カテゴリー「♖ ミュージカル」の112件の記事

2023/01/19

私を返して。

1月14日と17日に博多座にてミュージカル「エリザベート」を見てきました。

【14日(マチネ)】
  花總シシィ古川トート佐藤フランツ立石ルドルフ香寿ゾフィー黒羽ルキーニ
【17日(ソワレ)】
  花總シシィ井上トート田代フランツ甲斐ルドルフ香寿ゾフィー黒羽ルキーニ

直近だと2019年に帝劇で見ているのですが、今回のバージョンはすごくすっきりわかりやすく演出されているように感じました。
そのぶん、個人的に心地よかったノイズも消えてしまったような、なにか隙間が埋まりきっていない印象ももちました。
なんといえばいいのかわかりませんが、90年代的なもの、ベルリンの壁崩壊後のヨーロッパ的なものが感じられなくなった感。
脚本もわかりやすくなっていた印象で、この作品に限らず「言葉通り」が主流になっているのかなぁと。

オケやコーラスの重厚さが以前ほど感じられない気がしたのですが、コロナ禍と関係があったりするのでしょうか。減員? それとも座席位置や私の側に起因する問題でそう感じたのでしょうか。
逆にエコーが強すぎるのが違和感で、トートの声をマイクが拾いきれていないようなもったいない感じもありました。

14日の初見時、トート閣下のご登場シーンで頭上からワイヤーで降臨されるのを見てふと昨年見た「薔薇とサムライ」の天海祐希さんが脳裏に浮かんでしまったばっかりに、よからぬスイッチが入ってしまったのがわたし的敗因のような気もします。
物語に没頭しきれずどこか退いたところから見ていたかもしれません。
真っ白だった頃の私を返して・・涙。

また観劇できるはずなので、それまでに自分を調整しておかなくては。
このご時世、貴重な1公演1公演のはずなのに・・。

花總まりさんのシシィは愛らしい少女から大人の女性へそして晩年への変化が、わかってはいるつもりだったのですが、以前にも増して見事であらためて驚かされました。
予想を超えていました。
印象としてはとてもポジティブで自分を曝け出すことができるシシィでした。

古川雄大さんは2019年に見たときとはかなり雰囲気が変わって存在感のあるトートになっていました。
低血圧そうに(青い血を流すらしいから血圧はあるんですよね?)悠然として物事に無頓着そうなのにシシィにだけは執着するのが「愛と死の輪舞」って感じで、作品世界に漂う空気が凝って具現化したようなトート閣下だなぁと思いました。
小さなルドルフからさりげなくピストルを受け取り懐にしまうまでの一連、のちに成長したルドルフにそのピストルを渡すところなどのメタな小道具使いに見惚れてしまいました。ついふらふらとついて行ってしまいそうになるトート閣下でした。

佐藤隆紀さんのフランツ、そっかシシィってファザコンだったよねと。優し気なところに惹かれたのかな。
シシィの部屋の前の歌、いい声。あれでも扉を開けないシシィなのですね。
棘のない声といいますか包み込むような誰ともケンカしない声だなぁ。
夜のボートは劇中でもいちばんの感動ポイントでした。

立石俊樹さん、悲劇を待っているルドルフといいますか。このルドルフ、自分が悲劇が似合うことを知っているなと思いました。
追い詰められてイキイキしていると言ったら変ですが、悲嘆に浸っているなぁと。古川トートとの耽美な闇広ご馳走様でした♡

香寿たつきさんのゾフィーは正しくて厳しくて怖い印象。それが息子や孫のためだと心の底から信じているんですよねぇ。
強くなくては生きていられない場所で彼らは生きていくのだから。
安定の力強い歌声の頼もしいゾフィー様でした。

ルキーニの黒羽真璃夫さん、ルキーニといえばベテランの役者さんの印象があったのでキャリアも年齢もお若い方がキャスティングされたことに最初は驚きでした。
実際に舞台で見て違和感もまったくなく演じこなしていることにも驚きを覚えましたが、考えたら実在のルキーニも犯行時は25歳だったのですよね。
無政府主義を信奉し、「偉そうなやつ」を暗殺して自分を誇示したかったのだろう若者の役を年齢が近い役者が演じるのは自然かも。その言動の支離滅裂さも、教え込まれたことを一途に情熱的に信奉し誰かを情熱的に憎むことができるのも若さゆえともいえるかもと納得でした。
そう仕向けられていることに気づかず万能感に浸っている感じも。彼は誰かに利用されたのかも・・?と思える余地があるのも。(この作品の世界観だとトート閣下がその黒幕ですが)
強烈なアクセントで狂気を印象付けるというよりは、若さゆえの万能感と自己陶酔と操られやすさを印象付けるルキーニだったかなと思います。


17日は、トート、フランツ、ルドルフが14日とは異なるキャストでした。

井上芳雄さんのトートは、アグレッシブに仕掛けてくる印象でかなり怖かったです。自分から矢面に立つトートだなと。
ルドルフを失って弱気になったシシィに「死なせて」と言われて傷ついたような顔をしていたのが印象的でした。愛されていないことがショックなのかな。強いシシィを求めているからかな。子どものようにイノセントで自分が望むままに行動するトート閣下なのかなと思いました。
井上トートは歌も楽しみだったのですが、エコーが効きすぎていてマイクが拾っていない声もあった気がしてそれがもったいないなぁと思いました。

田代万里生さんのフランツはトートへの対抗心が強いなぁというのがいちばんの印象です。シシィは私のものだ感が凄い。
彼女を裏切ったことをめちゃくちゃ後悔してそうだし、そのことで母をとても恨んでいそうだし、帰ってこないシシィのことをずっと思っていそう。
その割には息子にきつくて、そんなところは母に似ている気がするし。下手をすると息子にも嫉妬しそうなくらいだなぁと思いました。
こんなにシシィを愛しているのに拒まれてしまう「夜のボート」は胸が痛かったです。彼に脇目もふらずトートの胸に飛び込んでいくんだなぁシシィは・・涙。

甲斐翔真さんのルドルフは、めっちゃ育っとるやん!って思いました。こんなに大きくなって・・と。
ゾフィー様の言いつけを守って鍛錬したのかな~ 彼なりに一生懸命に国を思って行動しているよねと思いました。そんなところはゾフィー様の孫だなぁと。
井上トートの声をかき消さんばかりの音量の闇広がめちゃくちゃツボりました。こんな闇広(闇が広がる)ははじめて。勢いで突き進んでなにかよくわからないうちに勢いで自滅してしまうルドルフ。正義感が強かったのよねと思いました。
次は古川トートと甲斐ルドルフで見る予定なのですが、ちゃんと噛み合うのかどうなってしまうのか、いまから不安なような楽しみなような笑。

革命家の皆さんも一新で、背の高い方たちばかりでびっくりでした。
こうやってどんどん受け継がれていくんだなぁ。
博多座でアムネリス(宙組「王家に捧ぐ歌」)だった彩花まりさんが今回はヴィンディッシュ嬢で頑張っている姿を見れてうれしかったです。
おなじく元宙組だった華妃まいあさんの姿も退団後はじめて見ることができました。相変わらずスタイル良いなぁと。宙組で活躍していた彼女たちがまたエリザベートの世界で息づいている姿を見ることができて感無量です。
スタイルが良いといえば美麗さんのマデレーネも妖艶で素晴らしかったです。

次の観劇予定は1週間後なのですが、なにやら凄まじい寒波に見舞われるみたいで・・・。
大雪にさえならなければ大丈夫なはずなので、無事に観劇が叶いますように。
そして千秋楽まで止まることなく上演されますように。心の底から祈っています。

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2022/10/30

Welcome To The 60's. (This is the future)

10月8日に博多座にてミュージカル「ヘアスプレー」を見てきました。

映画も知らなくて、どうして「ヘアスプレー」なんだろうと思っていたんですが、1960年代が舞台の作品なのか~!
盛り髪をしっかり固めてキープするのにヘアスプレーは必須アイテムですよね。
主人公のトレイシー(渡辺直美さん)を筆頭にティーンエイジャーはレギュラーサイズのスプレー缶をバッグに入れて持ち歩いている。
ちなみに私が子どもの頃に見たTVアニメの「ひみつのアッコちゃん」のキャラの髪型、これってどうなっているの?と思っていたけれど、あれも盛り髪だったんですね。
初代リカちゃんのママもアップスタイルだったなぁ。と懐かしく思い出しました。

舞台が始まってまもなく、トレイシーの親友ペニー(清水くるみさん)のママがふつうに人種差別発言をしていてびっくりでした。
そういう時代背景の作品なんだ。60年代のアメリカ、ボルティモア。人種分離がふつうに行われていた時代に生きている人々の物語なんだ。
ポジティブなハッピーミュージカルかと思っていたけど、思う以上にヘヴィな題材を入れてくるんだなぁと。

リトル・アイネス(荒川玲和さん)がトレイシーの後にオーディションに飛び込んできたとき、ヴェルマ(瀬奈じゅんさん)が一瞥で却下した理由がさいしょはピンとこなくて。年齢が若すぎる???にしては意味がわからないなーと思いました。
後の場面で彼女がシーウィード(平間壮一さん)の妹だとわかって、そういうことか!と。
そのシーウィードも、居残り組でのトレイシーとの会話の中でアフリカ系アメリカ人とわかりました。
アフリカをルーツに持つ人物を演じるからといって「ブラックフェイス」にはしない。そういう方針の作品なんだ。

ペニーのママ、プルーディー(可知寛子さん)はとても厳格で敬虔。世の中や人を信じていないのかな。きっと不安でいっぱいで娘を育てている人なんだろうな。
家の中に夫(ペニーのお父さん)の姿が見えなかったのも何か理由があるのかな。(警察が見つけたら云々っていうのは失踪しているってこと?)
いちいち細かく娘を束縛する母親で、TV番組の視聴にも、汗をかくことにも、無断で刑務所に入ったことにも激怒。
あんまりなんでも激怒するので、ペニーはなにをやってもママに叱られると思っているようだし、些細なことも重大なことも同列に並べちゃう。
とにかくママに断りなく何かをやったらすべて怒られると思ってるふう。

ペニーが地味色の服に髪をツインテールにまとめてロリポップを舐めているのも、それがいちばんママが安心するとわかってて波風立たずにいられるからなんだろうな。
ママは娘が女性になることが心配なんだろうな。女性になって傷つくことが。
きっとママ自身が女性として深く傷ついたことがある人なのだろうなぁと思いました。

そのペニーがシーウィードと恋に落ちてしまう。しかもかなりの熱々ぶり。
これはママとのあいだに大波乱あるに違いないと見ているこちらはハラハラ。
なにしろペニーのママは空気を吸うように人種差別発言しちゃう人ですから。どうするの???

