カテゴリー「♖ ミュージカル」の116件の記事

2023/06/03

グッナイ誰かさん。

5月28日に博多座にてミュージカル「ザ・ミュージック・マン」を見てきました。

初めて見たはずだけど知ってる。そんなストーリーでした。
映画を見たことがあるのか翻案のなにかを見たことがあるのか。
閉塞感漂う田舎町に胡散臭い来訪者が滞在して町の雰囲気が好転するというストーリーに既視感があるのか。
騙る男とお堅い女性のロマンスも最近なんども見ている気がします。

1957年の初演当時「ウエストサイドストーリー」よりも多くの演劇賞を受賞したという作品紹介に期待したのだけど、そっかそうだよね。
胸を抉る社会派バッドエンドより皆が笑顔のハッピーエンドが多くの人に支持されたのね。
純朴で保守的なアメリカの物語に安心したい人たちに。
でもこれをハッピーエンドと思ってよいのか私には疑問でした。

主人公にしつこくつき纏われるヒロインが気の毒だったし、怒ると揶揄されるのもなんだかなだったし。
なにが目的かもわからない男性が娘のまわりをうろついているのを喜ぶ母親とか地獄だなと思いました。娘を早く結婚させたい、男と名の付くものと伴侶にさせたい、それがあるべき姿だと信じているらしくて。

南部が舞台の物語だと娘の親は相手の男性の属性や資産にこだわる印象があったのですが、このヒロインの母親にはそれが微塵もなくて、むしろそれが恐ろしくもありました。慎ましく夫や家族に愛情を尽くし結婚がもたらす苦労を受け容れそこに喜びを見出すのがあるべき姿だと信じているようで。とてもピューリタン的といいますか、アイオワ(中西部)が物語の舞台というのも関係があるのでしょうか。(劇中で母親はアイルランド系だと言っているのでカトリックかもしれないのだけど)。

まだ10歳くらいの少女でさえも自分に相応しい相手を狭い町の中で見繕って行動しているのもなんというかぞわぞわしました。「おやすみなさいを言う相手」がいないかもしれない未来を仮想して嘆いてみたり。
独身の女性は不幸だと小さいうちから刷り込まれているのだなぁ。そしてそんな町なのだなぁと。
それを前提にして見ていかないといけないのかと、物語の最初から気持ちが暗澹としてしまいました。

若い娘の関心事はいつプロポーズされるかで、既婚女性の娯楽は噂話。ヒロインが小説を読むことさえ不品行だと非難されるコミュニティ。
そんな狭くて閉塞感のある町で26歳で未婚のヒロインは変わり者と思われているし噂に尾ひれがついて不適切な過去があるとも囁かれている。
見ているだけで具合が悪くなりそうな世界観。
そういうところに風刺を込めて演出することも可能なのに、ふんわりで終わらせている。ヒロインが「まだ未婚」なことや別のキャラクターの恐妻ぶりで笑いが起きていることからしても、むしろその価値観を受容した上で見せているのだなと思いました。
だからこそ、ヒロインが主人公を受け容れたことがハッピーエンドだと受け止められるのだと思いました。
ヒロインが主体的に主人公に惹かれて愛していく様を描くこともできるはずなのに(途中でベクトルの方向が逆になっていくともっと楽しそうなのに)中途半端な気がして残念でした。

不寛容で閉塞感漂う町を図らずも詐欺師の主人公が変えていくというストーリーなのだけども。
変わったようで変わっていないんじゃないかなと見終わって思いました。
マーチングバンドを手に入れていまは活気づいたけれど価値観はそのままで。
主人公さえも取り込んで、町は元に戻っていきそう。そんな怖さを感じました。
詐欺に遭ったのは私かもとそんなもやもやが残りました。


ハロルド・ヒル教授(坂本昌行)
プレゼン能力が高くて人々に夢を見せるのが巧い。まさに夢を売る男。その夢の対価として相応しい金額ならこれはこれでOKなんじゃない?と思いました。いままで彼が嫌われてきたのは夢が最高潮に達した時にトンヅラ、売り逃げしていたからですよね。それらしい指導者を招聘できていたらこれは成功するビジネスモデルでは。
むしろこんな才能のある彼がこれまで詐欺をやっていたことが気になりました。きっかけとか動機とか。坂本さん演じるヒル教授は根っからの悪人には見えないのでなにか過去がありそうで、それを知りたく思いました。
約10年ぶりに見た坂本昌行さん、肩ひじ張らず自然体で主役なのが素敵。声が良くてセリフが聞きやすくて難しい歌もするっと歌えていまここに生きている人という感じでした。
とても真摯なものを感じさせる方で、この人が悪い人のはずがない絶対トンヅラなんてできるはずがないと思って見ていました。詐欺をしていたのは彼の方なのに、町に残った彼を糾弾する町の人々のほうが邪悪にすら思えた不思議。(彼に肩入れして見ていたからかな)

マリアン・パル―(花乃まりあ)
凛として透明感があって素敵な女性。彼女の価値観や生きる姿勢が周囲に理解されないのが気の毒で胸が痛みました。
詐欺を働く男性と譲れない理想がある女性。そんな2人が相手に何を見出したのかそこがわからず仕舞いだったのが残念だったなぁ。
ヒル教授の正体を暴こうとするカウエルを阻止しようとする場面、それまでのお堅い雰囲気からいきなりコミカルになるところが好きでした。(ちょっとWMWのエマを思い出してしまいニヤケました)
10年前博多座で「銀河英雄伝説」のユリアン役ではじめて知った花乃まりあさんをまた博多座で見ることができてうれしかったです。(あのときの美少年がこんなに素敵なヒロインに)

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2023/04/10

愛にすべてを。

3月29日にシアタードラマシティにて宝塚歌劇星組公演「Le Rouge et le Noir ~赤と黒~」をマチソワしてきました。
ドラマシティでの前楽と千穐楽でした。

前日に上階の梅田芸術劇場メインホールで宝塚歌劇星組全国ツアー公演「バレンシアの熱い花」と「パッション・ダムール・アゲイン!」を観劇してからのこのフレンチロックオペラ「赤と黒」の観劇は宝塚歌劇の懐の深さを再確認するこのうえない体験となりました。

柴田先生&寺田先生による歌劇と岡田先生&吉﨑先生によるロマンチックレヴューという20世紀の伝統芸能とも呼ぶべき宝塚と、21世紀のまさに今2020年代の進化する宝塚の両方の公演を同じ建物内の上と下で、同じ星組公演で見られたことに興奮しました。

およそ半年前に次の星組の別箱公演が礼真琴さん主演でフレンチロックミュージカルの初演目と知り、これは絶対に見に行きたいと思いました。
2019年のプレお披露目公演「ロックオペラ モーツァルト」、2020年の「ロミオとジュリエット」と礼さんにかかるとフレンチミュージカルのナンバーはとてつもなく輝くということを経験していましたから。
いつか礼さんロナンで「1789」を見てみたいとずっと思っていて、それも次回の大劇場公演で叶うことになったのですが、その前にシアター・ドラマシティで別のフレンチロックミュージカルが見られるなんてと期待が高まりました。

今回は実際の観劇に先立ちライブ配信を見る機会があったのですが、コスパ良くまとめられた脚本でストーリー展開自体ににドキドキ感があるタイプの作品ではなかったため集中して見ることができませんでした。
いちばんの敗因は家族に遠慮して音量を控えていたためだと思うのです。
これは劇場で生の音楽を浴びなくてはと意気込んで劇場に足を運んだのですが、想像を超えるものを体感できました。

ロックコンサートのような音響にぴたりとハマるヴォーカルと巧みな歌唱。このグルーヴ。
そうそうそう。これこれこれ。
これを聴きたかったんだと思いました。
レナーテ夫人とのデュエットの時のリズムの刻み方など最高でした。

レナーテ夫人役の有沙瞳さん、マチルド役の詩ちづるさんも素晴らしかったです。
小説「赤と黒」を読んだのはかなり若い頃だったので、レナーテ夫人に同情はしたけれどマチルドのわがまま娘ぶりには反感を持っていたのだったなぁ。
いまだったら絶対に好きになっていたなぁ。などと思い詩ちづるさんのマチルドから目が離せませんでした。

ストーリー的にはジュリアンの家族や神学校のくだりが割愛されているので、彼の孤独や心の屈折、社会への復讐にもちかい野望などは見えなくなっていて、私のイメージしていたジュリアンとは印象が違うかなと思いました。
この作品で礼さんが演じるジュリアンは内省的で純粋な面が強く出ていました。
赤と黒の意味も、よく言われる勇者(レポレオン)/名誉の赤、聖職者/野心の黒ではなく、彼の内面を象徴するもののようでした。

礼さんは柴田侑宏先生がスタンダールの「赤と黒」を翻案してつくられた「アルジェの男」という作品でも主人公のジュリアンという貧しく荒れた生き方からその才を有力者に引き立てられ野望を抱いて階級社会を駆け上がっていく青年を演じていましたが、この「アルジェの男」の主人公が野心のためには躊躇なく女性の心を利用していたのに対し、今回のジュリアンはレナーテ夫人やマチルドの本心を疑い懊悩するところが新鮮でした。
人を信じられず女性に惹かれるも彼女たちを征服する(愛情の上で優位に立つ)ことで安堵しているところは、孤独な生い立ちを反映しているなぁと思いました。

1曲1曲が長尺のフレンチロックのミュージカルナンバーをクールにエネルギッシュに聴かせるという大仕事をやりながら、ナンバーに尺を取られた分紙芝居のように次々に変わっていく場面と場面を表情や身体表現といった非言語で表現し繋いでいく礼さんの凄さ。
とくに「間」、絶妙な呼吸とセンス、それらを自在にコントロールできる身体能力の高さによって表現される歌、ダンス、芝居に浸る至福を味わいました。
この礼さんに食らいついている星組生も凄い。

物語の終わりにジェロニモがジュリアンの生き様をどう思うかと観客に問いますが、前日に「バレンシアの熱い花」を見ているだけに、それを階級社会と秩序に結び付けて考えずにいられませんでした。

