カテゴリー「♖ ミュージカル」の100件の記事

2021/12/18

決して言いはしないサヨナラだけは-NEVER SAY GOODBYE -。

2022年2月からの宙組大劇場公演「NEVER SAY GOODBYE」の配役が発表になったので、初演のルサンクを引っ張り出して、おさらいと予習を兼ねて、登場人物を書き出してみました。

それから時代背景も。
初演を見た時の記憶をたどると、対ファシズムというよりは、内紛による人間模様を描いた作品という印象が強く、登場人物たちの属性や関係性がわからないとストーリーが飲み込みにくかったと思うので、自分の頭の中を整理するためにそれも書き添えました。
とくにPSUC(プスク)とPOUM(ポウム)などは、両方とも同じ人民戦線側なんですけど内部で対立しているので。

初演当時は、和央ようかさんの怪我は大丈夫かしら、もしも和央さんが休演することになってしまったらどうなるのかしらと不安を抱えながら見ていました。
こんなにミュージカルナンバーに溢れた大作のアンダーをやれる人も正直組内にはいるように思えませんでした。2番手の大和悠河さんとでも8期離れていて他の追随をゆるさない大きな存在でしたから。

それからフランク・ワイルドホーン氏による楽曲は良いものばかりでしたが、ストーリー的に私には未消化の部分がありました。
①ジョルジュが内戦の真実をフィルムに残すことよりも、カメラを銃に持ち替えて義勇兵として戦う決意にいたる心情、②バリバリの新進劇作家だったキャサリンが後半は辛気臭い女性になってしまったこと、が腑に落ちずに終わった気がするので、そこが再演を観劇することでクリアになるといいなと思います。

それにしてもいまルサンク巻末のシナリオを見ますと、役名ではなくて生徒名になっていたり、じっさいの舞台で見たシーンやセリフが載っていなかったりでかなり大慌てで入稿されたのかしらと思います。

そのあたりも含めて、再演は変わるのかなと思いますが、とりあえずですが公式サイトにアップされた登場人物に初演のときの属性等を書き添えてみました。
(公式サイトにアップされた再演のキャスト表には名前がない人物も含みます)

<ハリウッドで登場する人びと>
【ジョルジュ】(真風涼帆)フランスから来たカメラマン。ポーランド生まれ。「僕はデラシネ、根無し草だ」。
【キャサリン】(潤花)アメリカ人の社会派シナリオライター。映画「スペインの嵐」原作者。
【ヴィセント】(芹香斗亜)バルセロナ出身の闘牛士。映画「スペインの嵐」に出演のため渡米。
【マーク】(寿つかさ)映画「スペインの嵐」プロデューサー。
【パオロ】(松風輝)ラジオバルセロナのプロデューサー。映画「スペインの嵐」スペインロケの打ち合わせのため渡米。
【エレン】(天彩峰里)映画「スペインの嵐」主演女優。
【ヘンリー】映画「スペインの嵐」に出演。エレンの相手役。(2022年キャスト表に名前なし)
【ピーター】(春瀬央季)シナリオライター仲間。キャサリンとともにモスクワへ世界作家会議に向かう途中バルセロナに立ち寄る。
【ベティ】(小春乃さよ)シナリオライター仲間。
【ミリー】(湖々さくら)シナリオライター仲間。
【ジョン】(秋音光)シナリオライター仲間。
【デイヴ】(秋奈るい)シナリオライター仲間。
【パティ】(花宮沙羅)シナリオライター仲間。
【ボブ】(水香依千)シナリオライター仲間。
【ニック】(希峰かなた)シナリオライター仲間。

<バルセロナで登場する人びと>
【アギラール】(桜木みなと)人民オリンピック組織員会宣伝部長。PUSC(統一社会党)幹部。ソヴィエトが後ろについている。
【コマロフ】(夏美よう)ソヴィエト文化省の諜報員。
【アニータ】(瀬戸花まり)占いをする女性。
【母親】(花菱りず)市民。市街戦で息子(マリオ)を撃たれる。
【マリオ】市街戦で狙撃される少年。(2022年キャスト表に名前なし)
【ラ・パッショナリア】(留依蒔世)マドリード包囲戦において「ノーパサラン!(やつらを通すな)」のスローガンで有名な政治指導者、ドロレス・イバルリ。「ラ・パッショナリア」は受難者または情熱の花の意味。
【イザベラ】(小春乃さよ)歌い手。
【市長】(若翔りつ)バルセロナ市長。
【リベラ】(澄風なぎ)POUM(統一労働者党)党員。
【フリオ】POUM党員。(2022年キャスト表に名前なし)
【テレサ】(水音志保)ヴィセントの恋人。踊り手。

《センチュリア・オリンピアーダ》
【マックス】(紫藤りゅう)オランダ人。レスリング選手。
【ビル】(瑠風輝)英国人。高跳びの選手。
【ビョルン】(鷹翔千空)スウェーデン人。フェンシングの選手。
【ハンス】(風色日向)ノルウェー人。フェンシングの選手。
【ナセール】(優希しおん)アルジェリア人。ボクシングの選手。
【タリック】(亜音有星)モロッコ人。ボクシングの選手。

《闘牛士》
【ホアキン】(秋音光)
【ラモン】(秋奈るい)
【カルロス】(水香依千)
【アントニオ】(穂稀せり)
【ファン】(真名瀬みら)
【ペドロ】(雪輝れんや)

<現代に登場する人びと>
【ペギー】(潤花)キャサリンの孫。
【エンリケ】(奈央麗斗)ヴィセントの孫。

<時代背景>
第一次大戦後のスペインはいったんは軍事独裁政権になるも選挙により共和派が勝利し国王が退位、ソヴィエトの影響力のもと人民戦線(社会主義連合政権)による共和国となっていた。
一方ハリウッドの映画業界でも共産主義思想に理想を見出す者も少なくない時代でもあった。(のちの赤狩りにつながる)

1936年7月ハリウッドからスペインに渡航した主人公たちは、フランコ将軍がモロッコで挙兵したという報せを聞く。これがスペイン内戦の発端であった。
当時バルセロナには世界22か国から人民オリンピック(オリンピアーダ・ポピュラール)に参加するため選手が集まっていた。
人民オリンピックとはナチス・ドイツのプロパガンダに利用されるベルリン・オリンピックに対抗してバルセロナで開催される予定のもう一つのオリンピックだったが、開会式のリハーサル翌日(開会式当日)にスペイン内戦が勃発したため中止となった。

内戦は、共産主義であるソヴィエトや国際旅団(義勇兵)が支援する「人民戦線」対、ナチス・ドイツやムッソリーニのイタリアなどファシズム国家が軍事支援する「反乱軍」(フランコ将軍が率いる)との戦いで、スペイン各地で戦闘が繰り広げられた。
人民戦線側は思想的にも一枚岩ではなくいくつもの政党により成り立っていたため統一性に欠けていた。(PSUCがPOUMを粛清する)

やがて人民戦線側が劣勢となり、1939年1月バルセロナが陥落、3月に首都マドリードが陥落し反乱軍が勝利、スペインはフランコ独裁政権の時代へ向かっていく。

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2021/11/23

ハートのエースがほしいの?

