カテゴリー「♖福岡市民会館大ホール」の39件の記事

2023/04/30

この頭を岩壁にでもぶち当てて粉々にしてしまいたい。

4月9日と11日に福岡市民会館にて宝塚歌劇星組全国ツアー公演「バレンシアの熱い花」と「パッション・ダムール・アゲイン!」を見てきました。
9日ソワレはライブビューイングが実施された回、11日ソワレはツアーの大楽でした。
3月29日に梅田芸術劇場メインホールにて一度観劇しているのですが、期待以上のものが見られたので福岡での公演も楽しみにしていました。

梅芸観劇後の感想にも書いたのですが、「バレンシアの熱い花」は2007年版、2016年版を経ての今回の上演でようやく私は見方がわかった気がしています。
そしていままで何に戸惑っていたのかもわかったような気がしました。

物語の舞台やコスチュームは19世紀初頭のスペインに仮託しているけれども精神は極めて日本的な物語だということ。
身分社会に生きる人々の物語であって、それも西洋ではなくて日本のそれのほうが近いこと。
歴史物というよりは昭和の痛快時代劇に近く、そこからエログロを一切抜いて、物語の舞台をナポレオンがフランスに帝政を布いた時代のスペインとし恋愛模様を織り込んだコスチュームプレイとして宝塚作品らしく書かれたのがこの作品なのだと思います。

今回のキャスティングがピタリとはまっていたことと、専科の凪七瑠海さんと星組メンバーが丁寧に表現していたので、時代がかったセリフや歌詞を堪能することができました。

父親の復讐を心に誓いその時機が訪れるまでは『貴族のバカ息子』を装うフェルナンドは大石内蔵助か旗本退屈男を彷彿とさせます。
(これに倣って「旗本退屈男」をヨーロッパの架空の国設定で翻案するのもいいなぁと思いました)
彼が軍隊を辞めてのんびり過ごすことにしたとルカノールに告げる場面で使う「二年越しに肩を凝らせていますので」という言葉がなんとも言えず好きでした。見終わってから心の中で何度も反芻しましたが私には一生使う機会はなさそうです。

軍隊時代にレオン将軍に剣を習ったと言うラモンにフェルナンドが「同門だ」と言ったり、言葉そのものもですし、同門だと『貴族の旦那』も『下町でごろごろしているケチな野郎』も一瞬で距離が縮まる価値観も面白く見ることができました。
このように西洋が舞台なのに作中でちょいちょい出てくる時代劇さながらの表現が違和感ではなくむしろ面白かったのは、演者の呼吸や間合いが作品の世界観に合っていたからだろうと思います。

主演の凪七瑠海さんや組長の美稀千種さんの芝居の呼吸が芝居全体に良い影響を与えている印象でした。時代めいたペースの芝居をラストまで貫けたのが見ていて心地よかったです。
作品に合わせた「臭い芝居」ができる人が何人もいる星組はこのようなタイプの作品に合うのだなと思いました。

主役の呼吸が芝居全体にとって大事。この作品はとくにセリフの持つ尺を堪えきることが大事なんだなと思いました。
凪七瑠海さんのキャリアが十分に活かされていたと思いますし、それでいてすっとした青年らしい若様を演じて違和感のないその個性も役にぴったりだったなぁと思います。

瀬央ゆりあさんも、人情に厚く仲間から愛されている役がよく合っていました。
軽口のように愛を告げ、妹にも好きに憎まれ口を叩かせて。相手に負担をかけないよう気遣うことが習いになっているのかな。両親を早くに亡くすかで小さい頃から周囲に甘えられずさらに自分より幼い妹を庇って生きてきた人なのかなと想像しました。
その妹を守り切れなかった悔しさと憤り、イサベラが傷つきながらも愛する対象が自分ではないせつなさ。言葉ではないものがつたわるラモンでした。背中で泣く(背中でしか泣けない)「瞳の中の宝石」は見ていてせつなかったです。

それからロドリーゴの「この頭を岩壁にでもぶち当てて粉々にしてしまいたい」。
2007年の再演の時はその表現が衝撃的で絵面が脳裏に浮かび思わず我に返ってしまうセリフだったのですが、今回はすんなりと入ってきました。
芝居全体のペースにロドリーゴ役の極美慎さんも巧くはまった芝居をしているからだろうなと思いました。
ロドリーゴ役が極美さんと知った時からビジュアルは間違いなくはまるだろうと思いましたが、いかにも昭和のメロドラマパートでもある役なので危惧もしていたのですが、芝居が整うってこんな感じなんだなぁと思いました。
シルヴィア役の水乃ゆりさんとのペアは真しくタカラヅカらしい見栄えで夢中で追って見てしまいました。

この作品の見方がわかるようになったからこそ、深いところ細かいところも楽しむことができたのだなと思います。

そしていまさらながら16年前の再演ではじめてこの作品を見て戸惑ったことが思い起こされます。
再演を熱望されていた作品の30数年ぶりの上演ということで期待をもって観劇した時の。
ストーリーがわからないわけではない、登場人物の気持ちがわからないわけでもない。
でもどう受け取ればいいのかわからないそんな感じだったでしょうか。
(先ごろ半世紀ぶりに再演された「フィレンツェに燃える」を見た時に近い気がします)

今回で身分社会を背景にすることで成り立っている物語だということは飲み込めましたし、その社会を必死に生きている人々を描いた物語なのだとわかったのですが、それでも、というかそれゆえに、いまもなお考えさせられる作品でもあるなぁと思います。

フェルナンドとイサベラがどうして別れなくてはいけないのか、それはわかります。
フェルナンドが自分の社会的責任をまっとうしようとするならそれに相応しい伴侶が必要で、イサベラはそれに該当する身分ではないから。もっと言えば愛人として囲うことすらできないほど身分に隔たりがあるのだと。
むしろ商売女と割り切れば好きな時に好きなだけ逢うことが可能なのでしょうが、そういう相手にはしないことがフェルナンドにとっての誠意、「心から愛した」ということなのだろうと思います。独りよがりだとは思いますが。

