラばかりだったからかなぁ。キタタカの家来たちも自分の意思で追従しへつらってはいてもいやらしく媚びてはいない。
それから春をひさぐ者も登場しないのも大きいなぁ。
性愛が絡まないとこんなに女性は自由。女性に媚びさせない、女性だからと見下さず憐れまず対峙する男性たちのカッコ良さを感じました。
おそらくこの作品が好きだったいちばんの理由はこういうところだったんだと思います。現実では味わえない心地よさをしばしの時間味わえたからかなぁと。
叶うならこの物語の登場人物たちのように思うがままに生きてみたい。
そんな夢のひとときを見たような気がします。

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2024/06/09

未来がこわい

5月25日に博多座にてミュージカル「クロスロード」を見てきました。

やまみちゆかさんのパガニーニの漫画を面白く読んでいたので、パガニーニがどのように描かれているのだろうと興味津々で観劇しました。

まず思ったのは「ツインリードヴォーカルみたいだなぁ」ということです。中川晃教さんのアムドゥスキアスと相葉裕樹さん(Wキャスト)のパガニーニによる歌のバトルが繰り広げられている印象でした。
お2人以外も歌唱力に定評のある方々がキャスティングされていて、それぞれに難しい楽曲に立ち向かっている印象。
音楽に聞き惚れるというよりはスポーツ観戦のようなハラハラドキドキ感。歌い切ったパフォーマーに「よっしゃ!」と言いたくなる感覚でした。
いますこし楽曲に華やかさがあるともっと楽しめるのになぁと思いました。

才能があるゆえに自分の不出来がわかるのは辛いだろうなぁ。それをわかってもらえず期待される辛さも。パガニーニが闇落ちしてしまうのはわかる気がしました。
芸術に身を捧げて限りない高みを目指すのはある意味で悪魔と契約するようなものかなぁ。
ほかには誰もたどり着けない場所に1人で居るのは孤独だろうなぁなどと思って見ていました。

契約関係を結んだアムドゥスキアスとパガニーニはその後芸術的な問題で相反し、芸術とは音楽とは創造とはということがテーマになるのかな?と思っていたのですが、アムドゥスキアスとの契約は既定の演奏回数に達したらパガニーニの魂を自分のものにする、演奏は私(アムドゥスキアス)のためにだけに演奏する、ということで、なんか悪魔せこくない?と感じてしまいました。いやいやそもそも悪魔ってそういうものなのかな。
アーシャ(有沙瞳さん)の練習のために弾くのはカウントされるのに、母親が歌っていた子守歌を舞台で演奏するのはカウントされないというロジックもよくわからんなーと思いました。論理的に抜けがあるからこそ悪魔なのかな。
中川晃教さんはノリノリで楽しそうだなぁと思いました。

音楽的には凄いなと思いつつ、戯作としては期待ほどの面白味はなかったかなぁ。
とくにモヤったのはパガニーニと母親テレーザ(春野寿美礼さん)の関係性の描かれ方です。悪魔と対比させる母親という属性だけで存在していて生身の人間ではないなぁ。
テレーザの子どもはニコロ(パガニーニ)1人ではないし、子どもらを食べさせ育てなくてはいけないという現実のためには打算も必要だっただろうと思うのだけど、そういうことは見ようとしないし描かないんだなぁと思いました。
パガニーニのコンサートを後方の安価な席で見ているテレーザが隣に座ったアムドゥスキアスにわが子ニコロへの母の愛情を示す場面にはうるうるしましたが、そこに至るまでのテレーザの描かれ方がモヤりました。
娘であればこういう見方はしないだろうなと。これは息子にとって都合の良い物語だなぁと思いました。