トレイシーのアクションが実って、人種分離が当たり前のボルティモアで、1つの番組に黒人も白人も一緒に出演するという歴史的な瞬間を迎えた中。
シーウィードとカップルで現れたペニーは、いつもの地味目の服ではなくてポップでキラキラのミニワンピ姿で、一瞬ペニーとわからなかったほどの変身ぶり。そのあまりの素敵さに私の脳みそはバフン!!💘

そんな娘を一目見たプルーディーが、シーウィードとの関係を迷わず受け入れるのがとても意外でした。
恋をしている娘がいまどれほど幸せか一目でわかって。
止めたって止められないのもわかってる。
どうしてわかるかなんて野暮。
泣き顔で祝福するママは、これから娘が人の何十倍もの困難に向き合うこともわかっているよね。
この一瞬でそれも全部支える覚悟が生まれているんだよねと思って感動でした。

舞台は1962年とのこと。2年後の1964年に公民権法が制定されるも人種差別は2022年のいまでもなお深刻な問題だし。
ペニーやシーウィードが置かれている状況は並大抵の困難ではないと想像できます。
そして1962年に17歳の彼女たちは、1945年生まれ。第二次世界大戦終結の年。
彼女たちの親たちは、まさに戦時中に青春時代を過ごし恋をして結婚をしたんだなぁ。
生まれてきた子どもたちはまさに希望そのものだったろうなぁと推察します。

トレイシーのママ・エドナ(山口祐一郎さん)とパパ・ウィルバー(石川禅さん)も、きっといろんな希望や挫折を味わいながら娘を大事に育ててきたのだろうなと思いました。
大切に育てた娘がTVに出たがっているのを知って体型のことで傷つくことを心配するママ・エドナ。自分も同じことで深く傷つけられてきたからだろうなぁ。

娘のことも妻のことも愛しているパパ・ウィルバーはトレイシーの背中を押してあげる。
彼は人のことも世の中のことも信じたい人なんだなぁと思いました。希望が彼の生きる糧なんだろうなと。
きっとこの時、なにかあれば全力で娘を助けてあげる覚悟をしたのだろうと思います。
そして実際に娘のピンチに自分の長年の努力の結晶である店を売ってお金を工面してあげていたから。
娘だけを救出するのは娘のためにならないとわかっていて無理をしたんだよねと思います。

そんな両親に育てられたトレイシーは屈託がなくおかしいことはおかしいと感じ、迷わずまっすぐに行動できる17歳。
シーウィードたちが置かれている状況は「馬鹿みたい」だと思ってなんとかしようと立ち上がる。

トレイシーが大好きな人気番組「コーニー・コリンズ・ショー」には月に1回「ブラック・デー」というのがあって。
トレイシーにとっては月に1回限定の特別な、クールでエキサイティングな「ブラック・デー」なのだけど。
でもシーウィードたちにとっては、週6日の「コーニー・コリンズ・ショー」の中で月に1度だけ許される「ブラック・デー」。
なんども掛け合って、なんど拒否されても諦めずに掛け合ってやっと勝ち取った月1回だと、シーウィードの母親で「ブラック・デー」の司会をしているメイベル(エリアンナさん)は言っていました。
しかも白人の出演者と一緒に出演するのじゃなくて、アフリカ系の彼らだけが出演する月1回。共演NGという時代なんだなぁ。
その月1回だっていつ簡単に奪い取られてしまうかわからない脆いものだってわかっている。
舞台の終盤でメイベルが歌うソウルフルな魂の叫びのような「I Know Where I've Been」はとても感動的でした。

当事者として散々戦ってきたであろうメイベルから見て、当事者ではないのに熱くなるトレイシーはどう映るのだろうと考えました。
トレイシーの思いつきによる「親子デー」への参加とか。
白人との共演が認められていない状況で、娘リトル・アイネスと母娘としてエントリーしようとすることが、どれだけマジョリティ(世間)から拒絶を受け、どれだけ傷つかなければならないか。メイベルはよく知っていると思います。それによって娘もどれだけ傷つくか。
それでもいま気づきを得たばかりの後先考えないトレイシーの提案にYESと言える彼女はとても勇敢な女性だと思いました。
闘い続けなければ今はないことを知っているからかな。
トレイシーが当事者ではないからこそ、その彼女の行動や気づきに未来の希望を見出したのかな。
私だったらムカついてしまうんじゃないかなと思って、なんて寛容な人だろうと思いました。

そして突然娘から一緒に「親子デー」に参加すると言われて尻込みするエドナをチアするためにメイベルが歌う「Big,Blonde and Beautyful」の力強さにも感動でした。

エドナは心優しいがゆえにたくさん傷ついて大人になった人なのだろうなと思いました。
さらにその体型を理由に傷つけられ自信を奪われ、夢を諦めた人じゃないかな。自分にも夢があったと語っていたけれど。
彼女の両親やきょうだいさえも、彼女を傷つけた側かもしれない。
だから娘のトレイシーには、彼女を傷つけるようなネガティブなことは言わないようにしているのかなと思いました。

その甲斐あって、トレイシーは自分の体型のことも気にせずにTV番組に出たいと言える子に育ったし、理不尽さに憤りなんとかしようとするようなポジティブで明るく正義感の強い女の子に成長したのだと思います。
けれどもエドナ自身はシャイで傷つきやすい心のまま。
TV番組に出たらまたたくさんのネガティブな言葉を投げつけられるに違いないと尻込みする。彼女の中の傷ついた少女が泣いている。
その悲しい少女を勇気づけた歌が、メイベルの「Big,Blonde and Beautyful」なんだなぁ。
メイベル自身もどれだけ傷つけられてきたか。
そんなメイベルにはエドナの気持ちがわかるし、だからこそエドナもメイベルの歌のメッセージを受け取れたんだろうなぁ。
勇気を振り絞って娘の願いのためにTV出演を決意する。
とても感動的な場面でした。

ヴェルマもまたエドナたちと同年代に生まれて、少女のころからずっと自分の価値はその容姿と生まれにあると思い込まされてきた人なんだろうなぁ。
それを娘のアンバー(田村芽実さん)に押し付けようとしているけど、それは娘を幸せにはしないんじゃないかなぁ。

キレキレに踊ってかっこつけるリンク(三浦宏規さん)、勘違い男スレスレだけどカッコよいから受け入れてしまう。
ラストに自分は馬鹿だった何もわかってなかったってことを言ってたけど、それは決して彼だけのことじゃないんだよなぁと思いました。
ヴェルマやアンバーは極端だけれど、本当はみんなが現状が当たり前だと思ってる。人種分離もふつうのことだと。
人種分離を「馬鹿みたいだと思って」とはっきり言えるトレイシーが登場するまでは。
トレイシーのおかげで気づくことができたのは、彼だけじゃないんだよねと思いました。

ラストはトレイシーが優勝してリンクともハッピーエンドで、これでめでたしめでたしかなと思ったら、彼女が将来の夢として大学に通いたいと宣言するところも好きでした。
60年代の女の子としては、やっぱり彼女は先進的だと思います。
その姿こそ、「これが未来だ」と。

偶々娘と一緒に見たせいも大きいかと思いますが、すべての母親と娘たちへのメッセージが込められた作品だなと思いました。

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2022/10/07

強さってなに?

10月1日に久留米シティプラザ ザ・グランドホールにてミュージカル「DOROTHY」を見てきました。

福岡で凰稀かなめさんを見られることが観劇の動機で、「オズの魔法使い」のドロシーのお話なんだなぁという前情報しかない状態で観劇しました。

幕が開くと学生オーケストラの練習風景??? こんなお話だったっけ???

ドロシー(桜井玲香さん)はコンマスでソリストもできちゃうようなヴァイオリニストで見るからにお嬢様な風情。
前回は彼女のソロパートが秀逸でコンクールで賞をとったけど、今年は彼女のソロではなくみんなの演奏で賞を目指そうってことになったみたい。
なんだけど。
みんなの音がバラバラ。これじゃ賞なんて目指せない。コンクールは目前。
もっと練習時間を増やそう。「あと3時間!」って言えちゃうひと。それがドロシーみたい。
コンクールまでの間、毎日いまより+3時間練習しようってことですよね。

もとより学生オーケストラ(オケ部)。
バイトがある者もいれば遠くから通っている者もいる。
それぞれの事情で現状ですらいっぱいいっぱいの人も多いのだろうなと察せられる。
彼女と自分自身の間にある隔たりをメンバーのそれぞれが感じたよね。そんな気まずい雰囲気。

上手くなるには練習するしかない。自分は正しい。間違っていない。
でもみんなはついてきてくれない。
ドロシー最大の危機。

真剣に悩むドロシーの前に不思議な少女(横溝菜帆さん)が表れて、導かれるままにオズの世界へ——。
なるほど、こういう展開かぁ。

「オズの魔法使い」は子どもの時分に読んだのですが、正直なところその面白さがピンとこなくて読み進めるのが苦痛な物語でした。
ファンタジーの世界観って作者の思想がそのまま反映していると思うんですが、その世界観がどうもしっくりこなくて。
オズの国の住人たちを見下しているような感じに抵抗がありました。
自分と自分が属する側は常にまっとうで正しくて、自分サイドじゃないもの(オズの世界)は奇異で愚かで劣っていると思っているような受け答えが受け入れがたくて。
当時はこんなふうに言葉にはできなかったけれど、作者が提示する世界観に引き摺られることに抵抗がありました。
(異世界に迷い込んで「蒙昧なネイティブ」を啓蒙してリーダーになる物語がいまも好きじゃないのは、ここがはじめだったかも)
カカシが自分を頭が悪いとか、ブリキの木こりが自分を心がないとか、そのうしろに透けて見えるなにかも嫌だったのだと思います。
臆病なライオンはちょっと好きでした。近づいてくるものに怯えて吠えたら皆から恐れられてしまう。その孤独と寂しさを想像して。
いちばん面白く読んだのはオズの魔法使いの正体がわかるくだりでした。