別れなくてはいけないとわかっているのなら最初からつきあわなければいいのに、と思わなくもないですが、そうはいかないのが恋愛なのだという恋愛至上主義に基づいた作品なのでしょう。このへんの恋愛倫理観がおそらく書かれた時代と現代とは異なるのかなと思います。
女性にとって恋愛は文字通り「生と死」(生殖と身体的な死そして社会的な死)に直結するものだから、大事に守られている女性はそこへ近づけさせないのが身分社会においては当然で、自由で本能的な恋愛は女性の立場を危うくするものだという認識はフェルナンドにもあると思います。
逆に酒場で働いているイサベラはその囲いのうちには入らず、本能のままに近づいてもかまわない女性だという認識なのでしょう。

イサベラに激しい恋をもとめる歌を歌わせるのは、フェルナンドの免罪符になるようにという作者の意図が働いているためだと思います。
『息づまるような恋をして 死んでもいいわ恋のためなら』
『美味しい言葉なんてほしくないわ』
『黙って見つめて心を揺さぶる そんな激しい情熱がほしいわ』
こんな歌を好んで歌う女性だから、心の底に復讐の炎を燃やすフェルナンドの一時の相手に相応しいのだと。
傷ついても自分から望んだことだからフェルナンドを責められないよねと。

なぜフェルナンドはイサベラに愛を告げる時に許嫁がいることも同時に告げるのだろうというモヤモヤについても考えました。
けっきょくのところ、交際をはじめる前に「この関係は私の都合で一方的に解消するけど、それでいいね?」と言っているのですよね。そこでゴネるなら付き合わない。付き合うならそれでいいということだよねと。
それで双方がいいならこの件は締結なのに、キラキラした言葉で愛を告白しながら、でも自分には許嫁がいてその人は心優しい少女で自分は裏切れないのだ、と付け加えるのは、自分は悪者にはなりたくない、とことん良い人の立場でいたいということなんだなぁと。
ああこれはモラハラの手口だ。だから何年も何年もモヤモヤしていたのだなぁ。
うん、やっぱりフェルナンドは嫌いだ。
16年前はそんなフェルナンドを許容する理由を探して自己矛盾を起こしてしまっていたのだと思います。(だってめちゃくちゃ輝いて見えたから)

それから、心の奥でこの作品に息づく男社会礼賛に反発を感じていたのだということにも気づきました。
「女には口出しをさせない」のが男として恰好が良いという思想が貫かれていることに。
ルカノールの「男なら聞き捨てならない言葉だが昔一度は惚れたあなたのことだ聞かなかったことにしよう」、レオン将軍が孫娘の苦しみを知りながら「だからついでのことにもう少し辛抱させておくのだ」とか。
フェルナンドの「私のイサベラも死んだ」も。

言い淀むレオン将軍に「無理に聞くつもりはありません」と言うセレスティーナ、「じっと待ちます」のマルガリータ、面倒なことになる前に自分から別れを告げに来るイサベラ。
わきまえた女性ばかり。
お爺ちゃんたちの理想郷ですね。

それが初演当時1970年代の一般的な雰囲気だったと記憶しています。
同時に「ベルサイユのばら」等の少女漫画が少女たちの心に新しい自意識を灯した時代でもありました。彼女たちは女性であっても臆さずに真っ向から大貴族や将軍に意見するオスカルに憧れを抱いたのだと思います。
そんなオスカルを時に父ジャルジェ将軍は激しく叱咤しますが、どうしてダメなのか根拠は説明するんですよね。「男として育てる」というのはそういうことだと思います。(ほかの5人の娘たちにはこういう対応はしていないと思います)

宝塚の「ベルばら」はそんな女性たちの支持の理由に気づかず男性社会目線で作られている。初演当時でさえ原作よりも古臭い印象を与えていたのに、再演のたびに手を加えてもなおそのスタンスは変わっておらず、「女のくせに」「女だてらに」等オスカルが男性社会で生きることをなじるセリフや場面のバリエーションは豊富にもかかわらず、オスカルが人間としてもがいていることについては「女にも権利はある」と紋切型の主張で終わらせてしまう。
挙句の果てにオスカルに「あなたの妻と呼ばれたいのです」と言わせてしまう。
身分の上下なく1人の人間としての「アンドレ・グランディエ」の妻にと願ったことを、あたかも男性に従属したいと願っているかのように改悪されていることに憤りを覚えます。
いちばん変えてほしいのはそこなのに。オスカルが言っていることに、彼女が悩んでいることに、上からでも下からでもなく対等に耳を傾けてほしいと思います。
そんな「ベルサイユのばら」なら見たいです。
(話が逸れてしまいました)

「バレンシアの熱い花」は、柴田先生による初演当時の価値観による物語なので、そういうものとして見ることができますし、またそれを見ていろいろ考えたり、好きとも嫌いとも思うのは当然の観劇の感想かなと思います。
反発するところもありつつ、やはり人間観察に優れているし表現力語彙力に惚れ惚れもします。
心に悩ましい爪痕を残すやはり名作なのだろうなと思います。

今回やっと見方がわかり憑き物が落ちたような心地です。
このタイミングで近々、過去の一連の「バレンシアの熱い花」がスカイステージで放送されるとのことで、今の自分にどんなふうに見えるのか楽しみです。

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2022/12/06

明日を待つこの思い。

12月3日と4日に福岡市民会館にて、宝塚歌劇月組公演「ブラック・ジャック 危険な賭け」「FULL SWING!」を見てきました。

「ブラック・ジャック 危険な賭け」は、マサツカ作品あるあるで、主題歌や挿入歌がとても良くて歌詞を噛みしめて聞きたいと思う作品でした。
主題歌は良いけれど主人公がなんか腹立つなぁと思うのもあるあるで、とはいうものの男役さんのカッコよさに誤魔化されてしまうのもまたあるあるなのですが、今回は誤魔化されたわ~♡とならずに終わってしまって、あら。でした。

話の筋は通っていて演出もうまいなぁと思うところもあるし月組生の芝居は流石だなぁと感心しましたが、純粋にこれ面白いかな?となりました。
クスリとさせる芝居も織り込まれていて、そういうところは笑いましたし、これは芝居の呼吸がよいからできるんだなぁとも思いましたけど。

ブラック・ジャックの思想も主張も嫌いじゃなかったのだけど、なんでこんなに偉そうなんだろうなぁと思いました。
漫画のブラック・ジャックってこんなだったかな。
どちらかというとマサツカ作品の嫌なところが表に出ていた気がします。
そしてそれをカバーする何かも足りなかったなと。
真面目すぎなのかな。愛せる隙がないというか。

