カテゴリー「♖ フレンチロックミュージカル」の18件の記事

2023/12/19

未来と引き換えに今を得たんだ

12月13日と14日に東京芸術劇場プレイハウスにてフレンチロックミュージカル「赤と黒」を見てきました。
今回は2泊3日で3演目の観劇旅行でしたので駆け足で感想を残しておこうと思います。

このフレンチロックミュージカル「赤と黒」は、主人公のジュリアンの生い立ちには触れられず、ナポレオンについてや世情についてもざっくりとしか言及されていないので、セリフや演者の表現からそれらを感じ理解していくことになるのですが、今回見た梅芸版ではジュリアンのセリフの中にあった「身の程知らず」という言葉がすべてに繋がっているようだと思いました。

ジュリアンはこの「身の程知らず」という言葉を幼い頃から何百回と言われて来たのではないかなぁと思いました。
本を読んでいるのが見つかった時、ラテン語を学んでいるのを知られた時、ふと憧れを口にした時、なにかに立ち向かおうとした時、等々。
なにをしても「身の程知らず」という罵倒がついてまわるそういう生い立ちを背負っている青年なんだなぁと。
それゆえ口を噤んで野心は心の奥底に秘め、注意深くそして誇り高く生きているんだなぁと思いました。
「身の程知らず」が原動力でもあるのかなと。それを実行していくことが。

町長家の家庭教師になること、町長夫人ルイーズと恋愛関係になること、由緒ある侯爵家の秘書となること、高慢な侯爵令嬢マチルドと恋愛関係になること・・ジュリアンにとってはどれもが「身の程知らず」な行いになるかと思います。これらのみならずジュリアンにとっては望むことすべて、生きることすべてが「身の程知らず」と思えるのかもとも思います。

そんなジュリアンが成し遂げた最高の「身の程知らず」が、真実ルイーズから愛されたという実感なのでは、と思いました。
騎士(シュヴァリエ)の称号を与えられ貴族に連なりラ・モール侯爵家の一員としてそののちも地位を上り詰め権力を手にすることのほうがよほど「身の程知らず」な野心に思えますが、ジュリアンにとってはそれと同等かそれ以上に「真実愛される」ということに価値があったのかなぁと、独房を訪ねてきたルイーズとの美しいシーンを見ていて思いました。
愛されなかった子どもが、いまこの瞬間満たされたのだなぁと。

ラストシーンは納得のようなせつなさのようななんともいえない感情を味わいつつ、作品全体から、いまもなお「身の程知らず」という概念が存在する世界への若い人の憤りのようなものも感じました。
それがこの梅芸版からうけた独自の印象でした。

東京芸術劇場プレイハウスに行くまで

フレンチロックミュージカル版の「赤と黒」は、礼真琴さん主演の宝塚歌劇星組版Blu-rayをお買い上げしてしまうくらいその楽曲が好きだったので、梅芸版の上演が発表され主演のジュリアン・ソレル役が三浦宏規さんと知ってこれはなんとしても見に行きたいなと思いました。
公演日程を確認すると梅田芸術劇場ドラマシティ公演が1月3日~9日。東京芸術劇場プレイハウス公演が12月8日~27日。
常なら関西公演に行くところですが、お正月休みは家族の帰省に対応しなくてはいけないし、お正月休み明けは有給も取りにくいので無理。
ということで、12月に人生初の東京芸術劇場に行く決意をしました。

蛇足ながら池袋は20年以上まえにサンシャインシティの某同人誌即売会に行ったのと3年前にヅカ友さんに某元ジェンヌさんのコラボカフェに連れて行ってもらったことがある程度という極めて不案内な状態でした。
池袋駅の改札を出てふと、3年前に案内してくださった方が「西口にあるのが東武百貨店、東口にあるのが西武百貨店」とおっしゃっていたことを思い出したことが、本当に役に立ちましたです涙。
あれがなかったら見当違いの方向に進んでいたかも。
ひたすら「TOBU」というロゴを横目に見て自分を励ましながら地下通路を進んで無事に劇場にたどり着くことができました。