「バレンシアの熱い花」の主人公フェルナンドが終始、階級社会に疑問を抱かず生きているのに対して、ジュリアンは階級社会に生きる人々の欺瞞と腐敗を嫌悪し軽蔑している。それは持たざる者として生まれて異分子として上流社会に生きているからこその視点だと思います。
上流社会の欺瞞と空虚さに辟易とし不満を言い募る令嬢マチルドと共鳴しながらも最終的に彼女ではなかったのは、決定的に相容れないなにかがあったからではと思います。彼を救うためとはいえ目的のためにはお金に糸目をつけない彼女のやり方に遣る瀬無さそうな目をしたジュリアンが印象に残ります。
彼女がジュリアンの無罪を勝ち取ろうとするのは彼女自身の名誉のためでもある。マチルド・ド・ラ・モールの名に懸けてと。それ自体は悪いことではないけれど、ジュリアンを満たすものではなかったということなんだろうなぁ。
すべてを持っていたゆえに欠け落ちたピースを埋めるために行動した者と、持たざるがゆえにすべてを求めた者。

なにも持たないからすべてを手に入れようとした。
地位もお金も名誉も持っていなかったものすべてがその手の中に入る直前に、自分が本当に望んでいたものはレナーテ夫人の愛だったと悟るジュリアン。
彼のために駆け落ちも厭わず彼の無罪を勝ち取るために奔走するマチルドの愛とそれはどうちがうのか、それがわかればジュリアンが欲していたものの正体がわかるのだろうなと思います。

「なんという目で僕を見るんだ」と懊悩するジュリアンが見ていたレナーテ夫人の瞳とはどんなものだったのだろう。そこに答えがある気がしてなりません。
小さきものを見る憐憫か慈愛か、ジュリアンのコンプレックスを大いに刺激しつつも悩ませた目。
彼が望んだ「すべて」とは。自分を愛する者の瞳に映る自分なのかなと。

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2023/03/15

よか夢見んしゃい (and all you've got to do is dream)

3月14日に博多座にてミュージカル「DREAMGIRLS」を見てきました。

とにかく聴かせる作品、ハイレベルの歌唱力をもったパフォーマーたちによるパワフルでソウルフルな舞台でした。冒頭からセリフの一声の張りも凄くて思わず笑ってしまい期待が高まりました。
チアフルなステージナンバーからバックステージの言い争いの歌へと自然に、迫力の歌声はそのままで繋がっていくところなど凄かったです。
劇中ナンバーでは「Steppin' To The Bad Side」のノリが好きでした。

ストーリー的にはエピソード不足かなと思いました。それを補うためにか言葉攻めみたいになっている箇所がいくつかあったのが可笑しかったです。
ジミーがドラッグをやっていたというのも告白で初めて知ったし。
エフィの体調不良の理由も見終わってからあれってそうだったの?と。
ディーナがエフィに電話しようとしていたのも知らなかったよーだったし。だからラストでどんな気持ちでエフィと向かい合っているのかドキドキしました。
デビュー前からのメンバー3人の繋がりとか、エフィがディーナと仲違いする理由とか、和解に至るところとかの脚本的書き込みがもっとあると感動的なんだろうなと思うけど、ミュージカルナンバーの披露に重きを置いているので仕方がないのかな。
1幕終演後にお隣の方が涙を流していらして、曰く映画を見ているのでエフィの気持ちを思うと涙が出てしまったとのことでした。

最初のオーディションの時からエフィの歌声がR&Bに向いているパワフルで深みのある声なのがわかって、彼女がセンターなのも彼女がイニシアティブをとるのも(みんなが彼女の顔色をうかがうのも)理解できました。
そういうところからも、セリフよりパフォーマンスで客席を納得させる方向なのかなと。

グループのデビューにあたってカーティスがディーナをセンターにすると決めたという流れの時は、大丈夫かな?と思ったのですが、それまで地味に見えていたディーナなのに、センターで歌うとさすがの真ん中力だったのでたしかにセンターに立つべき人だったよねとそれも納得。
歌うときのふとしたキメとかちょっと腕を動かすだけでも華がありましたし、撮影シーンのスター仕草もさすがでした。個人的には背中の開いたドレスのバックスタイルがたいそう素敵で好きでした。
雰囲気もうちょっとセクシーでもいいのかなぁと思うけれど、ちょっとでも過剰になるとちがうキャラになりそうで作品にも影響してしまうから難しいのかな。

さらに万事控えめで和やかなローレルが唯一感情的に歌うソロナンバーも見せ場でした。
感情を表す声色も自由自在で、彼女が決して数合わせの3人目ではないということがわかる大切な場面だと思いました。

ドリームズのメンバーはもちろん、これだけの実力のあるメンバーが揃ってポップでソウルフルなナンバーを聴かせてくれる贅沢な時間だったなと思います。

物語の舞台は1960年代~70年代のアメリカ。
アフリカ系アメリカ人による音楽はR&Bチャートで上位に入っても全米ヒットチャートには入らない時代。
でもその曲が白人アーティストにカバーされると全米でヒットするなんてザラ。
それが悔しいカーティスは自分たちが作り自分たちが歌ったナンバーが全米チャートに入ることを夢見てディーナたちのガールズ・グループ「ドリームズ」をプロデュースする。
彼よりも前の世代の音楽マネージャーのマーティはそんなことは無理だ、長くやっていればわかるはずだと首を縦に振らない。それくらい根深く骨身に染みていることなんだとわかります。

もちろんいままで通りのやり方では無理で、相手が自分たちの音楽をパクるならその上をいってやるとばかりにあらゆる音楽番組のDJたちに自分たちの曲を流すように促す。
それって買収してるってことですよね。
そもそもディーナたちがオーディションに遅れた時も、ジミーのバックコーラスに着ける時も、カーティスが懐からチップを取り出して意を通していたから、そういうことをやる人なのはわかります。
でもどこまでがOKでどこからがNGなんだろう。やりすぎなかった者が生き残るってことなのかな。

そもそも売れるも売れないもプロデューサー次第ってことか。
運よくやり手のプロデューサーと巡り合えるかがすべての分け目なんだなぁ。
彼女たちはそれにうまく乗せられただけになってない?
意に沿わない者は爪弾きにすればそれでいいの?(不必要にエフィをわからず屋に描いていない?)

子どもっぽさ未熟さを売りにする本邦のアイドル商法にもげんなりするけど、見かけは大人っぽくても中身はまだ未熟な10代の女性に「キミは大人だ」と自己決定権を与えたふりをして大人の意のままに動かすやり方もどうなの?と思いました。(「うたかたの恋」をまだ引き摺ってる)
彼女たちが心に傷を負うのは彼女たちのせい?
舞台は無理やりにでもハッピーエンドにしちゃうけど。
私はこのビジネスのシステムに納得がいかないなぁと思いました。(今の話じゃないのはわかってるんだけど)
成功例の裏には星の数ほどのハッピーで終われない結末もあるのじゃないのと。

エンターテイナーが守られていないと彼らのパフォーマンスを心から愉しむのは難しいと、エンタメを愛する側としてバックヤードものを見るたびに思う昨今です。

さて、この日のカーテンコールで挨拶をする望海風斗さんが、「それでは皆さん――」と切り出し間をおいて「さようなら」で締めたので両側にいるキャストの皆さんがずっこけて、口々に望海さんになにやら。
そこにいる誰もが別の言葉が続くと思っていたので。
望海さん的には、「それでは皆さん」と言ってしまったら後に続く言葉は「さようなら」しかないのではないかと釈明されていましたが、キャストの皆さん的にはほら「ドリームガールズ」らしいやつとか博多らしいやつとかあるでしょうってかんじかな。こそこそとアドバイスされているのですが明確に望海さんに伝わらないみたい。
痺れを切らした?駒田一さんが客席に向かって「皆さんは耳を塞いでいてください」で舞台上で打ち合わせて(見え見えのバレバレですが)、皆さんで「よか夢見んしゃーい!」で幕となりました。

上質で心励まれるひとときをありがとうございました。

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2023/02/15

それでも私は命ゆだねる私だけに。

1月26日と30日に博多座にてミュージカル「エリザベート」を見てきました。
初日の数日後に観劇したときに感じた音響効果の違和感も気にならなくなり、千穐楽に向けての凄まじいくらいの熱と構築力に圧倒されました。
さらに1月30日ソワレの前楽と31日大千穐楽はライブ配信で見ることができました。

【26日マチネ】
  愛希シシィ古川トート田代フランツ甲斐ルドルフ涼風ゾフィー黒羽ルキーニ
【30日マチネ】
  花總シシィ井上トート田代フランツ立石ルドルフ涼風ゾフィー黒羽ルキーニ
【30日ソワレ】(配信)
  愛希シシィ井上トート佐藤フランツ立石ルドルフ涼風ゾフィー上山ルキーニ
【31日千穐楽】(配信)
  花總シシィ古川トート田代フランツ甲斐ルドルフ剣ゾフィー黒羽ルキーニ

生で見られなかった剣幸さんのゾフィーと上山竜治さんのルキーニも配信で見ることができました

コロナ禍で拡大、定着した文化ですがありがたいことです。

思い起こしてあらためて今回2022年版「エリザベート」はこれまでとはオケの感じが違っていたなと思います。
間とか余韻とかがあまりなくてサクサクと進んでいく印象。ロジカルでわかりやすい「エリザベート」でした。
これも時代の流れなのかな。

私はちょっとしたスキマの表情とか体の動きなど非言語的なところを楽しみたいので置いていかれそうになり、初見では戸惑っていたように思います。
大ナンバー後の拍手があるところはまだ呼吸の間があるのだけど、それ以外のところで息をつき終わる前に次にいってしまう忙しい感覚がありました。

特に井上トートの時は、ナンバーの中に歌のテクニックがてんこ盛りで体感時間があっという間でした。
ルドルフもあっさり死んでいたなぁと思いますし。
全体を通してこれまでに比べて若い「エリザベート」だったなぁと思います。

サクサクとわかりやすくロジカルになったことでいろいろと考えさせられること、気づかされることもありました。
まさに19世紀から20世紀へ時代が変換するときの軋轢を描いた作品なんだなぁということ。
あの時代の中央ヨーロッパで熾った火種が21世紀のいまも燻っているんだなぁフランツ・ヨーゼフの心労はいかばかりだったろうとか、プロイセンに対抗するためにゾフィーはバイエルン王家に連なる姪との縁組を画策したのだろうになぁとか、帝国主義(父)と自由主義思想(母)の狭間で苦悩しどちらからも見捨てられる皇太子ルドルフの心中とか。(味方と思っている人たちからも駒としか見られていない彼の現実を思うとなおのことつらい)