パガニーニのパトロンであるイタリアの女大公であるエリザ(元榮菜摘さん)もまた都合良く描かれた登場人物だなぁと思いました。
ナポレオン・ボナパルトの妹である彼女に取り入ろうとする人びとに囲まれ傲慢に振る舞うこと、パガニーニの才能を気に入って独断で宮廷楽長に任命したり彼を兄ナポレオンに会わせようとすること。
決して望んだわけではない途方もない権力と立場を得たことと、それと引き換えに失ったものを惜しみ苛立つ心境はとてもわかるなぁと思いました。
パガニーニとの無責任でわがままな人間同士の男女の関係も、なににつけても「ナポレオン・ボナパルトの妹」であることに心の奥底で傷ついていることも伝わる人物でした。
良識を逸脱して人から陰口を叩かれる行動は一種の自傷行為だなぁと。
しかし、こんな闇深い内面を有した女性を登場させながら、「愛するがゆえに」彼に黙って自ら身を退く人物として描かれていたのががっかりでした。
いえ彼女の気持ちは痛いほどわかりました。がっかりだったのはそのことに気づいているのはアーシャだけで、パガニーニにはすこしも響いていないこと。
彼女から与えられるものはしっかり享受していながら、彼女の存在が不都合になったら、彼自身は与り知らぬかたちで彼女自ら退場しパガニーニは無傷のままなこと。
これってけっきょく母親テレーザのときと同じだなと思います。
彼女はパガニーニが都合よく放埓な性愛関係をもつために登場させた人物で、パガニーニと作劇にとって無用になったら退場させる、それでいいと思っている脚本にがっかりでした。

アーシャについてもおなじです。
気ままな猫を気ままに可愛がるように愛玩動物としての存在だなぁと。
すこし優しく接するとオーバーアクションで喜びを表現し、邪険に扱ってもなお彼だけを追いかけてくる存在。
彼が社会的に無責任で自堕落な行動をとってもそこを責めないし(女性関係にも口出ししない)、自己問答代わりの対話相手にもなってくれ、窮地を脱するヒントもくれる。そういうところはイマジナリーコンパニオンに近いともいえるかな。
面倒なことは求めず、彼が得意なことについての教えを請い、無条件に励まし彼自身を肯定してくれるとても都合の良い存在。
アーシャ自身のためではなくパガニーニのために存在する、それがアーシャでした。

パガニーニ自身はそんな都合の良い人びとたちに囲まれてケアされながらその誰とも向き合っていない。
彼女たちの人生なんてどうでもよい。
女性たちだけではなく、執事のアルマンド(山寺宏一さん、Wキャスト)ともそんな関係だったと思います。
これはパガニーニの姿に仮託したテイカーを描いた物語だったのかなとモヤモヤが残る観劇でした。

CAST

中川晃教 アムドゥスキアス
相葉裕樹 ニコロ・パガニーニ(Wキャスト)
有沙 瞳 アーシャ(Wキャスト)
元榮菜摘 エリザ・ボナパルト
坂元健児 コスタ/ベルリオーズ
山寺宏一 アルマンド(Wキャスト)
春乃寿美礼 テレーザ

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2024/03/20

ヒールで1マイル歩いただけでわかったと思わないで

3月16日に博多座にて山崎育三郎さん主演のミュージカル「Tootsie」を見てきました。
とてもクオリティの高い舞台でした。

女性とキャリアのリアル

悩みながら傷つきながらも目指すものに対して一生懸命で正直、自然体な感性のジュリー(愛希れいかさん)がいいなぁと思いました。
役者を目指すなかで心の支えだった恋人が子どもを欲しがり別れを選択したことを語るくだりはせつなかったです。キャリアを積む時期と出産適齢期が重なる問題、キャリアを積みたい女性にとって二者択一を迫られる現実、その選択は子どもを持つ持たないだけではなく様々な問題に派生し愛情関係の清算に及ぶこともある。
キラキラのミュージカルコメディ然とした作品ながら、こういうリアルな問題から目を背けていないのがこの作品に関わる人たちを信用できるなと思いました。

役者の性別と役の性別がちがってもいいよね?

マイケル/ドロシー(山崎育三郎さん)については、ふだん宝塚歌劇や歌舞伎を見ているので、役者の性別と役の性別がちがっても人気が出たならどんどんやればいいやん?って思いました。
(役柄にもよりますが新派の女形は女性の役者に混じっても素敵だと思います)
なので「女性から役を奪った」という理屈には頭が???となりました。じゃあ女性だったら誰が演じてもいいのかっていうと違うわけだし。
このあたりの感覚はアメリカのショービズの世界とはちがうのかなぁ。
ただ役者自身が自分の身体の性別を偽るのはダメだと思います。