11月17日と18日にシアター・ドラマシティにて宝塚歌劇宙組公演「プロミセス、プロミセス」を見てきました。
18日のソワレは千秋楽でした。

外部のミュージカルを見てとても好きな作品だったし、宙組でキキちゃん(芹香斗亜さん)がチャックなんて絶対面白いに違いない!せったい見たい!と思っていて、チケットが取れた時は小躍りしました。

わくわくして客席に座って、キキちゃん演じるチャックが客席に語りかけながら軽妙に舞台は進んで、とっても面白かったんだけど、思っていたのとはニュアンスが違うなぁと正直思いました。
お笑いがベタになっているのが気になりました。千秋楽は関西最終日ということでいっそう振り切ったのもあるかもしれないけど。笑いに関するコンポジションがちょっとうううーーん。

クスリと笑った後にせつなくなるような。苦笑いしちゃうような。そんな作品を期待していたんだけどな。
チャックが待ち合わせの時間を過ぎてもフランが来なかったときにいうセリフたち。どれもみんなせつなくて好きなんだけど、流れてしまってて。
大好きなニックスが129-128で負けちゃう試合が見なくてもいい試合だなんてはずがないのに。
チャックのやせ我慢とフランを悪く思いたくない気持ちと自己欺瞞とが混ぜこぜになったあのセリフたち。クスリと笑って切なくなったあの一連が。

重役たちがデフォルメされすぎちゃっていたのも笑いにくいなぁと思いました。本物の男性が演じたときは、えーーひどい信じられない!と思いつつも悲哀も感じたのだけど。

それといちばんはサウンドがちがうなぁと。タイプライターとかエレベーターとか電話とか。“Tin!”という軽やかな世界。そういうイメージだったのだけど、音響さんが頑張り過ぎちゃったのか、音がかぶさり過ぎちゃってて。
いちばんショックだったのは、“I’ll never fall in love again"をこんなふうにアレンジして歌っちゃうんだーってとこ。

傷ついた女の子が、恋したらどうなるの?嘘と痛みと悲しみを得るだけ キスしたらどうなるの?ばい菌もらって肺炎になって彼から見向きもされなくなる もう恋なんてしないわ すくなくとも明日まではね と歌う歌なんだけど。
私はチャーミングなフランを期待していたのだけどちがってて。え?ってなっちゃいました。

主人公は田舎から大都会に出てきて大会社で働いてて、でも自分はその歯車の一部にしかすぎなくて、野心はあるけど目立たなくて女の子にもモテなくて。そんな毎日がひょんなことから一転してこれはチャンス??というところからのアップダウン。
勝手に夢見ていた理想のマドンナも自分とおなじ現実を生きる現代の女の子で。
自分はどうなりたいのかってやっと気づいてっていうお話。
これはチャックだけじゃなくて、舞台に登場する社員の1人ひとりがきっと似たような経験をして人生のステップを登っていくんだなと思えるお話。
女の子たちもおなじ。
世界中のチャックとフランに向けた応援歌みたいな作品だと思います。
繊細で柔らかいところを優しく扱ってほしい作品なんだなぁ。。
面白かったけれど、でもなぁって正直思いました。


キキちゃん(芹香斗亜さん)は肩肘はらなくても魅力的な男役さんだなぁ。チャックの自己分析的な面白さと、自分でも気づかない哀愁の具合が絶妙でした。キキちゃんでコメディをもっと見てみたいなぁと思います。

天彩峰里ちゃんのフランは可愛らしいけど思ったよりも大人っぽかったな。やっぱり歌がいいなぁ。できればもっと彼女の素の歌声を聴かせるアレンジになっていたらいいのになぁと思いました。ポップス系もお上手だから。

輝月ゆうまさん、私は生で見るのは月組の「エリザベート」以来でした。好きだったなぁ輝月さんのマックス公爵。今回もDr.ドレファス最高でした。若い頃は羽目を外したこともでもいまは魅力的な人生の先輩っていうかんじ。本人はうんとお若いのに笑。芝居の間がとてもいいなぁと思いました。

シェルドレイクの和希そらさん、ミドルエイジの色気が凄かったです。どうしちゃったの。変幻自在だなぁ。若い女性はいちころですよねあれは。若くないけどいちころになりそうでしたもん。雪組に行っちゃうの寂しいなぁ。

留依蒔世さん、振り幅凄すぎ。なにをやっても決まるなぁ。ミュージカルナンバーは最高でした。宙組の宝だと思います。これからもいっぱい見たいです。期待!

瀬戸花まりさんのミス・オルスンがキラリと光ってました。オフィスレディの花宮沙羅さんや春乃さくらさんも美人で魅力的でした。宙組には素敵な娘役さんがいっぱいなことに気づきました。
若いビジネスマンたちのスーツ姿も素敵。重役を演じていた人たちがバーでは別の人になって自由にいろいろやってるのも面白かったです。
真名瀬みらさんと風色日向さんに目がとまりがちでした。

今月末から東京公演がはじまりますが、配信も放送も販売ソフトもないので伝説の舞台になりそうです。
実況CDだけは発売されるのかな。
CSのニュースだと劇場よりも音が控えめで聴きやすかったので、それとおなじ音のレベルだったら購入しようかなと思います。
今年はウィンターイルミネーションを見るたびにこの舞台を思い出しそう。
どうか千秋楽まで無事完走しますように。
happy holidays!

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2021/05/07

僕は怖い。

4月23日に東京宝塚劇場にて星組公演「ロミオとジュリエット」B日程を見てきました。

ムラでAB日程をそれぞれ見て、A日程はこの後ムラの千秋楽と東京の千秋楽をライブビューイングで見ることができるけれど、B日程はもう二度と見られないのかと思うと居ても立ってもいられず友の会にエントリーしたところ幸運にもチケットを手にすることができました。
(緊急事態宣言の再々発出により4/26以降の公演が中止となり、結果的に5/2にB日程の無観客上演のライブ配信をもう1度見ることができたのですが)

A日程とB日程、より宝塚度が高いのはA日程のほうだと思うのですが、B日程には私を中毒にさせる要素がありました。
愛ちゃん(愛月ひかるさん)の死はもちろんのことですが、礼真琴さんのロミオ、綺城ひか理さんのベンヴォーリオ、天華えまさんマーキューシオが作り出す関係性が好きでたまりませんでした。3人で歌う「世界の王」のハモリはとても心地よく、マーキューシオの「マブの女王」ベンヴォーリオの「どうやって伝えよう」そして皆で掛け合う「街で噂が」は、こんなふうに歌って聞かせてもらえるとはと。なんども聴きたくなるくらい好きです。
「決闘」はナンバー内のそれぞれのキャラクターの心情が、ムラで見た時よりもさらに鮮明に見える気がして、ロミオの気持ちを思うベンヴォーリオも見たいし、ティボルトにだけはムキになってしまうマーキューシオの狂気と挑発のぶつかりあいも見たいし、目が足りなくて困りました。