私はマサツカ作品の頭ごなしに相手に「馬鹿かおまえは!」と怒鳴りつける主人公が好きになれないのです。
威張るなら大病院の院長とかマフィアのボスにでも怒鳴ればいいのに。
反権力の無頼漢を気取った男性の中のセクシズムが露骨だったのも嫌だなぁと思ってしまいました。
そういうところが信頼できるキャラに見えなくて詰みました。

言い返してくる女性には、その自尊心をへし折って悔い改めさせたらいい気持ちになるのかなぁ。「おれが最高のオペというものを見せてやる」は失笑。
「今夜のことは忘れないと思います」と平伏させるのは何が狙いなのかな。
逆に自己肯定感が低く自分を卑下する女性がお好きなんだろうなぁと思いました。そんな女性を気遣い励ます自分が好きなのかなと。
ブラック・ジャックではない別の誰かが透けて見えてしらけてしまいました。

そこまで偉そうにしておきながらピノコに自分をケアさせるのもなんだかなぁと思いました。
ピノコもまた「愛される幼妻」のロールモデルをなぞっているんですよね。訳あってそうやって自分の居場所をみつけているキャラクターなんだけど、それを舞台で生身の女性が幼児語で演じるといたたまれない気分になりました。

ラストに女王を登場させるのも権威にちゃっかり擦り寄っているように見えて、組織に長くいる人はさすがだなと思ってしまいました。
(007ならああいうのも気が利いていると思えるけれど)

そういう一つ一つが支障になってしまって、世界観に入りきれなかったのかなと思います。

人の世に対する諦観のようなものがあればこそ、生きること生かすことに必死で、不可能なことに抗い挑む人。それがブラック・ジャックだと思うのだけど。
生き方そのものが弱きものを痛めつける世の中へのレジスタンス。抵抗なんだと。
でもこの作品のブラック・ジャックはそうは見えませんでした。

芝居の技術は5組の中でも一番かなぁと思うのに、何か巻き込まれるものがなかったなぁと思います。
硬い印象を受けたというか人間的な魅力が見えたらなぁ。

と思ったら、カーテンコールのご当地出身者の紹介やトップスターの月城かなとさんの挨拶が面白くてチャーミングで、なんとしたこと!と。
福岡出身者は今回美海そらさんお1人ということもあり、しっかりネタを仕込んで笑わせにくるのが流石「芝居の月組生」でした。
3日の夜公演は、博多弁のピノコを披露。4日の夜公演はライブ配信の回だったのですが、可愛い博多弁でご挨拶中に突然ピノコ宛てに電話が鳴ってピノコの小芝居も入れたりとひとり芝居状態で楽しませてもらいました。なかなか度胸のあるチャレンジャーだし可愛いし、お名前しっかり覚えました。

月城さんは月城さんで、3日の夜は組長の光月るうさんから「月組のお天気お兄さん月城かなとが——」とふられると耳元のイヤホンを探る仕草から入って「こちら福岡市民会館、明日のお天気は—— 」とお天気中継をはじめて、翌日のお天気や気温を淀みなく話し出して(ちゃんと仕込んでいたのですよね)会場が一気に和みました。
これまでいくども全国ツアーでのトップさんのご挨拶を聞いてきましたが、こんなの初めてじゃないかな笑。客席は一気に月城さんを好きになったと思います。
お芝居自体も演じている人々を愛せる演目だったらなぁと思ったりも。


「FULL SWING!」は、大劇場公演は見ることができなくて配信を見たのですが、月組らしいジャズの演目で全国ツアー版を楽しみにしていました。
三木先生で月組といえば「ジャズマニア」が好きだったので、ちょっと懐かしくもあり今のタカラジェンヌさんたちのリズム感に感心したりしながら楽しみました。
夢奈瑠音さんの「ジャズマニア」からのラインダンスは爆上がりました。

ジャズのビートを楽しんでいるうちにあっという間に終わってしまったショーでしたが、なかでも風間柚乃さんの活躍が印象的でした。
去年のバウ公演でもジャズを歌ってらっしゃったのが素敵だったので、また風間さんが歌うジャズが聞きたいなぁと思っていたので望みが叶いました。

礼華はるくんが公演を通して3番手ポジションにいたのもびっくりでした。「親孝行そうないい息子さん」と言いたくなる下級生だったのに、いつのまにかスターさんなんだなぁと感慨深かったです。

それから月組といえば私のイチオシ結愛かれんちゃん♡ 今回も表情豊かで素敵でした。
そしてデリシューの初舞台ロケットで気になっていた一輝翔琉さんを発見。月組配属だったんですね。やはり私の目線泥棒でずっと追いかけて見てしまいました。

ここのところ大人っぽいといいますか渋めの演目が多い月組ですが、来年は下級生の1人ひとりまで目が留まるような派手な演目が来たらいいなぁと思います。
芝居の月組なのは承知なのだけど、明るいショー作品を期待します。

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2021/12/14

この世のすべてを愛し続けたかった。

12月3日4日5日、福岡市民会館にて宝塚歌劇宙組全国ツアー公演「バロンの末裔」「アクアヴィーテ!!」を見てきました。
(の感想のつづきです)

「バロンの末裔」では初見の熊本公演で真風涼帆さん演じるローレンスに一目惚れ。
オスカー・ワイルドの作品に出てきそうな優雅で憂鬱そうで滑稽なほど貴族的、独特のテンポ感の美青年で、浮世離れしているかと思えば冗談も言う。「キャサリーーン、こまどりの巣をみつけたよーー」は身悶えするほど好きでした。

20世紀初頭、没落していく貴族も珍しくなかった中で、キャサリン(潤花ちゃん)も言うようにその領地や屋敷をこの若さで相続し維持していたローレンスの大変さは並大抵ではなかっただろうなと思います。
それこそ世間知らずの貴族を騙して財産を奪い取ってやろうとする輩は後を絶たない、そんな時代背景のお話。
相続税や維持費、生活費の捻出のために土地を切り崩し美術品を売却したり、慣れない事業に手を出したり。
莫大な持参金のために貴族たちがアメリカ人の富豪の令嬢たちと結婚していた時代でもあります。