そして「生きる」ということは「死」に抗い続けるってことなんだなぁと。あらためて思いました。
個人を極めるってことはその「死」を常に意識するってことなんだなぁとも。
意識しているかしないかのちがいだけで、「死」はすぐ隣に佇んでいるものなんだなぁとも。こんな時代だからこそ強く感じた気がします。
(「死」に抗えないいのちがいかにたやすく消えてしまうかと思いを馳せて)

愛希れいかさんのシシィはナチュラルな人物造形が好きでした。
少女時代、
15歳のというちょっと難しいお年頃な感じも、一度自分を全否定された人が自尊心を取り戻し有頂天で慢心してる姿も愛おしい。
その慢心もひとときのものだと思うと抱きしめたくなるようなシシィでした。
「愛と死の輪舞」や「最後のダンス」ではトートやトートダンサーズとの重力がないかのような緩やかな、本当に糸で操られているかのようなモーションに釘付けになりました。(まさに「人形のように踊らされた私」ー)
腰かけようとしてルキーニに悪戯で椅子を引かれてしまう場面のあの姿勢から優雅に戻れるのも驚異的で大好きな瞬間でした。
一瞬たりとも目を離したくないシシィでしたが、ほかの方も見たいのでそれはとうぜん無理で。これはディスクを購入するしかないのか?と思案中です。

花總まりさんは永遠に宝塚らしいお姫様なんだなぁと思いました。
とてもわかりやすいお芝居と神々しさ。体が自由自在に少女から凛とした大人へそして老年期へと大きくも小さくも見える。
1幕ラストの振り返ったドレス姿は圧巻で。知っていたけど記憶をはるかに超えてそこに存在していました。
配信で見た大千穐楽、2幕は空間そのものが神がかっているように感じられました。万感の思いを込めた「私が踊る時」、モニター越しに見ている私もなぜか目に涙が溢れてきました。言葉では表せないなにかが伝わってくるのを感じました。
死(トート)が1人の人間に魅入られて予測不能に陥ってしまうことって本当にあるんだと。それを実感するシシィでした。
この素晴らしい役者が演じる素晴らしい役を見納めすることができて本当に幸せです。この記憶は永遠にとどめておきたいです。

古川雄大さんはこんな「死」が傍らにいたら思わず引き込まれてしまうなぁと思うトート閣下でした。怖いけれど魅惑的。正直に言うとシシィが羨ましいです。
古川トートと愛希シシィの「愛と死の輪舞」は夢見ていたそのもののような「愛と死の輪舞」でした。
「最後のダンス」はロックスターのようで心躍りました。
千穐楽の配信でどのシーンか忘れましたが凄いジャンプを決めているのを見て思わず変な声が出てしまいました。幻を見たのかと。
全編を通じて動機はシシィへの愛、そしてシシィとの同化なんじゃないかなと感じさせるトート閣下だなと思いました。

井上芳雄さんのトートは、プリミティブな思考がかたちを成したモノのようでした。
シシィを見て興味をもった瞬間が鮮やかにわかりましたが、アプローチ間違ってるよ~💦と思う、相手を怖がらせているのに、反応されるのがただただ嬉しいみたいな。コミュニケーションというものを知らない無知でイノセントな子供みたいなトート閣下でした。
前楽の配信では愛希シシィに全力で嫌がられているのがツボにはまってしまいました。
「死」という忌み嫌われるもの、しかしいつしか人が受け入れざるを得ないもの体現しているような。
シシィを追い詰めて追い詰めて、自分の腕の中でシシィの命が消える瞬間に愛というものを悟るみたいなちょっと悲しさを感じさせるトート閣下だったように思います。

ルドルフはお2人とも「エリザベート」で初めて見る役者さんでした。
立石俊樹さんのルドルフ
は夢見がちで高い理想にたどり着けなかった結果、現実に見切りをつけて、理想と心中するルドルフだなぁと思いました。
初見の古川トートとの時は、最後まで夢を見せてくれるトートに自分をゆだねて死出を選んだように見えました。その陶酔感が「うたかたの恋」のルドルフに近いなぁと。
チケット購入時はシシィとトートの組み合わせに頭がいっぱいでルドルフとの組み合わせを考えていなかったのですが、あとになって古川トートと立石ルドルフの組み合わせをもう1回見たかったなぁと思いました。
30日は井上トートとの組み合わせだったのですが、追い詰められ感が凄かったです。
「闇が広がる」でさんざん揺さぶりをかけられその気にさせられて、トートを信頼してからのあの失意はつらいなぁと思いました。

甲斐翔真さんのルドルフは、初見であの少年ルドルフがこんなに育って・・!と思ったのですが、次に見た時にはさらに大きく育っている印象でした。
鍛えた胸板から響く声が凄くて、井上トートとの「闇が広がる」はこんな元気な「闇広」は聞いたことがない!と新鮮でした。
古川トートとの組み合わせでは、死を寄せ付けない生命力を感じました。
そんな有望な皇太子がトートの画策により自由主義者たちの企てにまんまとはまっていくさまに、有能ゆえに正攻法しか知らない純粋さが徒となったのかなぁと。
そしてたとえ有能であっても時代の流れを押し返すことはできない厳しい現実を見せられたようでした。

ルキーニのお2人も「エリザベート」で初めて見る役者さんでした。
黒羽真璃央さんのキャスティングにはじめは驚きましたが、最初の観劇でお若いながら実力も備わっていて抜擢もなるほどなぁと思いました。
それから1週間を経ての観劇で、あれ?この間とは別のルキーニ?と見違えたほど濃い印象になっていてびっくりしました。表情、声色、仕草等々芝居の情報量が凄いことに。
コーラスの中での歌い方にもセンスを感じました。ルキーニにしては奇麗に歌いすぎるのかもと思わなくはないけれど好きだなぁと。
髭をつけてメイクを濃くして汚れた感じを出してもどこかスタイリッシュに見えるのも持ち味かな。
狂言回しのセンスがある人だなぁと、と同時に違う役でも見てみたいなと思いました。

上山竜治さんは配信でのみ見ることができたのですが、下卑たことろを強く出したルキーニで「偉そうなやつ」を憎んでいる生い立ちの納得感がありました。
作品全体を骨太に見せるルキーニで、黒羽さんとはまったくちがうこの個性もいいなぁと思いました。

若い時から貫禄のある佐藤隆紀さんのフランツ・ヨーゼフ。
年を重ねていくごとにどんどん立派な皇帝になっていき、他民族国家の国父として内政や外交問題に懸命に立ち向かっているのだろうなと思いました。
その歌声が真面目さと懐の深さを物語っているようでした。
そんな立派な人物でも家庭を治めることは難しいことなんだなぁとも。
家族の1人ひとりが強烈だものなぁ。とくに奥方と母上がだけど。
「夜のボート」もしみじみと聴き入りました。美しく歌声が重なるほどに悲しくなるなぁと。

田代万里生さんのフランツは歌ももちろん素晴らしいですが、芝居がとても好みでした。
若き皇帝時代の「却下!」が凄く好き。ちょっとした可笑しみを醸し出すところもお上手だなぁと。
シシィへの深い愛を感じさせるフランツ・ヨーゼフで、それが妻に届かないのが悲しくなりました。
ちがうのよ、エリザベートはそういう人ではないのよと。そういう彼女を愛してしまったがゆえの悲劇の皇帝だなぁと。むしろそういう彼女だから愛したのかなぁと思うとせつないです。

「宮廷でただ1人の男」という形容がピッタリの香寿たつきさんゾフィー。ブレのない信念と厳格さが際立っていました。
そうやって自分を律し威厳を保つことで息子を守り皇帝に育てあげた人なんだろうなぁ。
本当は息子や孫を溺愛したいけれど心を殺して厳しく接しようと努めているように見えた涼風真世さんのゾフィー。時折見せるお茶目さが好きでした。
息子からも愛され強い絆で結ばれて
いるという自信が支えの人のようだっただけに、息子から決別を言い渡された時のショックは計り知れず心が痛みました。
正しく間違いのない皇太后様に見えた剣幸さんのゾフィー。人生を懸けて守ってきた君主制、ハプスブルク帝国の崩壊、そして一族の非業の最期をその目で見ずにすんだことは幸せだったのかもと。
配信のみでしたが、感情的に芝居をしなくても伝わる威厳や悲しみが素晴らしいなぁと思いました。

原田慎一郎さんのマックス公爵はおしゃれで自由人で娘が憧れるパパだなぁと思いました。
そしてお声がとても良い。歌も抜群にお上手で素敵でした。コルフ島でのシシィとのナンバーが毎回楽しみでした。

未来優希さんのルドヴィカ、陽気で一生懸命に家族のために頑張っているお母さんという雰囲気でした。
美人で優秀で皇太后にまで上り詰めた姉との差を縮めようと頑張っている側面もあるのかなぁ。
家政に全く無関心な夫に困りながら対応しているのも、私の親世代の母親たち(高度成長期)とダブって滑稽味と痛々しさを感じて親近感を覚えました。
そして打って変わって発散するマダム・ヴォルフの迫力のある歌声は毎回聞いていて楽しかったです。

秋園美緒さんのリヒテンシュタイン公爵夫人は気品があって仕事ができて憧れです。あの皇太后とあの皇后のあいだで忠節を崩さず働けるなんて只者ではないです。
彼女が歌う「皇后の務め」大好きです。どこをとっても非の打ち所がない秋園リヒテンシュタイン様のファンです。
以前のプログラムには伯爵夫人と表記されていましたが、いつの間にか公爵夫人になっているんですね。
リヒテンシュタイン公妃が女官をするとも思えないし、おそらく女官長エステルハージ伯爵夫人(リヒテンシュタイン侯女マリア・ゾフィー・ヨーゼファ)のことかなぁと思うので、伯爵夫人が正しいのではと思います。(ちなみに現在の国名はリヒテンシュタイン公国だけどリヒテンシュタイン家は侯爵が正しいらしいです)
リヒテンシュタイン家にしてもエステルハージ家にしても名門には違いないので、高位の女性であることはまちがいないと思います。
生家にちなんで「リヒテンシュタイン」とこの作品では呼ばれているのかなと。