ロミオ、ベンヴォーリオ、マーキューシオの3人のバランス、モンタギュー家に連なる者とはいえバックボーンのちがう3人の若者がそれぞれに漠然とした不安や苛立ちを抱えてそこに存在する感じが好きでした。
“チーム・モンタギュー”としての絶秒な距離感。チームであることがいちばんのアイデンティティーであること。まだ社会的責任を負う必要のない青春の輝きと万能感のグルーヴ。それが綻びていくときの葛藤や希求や狂気、無力感。普遍的な懊悩を抱える若者像が胸に刺さりました。
私にとってそれが魅力でした。

それもみんな主演のロミオ役の礼真琴さんとジュリエット役の舞空瞳さんが安定の実力と魅力で舞台を引っ張っているからこそだと思います。
2人とも可愛らしくてピュアピュアしてて、夢見るロミオとロミオよりはちょっと現実的だけどやっぱり世間知らずなジュリエットの関係性が微笑ましくて、見ている私の頬は緩みっぱなしでマスクをしていて本当に良かったと思いました。
自分を16年間育ててくれた乳母さんが結婚していたことも思いつかないジュリエットの自分のことにしか興味がない若さが眩しくて。素直で我儘で自分がどれだけ守られているかも知らない舞空瞳さんのジュリエット像が大好きでした。

有沙瞳さんの乳母は宝塚大劇場で1か月前に見たときよりもさらに素晴らしくなっていて感動しました。彼女のジュリエットへの愛はどこまで深いのだろうと。
歌唱力のある娘役さんですが、ムラで見た時はさすがの有沙瞳さんでも乳母のアリアの音域の広さに苦労されているなぁと思ったのですが、東京公演では歌唱法を変えられたようで、余裕で歌いあげられているうえに情感が増していました。と同時に巧さに驕らず研鑽を怠らない姿勢に感銘をうけました。
キャピュレット卿役の天寿光希さんもムラとは歌唱法が変わったように感じました。娘に対して巧く愛情表現できない父親の心情がムラで見た時よりもより響いて胸が痛かったです。

基本的に関西での観劇が主なので、宝塚大劇場で1か月上演された公演を東京宝塚劇場で観劇する機会があるとそのパフォーマンスの深化に驚かされます。もっと頻繁に東京公演を観劇できたらどんなに良いだろうと思います。

じつは、今回の上京自体が昨年の2月の宙組公演「エル ハポン -イスパニアのサムライ- 」以来で、3月に観劇予定だった雪組公演「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」が公演中止となって以降ずっと東京公演の観劇を見送っていました。
今年の3月に第2回目の緊急事態宣言が解除され、以降はオリンピックに向けてワクチン接種もすすんで感染拡大も収まっていくのではないかという甘い見通しで今回の観劇を計画しました。
時節柄、空港も機内もホテルも細心の感染予防対策が取られ、私自身もできうる限りの感染予防を考え、公共交通機関の利用はラッシュ時を避け食事はすべてテイクアウトでホテルで1人で摂るようにしたのですが、まさかのまさか劇場であんなに会話が飛び交っているとは。
「会話はお控えください」と繰り返し繰り返しアナウンスされ、劇場スタッフの方々もいつもとはちがう強ばった表情で拡声器を使い会話を控えるように呼び掛けているのもかかわらず、ずっと談笑をやめない人たちがいて驚きました。
その会話を続けていることで周囲を不安にさせている事実を認識してほしいなと思いました。

帰宅後
第3回目の緊急事態宣言の発出により4/26以降の公演の中止が発表になり、予定していた宙組「恋千鳥」と「ホテルスヴィッツラハウス」、花組「アウグストゥス」の観劇が泡と消えて愕然としましたが、反面ホッとしたのも事実です。あの不安な客席に座らなくてよいのだと思うと。
どれだけ自分が注意していようとまったく気にしない人がおなじ空間に一緒にいるのだという現実。その不安が劇場から人びとの足を遠のかせてしまうかもしれないということをもっと重く受け止めてほしいと思います。
こんご公演が再開される折にはその不安が解消されていることを切に願います。

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2021/04/27

長い旅路の果てに掴んだ お前の愛。

4月22日に東急シアターオーブにて、「エリザベート TAKARAZUKA25周年スペシャル・ガラ・コンサート」を見てきました。

花乃まりあさんがシシィを演じると知って、どうにかして見たいという思いと時節柄を慮る気持ちに揺れながら抽選に申し込み、幾たびかの先行抽選で辛うじて手にすることができたチケットを手に観劇が叶いました。
これまでエリザベートのガラコンを見たことがなく、そのコンセプトも概要もよくわかっていなかったのですが、キャストの豪華さにびっくり。明日海りおさんのトート! 北翔海莉さんのフランツ! ルキーニ役の望海風斗さんにいたっては宝塚退団後初の外部出演!! ルドルフは七海ひろきさん?! そりゃあチケットがなかなか取れないわけです。しかも宝塚のコスチュームで上演されるとは。
観劇が現実となって事の重大さに気づいた次第でした。

タカラジェンヌの愛し方には、その可能性を信じて見つづけていくというのもあると思いますが、その期待に応え尽くし夢を見せ尽くして卒業していく人もいれば、可能性を残したまま卒業していく人もいて、花乃まりあさんは私にとって後者のジェンヌさんでした。もっと彼女に夢を見ていたかったんです。
結論から言うと、本当に見に来てよかったと思いました。私の中のなにかが成仏できた感じがしました。偉大なる自己満足ですが。

娘役さんはとくにですが抜擢も早ければ卒業も早くて、人間的にも咲ききるまえに去っていかれるのがもったいないなぁと思うことがしばしば。
宝塚と言う閉じられた花園に適応することに命を費やしてやっとその目に映る世界が開けたかなぁと思う頃に卒業される。
宝塚とはそういうところと言われてしまうかもしれないけれど、その世界を愛するあまりに過剰な約束事を信じ込ませて囲いの中に押し込め私たちファンがその青春を消費する、それでいいのかなと心が痛くなることがあります。
いつも心のどこかに彼女たちへの申し訳なさがあるゆえにか卒業後のしあわせを切に祈らずにいられない。しあわせそうな姿に安心する。身勝手な想いです。

でもしかし。
私がそんな身勝手な罪悪感にとらわれているあいだも、宝塚の卒業生の皆さんはその命と芸を磨きつづけていたのだなと目が覚めるような素晴らしい舞台を見ることができました。

7年前、黄泉の貴公子の印象だった明日海りおさんは、いま堂々たる帝王でした。
中大兄やエドガーを経てのいまの明日海さんのトートなんだなぁと。経験を重ねることで同じ役を演じてもこんなに深みが増すんだなぁと思いました。
時間と空間を支配し、流し目ひとつで心を撃ち抜く威力に見ていてワクワクが止まりませんでした。このトート閣下大好き!となりました。
歌にも余裕が感じられて巧みに歌い方を変えたりされてました。ミルクのさいごの歌いあげ方も好きだったなぁ。