女性として生きること

言えるのは、マイケルはしばしのあいだでも女性として生きたからこそ気づいたことがいろいろあったんだなということ。
男性として女役を演じたのだったらこの気づきはなかったと思います。
そこにこの作品の面白さがあるのだと思いました。
女装して女性として存在していると相手に寄り添った考え方ができたのに、素の男性にもどると相手に対する認知が歪むのが不思議だなぁと思いました。マイケルに限らずロン(エハラマサヒロさん)もマックス(おばたのお兄さん)もですが、男性でいると目の前の人の意思を無視して話をすすめるようになるのはどうしてだろうと思いました。3人とも男性像としては、ちょっとステレオタイプに描かれ過ぎなのかもしれませんが。

サンディの生きづらさ

サンディ(昆夏美さん)は混乱しているなぁと思います。
一度インプットしたら上書きができなくて人生が大変になってしまっているみたい。俳優になる夢も人生のパートナーも。とっくに「これじゃない」と判断を下す段階は過ぎていると思うのに。それができないことが彼女自身を生き難くさせているみたいだなぁ。
さいごにマイケル以外の男性の魅力に気づいたことで、世界の見え方が変わったかな? これまでの自分の人生を踏まえ肥やしにして、幸福だと思える人生を歩めるといいなぁと思いました。なぜか応援したくなるキャラでした。

こんなふうにショービズの世界のみならず、現代にリアルにある問題を考えさせられる脚本はいいなぁと思いました。
変にストレスを感じることもなくて、ストーリーに没入できたのが満足度の高さに直結した気がします。

CAST

マイケル・ドーシー/ドロシー・マイケルズ(山崎育三郎)
ジュリー・ニコルズ(愛希れいか)
サンディ・レスター(昆 夏美)
ジェフ・スレーター(金井勇太)
マックス・ヴァン・ホーン(おばたのお兄さん)
ロン・カーライル(エハラマサヒロ)
スタン・フィールズ(羽場裕一)
リタ・マーシャル(キムラ緑子)

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2024/02/03

怪盗紳士現る!

博多座にてミュージカル・ピカレスク「LUPIN~カリオストロ伯爵夫人の秘密~」の1月22日初日と24日マチネ、そして28日千穐楽を見てきました。

豪華なキャストとスタッフによるライトなエンタメ

華やかな出演者+小池修一郎×ドーヴ・アチアによる新作ミュージカル、果たしてどのような作品になるのかと思いましたが、豪華な演者とスタッフによる遊び心満載のライトなエンタメというかんじの作品でした。
名場面やあっという仕掛けがあるという訳ではなく、演者のパフォーマンスを愉しむ趣向で面白かったです。
「純潔」連呼とか女性参政権運動の描写などは感覚が古い気がしてどう受け止めたらよいのか戸惑うところもありました。

私は古川雄大さん目当てで見に行ったのですが、私が見たかった古川君とはちょっと違ったかな。ミステリアスなゴシック・ロマンス的な雰囲気を期待していたのです。ご本人はとても楽しそうに演じられていて、だんだんと見ている私も愉しくなりました。
ほかの演者の皆さんも楽しそうで、これはそういうところを面白がって見る作品なんだなと思いました。

真彩希帆さんのクラリス最高

劇中でいちばんツボだったのは、真彩希帆さん演じるクラリスです。
3階から躊躇なく飛び降りたり、自分をめぐって美男2人が戦うのを目を皿のようにして見物してたり、特段活躍したわけでもないのに「財宝は君のものだ」と言われたら遠慮なく受け取っているのも、挙動のいちいちがツボにはまってしまって、クラリスいいわぁと思いました。
なにより彼女には未来に目的があるのがいいなと思いました。夢を叶えるにはお金が必要なのです。
ロマンスを夢見たりもするけれど恋愛依存ではなくて、自ら責任のあるポジションに就いて自分の人生を歩んでいるのが凄く好きでした。
原作とはちがってこのクラリスなら長生きしそう!きっと幸せになりそう!と見ていて楽しくなりました。
どのみちルパンはアバンチュール(冒険)をやめられないのだから、クラリスも自分がやりたいことに夢中になるのがいいよねと。
真彩希帆さんの明るい個性が活きている役でした。もちろん歌は抜群。