ローレンスも領地を守るために富豪の令嬢と結婚するという選択肢もあったかもしれない。
でもそうはしたくなかったのだろうと思います。キャサリンとともに生きていくことが、彼の唯一の夢だったから。
持参金を期待できるわけでもないキャサリン(むしろ彼女の父はローレンスの援助をあてにしている)と生きて行くにはどうしたらよいか、誠実でロマンティストな彼は頭を悩ませただろうと思います。
そこを会計士のローバック(秋音光さん)に付け込まれてしまった・・。

自分の失敗で財産をすべて手放さなければならないとなった彼をいちばん苦しませたのは、もうキャサリンと手を携えて生きていくことができなくなった現実だと思います。
双子の弟エドワード(真風涼帆さんの2役)が帰郷して目にしたのは、心労で倒れて現実逃避しているローレンス。
その様子にエドワードはカリカリしていたけど、私はローレンスをかばいたくてしょうがなかったです。
貴族のおぼっちゃま育ちの現実とちぐはぐなところが滑稽であり悲しくて、それにどう考えてもこの幾年は彼の現実のほうが大変だっただろうと思えたから。(真風さんの長髪姿が大好物というのはおいておいても・・)

  いまもなお甦るのは 煌びやかなあの頃
  すぎていく時間さえもが 光り輝いていた
  愛する君と2人で 素晴らしいあの世界に
  手を携えて生きていくと うたがいもなく信じた
  やがては君と2人で 美しいあの世界に
  眠りのように朽ち果てると 無邪気に信じ続けた
  この世のすべてを 愛し続けたかった
  君が生きている この世界を

甘くてペシミスティックな歌詞を毎公演噛みしめて聴いていました。

かつてエドワードが家を出たときの心境、彼がキャサリンに想いを寄せていたことをローレンスが少しも察せなかったとは思えないのです。
それゆえ家の問題を弟には相談しづらかったのではないかと推察します。
この状況で弟の力を借りるということは、キャサリンの身の上についても彼なりに思案し尽くしているのではと思えて。
楽観的に未来を語るキャサリンに、君は一文無しになるということがどういうことかわかっていないと反論する彼にはもう彼女との未来を夢見ることができなくなっているのだなと思いましたし、現実逃避をしているように見えるのも、もし彼女が弟を選んだとしても2人が罪悪感を抱かなくてもよいようにダメダメを装っているのかとさえ思いました。(身贔屓すぎるかな)

エドワードにとっては愚昧なくせにすべてを持っている兄に見えるのかもしれないけれど、領地や屋敷を守り、そこに暮らす人々を守るという義務から逃げずに生きてきた人で、それらは彼が自ら望んだものではなく生まれながらに課せられたもの。夢といえばキャサリンと穏やかに暮らしていくこと。
そのキャサリンを失おうとしている彼が無気力になってしまっても責めるなんてできなくて。
エドワードもつらいかもしれないけど、ローレンスはもっとつらい立場なのだと思って。この悪夢を引き起こした原因はほかならぬ彼によるものなのだから。

幼い頃、洞窟の探検中に蝙蝠に驚いてキャサリンを置いて逃げ帰ってしまった後、きっと彼は自己嫌悪に陥ってしまっただろうなと思います。
キャサリンをおぶって帰ってきたエドワードを見ていっそう落ち込んだかもと思います。
その謝罪を込めて大切な宝物をエドワードにあげたりしたかもしれない。でもそれはエドワードにとってはつまらないものですっかり忘れ去られているかもとか。エドワードの知らないところで、彼の代わりに叱られたりしたかもしれないとか。
そんな想像をして勝手にローレンスにきゅんとしたりしていました。なんとなくそういう自己犠牲的なところがありそうで。
キャサリンに、たとえ君の想いが私に向けられていなくても私は君を愛し祝福することができると告げる彼を見ていると、やっぱりそうだよね、わかっていたよねと思います。

兄弟ゆえのおたがいの行き違いやわだかまりが、今回のことで解けていたらいいなと思いました。
祝賀パーティーでのエドワードを見ているときっとわかってくれたという気がしています。
キャサリンもローレンスのそんな優しさに気づいているから、彼の妻になろうと思えたのではないかと思います。
それは激しい情熱とはちがうかもしれないけれど、穏やかで深い愛情でむすばれている2人なんだと確信が持てました。
それぞれにせつないけれど、やっぱり私には3人にとってのハッピーエンドに思えました。

それにしても、好きな顔に挟まれて過ごしたキャサリンは幸せ者だなぁと思いました。
好きな顔だけど異なる美点をもつ2人に想われて。なんていうパラダイスかと。
まさしく夢ですね。
これからも、たまに帰郷するエドワードからローレンスへのあてつけのように贈り物をされたり賛美されたりしそうだし。
どんなお手紙の内容なのか、知りたいなぁと思います。

この後に起きる第一次世界大戦や世界恐慌でスコットランドも揺さぶられることになると思いますが、ローレンスたち、ことにキャッスルホテルで働くヘンリー(亜音有星さん)やスティーブンソン(優希しおんさん)たち若者は大丈夫かしら。
ウィリアム(瑠風輝さん)の銀行はどうなってしまうのかしら。
そして軍人のエドワードやリチャード(桜木みなとさん)は無事かしらと、その後の彼らを思って心配にもなったりします。
それくらい、作中の登場人物のひとりひとりに愛着のわく作品でした。
こんな舞台を見ることができて、ほんとうによかったです。

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2021/12/08

この世界のうつくしさ人の素晴らしさ。

12月3日4日5日、福岡市民会館にて宝塚歌劇宙組公演「バロンの末裔」「アクアヴィーテ!!」を見てきました。

ほんとうなら去年の秋に博多座で宙組が公演するはずだったのだけどコロナ禍で中止となってしまってとても悲しかったです。
ショーはきっと「アクアヴィーテ!!」にちがいないと公式グッズのグラスもその時に使えるようにはりきって保管して、心底楽しみにしていたので心底がっかりしてました。
今年の11月~12月の全国ツアー公演が発表されてからは、ひたすら中止にならないことを祈っていたので、無事に公演が開催されてほんとうにうれしかったです。
全国ツアー公演の愉しみのひとつである客席降りもいまはできない状況なので、持参した公式グラスでうれしい気持ちと福岡へようこその歓迎の気持ちを込めて客席からエアーで乾杯させていただきました。