演出他について

私にとってフレンチロックミュージカルの愉しみは、心躍る楽曲とそれを活かすヴォーカルとダンスのパフォーマンスです。
その点で礼真琴さんは最高。
そして三浦宏規さんもその歌唱力としなやかなダンスパフォーマンスできっと満足させてくれるにちがいない!と期待でいっぱいで観劇しました。

13日のソワレは席が1階前方の超端っこ。隣の席には布が掛けられていました。(見切れになるからかな?)
スピーカーが近いせいか音のバランスが悪くて、いまいち気持ちがのれませんでした。(心臓が圧迫されるような圧が・・)
ていうか三浦宏規さんの登場が思ったよりも少ない??
脳裏に宝塚版が残り過ぎて、自分で勝手に盛り上がろうとしたところで逸らされてしまう感覚に「え?」っとなってしまったりというのもあります。
演出がちがうのだから盛り上げる箇所がちがうのも当然なんですけど、初見はそれに適応できずもっと楽しめるはずなのにおかしいな?と不全感に陥ってしまっていたみたいです。

14日はとちり席のセンター。これはもう最高でした。
我ながら現金ですが前日の感想撤回でとても楽しめました。
音のバランスもよかったですし、アンサンブルの方たちのダンスパフォーマンスもそのセンターで踊る三浦宏規さんも正面から見るとその凄さがよくわかりました。
メインキャストが舞台中央の扉から登場してパフォーマンスがはじまる演出が多いので前日はそれが見えていなかったのだということに気づきました。
やはり何にも勝るセンター席です。
前日に一度観劇しており宝塚版との違いを体験できていたことも大きいのかもしれません。

宝塚版と梅芸版を両方見たうえで思うのは、宝塚版はキャラクターを象徴的にわかりやすく強調していたのだなということ、舞台美術や演出も上下奥行きを存分に使いダイナミックに派手にしていたのだなということです。
年齢層の偏った女性だけで演じる舞台なので美術、装置、衣装、メイクで演者を盛ることが求められるからだと思います。(宝塚ならではの裏方さんの力が不可欠)

対して梅芸版は舞台美術もシックでシンプル、衣装も落ち着いた色合いのコートやドレスで、自身の演技力で勝負する役者さんを引き立てるようになっているのだなと思いました。
シックだった壁がダンスパフォーマンスになると瞬間で深紅に変わったり、マチルドのキュートなドレスが彼女の動きでウエストあたりの素肌が見えたりと、細かな部分の意匠がキャラクターやパフォーマンスを光らせるのが素敵でした。
敬虔なレナール夫人の人柄を表現したような質素なドレスも夢咲ねねさんのスタイルの良さを引き立たせて見惚れる美しさで作品の上で納得でした。ジュリアンが知らず知らず惹かれ、ヴァルノ氏が羨みレナール氏が自慢に思う夫人なんだなぁと。

歴戦の巧者を集めたキャスト陣なので皆さん1人で場面を持たせられるし動かせる。役者さん自身のキャラクターもとても濃くて芝居部分はストプレを見ているようでした。
と思っていると内心を吐露するロックナンバーのヴォーカルがはじまる・・という感じで初見はそれも世界観に没入し難かった理由かもと思います。
方向性が見えなくて自分だけ置いて行かれたような心地になってしまったのかなとも思います。しかしその方向がわかって見ると個々のエネルギーの凄さとその集合体の素晴らしさに心躍りました。

まったくの私の主観ですけども、13日ソワレと14日マチネでは客席の雰囲気も異なっていた気がします。その雰囲気を察知する能力に長けた役者さんが13日ソワレは客席の反応を呼び起こすためにちょっとばかりやり過ぎなところがあったのではないかなと、14日マチネのすべてが転がるように滑らかに物語世界に引き込まれる舞台を見て思いました。