いつにもましてストーリーがクリアに見えたからが、役者さんたちがいくつもの役を演じられているのに気づいてそれも面白かったです。
貴族の夫人や令嬢だった人が娼婦を演じていたり、大司教様だった方がカフェで弾けていたり笑。
千穐楽にはそんな役者の方々にも愛着が湧いていました。
他の作品に出演されていたら注目したいと思いますし、また皆さんがこの「エリザベート」にそろっているのを見られたらいいなぁと心から思っています。

自分の年齢や境遇等々で見方や目線が変わっているのも面白くて、何度見ても飽きることがないのも凄いなぁと思います。できれば生涯見続けたい作品です。
次はいつ見ることができるでしょうか。

 

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2023/01/19

私を返して。

1月14日と17日に博多座にてミュージカル「エリザベート」を見てきました。

【14日(マチネ)】
  花總シシィ古川トート佐藤フランツ立石ルドルフ香寿ゾフィー黒羽ルキーニ
【17日(ソワレ)】
  花總シシィ井上トート田代フランツ甲斐ルドルフ香寿ゾフィー黒羽ルキーニ

直近だと2019年に帝劇で見ているのですが、今回のバージョンはすごくすっきりわかりやすく演出されているように感じました。
そのぶん、個人的に心地よかったノイズも消えてしまったような、なにか隙間が埋まりきっていない印象ももちました。
なんといえばいいのかわかりませんが、90年代的なもの、ベルリンの壁崩壊後のヨーロッパ的なものが感じられなくなった感。
脚本もわかりやすくなっていた印象で、この作品に限らず「言葉通り」が主流になっているのかなぁと。

オケやコーラスの重厚さが以前ほど感じられない気がしたのですが、コロナ禍と関係があったりするのでしょうか。減員? それとも座席位置や私の側に起因する問題でそう感じたのでしょうか。
逆にエコーが強すぎるのが違和感で、トートの声をマイクが拾いきれていないようなもったいない感じもありました。

14日の初見時、トート閣下のご登場シーンで頭上からワイヤーで降臨されるのを見てふと昨年見た「薔薇とサムライ」の天海祐希さんが脳裏に浮かんでしまったばっかりに、よからぬスイッチが入ってしまったのがわたし的敗因のような気もします。
物語に没頭しきれずどこか退いたところから見ていたかもしれません。
真っ白だった頃の私を返して・・涙。

また観劇できるはずなので、それまでに自分を調整しておかなくては。
このご時世、貴重な1公演1公演のはずなのに・・。

花總まりさんのシシィは愛らしい少女から大人の女性へそして晩年への変化が、わかってはいるつもりだったのですが、以前にも増して見事であらためて驚かされました。
予想を超えていました。
印象としてはとてもポジティブで自分を曝け出すことができるシシィでした。

古川雄大さんは2019年に見たときとはかなり雰囲気が変わって存在感のあるトートになっていました。
低血圧そうに(青い血を流すらしいから血圧はあるんですよね?)悠然として物事に無頓着そうなのにシシィにだけは執着するのが「愛と死の輪舞」って感じで、作品世界に漂う空気が凝って具現化したようなトート閣下だなぁと思いました。
小さなルドルフからさりげなくピストルを受け取り懐にしまうまでの一連、のちに成長したルドルフにそのピストルを渡すところなどのメタな小道具使いに見惚れてしまいました。ついふらふらとついて行ってしまいそうになるトート閣下でした。

佐藤隆紀さんのフランツ、そっかシシィってファザコンだったよねと。優し気なところに惹かれたのかな。
シシィの部屋の前の歌、いい声。あれでも扉を開けないシシィなのですね。
棘のない声といいますか包み込むような誰ともケンカしない声だなぁ。
夜のボートは劇中でもいちばんの感動ポイントでした。

立石俊樹さん、悲劇を待っているルドルフといいますか。このルドルフ、自分が悲劇が似合うことを知っているなと思いました。
追い詰められてイキイキしていると言ったら変ですが、悲嘆に浸っているなぁと。古川トートとの耽美な闇広ご馳走様でした♡

香寿たつきさんのゾフィーは正しくて厳しくて怖い印象。それが息子や孫のためだと心の底から信じているんですよねぇ。
強くなくては生きていられない場所で彼らは生きていくのだから。
安定の力強い歌声の頼もしいゾフィー様でした。

ルキーニの黒羽真璃央さん、ルキーニといえばベテランの役者さんの印象があったのでキャリアも年齢もお若い方がキャスティングされたことに最初は驚きでした。
実際に舞台で見て違和感もまったくなく演じこなしていることにも驚きを覚えましたが、考えたら実在のルキーニも犯行時は25歳だったのですよね。
無政府主義を信奉し、「偉そうなやつ」を暗殺して自分を誇示したかったのだろう若者の役を年齢が近い役者が演じるのは自然かも。その言動の支離滅裂さも、教え込まれたことを一途に情熱的に信奉し誰かを情熱的に憎むことができるのも若さゆえともいえるかもと納得でした。
そう仕向けられていることに気づかず万能感に浸っている感じも。彼は誰かに利用されたのかも・・?と思える余地があるのも。(この作品の世界観だとトート閣下がその黒幕ですが)
強烈なアクセントで狂気を印象付けるというよりは、若さゆえの万能感と自己陶酔と操られやすさを印象付けるルキーニだったかなと思います。


17日は、トート、フランツ、ルドルフが14日とは異なるキャストでした。

井上芳雄さんのトートは、アグレッシブに仕掛けてくる印象でかなり怖かったです。自分から矢面に立つトートだなと。
ルドルフを失って弱気になったシシィに「死なせて」と言われて傷ついたような顔をしていたのが印象的でした。愛されていないことがショックなのかな。強いシシィを求めているからかな。子どものようにイノセントで自分が望むままに行動するトート閣下なのかなと思いました。
井上トートは歌も楽しみだったのですが、エコーが効きすぎていてマイクが拾っていない声もあった気がしてそれがもったいないなぁと思いました。

田代万里生さんのフランツはトートへの対抗心が強いなぁというのがいちばんの印象です。シシィは私のものだ感が凄い。
彼女を裏切ったことをめちゃくちゃ後悔してそうだし、そのことで母をとても恨んでいそうだし、帰ってこないシシィのことをずっと思っていそう。
その割には息子にきつくて、そんなところは母に似ている気がするし。下手をすると息子にも嫉妬しそうなくらいだなぁと思いました。
こんなにシシィを愛しているのに拒まれてしまう「夜のボート」は胸が痛かったです。彼に脇目もふらずトートの胸に飛び込んでいくんだなぁシシィは・・涙。

甲斐翔真さんのルドルフは、めっちゃ育っとるやん!って思いました。こんなに大きくなって・・と。
ゾフィー様の言いつけを守って鍛錬したのかな~ 彼なりに一生懸命に国を思って行動しているよねと思いました。そんなところはゾフィー様の孫だなぁと。
井上トートの声をかき消さんばかりの音量の闇広がめちゃくちゃツボりました。こんな闇広(闇が広がる)ははじめて。勢いで突き進んでなにかよくわからないうちに勢いで自滅してしまうルドルフ。正義感が強かったのよねと思いました。
次は古川トートと甲斐ルドルフで見る予定なのですが、ちゃんと噛み合うのかどうなってしまうのか、いまから不安なような楽しみなような笑。

革命家の皆さんも一新で、背の高い方たちばかりでびっくりでした。
こうやってどんどん受け継がれていくんだなぁ。
博多座でアムネリス(宙組「王家に捧ぐ歌」)だった彩花まりさんが今回はヴィンディッシュ嬢で頑張っている姿を見れてうれしかったです。
おなじく元宙組だった華妃まいあさんの姿も退団後はじめて見ることができました。相変わらずスタイル良いなぁと。宙組で活躍していた彼女たちがまたエリザベートの世界で息づいている姿を見ることができて感無量です。
スタイルが良いといえば美麗さんのマデレーネも妖艶で素晴らしかったです。

次の観劇予定は1週間後なのですが、なにやら凄まじい寒波に見舞われるみたいで・・・。
大雪にさえならなければ大丈夫なはずなので、無事に観劇が叶いますように。
そして千秋楽まで止まることなく上演されますように。心の底から祈っています。

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2022/10/30

Welcome To The 60's. (This is the future)

10月8日に博多座にてミュージカル「ヘアスプレー」を見てきました。

映画も知らなくて、どうして「ヘアスプレー」なんだろうと思っていたんですが、1960年代が舞台の作品なのか~!
盛り髪をしっかり固めてキープするのにヘアスプレーは必須アイテムですよね。
主人公のトレイシー(渡辺直美さん)を筆頭にティーンエイジャーはレギュラーサイズのスプレー缶をバッグに入れて持ち歩いている。
ちなみに私が子どもの頃に見たTVアニメの「ひみつのアッコちゃん」のキャラの髪型、これってどうなっているの?と思っていたけれど、あれも盛り髪だったんですね。
初代リカちゃんのママもアップスタイルだったなぁ。と懐かしく思い出しました。

舞台が始まってまもなく、トレイシーの親友ペニー(清水くるみさん)のママがふつうに人種差別発言をしていてびっくりでした。
そういう時代背景の作品なんだ。60年代のアメリカ、ボルティモア。人種分離がふつうに行われていた時代に生きている人々の物語なんだ。
ポジティブなハッピーミュージカルかと思っていたけど、思う以上にヘヴィな題材を入れてくるんだなぁと。

リトル・アイネス(荒川玲和さん)がトレイシーの後にオーディションに飛び込んできたとき、ヴェルマ(瀬奈じゅんさん)が一瞥で却下した理由がさいしょはピンとこなくて。年齢が若すぎる???にしては意味がわからないなーと思いました。
後の場面で彼女がシーウィード(平間壮一さん)の妹だとわかって、そういうことか!と。
そのシーウィードも、居残り組でのトレイシーとの会話の中でアフリカ系アメリカ人とわかりました。
アフリカをルーツに持つ人物を演じるからといって「ブラックフェイス」にはしない。そういう方針の作品なんだ。

ペニーのママ、プルーディー(可知寛子さん)はとても厳格で敬虔。世の中や人を信じていないのかな。きっと不安でいっぱいで娘を育てている人なんだろうな。
家の中に夫(ペニーのお父さん)の姿が見えなかったのも何か理由があるのかな。(警察が見つけたら云々っていうのは失踪しているってこと?)
いちいち細かく娘を束縛する母親で、TV番組の視聴にも、汗をかくことにも、無断で刑務所に入ったことにも激怒。
あんまりなんでも激怒するので、ペニーはなにをやってもママに叱られると思っているようだし、些細なことも重大なことも同列に並べちゃう。
とにかくママに断りなく何かをやったらすべて怒られると思ってるふう。

ペニーが地味色の服に髪をツインテールにまとめてロリポップを舐めているのも、それがいちばんママが安心するとわかってて波風立たずにいられるからなんだろうな。
ママは娘が女性になることが心配なんだろうな。女性になって傷つくことが。
きっとママ自身が女性として深く傷ついたことがある人なのだろうなぁと思いました。

そのペニーがシーウィードと恋に落ちてしまう。しかもかなりの熱々ぶり。
これはママとのあいだに大波乱あるに違いないと見ているこちらはハラハラ。
なにしろペニーのママは空気を吸うように人種差別発言しちゃう人ですから。どうするの???