もしかしてこのミュージカルのオケ部のドロシーも、さいしょはそんな原作と同じところに立っている人なのかな?
正しい自分と、なにもわかっていない彼ら。——みたいな。

なにもわかっていない彼らが正しい私を非難する。ピンチ! なんとかしてみんなの心を掴まなくては。
から始まるドロシーの旅なのだけど。
桜井玲香さん演じるドロシーは、恵まれた境遇で育った人らしく自己肯定感が高くて傲慢といえばそうなのだけど、どこか応援したくなる女性でした。
カカシたちとも対等で頭ごなしに馬鹿にしたりしない。ピンチになっても卑屈にはならない、自分に都合のよいエクスキューズもない、不器用だけど一生懸命な頑張り屋さんに見えました。

ドロシーと一緒にカカシ、ブリキの木こり、臆病なライオンは、偉大なオズの魔法使いに自分がいちばん欲しいものをもらうため、危機を乗り越えながら旅をする。
そうしているうちに友情を育むのだけど、けっしてべたべたしないのもよかったな。

東の魔女も西の魔女も、ドロシーの歌や彼女が奏でるヴァイオリンの音色を聴いて彼女を害する気持ちを収めて逆に彼女のためになにかをしてあげようとする。
音楽を愛し信じる人々が作ったストーリーだなぁと思うし。それを納得させるドロシーだったと思います。

自分が持っていないと思っていた知恵も心も勇気も、オズの魔法使いにもらわなくても自分の中にあったね。
必要なのはみんなの心を掴むことじゃなくて、みんなの気持ちに気づくことだったね。
素直にそう思える物語が清々しかったです。

鈴木勝吾さん演じるカカシさん。ずっと一生同じ場所に立っているものだと思っていた彼にとってドロシーやブリキさんたちと一緒に旅をすることは、些細なことさえしあわせだろうなと思いました。
ドロシーのために自分の一部でヴァイオリンを作ってあげたいと思う気持ちもわかるような気がしました。
ブリキさんはもうゼンマイはいらないのじゃないかと気づくのも彼だし。大切に思う誰かの存在が彼の原動力なんだな。そのためにどうしたらよいか考えて行動してて。願いが叶ってよかったねと思いました。

渡辺大輔さん演じるブリキさん。あれはズルイ笑。いやでもうるっとしてしまう。でもしあわせそう涙。
カカシさんが自分が求められる場所に残ると決意したとき、寂しくないと強がるところもとても好きでした。
心がないのではなくて、心を失くしたと思わないと耐えられないような辛い経験をして以来ずっと感情を封印してきたひとなんだなと思いました。

小野塚勇人さん演じるライオンさん。臆病なのは他者の心の動きに敏感だからですよね。自分がなにを望まれているかわかるからですよね。
それはけっして悪いことじゃなくて、そんなライオンさんだからこそできることがあるんだなと思いました。
他者のことも思いやりながら、自分の願いも口にできるようになるといいねと思いました。

伊波杏樹さん演じる東の魔女。なにより圧死してなくてよかった~。
火の竜を操るきれいな声の魔女でした。どうして悪い魔女になったのか不思議。
ドロシーの歌声に心を動かされて、困ったことがあったらいつでも呼びなさいと言ってくれるとっても優しい魔女でした。

凰稀かなめさん演じる西の魔女。緑色じゃなくてよかったです笑。
存在感が女王。でもめちゃくちゃ胡散臭いよ~あやしいよ~笑。面白がってやっているのが伝わりました。
ドロシーが奏でるヴァイオリンの音色に心をかき乱されてその音色に込められた願いに心が変化していく様が短い時間のあいだによくわかりました。こういうところに説得力をもたせられるのいいなぁ。
そしてドロシーをピリッと励ますところが先達として同性の先輩として素敵だなと思いました。

鈴木壮麻さん演じるオズ。こういうふうに出てくるんだ~~と思いました。なるほどなるほどの連続でした。
ちょっと下卑たふつうのオジサン感を醸し出されているのがさすが。そうだよねそうだよねオズの魔法使いってそうだよねとうんうん頷きながら見ていました。
壮麻さんが登場されることによる安心感は半端なかったです。
新しいミュージカル作品が生まれ若いミュージカル俳優さんが次々と生まれている昨今、後輩のリスペクトの対象となれる人が同じ舞台に立っていることって貴重だと思います。
文化は伝承!

ツアー公演なので派手な舞台転換などはないけれど、音楽を愛する人たちによる人柄の良いミュージカルを見たなと思いました。

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2022/08/03

今夜は淑女で。

7月23日に博多座にてミュージカル「ガイズ&ドールズ」を見てきました。

本当なら7月20日が1回目の観劇になるはずだったのですが、まさかの開演15分前の公演中止発表で叶わず。
23日も幕が開くまではドキドキでした。

無事幕が上がり流れてくるオーバーチュア。
紗幕には懐かしの映画さながらにオープニングクレジットが映し出され、N.Y.の通りを行き交う登場人物たちのスタイリッシュなダンスに目がくぎづけ。
これからの数時間、どんな心地に浸れるのだろうという期待でいっぱいに。

宝塚にはまりたての頃に紫吹淳さんスカイの月組版をCS放送やDVDで繰り返し見ていた作品なのでどのナンバーも懐かしい。
でもその頃(20年前)から既に古臭い価値観が気になっていたので、今回どんなふうにアップデートされるのかな?と思っていました。

ダンスナンバーの振り付けがおしゃれ。オープニングでストリートを闊歩する女性ダンサーが矢庭にトゥで踊ったかと思うとまたすぐに歩き出したり。
GUYS(男性たち)のダンスはその筋力瞬発力に目を瞠り見せ方の妙に感嘆しました。

演者が伝道所の入り口ドアを開けて階段を下りると舞台装置がゆっくりと回転しながらせり上がって地階の伝道所内部が見える仕掛けにおおっと思いました。
逆に演者が階段を上がると地階はせり下がって伝道所の入り口だけに。
その舞台装置に合わせて階段を上がってそのまま盆から降りたりするの、タイミングが難しくないのかな。目が回らないの凄いなぁ。

振付、舞台装置はこれが2022年版か!という感じでしたが、ストーリーはそのままなんだな。20年前の月組版でヤバいと思った部分はさすがになかったけれど。
もっとたくさん笑う場面があったと思うんだけど、あえてなくしたのかなぁ。

そもそもなぜ笑うのかと言われると、女は結婚したいもの、男は縛られたくはないもの、というような「あたりまえ」とされていたものを登場人物たちがコミカルに表現したり絶妙に掠めたりするからだもんなぁ。
その「あたりまえ」はいまとなってはぼんやりとした幻影みたいなものだから、まずそれを思い起こすところからしないといけなくて。
その前提を思い起こすまでのちょっとしたタイムラグが積み重なって少しずつズレていって、なんだか私の中で嚙み合わなくなっていったかなと思います。
20年前だと笑えたところもスルーしてしまったようで、見ている私自身の感覚が変わったのだろうなぁ。

アデレイドが架空の子どもたちについて語る場面、ぜんぶで5人で性別は・・・長男の名前はあなたと同じネイサン云々。そのネイサンJr.はいま何をしているんだい?というネイサンのチャチ入れにもスラスラ答えるアデレイド。ネイサンJr.のフットボールの試合にも賭けときゃよかったとつぶやくこんな時でも頭の中は賭け事のネイサンのくだり、宝塚版ではテンポの良い掛け合いに反射的に笑ったのだけど、今回は、あれ??いまの場面あっさりだった???となりました。
翻訳のせいもあるのかもしれないけれど、言葉の意味が瞬時に頭に入らなくて笑い損なってしまったみたいでした。

シチュエーションはとても面白い作品だと思うのだけど。
そのシチュエーションとセリフの意味、掛け合いの妙が瞬時に伝わるかが肝心なのだと思います。
アメリカ人との感覚の違いもあるうえに、作られた頃と2022年の現在との感覚の違いもあるのかも。
舞台の笑いって共通認識があってこそだもんなぁ。
通しでやるよりコンサート形式のほうが楽しめるのかなぁ。ナンバーは大好きだし、この豪華メンバーだし。

ハバナのサラの明日海りおさんはベリキュートだったし、HOT BOXの望海風斗さんアデレイドはさすがのショーガールで楽しかったし。
そして何より「LUCK BE A LADY」や「SIT DOWN, YOU'RE ROCKING THE BOAT」のGUYSはめちゃめちゃクールでうひゃあでした。

Luck be a lady tonight —— 運命よ今夜は淑女でいてくれよ。
運命(Luck)を人は女神に喩えるけれど、神様だろうがなんだろうが、女性ならばみんな自分に好意を持って自分の思い通りになる、そう思っているのがこの物語の主人公、スカイ・マスターソン(井上芳雄さん)。
だからラストに可笑しみがあるというわけ。

そんなスカイだからこそ、ネイサン・デトロイト(浦井健治さん)にうっかりはめられて、救世軍の軍曹サラ・ブラウン(明日海りおさん)をハバナに連れていけるかという賭けにのってしまうんですよね。

女たらしのデートプランは完璧。N.Y.からハバナ(キューバ)までエアプレインでランチなんて。凄い!90年前のお話よね??ってなります。
彼女がランチの誘いに乗ってくれさえすれば、あとは成功したも同然。でもそこがいちばんの難関で。
とはいえ、そんなことも訳ないのがスカイ、なんだけど。

サラを口説きに伝道所に行って、入り口に書いてあるフレーズの引用元は「箴言」ではなく「イザヤ書」だと指摘する。
「箴言」だと言い張るサラだけど確かめるとでたらめでもなんでもなくて、スカイの言う通りなんですよね。
"罪びと”であるスカイに選りによって聖書について間違いを指摘されて、心穏やかではいられないサラ。ここにも常識との逆転が。
スカイ、只者ではないなってなるんですけど。

サラを連れて行ったハバナで、自分が飲ませたお酒のせいで酔っ払って羽目を外してしまった彼女といい感じになるのだけど、罪の意識を感じてしまうスカイ。
「良くないことだ」って罪びとの風上にもおけないセリフ。
天井知らずに賭けをするから仲間たちから「スカイ」と呼ばれる彼なのだけど、誰にも教えたことがない本名をはじめて彼女に教える。
それって掛値なしの「誠意」ですよね。「純愛」とも言うかも。ギャンブラーの中のギャンブラー、罪びとの中の罪びとが。

彼の本名オバディア(Obadiah、Ovadia)は旧約聖書に出てくる預言者の名前で、神のしもべ・崇拝者という意味。
もしかして彼は敬虔な信仰者の家庭に生まれ育ったのかも知れず(聖書に詳しいのもだからかも)、そんな彼がどうしてギャンブラーになったのか。やっぱり興味をそそる人ですスカイという人は。

オバディア(神のしもべ)と名付けられた聖書に精通してる青年が、長じて仲間に一目置かれるような罪深いギャンブラーになってて。
その彼が敬虔な女性を口説き落とす賭けに勝って1000ドル儲けるはずが、本気で恋をしてしまう。
そして彼女のために一世一代の賭けをする。クラップで彼が勝てば1ダース以上のギャンブラー仲間たちを伝道所に連れていく。負ければその1人1人に1000ドルずつ支払うと。
だから—— Luck be a lady tonight と。
このとき、スカイにとって運命(Luck)はサラの顔をしているのだろうなぁ。

果たして運命は彼に微笑みかけたのか。
本当の勝者は?