そしてすこしも悪びれることなく負の感情や悦びの感情を見せるトート閣下でした。
エリザベートに拒まれてこんなに傷ついた顔をするんだ。一瞬垣間見せるむうっと不貞腐れたような表情には見覚えが。この表情にいつも私はきゅんとしてしまうのです。
彼女を不幸に導く企みを巡らす時こんなに邪悪にほほ笑むんだ。そんなに彼女を愛しているんだと思うトート閣下でした。

自分から死に誘っておきながら「まだ私を愛してはいない!」とエリザベートを突き放す場面はいつも観劇しながらこれはどういうことだろうと考えてしまう場面なのですが、このガラコンではすんなりと腑に落ちていました。
それくらいエリザベートに愛されたがっているトートに見えました。
自分が望む完璧なかたちで愛されないとゆるせない我儘な駄々っ子のようなトート。すこしの瑕もゆるせず思い通りでないと傷つくトート。
私の性癖に刺さり過ぎるトート閣下でした。

そのトート閣下がエリザベートの愛を得て抱き寄せる時のなんと満足気なこと。ラストの昇天の場面でこんなにも自身が救われたように見えたトートを私は知りません。
ウン・グランデ・アモーレ!
死が人を、人が死をこんなにも愛し求めて結ばれたんだ——

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2021/04/03

誰が誰だかわからないさ。

千秋楽も終わってしまいましたが、3月15日と16日に宝塚大劇場にて星組公演「ロミオとジュリエット」を見てきました。
なかなか終わらない感想のつづきです。

梅芸/博多座の初演を除いて、宝塚大劇場での上演のたびにこの「ロミオとジュリエット」にはなにがしかの役替わりが必ずあり、今回の上演もティボルト、ベンヴォーリオ、マーキューシオ、パリス伯爵、そして愛と死がダブルキャストでそれぞれA日程・B日程の2つに分かれました。
かつコロナ禍の感染症対策として出演人数に制限があり下級生がA日程・B日程に振り分けられました。
だからでしょうか、私が見てきた宝塚のいろんな演目の役替わり公演でも、ここまでA日程とB日程で印象が変わった公演もなかった気がします。

とくにB日程は、2番手であり二枚目も性格俳優的な役も演じることができる愛ちゃんこと愛月ひかるさんが、セリフのない死という役を演じた結果、これまでとは異色の「ロミオとジュリエット」になっていた気がします。

ベンヴォーリオとマーキューシオ、そして彼らに敵対するティボルトのパワーバランスが均衡に見え、作品自体の筋立てや登場人物それぞれの芝居をB日程ではバランスよく楽しめたように思います。
私自身が愛月ひかるというタカラジェンヌに思い入れがあり、また愛ちゃんの芝居が好きというのもあり、A日程だとどうしてもティボルトから情報過多になりがちで想像も膨らんでしまって、結果的にかなり消耗もしてしまうので、作品全体に目を配る余力が残らないというのもありますが、B日程は自由に新鮮に作品全体を楽しむことができました。
愛ちゃんの死を通して作品世界を見ることができたのも新鮮に感じた理由かもしれません。

それからB日程は全体を通じての音楽性もとても好きでした。こんな「マブの女王」が聴けるとは。
B日程を見たあと、もうこれを見ることができなくなるのかと思うと居ても立っても居られず、東京公演の先行抽選にエントリーしていました。
甘辛の法則ではないけれど、Aを見たらBが、Bを見たらAが見たくなるという無限螺旋のような役替わり公演でした。

ここからはA・Bそれぞれの役替わりについて、現時点で思いつくままに。

ベンヴォーリオは、原作によるとモンタギュー卿の甥でロミオの従兄弟。西洋の歴史物などを読むとアバウトに従兄弟の息子のことも甥と書かれていることもあるのでロミオの従兄弟か再従兄弟かな。いずれにしても親戚の子。

A日程の瀬尾ゆりあさんのベンヴォーリオは、幼い頃からロミオとともに育ってきた人みたい。ロミオを溺愛するモンタギュー夫人が息子の遊び相手として血縁のなかから選んで息子付きにした同い年の子どもというかんじ。きっと遊びもおやつを食べるのも一緒。子犬がじゃれ合うみたいに悪戯もいっしょにして、いっしょに叱られる関係かなと思いました。キラキラのロミオをそばで眩しく見て彼を誇りに思ってる。ロミオこそが彼のアイデンティティーになっている印象。まさにロミオは彼の王様だなぁと思いました。
ラストの霊廟の場面でロミオの亡骸を前に崩れて泣いている姿は胸が詰まりました。その気持ちを想像するのもつらくて。彼はこのあと大丈夫なのかな。

B日程の綺城ひか理さんのベンヴォーリオは、ロミオよりもお兄さんに見えました。モンタギュー夫人からロミオを諫める役目を仰せつかっているのかなと。生真面目にその役目を果たそうとしている部分と、キャピュレットとの諍いでは厳酷な面も垣間見えた気がします。友だちを守るためには容赦しない烈しさもあるのかなぁと思いました。
ふわふわしてすぐに心が此処(現実)じゃない何処かへ飛んで行ってしまいそうなロミオと、感情に支配されたら逸脱してしまう天華マーキューシオを、この地上に繋ぎとめる枷となっているのが綺城ベンヴォーリオかなぁと思いました。彼がいるから3人は友だちとして青春の時を過ごせたのじゃないかな。
2人の死で彼の青春も終わったのだなぁ。このあとは重責をひたすらに果たしていくベンヴォーリオに思えました。生まれ変わっていくヴェローナで。

マーキューシオは、ヴェローナ大公の甥。原作によるとパリス伯爵の従兄弟か再従兄弟でもある。ヴェローナでもトップクラスの高貴な血筋なんだけど、軽口を叩きモンタギューのロミオとベンヴォーリオとつるんで馬鹿をやってる若者。
モンタギューに入り浸っているのは自分の家よりは居心地が良いからかなと思いました。あまりエリートっぽくなくて子どもには居心地のよい単純さがあるモンタギューの家風が。

A日程の極美慎さんのマーキューシオは、たとえるなら親戚兄弟皆東大出身なのに、中学受験で失敗してドロップアウトした子どもみたいな印象でした。自棄になって荒れていたときにロミオとベンヴォーリオに出会って、ありのままの自分を受け容れてくれた友だちが彼の世界のすべてになった人みたい。2人といっしょにいることでまともに息ができ、彼らについてまわっている。根っこは1人になるのが耐えられない寂しがり屋に見えました。
そういう脆さを愛月ティボルトに見透かされて嬲られキレて、むきになって放った一撃がクリティカルにヒットしてティボルトを逆上させたのが命取り。狂った獣の牙にかかってしまった。
致命傷を負ったことも自分でもよくわかっていなくて、友だちの慌てぶりと気が遠くなる感覚で自分が瀕死だと悟ったよう。
奥手で自分に何も隠し事がないと思っていたロミオが、自分の知らないところで恋をして結婚してしまった。でもそういうところがあるやつだよなっていうのも、やっぱり酸欠に陥った頭でわかっているんだよねと思いました。
自分のことを分け隔てなく受け容れてくれたロミオ。おまえってそういうやつだよなって。だからジュリエットが敵の娘だろうがやっぱり分け隔てなく愛することができるやつだよなって彼は知っているのじゃないかな。だからこそジュリエットを愛し抜けと言い遺すのかなと思いました。ロミオに希望を託していつも気にかけてくれていたベンヴォーリオを思って事切れるせつないさみしい子犬みたいなマーキューシオでした。