福岡市民会館は博多座ができるより前の1970年代から宝塚歌劇の定期公演が上演されてきたホールで、客席がワンスロープになっており客席降りの演出で2階・3階が置いてきぼりにならないのが嬉しいのですが(以前の公演では真風さんか3階席まで来られたことも)、築50年以上の建物のためロビーの狭さやお手洗いの数に不都合もあり、例年だとなんとかイベントスタッフの方々で入場の列、お手洗いの列を捌いていた状況だったと思うのですが、今年は3日間の公演の初日はこれ大丈夫なのかなと心配なほどいろんなシーンで混みあっていました。
最終日はだいぶよくなっていたので、これもコロナ禍で公演中止が続いたことの弊害だろうなぁと思いました。(例年だと春と秋の2回宝塚を上演しているのでノウハウが引き継がれていたのかな)
こんなふうにいろんなところで引き継がれてきたノウハウが途絶えたりしているのだろうなぁ。(お茶会や入り出待ちなどはどうなるのかなぁ)
ちなみにですが、2024年に福岡市民会館は現在工事中の須崎公園の場所に建て替え移転するそうです。

「バロンの末裔」は熊本公演で見た1週間前よりさらにブラッシュアップされて、正塚先生の作品世界で皆がイキイキと息づいていました。皆それぞれに自分勝手で健気で変人で愛おしかったです。

そして見終わったあとに、気持ちが晴れやかになるというかモヤモヤがすっきりする作品になっているなぁと思いました。それはわたし的には意外でもありました。

15年以上前宝塚ファンになりたての頃に初演を映像で見た時は、エドワードがズルイ気がしてモヤモヤしていたのを覚えています。
辛い決断はなにもかもキャサリンにさせちゃうんだと思って。あんなに追い詰めて。
重い現実はキャサリンに背負わせて自分は去って行ってしまうんだと思って。
キャサリンの心情とか、彼女とローレンスの未来とかを、とても悲観的に見ていたんだと思います。

それがいま、2021年版を見終わったら、みんなモヤモヤが晴れてよかったねーという気持ちになっていました。
皆がそれぞれに何かを乗り越えて心の居場所がステップアップしたように思えたのです。

キャサリンに対して無一文になったローレンスを支えて生きていける訳がないとエドワードが言う場面、いやいやその人なら大丈夫じゃないかなと反論したくなりました。潤花ちゃんのキャサリンは生きる力に溢れているように見えたから。
きっと1人で奮闘するのではなくて、領民たちや人びとの手助けを上手に受けながらやっていけそうと。エドワードだって助けるにきまってる。

熊本公演を見て以来、エドワードよりローレンス派だったんですけど、4日のソワレでこの場面のエドワードの子どもっぽい不貞腐れたような顔に気づいて、あ、エドワードは彼女に自分の理想のキャサリンでいてくれなくちゃ嫌だと駄々を捏ねているんだと思いました。
彼はキャサリンや兄に対して、思い通りにならなかった貴族のしきたりや世の中に対して、それらを愛しているからこそ、こどものように拗ねているんだと気づいて、なんだかきゅんとして愛おしい気持ちになりました。(やばいセンサーが働いてる)

こどもの頃、驚いて逃げたローレンスに対してキャサリンをおぶって帰ったりしたのは、無意識に自分を認められたいと、自分の入るスキマをつねに探していたこどもだったからだろうと思いました。
なにも言わずとも皆が先回りをして思い通りになっていく兄と、言わなくては気づいてもらえない自分、というようにこどもの彼には見えていたのだろうと思います。
けど言えないだろう?と。自分がワガママを言えば、自分が愛する世界が壊れてしまうだろうと。そう思って家を出て行ってしまったのだろうなと思います。

そんな彼が、兄が倒れたという報せに故郷に帰って見れば、なつかしい人びとが変わらずそこにいて、大切だからこそ諦めた人や風や大地のなつかしい香りがそこにあり、けれどそのすべてを持っていたはずの兄はそれらをすべてを失う寸前で。
この自分が育った故郷の大地がそこに暮らす彼らともども失われてしまうという現実に直面してそれに本気で対峙することで、彼はひとつひとつのかけがえのなさに気づけたのだろうと思います。
そのなかには、兄ローレンスが自分が故郷を離れているあいだもたゆまずこの家や領土を守ってきた事実も含まれているのじゃないかな。たまに帰る自分とはちがい日々そこに暮らし守っている兄、守ってきた人びとのことに思い至ることができたのじゃないかなと思います。

それにやっぱりエドワードは、愛する人が息づく世界を愛したい人なんだと思います。
そこに自分がいれば最高なんだろうけど、その愛する世界を壊すくらいなら自分はそこにいなくてもよい人なんだろうと。一時の激情に流されそうになることはあっても、思いとどまれる。
ローレンスの夢が愛するキャサリンとともに暮らし、彼女が生きているこの世界のすべてを愛することというのと似ているけれど微妙に異なる。同じ顔でも立場の違いで責任も求めれることも違い、メンタルも変わるのかな。

ローレンスとキャサリンが穏やかに笑っているところに、自分はいつでも帰っていけることが彼の望んでいる幸福なのではないかと思いました。
それがいつからかははっきりとはわからないけれど、きっと3人で領地を駆け回っていたこどもの時にはそうだったのではないかと。
愛する人びとが笑って暮らしている世界をそのままのかたちで守りたい、とても保守的な人なんだなと思います。守られる側じゃなくて守る側になりたい人なんだな。そして守ったものを眺めて幸せになれる人なんだろうな。
キャサリンもそれに気づいたし、エドワード自身も気づいたのではないかなと。だから2人ともモヤモヤが晴れたのではないかなと思います。

たまに帰郷して、たくましく生きるキャサリンたちと相変わらずなローレンスの顔を見てなつかしみ、英国人的な皮肉を言ったりローレンスの前でわざとキャサリンを喜ばせたりして、彼らへの愛をたしかめたりしてほしいな。
5日のマチソワはそんなことを想像しながら真風さんのローレンスとエドワードを見ていました。

 ここに生まれ 人の世の なにもかもを知った
 この世界の美しさ 人の素晴らしさ
 忘れることはない

(エドワードのことばかり書いてしまったので、次はローレンスやキャサリンやほかの人びとについて書きたいです。皆大好きだったので)