ラストはどう捉えたらいいのかな。微笑ましいこと? それとも皮肉なこと? どういう意味で笑ったらいいのだろう。
馬鹿か利口か、なんとでも言えばいい—— っていうのは宝塚版の歌詞だけど。
男(GUYS)ってこんなものだよねって笑っておけばいい?

すごく笑えて微笑ましい作品のはずなのだけど。
やっぱりいまの私の感覚とちがっていて。
考え込んでしまうなぁ。

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2022/07/22

見果てぬ夢へ。

7月17日にキャナルシティ劇場にて、ミュージカル「スワンキング」を見てきました。

あれは春3月。博多座で見た「笑う男」の余韻が残っているときに、Twitterのタイムラインに流れてきた舞台のビジュアルがふと目に留まったのでした。
最初はタイトルの「スワンキング」が「Swan King」だということにも気づかなくて、なんだろうこれは?と。たぶん夢咲ねねさんのビジュアルに私のなにかのセンサーが働いたのかな?と思います。

ねねちゃんエリザベート役じゃん。ルートヴィヒ2世とワーグナー?これは私の好きな世界観かも。
でもたいていの新作ミュージカルは福岡ではやらないもんねと見切ろうとしたのですが、試しにリンクを開いて公式サイトを見ると福岡公演があるではないですか。
もしかして見に行けるかも??

主演のルートヴィヒ2世役の橋本良亮さんについても知らなくて。役者さんに詳しい友人に訊くと「ジャニーズの人ですよ」とのこと。
これチケットどうやって取ったらいいのかな? 

そんなふうに偶々偶然に知って、手探り状態からはじまった観劇でした。

物語は興味深く面白かったです。
活字だけで読んでいた人間模様をドラマとして見ることができ、それぞれの人物のその時々の気持ちに思いを馳せることができました。
どちらかというとその俗物的な部分にフォーカスされた作品かなと思いました。
先々週偶々宝塚でフランツ・リストを描いた「巡礼の年」を見ることができたのですが、あちらはやはり宝塚らしい気高さの要素が強かったのかなとあらめて思いました。見ているときはけっこうリストのスノビズムがリアルだなと思ったのですが。

ワーグナー(別所哲也さん)については子どもの頃に音楽好きの亡父が語って聞かせてくれていた言葉がいろいろとよみがえってきました。
ワーグナーは音楽は素晴らしいが人物は褒められたものではない、などなど。
その言葉とそのときの父の表情にとても含みを感じて、長じてあれは彼のドイツ主義と反ユダヤ的思想について言っていたのかなと漠然と思っていましたが、もちろんそれもあるけれどもっと俗的な意味もあったのだろうなぁとこのミュージカルを見て思いました。
10代の頃の私はワーグナーとコージマ(梅田彩佳さん)の関係をロマンティックなものと考えていたのですが、そのイメージも覆りました。
人間だもの。こういうこともあるよねと思う2人でした。

そしてこういう俗っぽさは、ルートヴィヒ2世には耐えられなかっただろうなぁとも思いました。
美しい夢と崇高な理想を愛した彼には。わかるよわかるよその気持ち!と思いながら見ていました。
彼の生き方もまた褒められたものではないでしょうけど。
ルートヴィヒ2世にとっての正義は美しく調和した世界なのだと思いました。戦争なんてとても耐えられるものではない。
自身は美しい城を出て軍隊を指揮することはせず、それを弟のオットー(今江大地さん)に任せる。

兄と同じバイエルン王家の血を引くオットーもまた繊細な神経の持ち主で、無残な戦場の光景を目の当たりにして精神を病んでいく。
無責任な兄の犠牲者だなぁ。

もう1人ワーグナーの犠牲者として描かれていたのがビューロー(渡辺大輔さん)でした。
ワーグナーの音楽の高い芸術性に心酔するがゆえに妻を奪われ誇りをズタズタされてもワーグナーと決別することができない。その葛藤に長く苦しんでいる人物として描かれていました。
彼の視点から描かれたワーグナーたちを見てみたいなと思いました。

この作品にはルートヴィヒ2世やワーグナーをとりまく幾人かの女性が登場しましたが、描かれ方に奥行きがなくてつまらないなと思いました。
ゾフィー(堤梨菜さん)もテレーゼ(藤田奈那さん)もミンナ・プラーナー(彩橋みゆさん)もルドヴィカ(河合篤子さん)も、結婚したい若い女性、ひたすら献身する女性、浮気性の夫に悩まされる女性、そして娘を結婚させたい母親、というだけで。

フランツ・リストとダグー伯爵夫人マリーの血を引くコージマも、夫を発奮させる妻という役目に終始する女性。
むしろワーグナーの芸術性を支えた人なのではないかと思うけど、甘えたの夫を甘やかすだけの女性として描かれているように見えました。
コージマにしてもゾフィーやテレーゼ・フォン・バイエルンにしても音楽を愛し高い知性と教養を備えた人だと思うのだけどなぁ。そこには触れられないのだなぁ。

エリザベート役の夢咲ねねさんは期待通りの美しい立ち姿と存在感。ルートヴィヒ2世が憧れるに相応しい夢のような美しさで納得だったけれど、求められているのはそれだけなのかなと。

女性には憧れられる外側と男性を支えることだけを求められているような描かれ方でつまらないなというのと、音楽が真面目過ぎるというか艶っぽさが感じられなくて印象が薄かったのが残念でした。
再演があるとしたら、そのあたりを魅力的にしてほしいなぁと思いました。

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2022/04/23

俺の生まれはバルセロナ。

4月8日に東京宝塚劇場にて宙組公演「NEVER SAY GOODBYE」を見てきました。

新型コロナウィルスの影響で宝塚大劇場での上演回数が半減して、私が見ることができたのは千秋楽を含めて3公演。
そして東京公演はこの1回きりの観劇となりました。

ジョルジュ(真風涼帆さん)については先に感想を書きましたのでそのほかの感想をと思いますが、書き出すと終わりが見えないほど次々に湧いてくるものがあるので、時代背景に想いを馳せながらムラと印象が変わったなと思ったことを交えながら書いていきたいと思います。

まずプロローグのエンリケ(奈央麗斗さん)がヴィセント(芹香斗亜さん)にそっくり!とびっくりしました。
おじいさん似だったのねー。
ムラではそれほど思わなかった気がします。東京公演ではお化粧や髪型で寄せてきたのかな。(もしかするとムラで私が気づいていなかっただけなこともあり得ますが)
ペギー(潤花ちゃん)もおばあさんにそっくりだし笑、紛れもなく2人の孫なんだなぁと思いました。
こうして孫たちがスペインの地で邂逅できてよかったなぁとしみじみしました。

物語ののち反乱軍が勝利してフランコ独裁政権になったスペインの地を、キャサリン(潤花ちゃん)は二度と踏むことはできなくて、ヴィセントに会うこともジョルジュ(真風涼帆さん)の最期について話を聴くこともできなかったことを思うと、こうして2人が平和な時代を生きて会えて話していることが感動でした。
これもフランコ独裁政権が終わったから実現したことなんだなぁ。

ペギーが言っている1992年のバルセロナ・オリンピック、開催当時はよくわかってはいなかったんだけどそれでも歴史的なことが起きているんだなぁと思ったものです。
そこにはたくさんの人びとの想いが詰まっていたんだなぁ。

余談ですが、その開会式ではフレディ・マーキュリーがバルセロナ出身のオペラ歌手モンセラート・カバリエと一緒に歌うはずだったんですよね。前年に亡くなってしまわなければ・・
オリンピックの公式サイトにフレディ・マーキュリーとカバリエが歌っている楽曲「バロセロナ」を使用したモンタージュビデオがあったのでリンクしておきます。
ビデオにはジョルジュたちが過ごしたサグラダファミリアの1992年当時の映像や、バルセロナオリンピックスタジアムも映っています。
このスタジアムは、1936年の人民オリンピックに使用されるはずだったものを改修したのだそうです。ヴィセントやビル(瑠風輝さん)たちがこの場所でリハーサルしたんだなぁ。
(こちらも→ Freddie Mercury ft. Montserrat Caballe - Barcelona (Live in Olimpiada Cultural)  )

初演の時は、世界史の中の出来事だなぁという捉え方しかしていなかったと思うのですが、2022年のいまのこの世界情勢の中だからこそ1992年のバルセロナの人びとの歓喜の意味に想いを馳せることができる気がします。
そんないまこの時に見る「NEVER SAY GOODBYE」となりました。

物語は1936年に遡り、舞台はきな臭いヨーロッパとは遠く離れたアメリカ、ハリウッドのクラブ「ココナツ・グルーヴ」。
前年には「TOP HAT」同年にはチャップリンの「モダン・タイムス」が公開されたそんな時代なんですね。
(「TOP HAT」では英米と南欧との格差が感じ取れますし、「モダン・タイムス」は労働者をただの歯車として消費する資本主義社会を批判的に描いているように見えます)

新作映画の製作発表パーティに集うセレブたち。そして紹介される出演者や関係者たち。
そのなかにラジオ・バルセロナのプロデューサーのパオロ・カルレス(松風輝さん)がいて、当時誕生したばかりの社会主義国スペイン共和国について歌い、海の向こうのヨーロッパでは労働者が国を動かす時代が到来したことを示唆。