B日程の天華えまさんのマーキューシオは、どんなに良い家に生まれても埋められないものがある人なのかなぁという印象でした。彼の苦しみや苛立ちはこの世に生きているそのこと自体にあるような。
ロミオには救いを見出しているような。ベンヴォーリオには安堵を。
大人に囲まれ大人の顔色を見ながら育ち、見えなくとも良い残酷な人間の本質が見えてしまう子どもみたいだなぁと思いました。信じたい人を信じられずに育った子どもみたいだなぁと。
不用意に相手の本質をついてしまうところがありそうな彼は、たぶん大人たちに嫌な顔をされてきただろうなと思うし、たしかにその言葉には毒があるなぁと思いました。彼の挑発に瀬央ティボルトがブチ切れるのがわかりました。
こんなにも人も自分も傷つけ信じることができない彼が、ロミオとベンヴォーリオと一緒にいるときだけは安心できたのかなと。
そんなロミオのことさえ詰るように本質をついてしまう。どうしてそんなに不器用なんだと。でもある意味自分もだし、ここには不器用な子どもしかいない。
ただ彼は確信してもいるのかな。自分が一生懸けてもできなかったであろうことをロミオならきっとやり遂げることができるはずと。それがマーキューシオにとっての救いなんだろうなと思いました。誰かを誠実に愛し抜くこと——それこそが彼にはどうしても埋められないピース、求めても得られないと思っていたことなのではないかな。だから今際の際で「ジュリエットを愛し抜け」と告げたのではないかなと思いました。

パリス伯爵は、ヴェローナ大公の親戚。だからマーキューシオとも親戚。原作でも家柄がよくハンサムでお金持ち、ただし子持ちで年若いジュリエットと再婚しようとしている男性。このくだりはミュージカル版にはないみたいなので、結婚相手としては申し分ないスペックの男性になってると思います。
また原作のパリス伯爵は、仮死状態のジュリエットが安置されている霊廟でロミオと鉢合わせて返り討ちに遭い殺されてしまいます。
モンタギューとキャピュレットだけではなく、大公の家も2人の未来ある青年を失ってしまう。
このままではヴェローナは次世代のリーダーたちをすべて失ってしまうという大公の危機感は大げさでもなんでもないのですよね。

A日程の綺城ひか理さんのパリス伯爵は、たしかにジュリエットに退かれちゃうかも・・という役づくりをされていたと思います。ロミオが「気取り屋の間抜け」というのも肯けます。自分が年若い女の子に好かれないとは思ったことがない人なんだろうなぁ。
彼を見た愛月ティボルトも嫌そうな複雑な表情をしていた気がします。大事なジュリエットをこんな男に・・と思ったら遣る瀬無さがいっそう募ったのではないかなと。仮面舞踏会でも本気で彼からジュリエットを守ってて、そんなだからその隙にロミオに大事なジュリエットを浚われてしまう。
愛月ティボルトに余裕を失わせるには綺城パリスである必要がある気がします。

B日程の極美慎さんのパリス伯爵は、ハンサムで自分が大好きそうで素直そうで何事にも肯定的なかんじが私の好きなタイプのど真ん中で、彼を振っちゃうなんてもったいないなぁと思いました(笑)。ジュリエット、ちゃんと彼と向き合っていないからなぁ。もしロミオより先に彼と向き合っていたら。なんて思ってしまいます。
キャピュレット卿もなんでマスクを着けてなんて提案をするのかなぁ。まちがってるよぉ。ふつうのパーティでよかったじゃん。と思いました。
良縁にめぐり逢うチャンスがだったかもしれないのに、困難な相手と恋に堕ちてしまうのが運命のいたずら。ロマンスってものなのかなぁと別の意味で激しく納得しました。
B日程が好きだったのは極美パリスが好みだったのも大きいです。毒々しいキャピュレット家で彼を見ていると幸せな気持ちになれました。でもティボルトは彼みたいな人が生理的に受け付けないかもしれないなぁ。いやでもひょんなことをきっかけに打ち解けることができたかもしれないとも思えて。
ほんとうはちょっとしたことで考え方が変わったら、しあわせになれた彼らなのかもしれない。
そう思うとせつなさに溺れそうです。

書いているうちにまたB日程を見たくてたまらなくなりました。どうかどうか無事に見ることができますように。

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2021/03/30

報われぬこの恋にけじめを。

3月15日と16日宝塚大劇場にて星組公演「ロミオとジュリエット」を見てきました。
という感想を書いていますが、書き終わるまでに時間がかかって(そうなることは予想していました)
とうとう千秋楽となってしまい、ライブビューイングでA日程を見てしまって、脳みそからいろいろ溢れて整理がつきません。(これは予想外でした)

A日程を見てティボルトで頭がいっぱいになり、B日程を見たらでもこっちが好きかもとなったのですが、昨日29日にライビュでA日程を見て、やっぱりティボルトが~涙。。と。
ということで、いったんまた少々ティボルトについて書いてから、ベンヴォーリオやマーキューシオについて書いていたものを整理しようと思います。

ティボルトは憎しみが渦巻く街で叔父叔母から心理的虐待と性的虐待を受け育ち、純粋さも夢も心の奥深くに封じ込めることでギリギリ今を生きている若者。彼を庇護する存在はどこにも見当たらない。
それでいて「跡取り」とか「御曹司」という重責を背負わされている。
親や乳母に無条件に愛されて夢を語れるロミオやジュリエットとは育ち方がちがう。
だからジュリエットに夢を見るのだろうし、ぬくぬくと育ったロミオにはイラついてしょうがないだろうと思います。

無力感や絶望をなんど味わってきただろう。夢は潰され希望には耳を貸してもらえない。称賛されてきたことといえば敵を威嚇する態度と暴力、そして異性に対する魅力。それが自己肯定できるすべて。
ジュリエットを好きだけれど、愛されたことがないので、愛し方を知らない。愛され方も知らない。
彼女が愛するロミオを殺してその屍を前に告白しようなどど。憎まれる方法しか知らない憐れな子。