柚希礼音さんと真風涼帆さんのカリオストロ伯爵夫人

カリオストロ伯爵夫人ことジョジーヌ役は柚希礼音さんと真風涼帆さんのWキャスト。
柚希ジョジーヌは博多座公演は初日の1回のみの出演でチケットが手に入るかドキドキでしたが、幸運なことに見ることができました。
スワローテールを翻してルパンと踊ったり、ドレス姿でルパンにタンゴを教えたりするミステリアスな悪女で、華と存在感が半端ないちえさん(柚希さん)にピッタリの役だなぁと思いました。柚希ジョジーヌを見終わった後は、同じ役を真風さんが演じるのが想像ができないなぁと思ったのですが、真風さんは真風さんでまったくタイプの異なる色香の漂う魅惑的なジョジーヌでした。
柚希ジョジーヌはモーションが大胆でどこにいても目を惹くセレブリティなかんじで、真風ジョジーヌはどの角度から見てもエレガントなマダムな雰囲気がありました。
なにより2人ともとても大部屋俳優には見えません。ゆえによくも化けおったなぁと思いました。才能ありすぎ笑。

立石俊樹さんのボーマニャン

「世界をこの手に」と歌ういかにも小池作品の悪役らしいボーマニャンは博多座では立石俊樹さんがシングルで演じていました。
キャスト発表の時にいちばん驚いたのがこのボーマニャン役のお2人(もう1人は黒羽麻璃央さん)でした。ルパンよりずっと年上なイメージがあるボーマニャンに若手俳優さんがキャスティングされていたので。
ですが舞台を見ていたらすでにルパンは怪盗紳士として世間に名を馳せている設定だったので(20歳そこそこの若造ではない)合点がいきました。
小池作品らしく、古川ルパンの美しき敵役がボーマニャンという設定なんだなと。
立石俊樹さんは去年の「エリザベート」のナルシスティックに悩めるルドルフ役がお似合いの役者さんという認識だったので、ボーマニャン役で躊躇のない悪役を活き活きと演じられていてさいしょはびっくりしました。
さらにどこから湧いて出たのか怪しい手下たち(黒鷲団)を率いて「俺はルシファー 神に見放された・・」と歌いだしたときは、どどどうした?!と頭がついていきませんでした。いきなりそんなあなた。いったい過去に何があったのかと彼の過去が気になりすぎて初見はその後のストーリーを見失いかけました。
全編を通してかなりクラリスに執着はあるのだけど、でもそれは恋とか愛情とかではなさそうで、ではなぜ?と私なりに考えた結論としては、自分が大好きゆえにクラリスが自分を選ばない現状が受け入れられないのではと。そのクラリスが選んだ相手であるがゆえにルパンに対する敵対心も強烈なのかなとも思いました。自分をないがしろにするルパン(認知のゆがみ)を叩きのめさないと生きていられないのかなと。
エギュイーユ・クルーズでの古川ルパンとの決闘シーンはとてもカッコよくて見入ってしまいました。うん、絶対にあるべきシーンだなとしみじみ思いました。古川雄大さんと立石俊樹さんがキャスティングされている意味をしっかりと回収していたなと。
ボーマニャンが行動してくれなかったらクラリスの愛よりアバンチュール(財宝発見と伯爵夫人の誘惑)に奔った挙句にまんまとしてやられて無様を晒すところだったルパン。歪で華やかな敵役として、主人公の面目を保つ役割を果たしたボーマニャンは最後まで良い仕事をしていたと思います。

加藤清史郎さんのイジドールと小西遼生さんのホームズ

イジドール・ボードルレ役の加藤清史郎さん、非の打ち所がない良い役者さんでびっくりでした。
歌も良いし間も良いしセリフも明瞭だしすばしっこい身のこなしも・・ホームズ役の小西遼生さんとガニマール警部役の勝矢さんとの連係プレーもいつも面白くて信頼を寄せて見ることができる役者さんに出遭ったなぁと脳内メモリに記録しました。
小西遼生さん演じるシャーロック・ホームズは、ルパンシリーズに出てくるホームズ(ショルメ)よりかはドイルの原作に近い気がします。ベーカー街221Bのワトソンに電報を打っていたりしてましたしコカイン常用など本家のホームズに通じる符号が。自分を出し抜く悪女に惹かれるところも本家ホームズっぽいかなぁと思いました。
でもおマヌケなかんじは本家とは別物で、いつのまにかイジドール君とコンビとなっていて面白かったです。ルパンを永遠のライバルと見做して自らの女装についてもルパンとのクオリティの差を検証しているところとかも小西さんがいい味を付けていてくすりとさせられました。
クラリスとルパンの愛の抱擁を阻む自分勝手な決闘宣言も、クラリスといっしょに『え?』となりました笑。でもたしかに見たいルパン対ホームズ笑。本家ではボクシングにフェンシングの名手で日本武術にも通じているし、ルパンもボクシングと日本武術の使い手ですしね。
ルパンが主役だから勝利はルパンのはずと見ていたら、いいかんじに投げ飛ばされて・・大団円への布石、古に張られた仕掛けを回収という超重要な役割を果たすんですね。毎回ちゃんとあの位置に飛ばされるの凄いなぁと感心しました。