私はパオロさんが片頬を上げて哂うのが好きで、見るたびに出た出たこれこれとニヤニヤしました。
人好きのする気さくな笑顔を相手に見せながら、見せていない方で哂ってる。同時に2つの顔をして同時に2つのことを考えているみたい。
言葉巧みに都合の悪い真実についてはすっとぼけて相手にとって耳障りの良い話を滔々としてその気にさせる。→スタイン氏(寿つかささん)はすっかりその気。
どんなピンチも言葉の言い換え、発想の転換で切り抜けていきそう。
いかにもやり手興行師な風情。いいキャラ作っているなーと思います。

時代の空気はハリウッドの若者たちにも影響を与えていて、キャサリンや仕事仲間のピーター(春瀬央季さん)も純粋に社会主義思想に理想を抱いているみたいで、ピーターはユニオンを作ろうと持ち掛けて仲間から渋い顔をされているし、キャサリンはそんな仲間たちに「情けない」と檄を飛ばしている。

この場面は都会に集う若い知識人のリアルが感じられるなぁと思いました。不満はこぼすけれど実際に行動を促されると尻込みしてしまう。とてもよくわかります。
彼らが歌い継ぐ洗練されたメロディもアメリカだなぁと思いました。こういう曲調は舞台がスペインに移ると聴けなくなるので噛みしめて聴きました。

そしてキャサリンが自分を鼓舞する勇ましい「ハッ!」が好き。この無謀で理想を食べて生きているキラキラしたかんじは嫌いじゃないなぁと。むしろ微笑ましくてフフッと笑ってしまいました。
当時の彼らにとって、ヨーロッパの情勢はどんなふうに映っていたのかな。自分たちとはかけ離れた遠い海の向こうの出来事? それとも共感? この頃はまさかスペインで内戦が起きるとは思っていなかったのだろうな。(だからこそマークたち一行もロケの下見を名目に物見遊山でスペインまで行ったのだろうし)

アニータ役の瀬戸花まりさんは歌うまさんなのは知っていましたが、ムラで見た時は曲調と声質が合っていないかなと思っていました。初演の毬穂えりなさんがとても豊かな声音で素晴らしかったので、どうしてもその記憶が呼び起こされて。
でも東京のアニータは歌い方から変わったみたいで、とても深みのある歌声が素晴らしくて聞き惚れました。
アジトをみつけてあげたり、ヴィセントの実家の片づけを手伝ったり、かと思うとキャサリンに出国の手配をしてあげたり、彼女が味方についていなかったら、彼らはもっと早くに破綻していたんじゃないかしら。
キリっとした頼もしさもあるのに、セリフのないところでは愛おしそうな眼差しでジョルジュたちをみつめているのもいいなと思います。
そもそもどうして彼女はジョルジュたちと行動をともにしているのかなと想像してしまいます。

テレサ役の水音志保さんは「夢千鳥」につづいての抜擢かな。ここ数年気になる娘役さんだったのでキャスト表にテレサとあるのを見てとても嬉しかったです。
2番手の芹香さんに寄り添っても遜色ないし、愛されている女性のきらめきや自分の踊りで生きていく強さとしなやかさも見て取れてとても好きでした。
美原志帆さんや音波みのりさんみたいな綺麗なお姉さま役ができる人になって、これからも楽しませてもらえたら嬉しいです。

キャスト表を見て楽しみにしていたもう1人、ラパッショナリア役の留依蒔世さん。歌声の迫力さすがでした。
ムラでの初見の時は、娘役さんのキーがちょっと苦しそうかな?と思ったのですが、ムラ千秋楽そして東京とどんどん声が安定して迫力が増していたので、東京千秋楽にはどうなっているのかと思います。(私はライビュでしか聞けないのが残念)
歌もさることながら、娘役さんたちを率いて、そして男役さんたちに交じっての市街戦も女性としてカッコよくて素敵でした。
フィナーレでもとてもしなやかで力強い娘役ダンスを披露していて、見応えのあるパフォーマーぶりで魅了されました。宙組になくてはならない存在だと思います。

そしてバルセロナ市長役の若翔りつさん。市長の内戦勃発を知らせる歌は初演では風莉じんさんの歌唱力に驚いた記憶がありますが、若翔さんもぶれることなく素晴らしかったです。こんなに歌える人とは知りませんでした。
「バルセロナの悲劇」でラパッショナリア役の留依蒔世さんと一緒に歌うところは聞いていて高揚しました。歌うまさんが合わさるとこうなるの??と。
あの場面はコーラスも最高で、その押し寄せるような歌声のうねりに涙を流して聴いていました。

故郷バルセロナを愛するヴィセントのソロ曲「俺にはできない」は、初演の「それでーもーおーれはのーこるー大切なーものをまーもるーためー」のほうがインパクトあって(いろんな意味で)わかりやすかったなぁと思います。
初演でヴィセントは脳みそ筋肉だけど愛すべき人、と強くインプットされている私はムラの初見で大いに混乱してしまいました。

ヴィセントは初演では2番手の役にしてはそこまで大きな役という印象ではなかったので(アギラールのほうが2番手っぽい役だなと思っていました)、ベテラン2番手芹香斗亜さんのために書き足しされるんじゃないかなーと思っていたのですが、場面として大きな書き足しはされていなかったようでした。
いちばん変わったと思ったのはソロ曲「俺にはできない」が、メロディも歌詞も別物になっていたこと。
ほかはココナツ・グルーヴの登場の場面で「オーレ!」と決めポーズをするだけだったところで、1フレーズ歌が入ったとかそんな感じ。戦場の場面が増えてくれたらいいなぁなんて思っていたのですが。

場面を増やさないかわりに、芹香さんのためにソロ曲で銀橋を渡ることにしたのだなと思うんですけど(初演では銀橋は渡っていないので)、そうするためには初演のナンバーでは長さが足りないし、芹香さんの歌唱力を活かすべくワイルドホーン氏に歌いあげ系の新曲を書いてもらったのだろうな。
曲のタイトルはそのまま、メロディアスな曲調に。歌詞も内容はほぼそのまま言葉数が倍以上増えてより抒情的に、感傷的になっていました。
そのためヴィセントという人が謎な人物になったように私には感じられました。

あの場面は、闘牛士たちがバックヤードで「闘牛の中心地のセビリアが反乱軍の手に落ちた」「俺たち闘牛士はこれからどうなる」と喧々囂々と言い合って「闘牛を続けるためになんとかして南部へ行こう」という話で纏まりつつある中で、ベンチに座ったままずっと黙りこくっていたヴィセントが「俺の生まれはバルセロナ」「俺は残る二度と闘牛できなくても」と闘牛士仲間と行動を共にしないで1人残ってバルセロナで反乱軍と戦う決意を言い放つんですよね。

「敵と味方か」ともヴィセントは言ってる。
闘牛士というのは王侯貴族や伝統と深く結びついている職業なのでしょう。
反乱軍は、社会主義国となったスペインで既得権益を失ってしまった王侯貴族や教会、ブルジョワたちに支持されて勢力を強めていったわけで、闘牛士たちはそうした反乱軍を支持する人びとの庇護下に入るために南部へ下ろうとしているということなのではと思います。
だからヴィセントの「俺にはできない」に繋がるんだと思うんですが、脚本上それに少しも言及しないので1人ヒロイックな妄想に耽って歌っているみたいな印象をうけてしまいました。

ヴィセントってジョルジュのことを子や孫に語り継ぎ、その命ともいえるカメラを、ジョルジュとキャサリンのあいだに宿った命に連なる孫のペギーに受け継ぐとても意味深いところを担うなど、ファンクションとしての役割は重要なのに、人物の肉付けや整合性に粗さが否めない描かれ方をしているので演じる芹香さんも作り上げるのに苦労したのではないかな。

セビリアはフランコ将軍たちが蜂起したモロッコからは目と鼻の先のスペイン南部の都市で、バルセロナはスペイン北部のフランス国境と接したカタルーニャ地方にある都市。整備された道路を通ってもおよそ1000Kmちかい道程。(Google map調べ)
セビリア生まれのファン(真名瀬みらさん)をはじめ、ホアキン(秋音光さん)、ラモン(秋奈るいさん)、カルロス(水香依千さん)、アントニオ(穂稀せりさん)、ペドロ(雪輝れんやさん)たちは、無事に戦火を掻い潜って南部に辿り着けたのでしょうか。

彼らにはイデオロギーなどどうでもよくて、純粋に人生を懸けた闘牛をつづけたいという一途な気持ちで命を懸けた行動を余儀なくされている。
どこをとっても戦争は残酷だと思います。
たとえそこに英雄がいたとしても美談にしてはいけないものだと思います。

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2022/04/17

ぼくはデラシネ。

4月8日に東京宝塚劇場にて宙組公演「NEVER SAY GOODBYE」を見てきました。

当初は東京公演の観劇は予定していなかったのですが、宝塚大劇場公演の上演日数が半減し私の観劇回数も大幅に減ってしまうとわかったので慌てて友の会の先行にエントリー。辛うじて1公演当選したので日帰り遠征と相成りました。

4月2日の東京公演初日から1週間ほどたったところでしたが、ムラの千秋楽より一段と凄いことになっていました。
舞台の上の誰もがこの瞬間に命を懸けている。そんな気迫を感じる舞台でした。

東京宝塚劇場はたしか昨年末にリニューアル工事をしたとのことですが、音響設備も変わったのかな?
セリフやソロ曲の聴こえが凄くいいなと思いました。逆にコーラスになると音を絞り過ぎてるんじゃないかな?と思うところも時々。
それでもどのコーラスナンバーも素晴らしくて、これを浴びるために来たのだと何度も舞台に向かって拝みたい気持ちになりました。
「バルセロナの悲劇」では歌声のうねりに圧倒されて気づくと涙が出ていました。

2幕のサンジョルディの祭り場面のジョルジュ(真風涼帆さん)とキャサリン(潤花さん)のデュエットダンスも息をのむほど美しくて光の中に溶けていってしまいそう・・と思っていたら自分の涙で滲んでいたせいでした。
舞台上の人びとに心を振るわせられどおしの観劇でした。