愛月ひかるさんティボルトは、葛藤の末に今は諦観し自分の立場をわきまえ周囲の期待に適応しているように見えました。本当の俺はちがうと思いながら。
いまでは敵からも一族からも恐れられるリーダー。些細な刺激をきっかけに衝動的にキレるけれど、ジュリエットを思う時はまるで別人。
あまりにジュリエットのことが好きすぎて、ロミオを憎いと思う以上に、ロミオと結婚したジュリエットに復讐したい「今日こそその日」に見えました。
彼にとってこの世で唯一の美しいものが壊れてしまい、彼自身も壊れてしまったよう。
ジュリエットの存在。ジュリエットを好きという気持ちこそが、彼がこの世にとどまる理由だったのではないかと思えてなりません。
禁断の愛を叫び、咆哮する彼の「けじめ」とは。
ジュリエットに告白するその日とは、自分にとって世界が終わる日だとわかっているのですよね。
それ以外の道もきっと考えていたはず。いつまでその別の選択肢をもっていたのか。いつからその道を考えなくなったのか。
「その日」を覚悟した彼にもう躊躇いのだろうな。人を刺殺することも死も。
昨日はつらすぎて、頭がぐるぐるしてしまいました。

16日に見た時の印象なのですが、瀬央ゆりあさんのティボルトは、予想以上に狂気に溢れていました。
狂いでもしないと人を憎めない、わかってほしいから皮肉屋になる、怯えを隠したいから冷笑する、そんな感じ。いまリアルに心から血を流している、そんな感じがして痛々しくて胸が痛むティボルトでした。
もっと繊細で機微のつたわる街に生まれるべき人だよね。生まれてきたことの痛みや悲しみが憎しみに変容しているよう。きっとまだ葛藤の只中にいるティボルトなんだなぁと思いました。
まだロジカルに処理できない。ジュリエットのことも。
舞踏会ではジュリエットを守ろうと一生懸命。そこよ、そこをもっとジュリエットに見せるチャンスがあれば・・なんて不器用なの・・涙。
彼に必要なのは対話だと思いました。こんがらがったもの、本当の自分を対話によって整理すること、その相手。恋人よりも友。
意外とジュリエットが良い話し相手になったかもしれないのに、彼女けっこう辛辣に指摘しそうよ、身内とか親友には!(ジュリエットに泣かされるティボルトが目に浮かびました)
でもこんなに棘を出しまくっていたら誰も近寄れない。それが彼の悲劇だなぁと思いました。

A日程だけ感想がアップデートしてしまった感があり、なんだかアンバランスだなぁと我ながら思いますです。
AB1回ずつ見て、千秋楽ライビュは大劇場も東京もA日程と知り、もう1度どうしてもB日程が見たくて友の会にエントリーした結果4月に見に行けることになりました。
深化したB日程を楽しみにしています。

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ここはヴェローナ。

3月15日と16日に宝塚大劇場にて星組公演「ロミオとジュリエット」A・B日程を見てきました。(前記事のつづきです)

15日に役替わりA日程を見てこの上なく満足したのですが、甘かった。
翌日に見たB日程はA日程と世界観がちがいました。A日程に満足したからこそ役替わりによる異なる世界観を楽しめたのかもしれません。

B日程は先にライブ配信を見ていたので、如何なるものかはわかっていたつもりだったのですが、カメラが追う映像と実際の舞台を見るのとではやはりちがいました。
プロローグで舞台に伏せた死(愛月ひかるさん)が顔をあげた瞬間にゾゾゾッと鳥肌が立って、そこから別の世界に引き込まれてしまった感覚。
ヴェローナという街に淀む瘴気や恐怖や憎しみといった人々の精神を蝕むものが凝り固まって妖美な存在となって人を死へと導いている。そんな禍々しいものが操る世界で生きている人びとの物語が進行しているようでした。
A日程の天華えまさんの死はプリミティブで人間の怯えを増幅させて愉しんでいるような怖さで、Bの愛ちゃんの死は高知能で無慈悲に無力な人間を絡め落としていく怖さがありました。

A日程では、なぜ?と思わずにいられない登場人物たちの言動に心をかき乱される物語を見たのですが、B日程では、目に見えないもの、運命とか偶然とか論理的ではないものに操られてしまう人間の果敢なさを見せられた気がしました。責任の所在がちがうといいますか。

Bの「僕は怖い」では、愛ちゃん(愛月ひかるさん)の死と琴ちゃん(礼真琴さん)のロミオのシンクロ度に目が離せませんでした。ほんとうに死に操られているようにしか見えないロミオ。背後から操る死の指先にビクッと反応するロミオ。琴ちゃんは後ろにも目があるの???とびっくりしました。トップさんと2番手さんが息ピッタリって好きだわぁと思いました。

死に意思があるとしたら、命を奪う相手は無作為に選んでいるのか、それともこの人間と狙っているのか。どっちだろう。
私には愛ちゃんの死はロミオの命に吸い寄せられているように思えました。ロミオの魂が発する怯えがなによりも好物なのだろうなと。その魂の匂いや手触りをたしかめようとしているみたい。
そしてロミオの命をたいらげたら、ジュリエットというドルチェがついてきたかんじ?

A日程とB日程、死の居方がちがうことで物語の見え方が変わったのも面白かったです。
A日程は街を支配するドグマに抗うことができない人間たちの悲劇が見えましたし、B日程は運命に操られる人間たちの葛藤の物語のようでした。
また、ABで赤青のパワーバランスがちがったのも、物語を別の視点から見せてくれたように思います。

(昨日のライブビューイングでまた脳みそが膨張してしまったのでいったんここまででアップします)

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2021/03/23

本当の俺はちがう。

3月15日と16日に宝塚大劇場にて星組公演「ロミオとジュリエット」を見てきました。(前記事からのつづきです)

琴ちゃん(礼真琴さん)トップの星組で「ロミオとジュリエット」が上演されるなら、ティボルトは愛ちゃん(愛月ひかるさん)でベンヴォーリオは瀬央ゆりあさんだろうなぁと思っていました。
もし役替わりがあるとしても、愛ちゃんはベンヴォーリオってかんじでもマーキューシオって柄でもないからティボルトは役替わりしないんじゃないかなぁと漠然と考えていました。
配役が発表になって、愛ちゃんがまさかのティボルトと死の役替わりでびっくり。その手があったか。2013年の星組の真風涼帆さんパターンですよね。ただ真風さんは当時3番手とはいえ新人公演を卒業したばかりの研8くらいの学年ではなかったでしょうか。
じきに研15の2番手が演じる死は、いかなるものになるのかこれは絶対に見に行かなくてはと思いました。(まんまとしてやられている)

観劇前の予想では、愛ちゃんのティボルトはタイプ的にも経歴的にも初演に近いのかなと思っていました。ですがじっさいに見ると予想とはまるでちがっていて、そうかこういうティボルトなのか・・と思いました。

これまで私がティボルトにもっていたイメージは、堂々した見た目とはうらはらの内面の脆さを隠すために虚勢を張って、目が合うすべての者たちに斬りかかる不穏な若者というものでしたが、愛ちゃんのティボルトは鍛え抜かれた心をもち、人に囲まれるだけで凄味を放っていました。
期待され、リスペクトされ、キャピュレットの跡取りとして相応しい者であるか否かをつねに試される場所に立ち、評定と好奇の視線を浴びつづけてそれに応えようとしてきた、認められつづけるために張りつめて生きてきた、その試練と葛藤の末に存在するティボルトだなぁと。