トレイシーのアクションが実って、人種分離が当たり前のボルティモアで、1つの番組に黒人も白人も一緒に出演するという歴史的な瞬間を迎えた中。
シーウィードとカップルで現れたペニーは、いつもの地味目の服ではなくてポップでキラキラのミニワンピ姿で、一瞬ペニーとわからなかったほどの変身ぶり。そのあまりの素敵さに私の脳みそはバフン!!💘

そんな娘を一目見たプルーディーが、シーウィードとの関係を迷わず受け入れるのがとても意外でした。
恋をしている娘がいまどれほど幸せか一目でわかって。
止めたって止められないのもわかってる。
どうしてわかるかなんて野暮。
泣き顔で祝福するママは、これから娘が人の何十倍もの困難に向き合うこともわかっているよね。
この一瞬でそれも全部支える覚悟が生まれているんだよねと思って感動でした。

舞台は1962年とのこと。2年後の1964年に公民権法が制定されるも人種差別は2022年のいまでもなお深刻な問題だし。
ペニーやシーウィードが置かれている状況は並大抵の困難ではないと想像できます。
そして1962年に17歳の彼女たちは、1945年生まれ。第二次世界大戦終結の年。
彼女たちの親たちは、まさに戦時中に青春時代を過ごし恋をして結婚をしたんだなぁ。
生まれてきた子どもたちはまさに希望そのものだったろうなぁと推察します。

トレイシーのママ・エドナ(山口祐一郎さん)とパパ・ウィルバー(石川禅さん)も、きっといろんな希望や挫折を味わいながら娘を大事に育ててきたのだろうなと思いました。
大切に育てた娘がTVに出たがっているのを知って体型のことで傷つくことを心配するママ・エドナ。自分も同じことで深く傷つけられてきたからだろうなぁ。

娘のことも妻のことも愛しているパパ・ウィルバーはトレイシーの背中を押してあげる。
彼は人のことも世の中のことも信じたい人なんだなぁと思いました。希望が彼の生きる糧なんだろうなと。
きっとこの時、なにかあれば全力で娘を助けてあげる覚悟をしたのだろうと思います。
そして実際に娘のピンチに自分の長年の努力の結晶である店を売ってお金を工面してあげていたから。
娘だけを救出するのは娘のためにならないとわかっていて無理をしたんだよねと思います。

そんな両親に育てられたトレイシーは屈託がなくおかしいことはおかしいと感じ、迷わずまっすぐに行動できる17歳。
シーウィードたちが置かれている状況は「馬鹿みたい」だと思ってなんとかしようと立ち上がる。

トレイシーが大好きな人気番組「コーニー・コリンズ・ショー」には月に1回「ブラック・デー」というのがあって。
トレイシーにとっては月に1回限定の特別な、クールでエキサイティングな「ブラック・デー」なのだけど。
でもシーウィードたちにとっては、週6日の「コーニー・コリンズ・ショー」の中で月に1度だけ許される「ブラック・デー」。
なんども掛け合って、なんど拒否されても諦めずに掛け合ってやっと勝ち取った月1回だと、シーウィードの母親で「ブラック・デー」の司会をしているメイベル(エリアンナさん)は言っていました。
しかも白人の出演者と一緒に出演するのじゃなくて、アフリカ系の彼らだけが出演する月1回。共演NGという時代なんだなぁ。
その月1回だっていつ簡単に奪い取られてしまうかわからない脆いものだってわかっている。
舞台の終盤でメイベルが歌うソウルフルな魂の叫びのような「I Know Where I've Been」はとても感動的でした。

当事者として散々戦ってきたであろうメイベルから見て、当事者ではないのに熱くなるトレイシーはどう映るのだろうと考えました。
トレイシーの思いつきによる「親子デー」への参加とか。
白人との共演が認められていない状況で、娘リトル・アイネスと母娘としてエントリーしようとすることが、どれだけマジョリティ(世間)から拒絶を受け、どれだけ傷つかなければならないか。メイベルはよく知っていると思います。それによって娘もどれだけ傷つくか。
それでもいま気づきを得たばかりの後先考えないトレイシーの提案にYESと言える彼女はとても勇敢な女性だと思いました。
闘い続けなければ今はないことを知っているからかな。
トレイシーが当事者ではないからこそ、その彼女の行動や気づきに未来の希望を見出したのかな。
私だったらムカついてしまうんじゃないかなと思って、なんて寛容な人だろうと思いました。

そして突然娘から一緒に「親子デー」に参加すると言われて尻込みするエドナをチアするためにメイベルが歌う「Big,Blonde and Beautyful」の力強さにも感動でした。

エドナは心優しいがゆえにたくさん傷ついて大人になった人なのだろうなと思いました。
さらにその体型を理由に傷つけられ自信を奪われ、夢を諦めた人じゃないかな。自分にも夢があったと語っていたけれど。
彼女の両親やきょうだいさえも、彼女を傷つけた側かもしれない。
だから娘のトレイシーには、彼女を傷つけるようなネガティブなことは言わないようにしているのかなと思いました。

その甲斐あって、トレイシーは自分の体型のことも気にせずにTV番組に出たいと言える子に育ったし、理不尽さに憤りなんとかしようとするようなポジティブで明るく正義感の強い女の子に成長したのだと思います。
けれどもエドナ自身はシャイで傷つきやすい心のまま。
TV番組に出たらまたたくさんのネガティブな言葉を投げつけられるに違いないと尻込みする。彼女の中の傷ついた少女が泣いている。
その悲しい少女を勇気づけた歌が、メイベルの「Big,Blonde and Beautyful」なんだなぁ。
メイベル自身もどれだけ傷つけられてきたか。
そんなメイベルにはエドナの気持ちがわかるし、だからこそエドナもメイベルの歌のメッセージを受け取れたんだろうなぁ。
勇気を振り絞って娘の願いのためにTV出演を決意する。
とても感動的な場面でした。

ヴェルマもまたエドナたちと同年代に生まれて、少女のころからずっと自分の価値はその容姿と生まれにあると思い込まされてきた人なんだろうなぁ。
それを娘のアンバー(田村芽実さん)に押し付けようとしているけど、それは娘を幸せにはしないんじゃないかなぁ。

キレキレに踊ってかっこつけるリンク(三浦宏規さん)、勘違い男スレスレだけどカッコよいから受け入れてしまう。
ラストに自分は馬鹿だった何もわかってなかったってことを言ってたけど、それは決して彼だけのことじゃないんだよなぁと思いました。
ヴェルマやアンバーは極端だけれど、本当はみんなが現状が当たり前だと思ってる。人種分離もふつうのことだと。
人種分離を「馬鹿みたいだと思って」とはっきり言えるトレイシーが登場するまでは。
トレイシーのおかげで気づくことができたのは、彼だけじゃないんだよねと思いました。

ラストはトレイシーが優勝してリンクともハッピーエンドで、これでめでたしめでたしかなと思ったら、彼女が将来の夢として大学に通いたいと宣言するところも好きでした。
60年代の女の子としては、やっぱり彼女は先進的だと思います。
その姿こそ、「これが未来だ」と。

偶々娘と一緒に見たせいも大きいかと思いますが、すべての母親と娘たちへのメッセージが込められた作品だなと思いました。

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2022/10/07

強さってなに?

10月1日に久留米シティプラザ ザ・グランドホールにてミュージカル「DOROTHY」を見てきました。

福岡で凰稀かなめさんを見られることが観劇の動機で、「オズの魔法使い」のドロシーのお話なんだなぁという前情報しかない状態で観劇しました。

幕が開くと学生オーケストラの練習風景??? こんなお話だったっけ???