古川雄大さんのアルセーヌ・ルパン

古川雄大さんのルパン、登場は腰の曲がった考古学者のマシバン博士で声もおじいさん、デティーグ男爵家の夜会ではアメリカ帰りの実業家ヴァルメラで若干声が高めなキザ男、アジトでの本名のラウール・ダンドレジーの時はピュアな青年のよう、赤毛の新聞記者のエミールは腕まくりのあまり冴えない風貌で、カンカンダンサーのアネットの時は声もうんと高くてしぐさも可愛い女の子になりきり、そして伯爵夫人の誘惑をためらいもなく受け入れるアルセーヌ・ルパンといくつもの顔を見せていました。
母親のアンリエットのような清廉な令嬢タイプを前にした時だけ、クラリスが感じた少年のような純粋な人格が顔を出すのかも。とはいえアルセーヌ・ルパンの人格でいる時間の方が長いし、それ以外のさまざまな人格にも変貌してしまうし、ラウールでいる時間はほんのつかの間のような・・。
このルパンとクラリスが今後もおつきあいするなら、そのつかの間を愛して、それ以外の時は自分がやりたいことに夢中になっていたほうがクラリスらしくいられるよ、とおせっかいなことを思いました。
ルパンもきっとそんなクラリスが好きだよねと。アバンチュール(冒険)は絶対にやめられそうにないから。
クラリスもルパンの女装にすこぶる協力的だったり(彼が歌えないキーを舞台裏で歌ってあげてるし)、面白いことには前のめりですよね笑。ルパンの冒険譚も面白がって聞いていそう。悲劇が似合わない2人でとても素敵だなと思いました。

その他キャストと千穐楽カーテンコール

そういえば、フレンチカンカンの場面、女性参政権運動のご婦人方とフレンチカンカンのメンバーを合わせると女性キャストの人数が足りなくない??と不思議に思っていたところ、カンカンに男性キャストも混じってる??と気づいたのですが、女性参政権運動のご婦人方にも男性キャストが混じっていたんですね。いやちょっとそんな気配は感じていたのですが・・汗。
カッコイイ黒鷲団にも女性がいて、皆さんなんでもできて素敵だなと思いました。
そして20世紀騎士団は良いお声の持ち主にしかボーマニャンさんの入団許可がおりないのかなと。秘密のお話のはずなのに皆さん声が通り過ぎ・・笑。

千穐楽のカーテンコールでは最初から客席スタオベで、挨拶が長くなることを見越して古川君が着席を促したら、その横でぺたんと舞台上に座ってニコニコ古川君を見上げていた真彩希帆さんと小西遼生さんが可愛かったです笑。こんなお茶目ができる雰囲気のカンパニーなんだなぁと思いました。
そして千穐楽の1月28日はクラリスのパパ、デティーグ男爵役の宮川浩さんのお誕生日で還暦を迎えられたそうで、カーテンコールでは舞台と客席の皆でバースデーソングを歌いました。
宮川さんが帝劇の舞台に初めて立ったのが36年前、古川君が生まれた年だそうです。今年生まれた子が帝劇の舞台に立つまで自分も舞台に立ち続けると古川君が決意表明をされていました。
そんな古川君曰く『エモい』お話の流れから急に話しを振られた立石君、宮川さんへの思いをしっかりとお話されてて古川君的には苦笑だったようでした。(突然だから辞退されると予想されていたようです)
古川君のツッコミもよくわかってないようで場を『かっさらって』いた立石君、さすがだなぁと微笑ましかったです。舞台ではあんなに闇落ちしているボーマニャンを演じていた彼の素の雰囲気、そして宮川さんへの思いを知れて個人的には嬉しかったです。
こんなに和気あいあいとしたカンパニーで何か月も過ごして来られたのだなぁと思いました。