モンタギューと敵対することだけではなくて、むしろキャピュレットに認められることのほうが彼には試練だったのではないかなと思います。
ジュリエットの従兄、キャピュレット卿の甥で跡取りと言われるティボルトだけれども、彼には両親の影が見当たらない。
「実の叔母とあやしい」とマーキューシオが言っていたけれど、その実の叔母とはキャピュレット夫人のことですよね。
ティボルトとキャピュレット夫人が血がつながっているということは、キャピュレット卿自身は継嗣ではなく結婚したことで伯爵となった人なのでしょうか。ではディボルトの親は、キャピュレット夫人の実の兄か姉かで、すでに鬼籍に入っているということでしょうか。
そうであるなら庇護する親のいない彼が居場所をつくるには、ここで認められるしかなかったのじゃないかなぁと。
そして庇護をうける必要のないくらいに成長して彼は気づいてしまったのだと。
子どもの頃に夢見ていた自分といまの姿の乖離に。
ジュリエットの瞳にかつて思い描いていた自分を映し見ることでしか、自分は救われないのだと知ってしまったティボルトだなぁと思いました。でもそれを叶えるには自分は遠く隔たったところまで来てしまっている。
壁にもたれる彼の瞳はせつない憂いを湛えていました。

パリス伯爵のことを、ロミオは『気取り屋の間抜け』と評しますが、彼もティボルトの目には同様に『仲間とつるむことしかできないガキ』くらいに映るんじゃないかなと思います。
そのガキが、ずっと大事に想ってきたジュリエットと結婚したなどと聞かされたら・・世界のすべてを憎み呪う気持ちもわかる気がします。
どす黒い感情に支配され眷属を引き連れてロミオの命を奪いに行ってしまう。そこには冷静な判断などすこしもない。ジュリエットの心を思いやる愛も微塵もなくて、ただ自分の憤怒と憎しみと報復しかない。
幸福な人生のために大人が若者に繰り返し教えるべきは、怒りや憎しみといった他人や自身まで傷つけようとする感情をコントロールするスキルだと思うのだけど、両家の大人たちはそれを教えるどころか、憎しみを増長させるばかり。
敵と見做した一方に害をなすことが称賛されるのだから、ロミオの命を奪いに行くティボルトを諫める者は誰もいない。
むしろそうやって感情をギラつかせて威嚇し恐れられることでいまの彼があるのだろうなと思います。彼は自分自身とキャピュレットの名誉のために敵地へ向かったと彼らは思っているのかな。

ロミオを探して街をうろつきその仲間と小競り合いとなり、自分よりも格下と見下しているマーキューシオを嬲っていたら思わぬ反撃の一発を喰らってしまい、カッとなってナイフを繰り出す。極美慎さんのマーキューシオと愛ちゃんのティボルトはそんな印象でした。

アドレナリンに支配されて目の前のマーキューシオを倒すことしか頭になくなり、刺すか刺されるかの極限の状態でここぞというタイミングで相手を刺し遂げた興奮で多幸感に満たされた状態の彼は、自分を誇示し、女たちをはべらかし勝利の旨酒に酔う。
その姿は、ジュリエットのバルコニーの下で佇んでいた彼とはまるで別人のようでした。
そんな自分は本当の俺じゃないと言っていたのに。
またきっと絶望と悲しみでジュリエットを見上げることになってしまうこともすっかり忘れ去って。
そんな我を忘れた絶頂にいるティボルトに、ロミオの刃が突き刺さり、あまりにも呆気ない最期が彼に訪れてしまう。

マーキューシオ、ティボルト、ロミオ、彼らの手にナイフを握らせたものは何か。
その状況を作り出した両家の大人たちは、ただただ相手に罪をなすりつけるばかり。取り囲む街の人びとも誰かに罪を贖わせようとするばかり。
ここで自分たちの過ちを反省し和解の道をさぐっていたら、ロミオとジュリエットの悲劇はおきなかったかもしれないのに。
自業自得というにはあまりに惨い若者たちの死と罰。
さらに悲劇を重ね、ロミオとジュリエットの死の悲しみを経てようやく手を取り合うことができた両家。
でもその前にも犠牲となった若者たちがいたことをどうか忘れないで。と思いました。

幕が下りてフィナーレの冒頭に下手のセリから登場したキラキラの愛ちゃんがバルコニーの愛の誓いをほほ笑みながら歌い渡っていく、その優しいオーラに包まれた姿に見ている私の心まで浄化されるような至福を感じました。と同時になんだか泣きたいような気持にもなりました。
パレードの終わりに皆が手を振っている最中も、私はもうこのティボルトを見ることができないのか、なぜ明日のチケットはB日程なのかと泣きたい気持ちになりました。
でも翌日役替わりBを見た私は「こっちのほうがより好きかも・・」となったのでした。

(つぎはB日程の感想を・・・)

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2021/03/20

恋の翼にのって。

3月15日と16日に宝塚大劇場にて、星組公演「ロミオとジュリエット」を見てきました。
なにから語ろうというくらい、思うことがたくさんある観劇となりました。ほんとうに見に行って良かったです。

いまから10年余まえ、博多座で初演を見ました。
当時の星組の男役スターは長身スレンダー揃いで、赤青のレザーの衣装を身にまとった姿はビジュアル系バンドのメンバーかと見紛うばかり。
赤青はそれぞれロックグループのメンバーとその信者(ファン)の抗争みたいにも見えました。
クールでエモで尖りまくった若者とかれらを焚きつける大人たち。その渦中でうまれた恋。子どもを愛する親の心。そして悲劇。。。
楽曲はどれも好みで芝居には泣かされたのだけど、そんなふうに歌うのか・・そんなふうに踊るのか・・という思いがぬぐえませんでした。
いつもはタカラジェンヌの技量よりもその心映えに感動する性質の私なのですが、そのときは作品とタカラジェンヌが身に着けている音楽性になんともいいようのない乖離を感じてしまって複雑な気持ちでした。これは外部で上演したほうが合うのではないかと思ったのを覚えています。

それから10年を経て今回なぜ見に行こうと思ったかというと、この10年で宝塚の音楽性が変化している実感があったから。
なによりロックオペラ「モーツァルト」や大劇場と梅芸の「Ray」で見た礼真琴さんと星組にフレンチロックミュージカルへの親和性を強く感じたからです。
そして宙組の下級生のころから見続けてきた愛月ひかるさんのティボルトと死を見ないではいられなかったからです。

ということで、1泊2日でA・B両日程が見れる日を選んで観劇しました。

やっぱり礼さん凄いわ。上手いわ。かっちょ可愛いわ。と思いました。
聴きたいように歌ってくれる。これはたまらないです。
歌声で繊細なところまで感情がつたわる。エモーショナルな歌声なのにエクスキューズなしで歌い切りますよ。
宝塚でこういうヴォーカルができる人は稀少だと思うのだけど、これからも宝塚でロックミュージカルを上演するなら必要な技術だと彼女のヴォーカルを聴いてしまうと思います。
その彼女がロミオを演じるチャンスがある場所、それが宝塚なんだと思います。