ドロシー(桜井玲香さん)はコンマスでソリストもできちゃうようなヴァイオリニストで見るからにお嬢様な風情。
前回は彼女のソロパートが秀逸でコンクールで賞をとったけど、今年は彼女のソロではなくみんなの演奏で賞を目指そうってことになったみたい。
なんだけど。
みんなの音がバラバラ。これじゃ賞なんて目指せない。コンクールは目前。
もっと練習時間を増やそう。「あと3時間!」って言えちゃうひと。それがドロシーみたい。
コンクールまでの間、毎日いまより+3時間練習しようってことですよね。

もとより学生オーケストラ(オケ部)。
バイトがある者もいれば遠くから通っている者もいる。
それぞれの事情で現状ですらいっぱいいっぱいの人も多いのだろうなと察せられる。
彼女と自分自身の間にある隔たりをメンバーのそれぞれが感じたよね。そんな気まずい雰囲気。

上手くなるには練習するしかない。自分は正しい。間違っていない。
でもみんなはついてきてくれない。
ドロシー最大の危機。

真剣に悩むドロシーの前に不思議な少女(横溝菜帆さん)が表れて、導かれるままにオズの世界へ——。
なるほど、こういう展開かぁ。

「オズの魔法使い」は子どもの時分に読んだのですが、正直なところその面白さがピンとこなくて読み進めるのが苦痛な物語でした。
ファンタジーの世界観って作者の思想がそのまま反映していると思うんですが、その世界観がどうもしっくりこなくて。
オズの国の住人たちを見下しているような感じに抵抗がありました。
自分と自分が属する側は常にまっとうで正しくて、自分サイドじゃないもの(オズの世界)は奇異で愚かで劣っていると思っているような受け答えが受け入れがたくて。
当時はこんなふうに言葉にはできなかったけれど、作者が提示する世界観に引き摺られることに抵抗がありました。
(異世界に迷い込んで「蒙昧なネイティブ」を啓蒙してリーダーになる物語がいまも好きじゃないのは、ここがはじめだったかも)
カカシが自分を頭が悪いとか、ブリキの木こりが自分を心がないとか、そのうしろに透けて見えるなにかも嫌だったのだと思います。
臆病なライオンはちょっと好きでした。近づいてくるものに怯えて吠えたら皆から恐れられてしまう。その孤独と寂しさを想像して。
いちばん面白く読んだのはオズの魔法使いの正体がわかるくだりでした。

もしかしてこのミュージカルのオケ部のドロシーも、さいしょはそんな原作と同じところに立っている人なのかな?
正しい自分と、なにもわかっていない彼ら。——みたいな。

なにもわかっていない彼らが正しい私を非難する。ピンチ! なんとかしてみんなの心を掴まなくては。
から始まるドロシーの旅なのだけど。
桜井玲香さん演じるドロシーは、恵まれた境遇で育った人らしく自己肯定感が高くて傲慢といえばそうなのだけど、どこか応援したくなる女性でした。
カカシたちとも対等で頭ごなしに馬鹿にしたりしない。ピンチになっても卑屈にはならない、自分に都合のよいエクスキューズもない、不器用だけど一生懸命な頑張り屋さんに見えました。

ドロシーと一緒にカカシ、ブリキの木こり、臆病なライオンは、偉大なオズの魔法使いに自分がいちばん欲しいものをもらうため、危機を乗り越えながら旅をする。
そうしているうちに友情を育むのだけど、けっしてべたべたしないのもよかったな。

東の魔女も西の魔女も、ドロシーの歌や彼女が奏でるヴァイオリンの音色を聴いて彼女を害する気持ちを収めて逆に彼女のためになにかをしてあげようとする。
音楽を愛し信じる人々が作ったストーリーだなぁと思うし。それを納得させるドロシーだったと思います。

自分が持っていないと思っていた知恵も心も勇気も、オズの魔法使いにもらわなくても自分の中にあったね。
必要なのはみんなの心を掴むことじゃなくて、みんなの気持ちに気づくことだったね。
素直にそう思える物語が清々しかったです。

鈴木勝吾さん演じるカカシさん。ずっと一生同じ場所に立っているものだと思っていた彼にとってドロシーやブリキさんたちと一緒に旅をすることは、些細なことさえしあわせだろうなと思いました。
ドロシーのために自分の一部でヴァイオリンを作ってあげたいと思う気持ちもわかるような気がしました。
ブリキさんはもうゼンマイはいらないのじゃないかと気づくのも彼だし。大切に思う誰かの存在が彼の原動力なんだな。そのためにどうしたらよいか考えて行動してて。願いが叶ってよかったねと思いました。

渡辺大輔さん演じるブリキさん。あれはズルイ笑。いやでもうるっとしてしまう。でもしあわせそう涙。
カカシさんが自分が求められる場所に残ると決意したとき、寂しくないと強がるところもとても好きでした。
心がないのではなくて、心を失くしたと思わないと耐えられないような辛い経験をして以来ずっと感情を封印してきたひとなんだなと思いました。

小野塚勇人さん演じるライオンさん。臆病なのは他者の心の動きに敏感だからですよね。自分がなにを望まれているかわかるからですよね。
それはけっして悪いことじゃなくて、そんなライオンさんだからこそできることがあるんだなと思いました。
他者のことも思いやりながら、自分の願いも口にできるようになるといいねと思いました。

伊波杏樹さん演じる東の魔女。なにより圧死してなくてよかった~。
火の竜を操るきれいな声の魔女でした。どうして悪い魔女になったのか不思議。
ドロシーの歌声に心を動かされて、困ったことがあったらいつでも呼びなさいと言ってくれるとっても優しい魔女でした。

凰稀かなめさん演じる西の魔女。緑色じゃなくてよかったです笑。
存在感が女王。でもめちゃくちゃ胡散臭いよ~あやしいよ~笑。面白がってやっているのが伝わりました。
ドロシーが奏でるヴァイオリンの音色に心をかき乱されてその音色に込められた願いに心が変化していく様が短い時間のあいだによくわかりました。こういうところに説得力をもたせられるのいいなぁ。
そしてドロシーをピリッと励ますところが先達として同性の先輩として素敵だなと思いました。

鈴木壮麻さん演じるオズ。こういうふうに出てくるんだ~~と思いました。なるほどなるほどの連続でした。
ちょっと下卑たふつうのオジサン感を醸し出されているのがさすが。そうだよねそうだよねオズの魔法使いってそうだよねとうんうん頷きながら見ていました。
壮麻さんが登場されることによる安心感は半端なかったです。
新しいミュージカル作品が生まれ若いミュージカル俳優さんが次々と生まれている昨今、後輩のリスペクトの対象となれる人が同じ舞台に立っていることって貴重だと思います。
文化は伝承!

ツアー公演なので派手な舞台転換などはないけれど、音楽を愛する人たちによる人柄の良いミュージカルを見たなと思いました。

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2022/08/03

今夜は淑女で。

7月23日に博多座にてミュージカル「ガイズ&ドールズ」を見てきました。

本当なら7月20日が1回目の観劇になるはずだったのですが、まさかの開演15分前の公演中止発表で叶わず。
23日も幕が開くまではドキドキでした。

無事幕が上がり流れてくるオーバーチュア。
紗幕には懐かしの映画さながらにオープニングクレジットが映し出され、N.Y.の通りを行き交う登場人物たちのスタイリッシュなダンスに目がくぎづけ。
これからの数時間、どんな心地に浸れるのだろうという期待でいっぱいに。

宝塚にはまりたての頃に紫吹淳さんスカイの月組版をCS放送やDVDで繰り返し見ていた作品なのでどのナンバーも懐かしい。
でもその頃(20年前)から既に古臭い価値観が気になっていたので、今回どんなふうにアップデートされるのかな?と思っていました。

ダンスナンバーの振り付けがおしゃれ。オープニングでストリートを闊歩する女性ダンサーが矢庭にトゥで踊ったかと思うとまたすぐに歩き出したり。
GUYS(男性たち)のダンスはその筋力瞬発力に目を瞠り見せ方の妙に感嘆しました。

演者が伝道所の入り口ドアを開けて階段を下りると舞台装置がゆっくりと回転しながらせり上がって地階の伝道所内部が見える仕掛けにおおっと思いました。
逆に演者が階段を上がると地階はせり下がって伝道所の入り口だけに。
その舞台装置に合わせて階段を上がってそのまま盆から降りたりするの、タイミングが難しくないのかな。目が回らないの凄いなぁ。

振付、舞台装置はこれが2022年版か!という感じでしたが、ストーリーはそのままなんだな。20年前の月組版でヤバいと思った部分はさすがになかったけれど。
もっとたくさん笑う場面があったと思うんだけど、あえてなくしたのかなぁ。

そもそもなぜ笑うのかと言われると、女は結婚したいもの、男は縛られたくはないもの、というような「あたりまえ」とされていたものを登場人物たちがコミカルに表現したり絶妙に掠めたりするからだもんなぁ。
その「あたりまえ」はいまとなってはぼんやりとした幻影みたいなものだから、まずそれを思い起こすところからしないといけなくて。
その前提を思い起こすまでのちょっとしたタイムラグが積み重なって少しずつズレていって、なんだか私の中で嚙み合わなくなっていったかなと思います。
20年前だと笑えたところもスルーしてしまったようで、見ている私自身の感覚が変わったのだろうなぁ。

アデレイドが架空の子どもたちについて語る場面、ぜんぶで5人で性別は・・・長男の名前はあなたと同じネイサン云々。そのネイサンJr.はいま何をしているんだい?というネイサンのチャチ入れにもスラスラ答えるアデレイド。ネイサンJr.のフットボールの試合にも賭けときゃよかったとつぶやくこんな時でも頭の中は賭け事のネイサンのくだり、宝塚版ではテンポの良い掛け合いに反射的に笑ったのだけど、今回は、あれ??いまの場面あっさりだった???となりました。
翻訳のせいもあるのかもしれないけれど、言葉の意味が瞬時に頭に入らなくて笑い損なってしまったみたいでした。

シチュエーションはとても面白い作品だと思うのだけど。
そのシチュエーションとセリフの意味、掛け合いの妙が瞬時に伝わるかが肝心なのだと思います。
アメリカ人との感覚の違いもあるうえに、作られた頃と2022年の現在との感覚の違いもあるのかも。
舞台の笑いって共通認識があってこそだもんなぁ。
通しでやるよりコンサート形式のほうが楽しめるのかなぁ。ナンバーは大好きだし、この豪華メンバーだし。

ハバナのサラの明日海りおさんはベリキュートだったし、HOT BOXの望海風斗さんアデレイドはさすがのショーガールで楽しかったし。
そして何より「LUCK BE A LADY」や「SIT DOWN, YOU'RE ROCKING THE BOAT」のGUYSはめちゃめちゃクールでうひゃあでした。

Luck be a lady tonight —— 運命よ今夜は淑女でいてくれよ。
運命(Luck)を人は女神に喩えるけれど、神様だろうがなんだろうが、女性ならばみんな自分に好意を持って自分の思い通りになる、そう思っているのがこの物語の主人公、スカイ・マスターソン(井上芳雄さん)。
だからラストに可笑しみがあるというわけ。

そんなスカイだからこそ、ネイサン・デトロイト(浦井健治さん)にうっかりはめられて、救世軍の軍曹サラ・ブラウン(明日海りおさん)をハバナに連れていけるかという賭けにのってしまうんですよね。