CAST

三浦宏規(ジュリアン・ソレル) あの愚直で熱い「キングダム」の信だった人とは思えないほどすっとしていて大人しそうで、でも内になにを秘めているかわからない複雑な雰囲気を醸し出すジュリアンでした。(体型まで変わった??) 打って変わって抑えていた思いを爆発させる歌とダンスでは熱い内面の葛藤を激しく表現していて心奪われました。もっと歌って踊ってほしかったなと。
夢咲ねね(ルイーズ・ド・レナール) 一見敬虔そうでお淑やかな中流階級のお手本みたいな女性っぽいけれど内には激しい面も持ち合わせているのがよくわかるレナール夫人でした。密告書を全否定でバシバシとレナール氏に指示する場面が好きでした。シンプルなドレスの立ち姿や身のこなしの繊細さはさすが。獄中のジュリアンとのキスはキラキラの粉が舞い落ちていました。
田村芽実(マチルド・ド・ラ・モール) 2幕冒頭の可愛いのにお下品な顔芸のダンスパフォーマンスがとっても好きでした。ジュリアンが窓から入ってくる時の「コケるとこだった」「コケてたじゃない」は毎回?アドリブ?プライドは高いけれど不安定な心が痛々しくていいなぁ。この公演にはなかったけれど処刑されたジュリアンの首を抱えて接吻するシーンも見てみたかったです。終演後に若い観客の方が「めいめい、また幸せになれなかったね」と話していらして「うんうん、ほんとに」と思いました。
東山光明(ムッシュー・ド・レナール) ブルジョワ(中流階級)の滑稽さと悲哀を象徴するとてもスノッブな人物でした。でも小説(舞台)じゃなかったらそんなに侮られる人物じゃないだろうになぁ。名士であるために努力してて、それが家族の幸せにつながっているのだし、現実を生き抜くって大変なことだよねぇと彼なりの思いを歌うナンバーに「うんうんわかるよ」と思いながら聞きました。原作者に意地悪されている人だなぁと思いました。
川口竜也(ラ・モール侯爵) ラ・モール侯爵とマチルドを見てマチルドは「父の娘」なんだなぁとつくづく思いました。「パパみたいになりたい」シシィのように。父の価値観を内含し、よりそれを尖らせていく娘。それによって父を喜ばせ父に可愛がられ自尊心を満足させるもその「蜜月」は永遠には続かず、世間的に結婚させようとする父親に戸惑う。父が尊ぶ価値観に沿って俗物たちを見下して永遠に愛されていたいのにそこから切り離そうとする父への失望と抵抗、いら立ちが2幕冒頭のマチルドの尊大な態度なんだろうなぁと。それを甘やかす父ラ・モール侯爵。もうねーと思いました。そんな父が誉めるジュリアンに関心がいくのは当然。娘が自分から離れていくことを嘆いていたけれど、違う違う裏切ったのはそちらが先ーと思いました。いかにも娘に愛されそうな無自覚に罪深いパパでした。
東山義久(ジェロニモ) あやしい、踊るとカッコイイ、妙な存在感のジェロニモさん。客席とのやりとりも担当。2幕のはじまり、14日マチネはお客さんの反応がよくて嬉しそうに見えました笑。もっとジュリアンと絡むのかなと思っていましたがそうでもなかった? 神学校のくだりがないので、パリで著名なジェロニモさんがジュリアンをラ・モール侯爵に紹介する役割なんですね。飄々としているけれどジュリアンの立場をいちばん理解している人なのかな。ジュリアンの死、ジュリアンの生き方に感銘を受けてもいるように思いました。そしてどう思うかと観客につきつけてもいる・・。
駒田一(ムッシュー・ヴァルノ) テナルディエだ。いやいやヴァルノさんだ。あ、テナルディエ。ちがうヴァルノさん。を心の中で何回も繰り返してしまいました笑。ジュリアンの運命を狂わせる策謀家なんだけど悪者とまでは言えないのかなぁ。嫌なやつではあるけれど。おそらくブルボン朝~フランス革命~ナポレオン時代~王政復古~ナポレオンの百日天下~第二次王政復古と怒涛のような時代を生き抜いている人だからこそ、自分の才能や立場を鑑みてなりふり構わず足掻かなくては生き残れないと悟っているのかな。ヴァルノ夫人(遠藤瑠美子さん)とのナンバーがなかなか難曲そうでしたが流石でした。