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2019/10/26

死ぬまで一緒だ。

宝塚歌劇宙組全国ツアー公演のショー「NICE GUY!!」は、初演の頃は宝塚をあまり見ていない時期で、生で観劇したことがありませんでした。
のちにCSで放送された時に宙組&大介先生のショーだ♡と期待して見始めたのですが、どうしても受け付けない場面がさいしょのほうにあり挫折してしまった思い出があります。

全国ツアー公演の演目が発表された時には、そのまま上演して大丈夫なのかしらと心配したのですが、その場面は新場面に替わっていて、苦手だった場面がなくなってあらためて生で見ると男役のカッコよさが満載で、再演が熱望されていたのも肯けました。

『NICE GUY!!』つまりテーマはズバリ男役!!という潔いコンセプトどおり、青木先生によるキャッチーな主題歌で男役がカッコよく歌い踊り、かつ笑っちゃうほどのキザを競うように見せつけられて目が足りませんでした。ショーの最初から客席降りも織り交ぜられ畳みかけるように心を掴まれてからパレードまで、毎回あっという間だった気がします。

ショーの副題に「Sによる法則」とあるように、歌詞のサビの部分がSではじまるフレーズになっているんですよね(ということは、初演はYではじまるフレーズだったのかな)。その歌詞がけっこう笑わせにかかっているなと(笑)。あ、もしかして私がキザに直面すると笑っちゃう性質だから笑ってしまうだけで笑わせるつもりではないのかな。でも「死ぬまで一緒だ」と微笑みながら歌う真風さんを見たら笑っちゃうしか。この現実を私はどう受け止めたらいいのか。ありえないものを見ているなと。
現実じゃないものがそこに在る。
嘘も本当にしちゃう力。それこそスターたるゆえん。

たくさんの幸せな嘘で成り立っている宝塚においては、嘘だってわかっていても信じさせてしまう魔力があってこそ、トップスターなのだなと真風さんを見ていると思います。
真風さんを見るたびに、「だまされないぞ」「だまされるものか」と心で唱えている私です。気を許したら一巻の終わりだと思っています。
だまされてはそれを打ち消し、だまされては打ち消すを繰り返しているうちに終幕となり、夢のつづきをまた見たいと思ってしまうのだと思います。
真風さんには気をつけよう。危険すぎる。

トップコンビの真風涼帆さんと星風まどかちゃんの痴話げんかの場面も大好きでした。
調子に乗ってカッコつけまくる真風さんの前場とのギャップがツボ。長身さんだからコミカルなポーズがなおさら独特のハマり具合でたまりません(笑)。
そしてまどかちゃんの「涼帆のせいよ!」(笑)。トップスター様を呼び捨て?!(これを言わさんがためのあえてのこのキャラ設定とシチュエーションですか大介先生??)
現実では絶対にありえない、これも嘘の世界。(見ているほうがドキドキ)
―― 嘘の中にある真実がほのかに見える感じにドキドキしたのかもしれません。
一歩まちがえたら悪趣味になりかねないけど、まどかちゃんの一生懸命なプロ根性と真風さんの器の大きさをご当地ネタとともに楽しめる場面でした。
このバランスが魅力のコンビだなぁと。
真風さんのホールド力がいまの宙組のベースだなぁとつよく感じる場面でした。

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2019/09/26

将来のために。

9月8日に熊本市民会館、9月14日、15日、16日に福岡市民会館にて宝塚歌劇宙組公演「追憶のバルセロナ」「NICE GUY!!」を見てきました。

観劇の翌日には熊本城を観光しました。ボランティアの方にガイドをしていただき有意義な時間となりました。しかしとても暑い日でした(笑)。
復興中の熊本城の様子を間近に見ることができる加藤神社には、加藤清正の生前の口ぐせだという「後の世のため」という幟がはためいていて、前日「追憶のバルセロナ」で真風さんが演じていたフランシスコが芹香アントニオと誓い合っていた「将来のために」という言葉に通じるなぁと感慨深かったです。熊本城復興のために尽力している人びとや真風さんが熊本出身ということとも合わせていろいろ思わずにはいられませんでした。
(初演では退団される絵麻緒ゆうさんと成瀬こうきさんが交し合っていたセリフでもあるんですよね。正塚先生はここになにを込めたかったのかなぁとか考えてしまう印象的なセリフでした)

「追憶のバルセロナ」において、フランシスコ(真風涼帆さん)とイサベル(星風まどかさん)の関係とおなじくらい好きなのが、フランシスコとアントニオ(芹香斗亜さん)の関係です。
アントニオの考え方、立場がこの作品の世界観や作者の内心を表現していると思います。どうするべきか、なにを大切にして生きるべきかという問い。
無二の親友でありながら考え方が異なってしまった2人ですが、心からの信頼があればこそ、相手とはちがう考えをぶつけ合える2人の関係が好きでした。

命を懸ければなんでも守れると純粋な情熱に身を任せ戦争に赴いた若い2人が、現実の戦争の辛酸をなめ、1人は現実的な手段で生き残り、裏切者の汚名を着る覚悟で人命を救うために奔走する。
また1人は瀕死のところをロマの人びとに助けられ、社会の底辺で虐げられながらも仲間との強い絆のもと逞しく生きるその生き方に触れ(「ロマの女なんかどうにでもなると思ってやがる」のは決してフランス兵だけではないでしょう)、自分も草の根から人民に呼びかけ同志を増やし、ゲリラ的戦術でフランスの支配からスペインを取り戻す道を選ぶ。
再会するも考え方も生き方も対立する立場になっていた2人。けれど当時のフランスはとうにアントニオが共感した共和制や人道思想が通じる国ではなくヨーロッパ中を征服戦争によって蹂躙、支配しようとする国となっており、それを身をもって知ったアントニオもまたフランシスコと手を結びフランスに抗戦する立場に転ずる。