博多座の後は公演最終地で古川君の故郷でもある長野での公演が控えています。
公演日程発表時には長野公演に行く計画も立てたのですが、あれよと言う間に完売で諦めました。(真冬の公演でなければもっと真剣に計画したのに・・と思っていましたが長野公演千穐楽の配信が発表されて良かったです)
佳き大千穐楽を迎えられますように。

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2023/11/12

みんながhappy!

10月31日と11月2日に博多座にて宝塚歌劇星組博多座公演 「ME AND MY GIRL」を見てきました。
この公演は主役のビルと遺言執行人のジョン卿を、専科の水美舞斗さんと星組2番手の暁千星さんが役替わりで演じていました。
10月31日の観劇はソワレで水美舞斗さんビルの千秋楽、11月2日は大千穐楽で暁千星さんがビルを演じていました。

お二方とも初日に比べると余裕綽々。アドリブも満載でした。
11月2日の千秋楽では次回大劇場公演「RRR」のPRがチョイチョイ入っていて期待を膨らませました。
どちらのビルもパーティのレッスンの場面などで小桜ほのかさん演じるディーン公爵夫人マリアに対していく通りものアドリブを仕掛けて思わず公爵夫人も笑いそうになっていました。

暁さんビルは公爵夫人が目を離した隙に机の下にするりと隠れてしまいました。落ち着きのないビルならやりそうです。
急に消えてしまったビルに小桜さんは内心とても焦ったようですが、公爵夫人としてビルを探し心配し叱責していた小桜さんはさすがでした。
小桜さんの公爵夫人は怒っていてもどこか可愛らしいところがあるのですが、急に隠れてしまったビルにプンプンしながらもちゃんと舞台にいたことに内心ほっとしている様子もうかがえてさらにチャーミングさが増していました。
ジョン卿が30年以上愛し続けた理由がよくわかりました。
私も公爵夫人がさらに好きになりました。

この博多座公演でビルの役替わりという世にも稀なものを見ることができましたが、演じる人によってこんなにも印象が変わるのだなぁとあらためて思いました。
多動で落ち着かなくて礼儀知らず、でもその人間的な魅力で人々を巻き込んでしまう水美ビル。
危なっかしくて悪戯っ子、内省的で人々との関わりによって気づきを得て変わっていく暁ビル。
そんな印象をうけました。

「私が考える理想のビル」にしっくり合ったのは水美さんですが、暁さんビルと舞空瞳さんサリーの対はこれはまた「私の理想の一対」で、けっきょくどちらも好き❤というのが結論です。

舞空瞳さんはこの個性の異なる2人のビルとそれぞれに心を通わせて、はつらつと陽気に愉快に登場し、健気でせつない心情を歌にのせ、最後はメイフェアレディに大変身というヒロインのサリーを魅力いっぱいに演じていてとても素敵でした。
泣きそうなのに「笑ってるのさ」と言うときのお芝居などなど、本当に表情ゆたかで見ていて胸がきゅんとしました。

ジェラルド役の天華えまさん、ジャッキー役の極美慎さん、パーチェスター役のひろ香祐さん、ジャスパー卿役の蒼舞咲歩さん・・と役のひとりひとりが予想以上にクオリティの高いパフォーマンスで最高にたのしかったです。

それから輝咲玲央さんが演じたヘザーセットがもうこれぞ英国貴族の邸の執事!という感じがして内心たいへん興奮しました。
口には出さないけれど目がものを言っているところとか。目に映る人物ひとりひとりについて、尊敬、愛情、侮蔑・・等々思うところがあるようだけど、それを匿しつつ慇懃な物腰で余計なことは一切言わないかんじがとてもプロフェッショナルで好き❤と思いました。

そういえば、ふつう支配階級の人は邸の執事のことは敬称なしで姓を呼ぶと思うんですが、ジャッキーは彼を「チャールズ」とファーストネームで呼んでいたのが、なにか意味があるのかなと気になりました。邸の人間ではないから? 世代的なもの? なぞです。
それからアドリブだったのか、誰かが「チャーリー」と呼んでいたようにも思います。
(ミーマイは次々に物語が展開していくので思考を止める暇がなくて記憶が曖昧になります・・汗)

あんまりヘザーセットが好きすぎて彼の周辺、彼の反応だけを見ていたい気持ちも湧きましたが、そんなことは無理!(登場人物ひとりひとりが面白くて目が足りない!)
でも叶うなら「ヘザーセットの一日」とか「ヘザーセットの一週間」とか彼の目線でお邸の人々を見てみたいです。
(スカイステージでやりませんか?)