女たらしのデートプランは完璧。N.Y.からハバナ(キューバ)までエアプレインでランチなんて。凄い!90年前のお話よね??ってなります。
彼女がランチの誘いに乗ってくれさえすれば、あとは成功したも同然。でもそこがいちばんの難関で。
とはいえ、そんなことも訳ないのがスカイ、なんだけど。

サラを口説きに伝道所に行って、入り口に書いてあるフレーズの引用元は「箴言」ではなく「イザヤ書」だと指摘する。
「箴言」だと言い張るサラだけど確かめるとでたらめでもなんでもなくて、スカイの言う通りなんですよね。
"罪びと”であるスカイに選りによって聖書について間違いを指摘されて、心穏やかではいられないサラ。ここにも常識との逆転が。
スカイ、只者ではないなってなるんですけど。

サラを連れて行ったハバナで、自分が飲ませたお酒のせいで酔っ払って羽目を外してしまった彼女といい感じになるのだけど、罪の意識を感じてしまうスカイ。
「良くないことだ」って罪びとの風上にもおけないセリフ。
天井知らずに賭けをするから仲間たちから「スカイ」と呼ばれる彼なのだけど、誰にも教えたことがない本名をはじめて彼女に教える。
それって掛値なしの「誠意」ですよね。「純愛」とも言うかも。ギャンブラーの中のギャンブラー、罪びとの中の罪びとが。

彼の本名オバディア(Obadiah、Ovadia)は旧約聖書に出てくる預言者の名前で、神のしもべ・崇拝者という意味。
もしかして彼は敬虔な信仰者の家庭に生まれ育ったのかも知れず(聖書に詳しいのもだからかも)、そんな彼がどうしてギャンブラーになったのか。やっぱり興味をそそる人ですスカイという人は。

オバディア(神のしもべ)と名付けられた聖書に精通してる青年が、長じて仲間に一目置かれるような罪深いギャンブラーになってて。
その彼が敬虔な女性を口説き落とす賭けに勝って1000ドル儲けるはずが、本気で恋をしてしまう。
そして彼女のために一世一代の賭けをする。クラップで彼が勝てば1ダース以上のギャンブラー仲間たちを伝道所に連れていく。負ければその1人1人に1000ドルずつ支払うと。
だから—— Luck be a lady tonight と。
このとき、スカイにとって運命(Luck)はサラの顔をしているのだろうなぁ。

果たして運命は彼に微笑みかけたのか。
本当の勝者は?

ラストはどう捉えたらいいのかな。微笑ましいこと? それとも皮肉なこと? どういう意味で笑ったらいいのだろう。
馬鹿か利口か、なんとでも言えばいい—— っていうのは宝塚版の歌詞だけど。
男(GUYS)ってこんなものだよねって笑っておけばいい?

すごく笑えて微笑ましい作品のはずなのだけど。
やっぱりいまの私の感覚とちがっていて。
考え込んでしまうなぁ。

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2022/07/22

見果てぬ夢へ。

7月17日にキャナルシティ劇場にて、ミュージカル「スワンキング」を見てきました。

あれは春3月。博多座で見た「笑う男」の余韻が残っているときに、Twitterのタイムラインに流れてきた舞台のビジュアルがふと目に留まったのでした。
最初はタイトルの「スワンキング」が「Swan King」だということにも気づかなくて、なんだろうこれは?と。たぶん夢咲ねねさんのビジュアルに私のなにかのセンサーが働いたのかな?と思います。

ねねちゃんエリザベート役じゃん。ルートヴィヒ2世とワーグナー?これは私の好きな世界観かも。
でもたいていの新作ミュージカルは福岡ではやらないもんねと見切ろうとしたのですが、試しにリンクを開いて公式サイトを見ると福岡公演があるではないですか。
もしかして見に行けるかも??

主演のルートヴィヒ2世役の橋本良亮さんについても知らなくて。役者さんに詳しい友人に訊くと「ジャニーズの人ですよ」とのこと。
これチケットどうやって取ったらいいのかな? 

そんなふうに偶々偶然に知って、手探り状態からはじまった観劇でした。

物語は興味深く面白かったです。
活字だけで読んでいた人間模様をドラマとして見ることができ、それぞれの人物のその時々の気持ちに思いを馳せることができました。
どちらかというとその俗物的な部分にフォーカスされた作品かなと思いました。
先々週偶々宝塚でフランツ・リストを描いた「巡礼の年」を見ることができたのですが、あちらはやはり宝塚らしい気高さの要素が強かったのかなとあらめて思いました。見ているときはけっこうリストのスノビズムがリアルだなと思ったのですが。

ワーグナー(別所哲也さん)については子どもの頃に音楽好きの亡父が語って聞かせてくれていた言葉がいろいろとよみがえってきました。
ワーグナーは音楽は素晴らしいが人物は褒められたものではない、などなど。
その言葉とそのときの父の表情にとても含みを感じて、長じてあれは彼のドイツ主義と反ユダヤ的思想について言っていたのかなと漠然と思っていましたが、もちろんそれもあるけれどもっと俗的な意味もあったのだろうなぁとこのミュージカルを見て思いました。
10代の頃の私はワーグナーとコージマ(梅田彩佳さん)の関係をロマンティックなものと考えていたのですが、そのイメージも覆りました。
人間だもの。こういうこともあるよねと思う2人でした。

そしてこういう俗っぽさは、ルートヴィヒ2世には耐えられなかっただろうなぁとも思いました。
美しい夢と崇高な理想を愛した彼には。わかるよわかるよその気持ち!と思いながら見ていました。
彼の生き方もまた褒められたものではないでしょうけど。
ルートヴィヒ2世にとっての正義は美しく調和した世界なのだと思いました。戦争なんてとても耐えられるものではない。
自身は美しい城を出て軍隊を指揮することはせず、それを弟のオットー(今江大地さん)に任せる。

兄と同じバイエルン王家の血を引くオットーもまた繊細な神経の持ち主で、無残な戦場の光景を目の当たりにして精神を病んでいく。
無責任な兄の犠牲者だなぁ。

もう1人ワーグナーの犠牲者として描かれていたのがビューロー(渡辺大輔さん)でした。
ワーグナーの音楽の高い芸術性に心酔するがゆえに妻を奪われ誇りをズタズタされてもワーグナーと決別することができない。その葛藤に長く苦しんでいる人物として描かれていました。
彼の視点から描かれたワーグナーたちを見てみたいなと思いました。

この作品にはルートヴィヒ2世やワーグナーをとりまく幾人かの女性が登場しましたが、描かれ方に奥行きがなくてつまらないなと思いました。
ゾフィー(堤梨菜さん)もテレーゼ(藤田奈那さん)もミンナ・プラーナー(彩橋みゆさん)もルドヴィカ(河合篤子さん)も、結婚したい若い女性、ひたすら献身する女性、浮気性の夫に悩まされる女性、そして娘を結婚させたい母親、というだけで。

フランツ・リストとダグー伯爵夫人マリーの血を引くコージマも、夫を発奮させる妻という役目に終始する女性。
むしろワーグナーの芸術性を支えた人なのではないかと思うけど、甘えたの夫を甘やかすだけの女性として描かれているように見えました。
コージマにしてもゾフィーやテレーゼ・フォン・バイエルンにしても音楽を愛し高い知性と教養を備えた人だと思うのだけどなぁ。そこには触れられないのだなぁ。

エリザベート役の夢咲ねねさんは期待通りの美しい立ち姿と存在感。ルートヴィヒ2世が憧れるに相応しい夢のような美しさで納得だったけれど、求められているのはそれだけなのかなと。

女性には憧れられる外側と男性を支えることだけを求められているような描かれ方でつまらないなというのと、音楽が真面目過ぎるというか艶っぽさが感じられなくて印象が薄かったのが残念でした。
再演があるとしたら、そのあたりを魅力的にしてほしいなぁと思いました。

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2022/04/23

俺の生まれはバルセロナ。

4月8日に東京宝塚劇場にて宙組公演「NEVER SAY GOODBYE」を見てきました。

新型コロナウィルスの影響で宝塚大劇場での上演回数が半減して、私が見ることができたのは千秋楽を含めて3公演。
そして東京公演はこの1回きりの観劇となりました。

ジョルジュ(真風涼帆さん)については先に感想を書きましたのでそのほかの感想をと思いますが、書き出すと終わりが見えないほど次々に湧いてくるものがあるので、時代背景に想いを馳せながらムラと印象が変わったなと思ったことを交えながら書いていきたいと思います。

まずプロローグのエンリケ(奈央麗斗さん)がヴィセント(芹香斗亜さん)にそっくり!とびっくりしました。
おじいさん似だったのねー。
ムラではそれほど思わなかった気がします。東京公演ではお化粧や髪型で寄せてきたのかな。(もしかするとムラで私が気づいていなかっただけなこともあり得ますが)
ペギー(潤花ちゃん)もおばあさんにそっくりだし笑、紛れもなく2人の孫なんだなぁと思いました。
こうして孫たちがスペインの地で邂逅できてよかったなぁとしみじみしました。

物語ののち反乱軍が勝利してフランコ独裁政権になったスペインの地を、キャサリン(潤花ちゃん)は二度と踏むことはできなくて、ヴィセントに会うこともジョルジュ(真風涼帆さん)の最期について話を聴くこともできなかったことを思うと、こうして2人が平和な時代を生きて会えて話していることが感動でした。
これもフランコ独裁政権が終わったから実現したことなんだなぁ。

ペギーが言っている1992年のバルセロナ・オリンピック、開催当時はよくわかってはいなかったんだけどそれでも歴史的なことが起きているんだなぁと思ったものです。
そこにはたくさんの人びとの想いが詰まっていたんだなぁ。