――というのが2人の生き方のおおまかな変遷かなと思うのですが、アントニオのセリフがバルセロナの状況を表し、またはフランシスコの心を大きく揺さぶるものでもあるのでとても重要だと思うのですが、芹香さんの滑舌が心配になるレベルで不安定なのが気になりました。これからますます重責を負う立場の人ですし将来を望まれている人だから放置せず専門家に相談されていたらよいけど・・・。
「妻になにをした!」というアントニオの咎めを聞いたフランシスコのマスクの下の表情が変わる瞬間が好きだったので、毎回あのセリフが明瞭に響くことを願っていました。
親友を思って歌う新曲はとても良かったです。歌唱力も雰囲気も。歌う時のシリアスめな表情が知的なかんじですてきでした。スマートかつ内心に憂いを秘める役が芹香さんにぴったりだなぁと。
歌がメインの作品なら不安はないのですよね。
個人的には、真風さんと芹香さんで「メランコリック・ジゴロ」や「愛するには短すぎる」などのバディ感のある、正塚先生の軽快なコメディを見てみたいと思っているので滑舌が改善されるといいなと思います。

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2019/09/20

それが惚れるってことじゃないのか。

9月8日に熊本市民会館、9月14日、15日、16日に福岡市民会館にて宝塚歌劇宙組公演「追憶のバルセロナ」「NICE GUY!!」を見てきました。

「追憶のバルセロナ」は正塚先生の作品としては珍しいコスチュームプレイで個人的に好きな作品でもあり、いまの宙組での再演はうれしかったです。
正塚作品独特の間やセリフでありながら現代劇ではなく時代物であることが、いつもよりさらに難易度を上げているかんじで、熊本で見た時はいまひとつ力不足かなと思う部分もあったのですが、1週間後の福岡公演ではそれもかなりこなれて、タカラジェンヌの吸収力と成長は凄いなとあらためて思う次第でした。

往年の柴田作品に対するオマージュでもありつつ、正塚先生世代独特の価値観も随所に見える作品だなぁと、そこに私は惹かれるのかなぁと思いました。
ロマのロベルトに言わせている『惚れた相手が行きたいならそれがどんな所でも一緒に行こうとするんじゃないのか。それが惚れるってことじゃないのか』とか。往年の柴田先生の作品を見て蟠っていたところに刺さってくるのですよね。
おとぎ話だよねとも思うし、戦後生まれの浅薄な理想かもしれないけど。でもそこが好きです。
理想はいつかかたちになるかもしれない。そんな希望が抱ける世界が好きです。

柴田先生の作品ならばきっと「酒場の女」と「良家の令嬢」という属性で分けられたそれぞれの女性は、その垣根の中から決して外へ出たりはしない。
青年貴族である主人公は、市井にある時は片方の属性の女性と燃えるような恋愛をして、みずからの本懐を遂げたのちは心を切り裂いてでもその熱情を断ち、戻るべき場所=もう片方の女性が属する場所へと戻っていく。
主人公目線からすれば、貴族の継嗣に生まれた者が、青春という刹那の時間を生きたのちに、生まれた時から授けられた重責を背負う覚悟をもつまでの心の軌跡を描いたということになるのかもしれないけれど、ヒロインを思うと私は釈然とはしないのです。
『私にはずっと結婚を待たせている心優しい許嫁がいる』と予防線を張って付き合い始めるとか、女性にランクをつけているからこそできるわけで。いまの時代にこういうものを見せられてどう思えというのかと。これがかつての男のロマンなのかとか? 主人公もつらいよねとか?
たしかに一瞬憂いを帯びた美しいお顏にだまされはしましたけど。でももう無理。(完全に「バレンシアの熱い花」を想定中)
かつての名作も、いま上演するなら内容は吟味してほしいと思います。
でもそうは言いつつ、往年の柴田作品ほどのクオリティの脚本が書ける人が現時点でいるかというと難しいのだろうなぁ。

ゆえに、こんなふうに次の世代の作家がオマージュやリメイクをする試みは面白い実を結ぶやもしれないなと思います。
この「追憶のバルセロナ」も初演は17年前。『ずっとそばにいてくれ、それがお前の力だ』『自分のことのようにあんたを思ってる』―― いまならこれが男女逆でもいいのになぁと思ったりもします。でも正塚先生だからそれはないな。いつか若手の女性作家さんの手で描かれる日が来るといいな。

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2019/06/11

どこなの?

さいきん夢を見ました。それは2月に福岡市民会館で見たお芝居「暗くなるまで待って」の夢でした。
なんで3か月も前に見たお芝居の夢をいまごろ見たのかなぁと思ったのですが、もしかしてさいきん見た舞台「アルジェの男」や「笑う男」に盲目の女性が出てきたことと3か月前の記憶が無意識でつながったのかな?

観劇後に自分がどんな感想を書いているのかなと過去ログを見たら・・・感想かいてない・・・😨
そうでした。あの日、「暗くなるまで待って」の福岡での唯一の公演日であり大千秋楽でもあった2月23日は、宙組博多座公演「黒い瞳」の千秋楽前々日の土曜日で大いに盛り上がっていた頃だったのでした。
「暗くなるまで待って」の会場である福岡市民会館から早足で博多座まで向かい、ニコライとプガチョフの橇の場面ギリギリ前に客席に滑り込んだのだったなぁ。(狙ったように1階特B最後列通路側が手元にあった・・・)
それから怒涛のように千秋楽まで突っ走り、頭は「黒い瞳」のことでいっぱいだった・・・。そんなわけで「暗くなるまで待って」の感想を書くどころじゃなかったのだったなぁ。

それなのに夢を見るんだ―――ちょっと不思議。記憶の幾重も奥の方にたしかに刻み込まれているんだなぁ。1回きりの観劇だったのに。
なんというか、五感で体感したみたいに。
研ぎ済まされた時間を過ごしたのだなぁと思いました。
スージー(凰稀かなめさん)の体験をあの空間で一緒にしたんだなぁ。一瞬一瞬を感じ吟味しその意味するところを考える体験を。
そして、やっぱり私はこのひと(凰稀さん)の芝居が好きだなぁと思ったのでした。
さらにサイコパス気味の役になりきる加藤和樹さんに震えあがり、そのタンクトップの鍛え上げられた肉体にびっくりしたのでした。・・・着痩せするタイプなのね加藤君・・・😨

ミュージカルのように短期間に繰り返し繰り返しリピートしたくなる作品ではないけど、無意識下に残る作品でした。
東京だとこんな作品を上演する劇場がいろいろあると思うけど、福岡で公演されたのは本当に稀有で幸運だったのだなぁと思います。