これまで私が見たロミオは柚希礼音さんと古川雄大さん、そりゃあ女性たちに追いかけられるでしょう、なにもしなくても。いけない遊びも経験しちゃっただろうなぁと思うロミオでした。(柚希ロミオは自分の魅力を試してみたい若気の至り、古川ロミオは相手の勢いのままに、のイメージ)
今回の琴ちゃん(礼真琴さん)は、なんとも思っていない女の子とカフェでお茶しながら「空しい・・」と心ここにあらずになっている絵が浮かぶロミオでした。それ、遊びでつきあったとは言いませんからーと訂正に行きたくなるようなロミオでした笑。
奥手で夢見がち、たんぽぽの綿毛みたいにふわふわのお坊ちゃま、そりゃあベンヴォーリオも心配になるでしょう。

舞空瞳ちゃんのジュリエット。好き。
好きなロミオの前では声が高くなるのに、身内には遠慮がなくてドスが効いた声で残酷なことも言うところ。家族に愛されていることを無意識に知っている、『親には一度も逆らったことがない』と自分では思っている、とっても思春期の少女だなぁと。
そのジュリエットがロミオに対峙するときの様子がなんともいえない可愛らしさで、とってもロミオのことが好きなんだなぁとニヤニヤしてしまいました。

ロミオが「結婚しよう」と湧きあがる思いを唐突に口にするのに対して、ジュリエットが「おしえて、いつどこで結婚式をあげるか」と具体的なアシストで返すのも面白いなぁと思いました。
夢を語るロミオと夢を叶えることを考えるジュリエット、そういう2人なんですね。
「恋の翼にのって」あとさき考えずに人様(敵同士の家の!)のお屋敷のバルコニーに登ってきちゃうロミオ。はらはらさせます。
唐突に自分の愛を「月に誓おう」と言い出すロミオ。なんで? なんで月? そのとき目に着いたいちばん素敵なものだから?? それは保証になるの??
「誓うのはやめて、月はかたちを変える、あなたの愛も変わる」とバッサリなジュリエット。
「変わらない愛をふたりで育てよう」といういちばん聞きたい言葉を導き出した。賢い娘だわ(笑)。

とにかく2人が可愛くて。
出逢ってからロミオが追放を言い渡されるまでに2人がもっと長く過ごせたら、ジュリエットがタダで死を選ぶような娘ではないことをロミオもわかっただろうにと思うとせつないです。
ともに成長し幸せになれたであろう2人の未来を奪ったもの。
憎しみと報復が繰り返されることがないように。そのためになにができるだろうと・・・。

(つづきます)

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2021/01/12

ローマです。

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2021年の初観劇は1月9日、博多座で上演のミュージカル「ローマの休日」でした。

ほんとうは前日1月8日のマチネを見るはずだったのですが、積雪によるバスの運休により地下鉄の駅に辿りつけず、またタクシーも出払っていてつかまえられず、雪道を徒歩で4km歩くことはできずに観劇できませんでした。
風雪の増す中小一時間雪だるまになりかけながらバスを待っていたのに、バス停を1つ1つまわられていたバス会社の方に運休を告げられ呆然・・。
数日前から大雪の予報が出ており、一緒に観劇する友人が山越えしてくるためずっと心配していたのですが、まさか私の方が身動きできなくなるとは・・・なにがおきるかわかりませんです。
(あとで考えたら、こんなときこそ配車アプリを使えばよかったのでした・・!)

なんとか帰宅して気を取り直し、博多座に電話をすると別日に振替えてくださるということで、翌日1月9日ソワレの観劇となりました。

楽しみにしていた「ローマの休日」は期待の大きさに対して、あれ?となったのは正直否めませんでした。
それほど映画を繰り返し見た人間ではないのですが、見せ方や見せるところがちがうんじゃないかと思いました。

アンとジョーの心が近づき変化していく過程、投げやりで口から出まかせだけで生きていたジョーの葛藤と変化していくさま、アーヴィングとの友情、王女をとりまく人びとの思い、そして自分がすべきことを自覚し覚悟を決めたアンの威厳とせつなさ・・それらをもっと感じたかったなぁと思ってしまいました。思っていたよりもあっさりしている印象でした。
見たいところはここからなのに・・の前でシーンが終わってしまって。演出と私の感覚が合わないといいますか。

全体的に熱量も伝わってこないなぁとも思いました。コロナ禍というのも関係があったのかもしれません。客席のリアクションも薄いなぁと感じましたし。笑いどころはたくさんあったにも関わらず・・笑い声も控えてしまうのはしょうがないのかな。(昨年の「ダンス・オブ・ヴァンパイア」や「シスター・アクト」みたいに客席参加型のフィナーレがついた作品のようにはいかないですよね。お祭り好きの博多座だけにリアクションを控えめにすると極端になってしまうのかな)

イタリア人の誇張の仕方も好い感じがしないなぁと思いました。
映画には製作当時のアメリカとイタリアの格差(戦勝国のアメリカに対し敗戦国であるイタリアは社会情勢も不安定)やアメリカ人に向けたローマの名所などが描かれていますが、いまこの時代に日本人がその当時のアメリカ人視点の誇張した“イタリア人”を演じるのは面白いと思えませんでした。イタリア人役の人びとがイタリア語らしきものを話す演出も、片言を話すのも、この作品のテーマを損なっていると思います。
主人公たちがローマの異邦人であることを表現するとしてももっとほかにやり方があるだろうにと思いました。

もっとロマンチックに、もっとエモーショナルに描けたはずだよなぁと思えてなりません。
アーヴィングの出し方も・・・。傍観者でいてほしいところで出張ったり、(内面的に)寄り添ってほしいところであっさりしていたり。
これはもう私とは感覚が合わないとしか。

朝夏まなとさんのアン王女は、コミカルな間がいいなと思いました。客席を向いてニカッと笑うところが私のツボでした。
ジョーのパジャマやガウンを着る場面は、映画だと袖や丈が長いのが萌えだったはずなんですが、朝夏さんはふつうに着てる(笑)。なんならガウンなんてカッコイイくらい。これはこれでこのアン王女もありかな。
大使館に戻って決意を述べる場面は、顔をあげ凛とした立ち姿に決意が見えて王位継承権第一位の王女様なんだろうなと思える気概が感じられて感動的でした。

加藤和樹さんのジョー・ブラッドレーは、思い通りにいかない人生を背負った男性像がリアルだなぁと思いました。なんでも適当で口から出まかせばかりで誠意の欠片もないような彼が、アーニャのために一獲千金のチャンスを手放す決意を大騒ぎする訳でもなく淡々とするところもリアルで好きでした。ほかの誰に気づかれなくともアン王女だけに向けられた友情に変えた恋心と誠意がつたわりました。

良い作品なんですよね。名作の名に恥じない。
だからこそ私の感覚と合わないのが残念でした。
あとやっぱり生オケは良いなと思いました。

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