余談ですが、その開会式ではフレディ・マーキュリーがバルセロナ出身のオペラ歌手モンセラート・カバリエと一緒に歌うはずだったんですよね。前年に亡くなってしまわなければ・・
オリンピックの公式サイトにフレディ・マーキュリーとカバリエが歌っている楽曲「バロセロナ」を使用したモンタージュビデオがあったのでリンクしておきます。
ビデオにはジョルジュたちが過ごしたサグラダファミリアの1992年当時の映像や、バルセロナオリンピックスタジアムも映っています。
このスタジアムは、1936年の人民オリンピックに使用されるはずだったものを改修したのだそうです。ヴィセントやビル(瑠風輝さん)たちがこの場所でリハーサルしたんだなぁ。
(こちらも→ Freddie Mercury ft. Montserrat Caballe - Barcelona (Live in Olimpiada Cultural)  )

初演の時は、世界史の中の出来事だなぁという捉え方しかしていなかったと思うのですが、2022年のいまのこの世界情勢の中だからこそ1992年のバルセロナの人びとの歓喜の意味に想いを馳せることができる気がします。
そんないまこの時に見る「NEVER SAY GOODBYE」となりました。

物語は1936年に遡り、舞台はきな臭いヨーロッパとは遠く離れたアメリカ、ハリウッドのクラブ「ココナツ・グルーヴ」。
前年には「TOP HAT」同年にはチャップリンの「モダン・タイムス」が公開されたそんな時代なんですね。
(「TOP HAT」では英米と南欧との格差が感じ取れますし、「モダン・タイムス」は労働者をただの歯車として消費する資本主義社会を批判的に描いているように見えます)

新作映画の製作発表パーティに集うセレブたち。そして紹介される出演者や関係者たち。
そのなかにラジオ・バルセロナのプロデューサーのパオロ・カルレス(松風輝さん)がいて、当時誕生したばかりの社会主義国スペイン共和国について歌い、海の向こうのヨーロッパでは労働者が国を動かす時代が到来したことを示唆。

私はパオロさんが片頬を上げて哂うのが好きで、見るたびに出た出たこれこれとニヤニヤしました。
人好きのする気さくな笑顔を相手に見せながら、見せていない方で哂ってる。同時に2つの顔をして同時に2つのことを考えているみたい。
言葉巧みに都合の悪い真実についてはすっとぼけて相手にとって耳障りの良い話を滔々としてその気にさせる。→スタイン氏(寿つかささん)はすっかりその気。
どんなピンチも言葉の言い換え、発想の転換で切り抜けていきそう。
いかにもやり手興行師な風情。いいキャラ作っているなーと思います。

時代の空気はハリウッドの若者たちにも影響を与えていて、キャサリンや仕事仲間のピーター(春瀬央季さん)も純粋に社会主義思想に理想を抱いているみたいで、ピーターはユニオンを作ろうと持ち掛けて仲間から渋い顔をされているし、キャサリンはそんな仲間たちに「情けない」と檄を飛ばしている。

この場面は都会に集う若い知識人のリアルが感じられるなぁと思いました。不満はこぼすけれど実際に行動を促されると尻込みしてしまう。とてもよくわかります。
彼らが歌い継ぐ洗練されたメロディもアメリカだなぁと思いました。こういう曲調は舞台がスペインに移ると聴けなくなるので噛みしめて聴きました。

そしてキャサリンが自分を鼓舞する勇ましい「ハッ!」が好き。この無謀で理想を食べて生きているキラキラしたかんじは嫌いじゃないなぁと。むしろ微笑ましくてフフッと笑ってしまいました。
当時の彼らにとって、ヨーロッパの情勢はどんなふうに映っていたのかな。自分たちとはかけ離れた遠い海の向こうの出来事? それとも共感? この頃はまさかスペインで内戦が起きるとは思っていなかったのだろうな。(だからこそマークたち一行もロケの下見を名目に物見遊山でスペインまで行ったのだろうし)

アニータ役の瀬戸花まりさんは歌うまさんなのは知っていましたが、ムラで見た時は曲調と声質が合っていないかなと思っていました。初演の毬穂えりなさんがとても豊かな声音で素晴らしかったので、どうしてもその記憶が呼び起こされて。
でも東京のアニータは歌い方から変わったみたいで、とても深みのある歌声が素晴らしくて聞き惚れました。
アジトをみつけてあげたり、ヴィセントの実家の片づけを手伝ったり、かと思うとキャサリンに出国の手配をしてあげたり、彼女が味方についていなかったら、彼らはもっと早くに破綻していたんじゃないかしら。
キリっとした頼もしさもあるのに、セリフのないところでは愛おしそうな眼差しでジョルジュたちをみつめているのもいいなと思います。
そもそもどうして彼女はジョルジュたちと行動をともにしているのかなと想像してしまいます。

テレサ役の水音志保さんは「夢千鳥」につづいての抜擢かな。ここ数年気になる娘役さんだったのでキャスト表にテレサとあるのを見てとても嬉しかったです。
2番手の芹香さんに寄り添っても遜色ないし、愛されている女性のきらめきや自分の踊りで生きていく強さとしなやかさも見て取れてとても好きでした。
美原志帆さんや音波みのりさんみたいな綺麗なお姉さま役ができる人になって、これからも楽しませてもらえたら嬉しいです。

キャスト表を見て楽しみにしていたもう1人、ラパッショナリア役の留依蒔世さん。歌声の迫力さすがでした。
ムラでの初見の時は、娘役さんのキーがちょっと苦しそうかな?と思ったのですが、ムラ千秋楽そして東京とどんどん声が安定して迫力が増していたので、東京千秋楽にはどうなっているのかと思います。(私はライビュでしか聞けないのが残念)
歌もさることながら、娘役さんたちを率いて、そして男役さんたちに交じっての市街戦も女性としてカッコよくて素敵でした。
フィナーレでもとてもしなやかで力強い娘役ダンスを披露していて、見応えのあるパフォーマーぶりで魅了されました。宙組になくてはならない存在だと思います。

そしてバルセロナ市長役の若翔りつさん。市長の内戦勃発を知らせる歌は初演では風莉じんさんの歌唱力に驚いた記憶がありますが、若翔さんもぶれることなく素晴らしかったです。こんなに歌える人とは知りませんでした。
「バルセロナの悲劇」でラパッショナリア役の留依蒔世さんと一緒に歌うところは聞いていて高揚しました。歌うまさんが合わさるとこうなるの??と。
あの場面はコーラスも最高で、その押し寄せるような歌声のうねりに涙を流して聴いていました。

故郷バルセロナを愛するヴィセントのソロ曲「俺にはできない」は、初演の「それでーもーおーれはのーこるー大切なーものをまーもるーためー」のほうがインパクトあって(いろんな意味で)わかりやすかったなぁと思います。
初演でヴィセントは脳みそ筋肉だけど愛すべき人、と強くインプットされている私はムラの初見で大いに混乱してしまいました。

ヴィセントは初演では2番手の役にしてはそこまで大きな役という印象ではなかったので(アギラールのほうが2番手っぽい役だなと思っていました)、ベテラン2番手芹香斗亜さんのために書き足しされるんじゃないかなーと思っていたのですが、場面として大きな書き足しはされていなかったようでした。
いちばん変わったと思ったのはソロ曲「俺にはできない」が、メロディも歌詞も別物になっていたこと。
ほかはココナツ・グルーヴの登場の場面で「オーレ!」と決めポーズをするだけだったところで、1フレーズ歌が入ったとかそんな感じ。戦場の場面が増えてくれたらいいなぁなんて思っていたのですが。

場面を増やさないかわりに、芹香さんのためにソロ曲で銀橋を渡ることにしたのだなと思うんですけど(初演では銀橋は渡っていないので)、そうするためには初演のナンバーでは長さが足りないし、芹香さんの歌唱力を活かすべくワイルドホーン氏に歌いあげ系の新曲を書いてもらったのだろうな。
曲のタイトルはそのまま、メロディアスな曲調に。歌詞も内容はほぼそのまま言葉数が倍以上増えてより抒情的に、感傷的になっていました。
そのためヴィセントという人が謎な人物になったように私には感じられました。

あの場面は、闘牛士たちがバックヤードで「闘牛の中心地のセビリアが反乱軍の手に落ちた」「俺たち闘牛士はこれからどうなる」と喧々囂々と言い合って「闘牛を続けるためになんとかして南部へ行こう」という話で纏まりつつある中で、ベンチに座ったままずっと黙りこくっていたヴィセントが「俺の生まれはバルセロナ」「俺は残る二度と闘牛できなくても」と闘牛士仲間と行動を共にしないで1人残ってバルセロナで反乱軍と戦う決意を言い放つんですよね。

「敵と味方か」ともヴィセントは言ってる。
闘牛士というのは王侯貴族や伝統と深く結びついている職業なのでしょう。
反乱軍は、社会主義国となったスペインで既得権益を失ってしまった王侯貴族や教会、ブルジョワたちに支持されて勢力を強めていったわけで、闘牛士たちはそうした反乱軍を支持する人びとの庇護下に入るために南部へ下ろうとしているということなのではと思います。
だからヴィセントの「俺にはできない」に繋がるんだと思うんですが、脚本上それに少しも言及しないので1人ヒロイックな妄想に耽って歌っているみたいな印象をうけてしまいました。

ヴィセントってジョルジュのことを子や孫に語り継ぎ、その命ともいえるカメラを、ジョルジュとキャサリンのあいだに宿った命に連なる孫のペギーに受け継ぐとても意味深いところを担うなど、ファンクションとしての役割は重要なのに、人物の肉付けや整合性に粗さが否めない描かれ方をしているので演じる芹香さんも作り上げるのに苦労したのではないかな。

セビリアはフランコ将軍たちが蜂起したモロッコからは目と鼻の先のスペイン南部の都市で、バルセロナはスペイン北部のフランス国境と接したカタルーニャ地方にある都市。整備された道路を通ってもおよそ1000Kmちかい道程。(Google map調べ)
セビリア生まれのファン(真名瀬みらさん)をはじめ、ホアキン(秋音光さん)、ラモン(秋奈るいさん)、カルロス(水香依千さん)、アントニオ(穂稀せりさん)、ペドロ(雪輝れんやさん)たちは、無事に戦火を掻い潜って南部に辿り着けたのでしょうか。

彼らにはイデオロギーなどどうでもよくて、純粋に人生を懸けた闘牛をつづけたいという一途な気持ちで命を懸けた行動を余儀なくされている。
どこをとっても戦争は残酷だと思います。
たとえそこに英雄がいたとしても美談にしてはいけないものだと思います。

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