ジョルジュはココナツ・グルーヴで登場するときの雰囲気がムラで見た時と変わっていた気がしました。
足取りも軽やかで、真風さんには珍しく“チャラい”。銀橋でのソロの歌い方も変わった気がします。
都会のプレイボーイ感がすごく出ていて初演の和央ようかさんに寄っているかんじがしました。
それと真風さんかなり痩せられたかな?とも。

最初は軽くて軟派な印象だった彼が、ワルシャワの貧しい街角で育ち、内緒で故郷を飛び出しウィーンで苦学の末に賞をとり・・という思いがけない過去を語る効果はてきめん。知らず知らずその熱唱に引き込まれて聴き入っていました。ムラではこんなに歌詞を噛みしめて聴いてなかったな。

自分を根無し草だという彼にキャサリンが心をゆるしはじめているのも手に取るようにわかりました。これは恋に堕ちはじめているな。
と感じ入っているところに、さりげなく「ピーターって彼氏?」って訊いているのが耳に入ってきて、コノヒトハー!?ってなりました。
そういうところよね。カメラの腕ももちろん凄いんでしょうが、むしろ女性の扱いで上り詰めた人なんだなと思いました。
プレイボーイが生業みたいになっちゃっているんだな。
「ぼくはデラシネ」と過去の話をするのも手口だわね。マリブビーチに誘うのも。常套手段。

キャサリンはすっかり魅入られてしまっているみたいだなぁ。ジョルジュには彼女みたいな純粋な女性をぽうっとさせるのは朝飯前みたい。
そのくせ愛を鼻で嗤うような態度をとる。愛も女性も彼には重要ではない、とるに足らない人生のおまけみたいなものなんだろうなと思いました。
すくなくともこのときはそう感じていそう。

ムラで見た時に釈然としなかったのが、こんなに時代の先を行くような知的な人がなぜカメラを武器に持ち替えてヴィセント(芹香斗亜さん)たちと一緒に異国で戦う決意をするのかということでした。
結果あんまりジョルジュに好い印象を抱けなくて、今回もそうなるのかなと思ったのですが。豈図らんや。。。

今回感じたのは、彼は懸命に生きている1人の人間なんだなということでした。
「どんなに赤くルージュを引いても僕のこの眼は騙せない」
というけれど自分自身についてはどうなのかしら。
彼が自分を作らない女性に惹かれるのは、彼自身が自分を覆い隠して生きているからじゃないのかな。
あなたが女性に求めていることは、そのまま自分に求めていることなんじゃないの?と思いました。

見た目に反して、本当は田舎育ちのナイーブな人なんじゃないかな。とも感じて。
パリで出逢ったエレン(天彩峰里さん)は彼にはパリよりももっと都会から来た華やかで思ったことを臆せず口にする「自分を作らない人」に見えたのではないかしら。そんな彼女が魅力的に映ったのは肯ける気がします。

彼はとても苦労をしてきて生き抜くために過剰適応してしまった人に思えました。
そして時代の最先端を生きる都会的な人物に擬態していたのじゃないかな。
息を吐くようにキザにふるまったり口説き文句に近いことをさらりと言ったりと、とても優秀な人なので完璧に擬態できてしまっているけれど、心の奥の翳りが彼を苦しくさせているのではないかなとその姿を追いながら思いました。
それが彼の「人生の真実」探しにつながっているのかな。

そんな時にキャサリンに出逢ってしまった。
自分が涼しい笑顔の裏で誤魔化していることをずけずけと口にする女性。怒りの感情を素直に出せて、やりたいと思うことに猪突猛進できる人。そんなふうに生きて来れた人。
ジョルジュが彼女に惹かれるのもまた肯けました。
彼女の中に別の人生を生きてきた自分を見ているような眩しさを感じてる?
「おなじものを見ようとする」ことにこだわる理由も見えたような気がしました。
彼女はやっと出会えた自分、半身を得た感覚なんだろうなぁ。
そりゃあフィジカル的にも精神的にも高揚してしまうよなぁ。
「ぼくは君に出会うために生まれてきた」 
もう天国から音楽が降り注いでいましたね。

彼女との間に自他の区別がなくなっている状態のところに、彼女が彼女自身の意思で彼が望んでいないことをしようとする。
そりゃあ混乱してしまうよなぁ。このときの彼にとって彼女は自分なんだから。
いっときも離れがたい気持ちなのはわかります。彼女が自分とおなじテンションじゃないことに狼狽えるのも。
それを「男のエゴか」とか言っちゃうから誤解を招く。
ジョルジュが抱いているその気持ちには男も女もないものだから。自他を同一視して闇に落ちてしまうことはたとえば親子やファンとアイドルの間にも起こるものだから。
人は苦しみもがきながら他人も傷つけてしまう。

田舎の閉塞感に耐えきれずに都会に夢をもとめて飛び出したけれど、本当の自分の居場所をみつけられないまま自分を根無し草だと感じている。
そんな彼が、キャサリンに出会いその魂の中に、本来の自分を見出し取り戻す。
そうして自分の中にあった、無意識に蓋をしていた祖国と残してきた家族への罪悪感が、祖国ポーランドとおなじようにロシアとドイツの板挟みになっているスペインで戦っているヴィセントたちの姿をレンズを通して見ているうちに、かたちを成してきたのかなぁと思いました。
その贖いをしないと自分に筋を通すことができない。
祖国ポーランドを侵略しようとするナチスドイツ。
そのナチスドイツから軍事力の支援を受けてスペイン共和国を武力攻撃するフランコ将軍率いる反乱軍と戦うことは、彼にとって贖罪として整合性のとれることなんだろうなぁと思いました。
そこに自分自身の生きる意味を見出してしまった。
見た目のクールでリベラルな都会人とはかけ離れた、泥臭くてエモい人だったんだな。本来は。
他人も自分も欺いて生きてきて、このスペインでようやく真実の自分に辿り着いた。

彼は「人格者」でも聖人君主でもない。
迷える羊がやっと自分が属する群れをみつけたんだな。
「もうデラシネじゃあない」

「そしてその真実を共有できる君というひとに出会えた」
ちょっと待って? 
相変わらず自他の区別がついていないんだなぁ。
そのロジックはキャサリンを納得させるためのものではなくて、自分が満足するためのものだなぁ。

言われる側としては、そんな説明でどうして別れなくちゃいけないのか。になると思うんだけど。
でも彼を愛していて、デラシネであることがジョルジュの痛みだったことを知っているキャサリンには、やっと自分の生きる意味をみつけたというジョルジュを止めることはできないのだろうなぁ。
ホスピタリティ溢れるこの潤花ちゃんキャサリンは、彼を笑顔で見送ることが彼にとっての救いだという思いで受け入れたんだろうなぁと見ていて思いました。
その懐の深さに泣けました。

けっきょく自分の進む道を彼女にゆるされたことでジョルジュは救われたのだろうな。
あの瞬間がジョルジュには宝物なのだろうな。(キャサリンにはこれからの辛い現実のはじまりの瞬間だと思うけれど)

最後の最後まで女性に甘やかされて行ってしまった。
大人になって誰かを受容するのではなく少年の心のままで。
それともこれからの数か月で彼もまた誰かの心を受け容れ救ったかしら。
描かれていない時間をあれやこれやと想像してしまいます。

もう1人、ジョルジュが傷つけた女性エレン(天彩峰里ちゃん)。
彼の女性の好みは一貫して「自分を作らない人」だったのだろうと思います。
エレンもきっと心のままを口にし態度に出す人で、そういうところが眩しくて惹かれたのじゃないかなと思うけれども、でも彼女もまたハリウッドの美人女優という世間から求められる存在に擬態している人なのかもとも思います。
もしかしてエレンとジョルジュは似た者同士なんじゃないかなと。
だから一緒にいるのが辛くなったのじゃない?と。

そんなエレンの「真実」との乖離に彼が勝手にモヤっているところに、キャサリンに出遭ってしまったのだなぁ。
「あのひとのどこがわたしよりいいの?」と正面から問い質すエレンは、自分を作らない素敵な人だと思うけど。
そのプライドも素敵。
この再演のエレンが私はとっても好きで、会って話してみたいなぁ。一緒に大ジョルジュディスり大会を開催したいなぁと思ったりします。
キャサリンも参加してくれるなら大歓迎。

もしジョルジュがキャサリンとともに帰国して一緒に暮らしたとしても、彼があのまんまだったらいずれ大喧嘩になったんじゃないかな。
でも共に暮らして彼も彼女もすこしずつ変わって、しあわせに生涯を終える未来もあったはずだけど。
いま思うのは、どの選択もまちがいじゃない。
懸命に生きた人びとの物語だったなということです。

(感想を書いていたらあまりに長くなってしまったので、ジョルジュについてだけを残しました。ほかの部分はまたまとめられたらいいなぁ。でも千秋楽までに終わるかな・・)

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2022/04/06

And Music and Love and Romance.

3月28日と29日に梅田芸術劇場メインホールにて宝塚歌劇花組公演「TOP HAT」を見てきました。

見ているだけで幸福感に満たされる柚香光さんと星風まどかちゃんのデュエットダンスに夢見心地になりました。
いつまでも見ていたい。終わってしまわないで。そんな気持ちになりました。

恋するまどかちゃん(as デイル)、輝いてました。なんてまぁこんなに綺麗な女性になって(感嘆)。(研1さんから見ているもので感慨無量)
ジェリー役のれいちゃん(柚香さん)は組んでいる娘役さんを魅力的にする魔法をもっているみたい。
そして女性から平手打ちをされてこんなに素敵に見えるなんて只者じゃあないです。知ってたけど知ってた以上です。
毎晩夢で見たい2人だなぁ。目を閉じたられいちゃんとまどかちゃんが踊っている・・想像するだけで至福。

じつを言うと、初演を見ているのに1幕は細部をほとんど覚えていなくて、あれ?こんなだったっけ?そういえばこんなだったかも??などなど新鮮に見てしまいました。
CSで放送されることもなくて映像を見返すチャンスがなかったからかなぁ。
なんて思ったんですが、いやいやいや。2幕を見終わってわかりました。
たぶん初演の時も、2幕のまぁさま(朝夏まなとさん)とみりおん(実咲凜音さん)のダンスにうっとりして細かいことは全部忘れたんじゃないかな(笑)。あとは愛ちゃん(愛月ひかるさん)のべディーニの衝撃(笑)。
初演も再演もこの2幕のために1幕があったと言って過言じゃないかも。2幕を見たら1幕のことを忘れてしまう(笑)。