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2018/12/06

古い小さな傷痛むように懐かしさが込みあげてくる。

12月1日と2日に福岡市民会館にて宝塚歌劇花組全国ツアー公演「メランコリック・ジゴロ」と「EXCITER!! 2018」を見てきました。

主演の花組2番手スターの柚香光さん、そして助演の水美舞斗さん、ヒロイン格の華優希さんと舞空瞳さんを中心とした若さスパークリングな熱く楽しい公演でした。
貸切公演を含めて4公演見ることができましたが、飽きることなく楽しめました。(それどころかもっと見たいと思うほど・・・)
お芝居だけでなくショーでもうるうるとしてしまったんですが、これってなんなんでしょうね。
命の輝きをいっぱい見せていただいたような・・・そんな気持ちです。

「メランコリック・ジゴロ」は柚香さんと水美さんの同期コンビにとても合っていて掛け合いがとても面白かったです。ナンバー中のさりげないじゃれ合いも。

柚香ダニエルがふと見せる物憂げな表情に惹かれました。
ジゴロを気取って計算づくな生き方をしているようでも薄い皮膚の一枚下には繊細なものが流れていそう。
見る者の想像をかきたてる天性の魅力がある人だなぁと思いました。
オトナになりきれない余裕のなさ、その弱さを魅力にしてしまう人だなぁと。
ノスタルジックな主題歌を歌うときの純朴さと、身にまとったスマートな物憂さがミックスされてとても魅力的に感じられました。
歌詞を聴きながら、彼の過去を様々に想像していました。

計算高く生きようとしているけれどどうしてもお人好しなところが出てしまうダニエル。
ドライに割り切れるスタン。(たぶんそうでないとならない人生を生きてきたのだろうな)
田舎育ちのダニエルと都会育ちのスタンの対比がはっきり見えて面白かったです。

スタンはちゃっかりしてて一見薄情なことを言っているようだけど彼の言うことは一理あって、2人揃って捕まってしまうよりは、どちらか片方つまりスタンだけでも逃げて別動で問題解決にあたったほうが得策ですよね。
過剰な情けは掛けないのは信頼関係があってこそ。
ダニエルをわかっているからこそ任せるところは任せて自分のすべきことを冷静に見極めている。頭の回転が速い人なんだなと思います。
(とはいえ、まぁあれだけど・・笑)

水美スタンの軽妙さが面白くて好きでした。わかってて言っているのか無意識なのか?の絶妙なライン(笑)。
ちょっと危ない話やエキサイトメントな情報を持ち込んでくる陽気な友人の魅力。
柚香ダニエルと並ぶとお互いに魅力倍増でした。

「おまえ居直るとキツイな」というスタンの言葉が好き。
都会育ちな彼は世間慣れに関しては自分にアドバンテージを感じているんだろうな。
初心なところのあるダニエルに「世間ってもの」を教えてやるのは自分だと思っていそう。
でも、ダニエルのそのスレていない純なところを彼はけっこう好きなのではないかな。
おたがい自分にないものを持つ相手に魅かれあっているかんじ。
相手を認めつつも負けん気も発揮しあう同士。
2人の関係を探りながら見るのもたのしい作品でした。

マサツカ作品はややもするとマンスプレイングが鼻につくことがあって、この作品もまた相変わらず女は馬鹿だと思ってるよねーとは思うけれども、登場する男たちもまた主人公を含めてそれぞれが愚かな人間の1人として描かれているのが、人間への愛おしみと感じることができたような気がします。
答えを自分の中の常識の内に落とし込んでしまわない、問いかけは問いかけのままなのがいいのかなと思います。

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2017/12/09

あの瞬きに導かれ。

12月2日と3日、福岡市民会館にて宝塚歌劇月組公演「鳳凰伝」と「CRYSTAL TAKARAZUKA」を見てきました。

「鳳凰伝」。楽しみで仕方ありませんでした。
まずバラクは誰?と思いましたよね。れいこちゃん(月城かなとさん)か、いいではないか、楽しみだなと思いましたよ(笑)。

脚本の部分で物を申したいところもあるのですが、それでもこの作品が好きだなとあらためて思いました。
主演のカラフ役の珠城りょうさんが歌う主題歌にしみじみと聞き入りました。
甲斐先生の曲はいいなぁ。盛り上がるなぁ。木村先生の歌詞もいいなぁ。木村先生なのになぁ。

カラフは実感を求めてさすらっている若者なんだなぁ。
かつての華々しい凱旋も彼には熱き血潮を滾らせるものではなかったのだなぁ。

初演の和央ようかさんのカラフは、圧倒的なビジュアルと比類なき実力のある男、なにもかもがこの世界と乖離している自己を感じずにはいられず、世界との齟齬を埋める何かに出逢うことを夢見ている男に見えていました。
どうしようもなく孤独に生まれついた人だなぁと。
そして、いずれ世界を手に入れる男だぁと。
ゼリムもタマルも心から彼を慕っているけれども、彼らでは彼の心を埋められない。
そんな彼が対等でいられる唯一の男が、バラク。
この人と対になるのはもうトゥーランドットしかないよねと思えるカラフでした。

その初演のイメージとはまったく異なる珠城さんのカラフを読み解くように見るのはとても面白かったです。
珠城さんのカラフは内面が若い印象をうけました。若くて清々しいカラフでした。
孤高ではない。世界を信じている人だなぁという印象を受けました。
国は滅ぼされてしまったけれど不幸ではない。
ただ恵まれていた過去に実感がないのだなぁと。
愛情深い父の存在、自分を心から慕うゼリムやタマルのような人びとが他にもきっとたくさんいて。
皆が自分によくしてくれて、皆を大事にも思っていて。だから感謝の言葉も素直に発せられて。
慈愛に満ちた世界に育ち、うたがいもなく幸福であったのだろうけれど、それゆえに心から渇望するものがない。
恵まれた環境を失ってもそれを惜しいとも思わないでいる青年、それが珠城カラフだなと思いました。

そんな彼の目に飛び込んで来た星。
初めてその熱い血潮を滾らせたもの。
手に入れること以外考えられない希望。
彼に「いま生きている自分」「いのち」を感じさせたもの。
それがトゥーランドットなのだなぁと思いました。

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