ところでプログラムによると舞台はメイフェアのヘアフォード家の邸宅ということらしいのだけど、冒頭で招待客がトランクを積んだ車に乗り込んでヘアフォード邸での休日の滞在を楽しみにしていると歌っていたり、彼らが領地内でクリケットやテニスやガーデンパーティをしていたり、ビルが狩りや乗馬をしていること、階下にたくさんの使用人がいること、領地内にパブがあることなど(パブの客がビルのことをご領主様と呼んでいる)を見ると、舞台となるお屋敷「ヘアフォード・ホール」はロンドンの邸宅(タウンハウス)ではなくてロンドンから車で小一時間くらいの郊外のカントリーハウスだと思うんです。
たとえば「ダウントン・アビー」に使用されたハイクレア城みたいな。

上級階級といっても皆が皆、カントリーハウスを所有しているわけではないと思いますし、時代的(1930年代)にもカントリーハウスは手放してロンドンに常住している貴族も多いと思うんですが、ヘアフォード伯爵家は領地とそこに歴史ある屋敷を所有している由緒正しい貴族ということだと思います。

その継嗣が他人のポケットからモノを掏るのが特技というランベス育ちでコクニー訛りの行商人ときては、反発が強いのが本当だと思うんです。
ジョン卿が難色を示すのは当然だし、ジェラルドが繰り返しビルの訛りについて言及し我慢がならないと口にするのもまあそうだろうなぁと思うのです。

ですが、ビルの信じられない無作法さを見ても兄の息子なら伯爵に相応しい紳士になる(血筋が必ずものを言う)と公言する公爵夫人も凄いし、お金持ちの伯爵であれば無作法さは不問にできるジャッキーも凄いと思いました。
2人ともとてつもなく器の大きい寛容な心の持ち主なんじゃ・・? それこそ血筋?

ジャッキーのような英国の上流階級の娘にとって爵位と財産がある貴族の長男と結婚できるかどうかは人生の最重要課題。
なりふりかまわず「自分のことだけ考えて」行動するのは至極当然で、現代の受験や就活以上に一生を左右するシビアな問題なのですよね。
自分の力を100%発揮して幸福を掴もうと努力する心意気は立派だと思いました。
こんな彼女ならおそらくこの先の世界の変化にもついていけそうな気がします。仕事に就いても成功しそうです。

ビルだって「伯爵家を継ぎ愛するサリーと結婚してハッピーエンド」のその先は・・その領地やお屋敷を維持していくのはかなりの困難になりそうな時代です。
数年後には第二次世界大戦が勃発しますし英国もこの先いろいろな問題が待ち受けているわけで。
などど、ついつい暗いことも考えてしまいますが、ビルならなんでもやれそうだし、職業を持つことにも抵抗がないだろうし。セールスなんてお手の物じゃないかなと思います。
この時代にビルを第14代伯爵として迎えたことはヘアフォード家にとってなにより幸運といえるかもしれないなぁなんて想像しました。

サリーもジャッキーもたくましくて頼りになりそうです。
2人でメイフェアにブティックを共同経営したりしてたらいいなぁ。
あ、たぶんジェラルドは働いていないと思います・・笑。
でも彼は彼でなんとなくそこにいるだけでいいような・・誰かの対話の相手であったり時代を共有する仲間であったり、その存在が関わる人の安らぎになりそうだなと思います。なにより突っ走るジャッキーを引き留めたりは彼にしかできない役割じゃないかなと。

そんなふうに時が経ってもみんながハッピーでいたらいいなぁと想像しています。

2023年の10月に博多座でこの星組公演「ME AND MY GIRL」を見れたことはずっとずっと私の大切な思い出になると思います。

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