終演後に公演プログラム巻末の初演の写真を見て、あああこんなだった!と記憶がすこし戻りました。
かんたんな比較をすれば、宙組初演はシックでスタイリッシュで、花組再演版はキュートでスウィートかな。
(みりおんとまどかちゃんのドレスがまさにそんなかんじ)
初演はコメディが強めで、再演はロマンスが強めな印象かな。

翌日は劇場に着く前から楽しみで楽しみで。またあのペアダンスが見られるのかと思うと心ウキウキ顔面ニマニマしてました。(マスクよ今日もありがとう)
終演後は身も心もめろめろに溶けて液体になった私が客席の染みになっていたのではなかなと思います。
(送り出しのバンドが奏でる「TOP HAT, WHITE TIE~」を聞きながらなんとか人の形に戻れました)

ドリーミングな主演の2人に勝るとも劣らずラブリーだったのが、水美舞斗さんと音くり寿ちゃんが演じたホレス&マッジのカップル。
初演よりも若い役づくりだったかな。相手の言葉に対する表情などまだまだハネムーン感が漂ってました。
ホレスの貶し言葉に一瞬ズキッときてる表情のマッジにキュン。そこからさっと気を取り直して相手を貶す言葉を紡いでたような。
どこまでOKかまだまだ探り合いを残しているカップルの様子がちょっぴりスリリングで微笑ましかったです。
(初演はどこまでOKか熟知して戯れている大人のカップルだった記憶)

音くり寿ちゃんは芝居を引っ張る力があるなぁ。
デイル役のまどかちゃんと女同士の会話が面白くて可愛くて。2人同期ということもあって、なんか可愛い2人がわちゃわちゃしてる~♡ってとってもときめきました。
あんまり大人なマッジに作っていないところも効いていて、花組のこのキャストで演るならこれで正解な気がします。

れいちゃんジェリーと水美さんホレスのやりとりも同期ならではの気安さがいい感じに効いていました。
ジェリーってほんと自分本位でホレスの心配事に対しても上の空だったりするのに、そんなジェリーのために一生懸命になってくれるホレスってほんと好い人。
私の知らないところでホレスのために尽力してあげてないとジェリー許さんぞなレベルなのだけど、ホレス本人がいちばん気にしていなさそう。
とっても良いお金持ち。
デイルがハネムーンスイートに押し掛けてきた時のヘアーキャップとガウン姿のあれやこれ最高でした。

初演で愛月ひかるさんが怪演したべディーニ役の帆純まひろさん、面白可愛かったです。
デイルのことを真剣に幸せにしてあげようとしてたような気がします。人の好さが滲み出ててラストはちょっとお気の毒な気持ちになりました。
(初演の愛月べディーニは俺様感と変人感が強かったんだなと再認識・・笑)
「雨に唄えば」のリナ・ラモントにしてもこの「TOP HAT」のべディーニにしても、主人公たちのライバルがとんでもない目に遭わされながらも反撃しないから大団円で終われるんだけど、宝塚で上演するとなんともいえない後味も残るなぁ。演じた人への愛着もあるからかなぁ。

ハネムーンスイートで服を脱いでいく場面、スーツの下に着ているのは派手なインナーってことでいいのかな。
28日はイタリアのトリコローレにべディーニの顔入りで、29日マチネは甲冑の柄のようでした(騎士っぽいアドリブ付)。
デイルにあんな素敵なドレスをデザインする人なのに、自分のインナーはこうなの? 
盛り上がる場面にしたいのだろうけど方向性に疑問も感じました。
おなじことをやったとしても初演の衝撃は超えられないと思うし、だからといってエスカレーションするべきではないし、宝塚歌劇にとってもタカラジェンヌにとってもメリットがない気がして。

ベイツ役の輝月ゆうまさん、「プロミセス・プロミセス」に続いて特別出演を見ることができました。
不自然な役を自然に演じてるというか、客席に見せないといけないところは見せつつ、邪魔になってはならないところでは存在感を出さない、その塩梅が巧いなぁと思いました。
場面とリンクしないことを滔々としゃべる役でもあるので、何を言っているのかわからないと笑えなくなるのだけど、言葉がはっきりしていてセリフが生きていました。
大団円にもっていく場面も気持ちよかったです。

あと気になってプログラムでお名前を確認したのが2幕冒頭のウェイター役の愛乃一真さん。(で合ってるかな)
デイルに積極的にコナを掛けにくるかんじがイタリアーノらしくって、ベニスに来たんだなぁ感がしてニヤついてしまいました。
しかもいちいちキザな身振りで花組を見ている満足感もありました。美味しい役をここぞと愉しんでいるなぁ。
大劇場公演ではどんな役をされているのかな。

2幕は冒頭から、音楽もダンスも楽しくてここは天国なんじゃないかな?と思いました。「ピコリーノ」大好き。いよいよはじまるぞってかんじ。
ホテル・ベネチアのぜんぶが好きです。歌もダンスも小芝居も。タカラジェンヌの尊さをひしひしと感じる場面でした。

ここからラストまで名場面、名曲の連続で目も耳も心も大忙しでした。
いまの花組で「TOP HAT」を演ろうと思った人は天才だと思います。

(そして翌日私はドラマシティに花組別チームの「冬霞の巴里」を見に行きました。。。同じ場所の上と下で。。。花組の恐ろしさを思い知る私。。。)

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2022/03/23

OPEN YOUR EYES.

3月19日に博多座にて、ミュージカル「笑う男」を見てきました。

3年前に北九州ソレイユホールで日本初演を見て、とても惹かれるものがあったのですが消化不良も感じて、再演があったら見たいなぁと思っていました。

今回は博多座で上演されると知って公演日程を確認したところ、3回目の新型コロナワクチン接種や観劇遠征が重なる時期で前売りを買うことができないまま初日が開けてしまい、ワクチン接種の前日に「今日しかない」と意を決して博多座へ。当日券で観劇することができました。(2階前方ドセンのまったく私好みの席を買えてラッキーでした♡)
ワクチン接種後のぼんやりした頭でこれを書いています。

初演で惹かれたのは、山口祐一郎さんのウルシュス。そして夢咲ねねさんのデアでした。
この世界は残酷だと繰り返し言いながらもその言葉に反して、1人では生きる術をもたないデアを大切に育てるウルシュスの心のうちに惹かれました。
夢咲さんのデアは天使でした。猥雑な見世物小屋にいながら。見世物小屋の仲間たちもまた彼女を大切にしているのを見るのが泣きたくなるほど好きでした。

今回は博多座ということで、セリが上がり盆が回りとてもスペクタクルになっていました。
漠然と見えていた初演より、場面の見せどころがわかりやすくなったかなと思います。

とくにジョシアナ公爵(大塚千弘さん)の心の変遷がよく見えるようになったなぁと思いました。それによって本当の化け物は誰なのかがはっきり見えたなぁと。
なにもかもを持っていながら、自分の意に沿わないことを受け容れないとそれを享受できない苛立ち、自分が選べるものといったら火遊びの相手くらい。貴族社会の欺瞞を嫌悪しているのにそこから逃れられない。彼女はもっとも現代人の感覚に近い人だなと思いました。

吉野圭吾さんのデヴィッド・デイリー・ムーア卿も面白かったです。
彼はジョシアナ公爵が嫌悪しているものが欲しくてたまらない人なんだなぁ。庶子に生まれたばかりに手に入れられなかったものに執着してやまない人。そのためにはどんな卑劣な行為も正当化できてしまう。だって神様が恵んでくれなかったものを自分で手に入れてなにが悪いって思っていそう。神様への意趣返しの気持ちもあるのかも。
生まれながらにして手にしていた兄やジョシアナ公爵にはわからない気持ちかなと思いました。

石川禅さん演じるフェドロは、貴族たちに仕える身分でありながらどうやって彼らを思いのままに動かそうかと耽々と状況を見据えているのが面白いなぁと思いました。
自分に有利なカードを手に入れるためならなんだってするし、手に入れたカードは最大限に利用する。要らなくなったカードに情をかけることもない。単純な貴族たちを手玉にとって生き抜いていく人間なんだなぁ。はしこく慇懃に悪びれず裏切ったり味方になったり、すべては利で動いている。

富める側にいながらも心の飢えに喘ぐ人びとと、貧しくもいたわり合う見世物小屋の人びととの対比がそこには描かれているなと思いました。

ウルシュス(山口祐一郎さん)は、生まれの不幸や見た目の醜さを受け容れろと説く。
醜さを売り物にして、見る者の好奇心と優越感を満たし安堵と嘲笑をお金に換えて糧とする。

盲目のデア(真彩希帆さん)には彼らの見た目の醜さはわからない。彼らの心だけを見てその優しさに触れ1人1人を尊い人として接する。
おそらく醜い見た目ゆえに生まれた場所から弾き飛ばされてこの見世物小屋に辿り着いた彼らにとって、そんなデアは天使なのだと思いました。
白い衣を着せて髪を編んであげて。デアに自分には叶えられなかった夢を見ているのだと。デアが悲しむと彼らにとっては一大事。

そんな彼らの中で、グウィンプレン(浦井健治さん)だけは自分の見た目と自尊心の狭間で苦しんでいる。
それはウルシュスから愛情をかけて育てられたことと無関係ではないと思います。
そして目の前の美しいデアを愛しているから。
美しいデアに相応しい者になれるのではないかという夢を見てしまうからかなぁと思いました。
無残な現実から手の届かないところにある理想を求める姿は、とても若者らしくて愛おしくて悲しく思えました。

私は、ウルシュスとグウィンプレンが出逢った時の場面が大好きで、なんどもその場面の記憶を反芻してしまいます。
貨車を住処にし食べ物も満足にない1人暮らしのウルシュスのもとに飢えて凍えて辿り着いた子どものグウィンプレンに、鍋の中の腐ったじゃがいもを与えようとしたけれど、けっきょくは隠したパンを渡してしまう場面。
利己を考えて逡巡するけれど無慈悲になりきれないウルシュスがとても好きでした。
フェドロとは真逆だなぁと。
私にはウルシュスが希望に思えます。

ウルシュスが、この世界は残酷だ、自分以外は敵だ、信じられるのは自分だけと説くのは、彼なりの優しさなのだと思います。
グウィンプレンが他人に、人生に期待して傷つかないように、心を砕いて先回りして忠告しているのだと。
そういう彼自身が、グウィンプレンに無償の愛を注いで育ててきたのだから、彼の忠告はとても矛盾してる。
グウィンプレンに彼の忠告が実感できないのも当然だと思います。
極貧の暮らしだったけれど、愛されて育った子どもだったから。

ウルシュスのもとから飛び出して貴族社会に身を置いてみて、はじめてグウィンプレンは愛のない世界を知ったのだと思います。
愛を訴えても誰の心にも響かない虚しさを知ったのだと思います。
そして自分が育った場所がどれだけ愛と幸福に満ちていたかを。

自分の帰りを泣いて喜んでくれるウルシュス、仲間たち、そしてデア。
彼は愛されている。そのことがすべて。
自分の腕の中で逝ったデアを追うのはその幸福感ゆえなんだと思いました。

あなたに愛されてグウィンプレンもデアも幸せだったのだと、ウルシュスに伝えてあげたい。
そんな気持ちになるラストでした。

再再演があるならまた見に行きたいと思います。
貴族院の場面は、いま以上に彼ら貴族が醜悪に見える演出になるといいなぁ。この世界の残酷さがここに極まったくらいに。
グウィンプレンの心が一度屍になってしまうくらいに。
いっそうのブラッシュアップを期待したいと思います。

この地上がたくさんのウルシュスが生きる世界でありますように。

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2022/03/18

ぼくが見ているものを見ようとする。

3月14日に宝塚大劇場にて宙組公演「NEVER SAY GOODBYE」千秋楽を見てきました。

1週間前に見たときよりさらに、別のスイッチが入ったのかとさえ思うくらいの迫力ある宙組のコーラスを浴びることができました。
今回の舞台の主役は、このコーラスであり、宙組生全員だと思います。1人1人から発せられるパワーと音が合わさって生まれるハーモニーに圧倒されました。

終演後は目の周りがカピカピになっていました。
この作品に心を揺さぶられた後だったから、退団する5名の挨拶そして真風さんの言葉がいっそう胸に響いたのだと思います。
いつの間にか退団者が袴で大階段を降りて客席からの拍手を浴びることが当たり前のことではないのだと思う世の中になっていて、そんないま、この奇跡の瞬間をみんなで分ちあっていることになんともいえない気持ちが溢れました。
この瞬間が幻と消えてしまわないで本当に良かったです。春瀬さん、瀬戸花さん、水香さん、穂稀さん、愛海さん、大劇場ご卒業おめでとうございます。

楽曲もアレンジも素晴らしいなぁと思い、舞台でいまこの瞬間に湧きあがるコーラスに心を振るわせられつつも、冷静な自分が「おそらく私は一生ジョルジュとはわかりあえそうにないなぁ」と思ってもいました。
これは1人のエゴイストの生き様を描いた作品なんだなぁと思いました。

サグラダファミリアの外でエレンがジョルジュを問い詰める場面、エレン役の天彩峰里ちゃんに私は釘付けでした。
激しい言葉で詰るように歌いながらその心がジョルジュの愛を切望しているのが痛いほどつたわる天彩峰里ちゃんの熱演にこちらが泣きそうになりました。
よくこんな主人公がサイテーに見える場面を作ったなぁ。そのことにこそ価値がある場面だなぁと思ました。

「あのひとのどこがわたしよりいいの?」「ぼくが見ているものを見ようとする」
でも、彼女(キャサリン)が見ようとするものを、彼が見ようとはしないってことも私はもう知ってる。
彼にとって大事なのは「ぼくが見ているもの」だけだって。
自分に正直に求めるものを追いかけてそのためには人も傷つける。そういう人間の生き様が描かれているのだなぁと思います。

上昇志向だったパリ時代は、エレンも「ぼくが見ているもの」を見ている人だったのだと思います。高みを目指して彼女を追って新世界に渡ってきた。
あらゆるプライズを手に入れて何不自由のない身分になるともっと別のものに、華やかで享楽的なハリウッドでは見いだせないものが見たくなった。それを「人生の真実」と彼は言う。
エレンとはもう「見ているもの」がちがってしまった。

そんなときに、彼と同じように「人生の真実」をみつけようとしているというキャサリンと出逢う。
彼の理屈では、そんなキャサリンに気持ちが移るのは当然のことなんでしょう。
「君を傷つけたなら殴られてもいい」
人を傷つけたとしても自分が望むものを追い求める。心底自分に正直なエゴイストなんだなぁ彼は。

そしてキャサリンの視線が「ぼくが見ているもの」から逸れていくのを感じると、「彼女のどこに恋したのだろう?」と自問しはじめる。
やるべきことをみつけたという彼女を引き留めて、そばにいてほしいと思う。
でもそれを彼女に言うのはプライドがゆるさない。と葛藤する。
どこまでも勝手な人だなぁ。

「ぼく自身のプライドが」だとか「男のエゴイズムか」だとか四の五の言って彼女とのあいだに「渡れない河」を作っているのは彼自身でしょうに。
彼女を引き止める理由やそうしたい気持ちがあるのなら、それを言葉にすればいいのに、男のエゴイズムだと言われるのはプライドが傷つくから、必死になって引き止めたりはしない。
みっともないことはしたくない。
いっそ清々しいくらいのエゴイズムと自己愛。それこそがジョルジュの本質なんだなぁ。

さらに「ぼくが見ているもの」は変わっていき、キャサリンとも共有できないものになる。
自分がやりたいことをやるためには彼女が足手まといなのだけど、それをさとられるのは沽券にかかわる。
「だから——言いはしないサヨナラだけは、NEVER SAY GOODBYE」
そう言って自分の命だというフィルムを彼女に預ける。とても共有したとは思えない「人生の真実」を君と共有できたという。
欺瞞だなぁ。詭弁家だなぁ。

結局は男としてヴィセントたちに劣りたくないからキャサリンを残して前線に向かうのでしょうに。
子どもができるような関係になった女性と一緒に生き抜く未来ではなく、男同士の社会で誹られない自分になるほうを選びたくなったから。

ヴィセントはもともとそういう側の人間で、オリンピアーダたちとは共に闘う中で絆を深めていった。その仲間意識に憧れて、その絆から弾き出される疎外感に耐え切れず、その一体感に身を置く安心感を選んだ。そんなふうに私には見えました。 
それを「人生の真実」という言葉で誤魔化しているように。

リベラルを気取って知的で洗練された男性として生きてきたけど、自分を解放して本当にになりたい自分を突き詰めたら、女性を粗野に扱って荒々しく生きたい願望にぶち当たったんだな。

自分がやりたいことをするために別れようとしていること。なのにこれはサヨナラじゃないと言うこと。
ジョルジュは自分を正当化できていると思っているかもしれないけれど、潤花ちゃん演じるキャサリンはすべて見透かしたうえで、そのほうが2人にとってベターなんだと理解したから、受け入れたように見えました。

そういうところに男女のリアリティを醸し出すコンビだなぁと思います。
ロマンよりも真実を、このトップコンビに感じました。
面白い2人だなぁと。
男の真実を見せる真風さんと、人間のエゴイズムを包み込むそのホスピタリティが魅力の潤花ちゃん。
それぞれに1人で立っていることができる2人だからこその世界観。
初演のコンビが見せた悲壮感とは、見えるものがだいぶ違うなぁ。

そこまでの人間ドラマは面白かったのですが、その後の描き方がやっぱり物足りなかったなぁ。
私は塹壕の中で交わされるジョルジュとヴィセントとの深い友情の場面とか見たかったなぁ。ヴィセントが孫に語ったジョルジュの勇敢さとか、そりゃあ孫に語るわって納得できる場面を。
もっとヴィセントやオリンピアーダたちとの場面を書き込んで見せてくれたらなぁと。

初演は伝説のトップコンビの退団作品として、2人の別れの場面に全集中だったのは当然だし、そのシチュエーションだけで納得してしまえた部分はあったけれど。
再演にあたって、初演でも薄々感じていた2幕後半の作劇の薄さをもうすこしどうにかしてくれたらよかったのになぁ。
再演は初舞台公演でもないし、加筆してくれると期待したのになぁ。

余談ですが、キャサリンの「私は離婚経験者で、恋愛は3回、あなたで4人目」・・初演では花總さんにそれを言わせるんかい?でしたが(おそらくあえて言わせたなと)、再演ではジョルジュの「ぼくは君に会うために生まれてきた」にあーそれ言っちゃう?って思ってしまいました。
これに関してはジョルジュは悪くないし、当然真風さんも悪くない。(悪いのは小池修一郎)


芹香斗亜さんは、初演の大和悠河さんが演じた如何にもな「ハリウッドが期待するスペインのマタドール」(ラテンラバーとして華やかに登場)かつ「英米人から見たスペイン人」(好意を示すのも怒りをぶつけるのも直情的な人物)とはだいぶ異なるヴィセントを作っているなぁと思いました。

再演で追加されたソロ曲によるところも大きいですが、かなりペシミスティックで感傷的な印象を受けました。
初演だと、ジョルジュと真逆の人生を生きてきたキャラクターという対比が見えていましたが、今回はそんなに単純な感じではなさそうでした。

それゆえ、2幕でジョルジュにキレるところが、えええっそんなことを言う人には見えなかったのに~って思いました。じつは本心では誰にも心をゆるしていないのかしらこの人は?と。
大和ヴィセントは単純に、戦況思わしくなくイライラが募っている矢先にタリックのこともあり、心の闇をぶちまけてしまったんだなぁと見えたのですが。
そして彼が本音をぶつけたことでジョルジュも自分がずっと抱えてきたことを吐き出せたってかんじで、かえって雨降って地固まった印象で、とても単純な流れに見えたんですが。
再演ではそうは見えませんでした。

このシーンはもっと何度も見て考察してみたかったなぁ。返す返すも公演期間が短くなったことが口惜しいです。
オリンピアーダたちのことも、もっと1人1人注目して見たかったです。見えたものがたくさんあっただろうなぁ。
(Blu-rayを買い求めるしかないかぁ。この千秋楽が収録されているというのが唯一の救いかも)

私が持っている東京公演のチケットは1枚だけ。
あとは東京千秋楽を配信で見るのみ。
どうかどうかこれ以上見られる機会が減ることがありませんように。
退団する方たちが幸せに千秋楽を迎えられますように。切に祈っています。

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