エリザ役の池尻香波さんもとても気になりました。これから活躍される方なのかな。

思い切ってはじめての東京芸術劇場まで出かけてよかったなぁと満足の観劇となりました。

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2023/08/13

朝まで歩こう肩を組み。

8月4日東京宝塚劇場にて星組公演「1789」を見てきました。

終演直後自分は成仏したんじゃないかなと思いました。
もしかして私は迦陵頻伽の聲を聞いていたんじゃないかなと。
これが法悦というものなのかな。
自分の語彙では表現できない満足感に脳がバグを起こしておりました。

数日経ち幾分冷静になってきたので感想を書こうとするのですが、やはりなかなか言葉がみつかりません。
刹那刹那に感じた技術的な凄さや舞台の上の1人1人から漲っていたものを表現する言葉を知らない自分にがっかりです。
でも感動を書き残しておきたいのでどうにか書いてみようと思います。

1か月ちょっと前に宝塚大劇場で見たものとは別物だと感じました。
あの時は大好きなナンバーをようやく自分の耳で生で聴けたことに心が震えましたが、今回は1つの作品としての完成度の高さに打ちのめされました。
舞台の上にいる1人1人から漲るものが凄まじかったです。
オケも宝塚大劇場よりもドラマティックで色っぽい印象でした。(音の聞こえ自体は大劇場の方がよかったのですが)

「ロミジュリ」初演を観劇してから13年(私は博多座で観劇)、タカラジェンヌがフレンチロックミュージカルをここまでアーティスティックに上演する日が来ようとは。頭を抱えたあの時には想像もできませんでした。

あの時は宝塚とフレンチロックとの音楽性のあまりの乖離に頭を抱えてしまったのでした。
宝塚には音楽性よりも「宝塚らしいもの」をという思いをいっそう強く抱き、以来宝塚で上演されるフレンチロックミュージカルには食指が動かなかったのですが、礼真琴さんなら・・とロックオペラ「モーツァルト」を見に行き「ロミジュリ」を見に行き、そのたしかな実力と感性に心酔し礼真琴さんの星組で「1789」が上演されることを熱望して、いまここ。
そしてこの満足感たるや。

でもこれはメインキャストだけが巧くてもどうにもならないことだということも実感しました。
この10余年で宝塚歌劇の音楽性が大きく変わったこと。下級生に至るまで1人1人の体にこのリズムが沁み込んでいるんだということをしみじみと感じました。
あの時無謀ともいえる挑戦をし宝塚ファンに衝撃を与えた初演「ロミジュリ」のメンバー・関係者の手探りの努力があってこそのいまなんだなぁということも強く思います。
さらに、宝塚の番手主義とは相容れない群像劇をそのヒエラルキーを崩してまでも上演した、2015年のあの「1789」月組初演があったからこそ。

すべてはあの一歩から。生みの苦しみを経て、綿々と積み重ねられた努力の末に結実した一つの公演がこの「1789」であり、そしてこれから生み出されていく作品なんだなぁと深く思います。

話を今回観劇した「1789」東京公演に戻します。
大劇場の観劇時にはもどかしく思ったところも、今回の観劇ではまったく感じませんでした。
それどころか期待以上のものを体感することができて感激もひとしお。

ラストのロナンのせり上がりも心の準備ができていたので問題なしでした。
座席の位置も関係があったのかもしれません。今回は1階の下手端っこだったので人権宣言をじっくり堪能してからロナンが登場した印象でした。(大劇場では2階最前センターだったので人権宣言が終わるか否かで目に入って来たのが大いに戸惑った原因ではと思います。座席位置大事)

礼真琴さんは私の快感のツボを全部圧していかれました。
こんなふうに歌って聞かせてもらえたらもう思い残すことはござらん・・です。
いえチケットさえあれば何回でも見たいし聞きたいですが。

父親を殺され農地を奪われて衝動的に故郷を飛び出したロナンが、若き革命家たちやともに働く印刷工たち、再会した妹、フェルゼン伯爵らを通じて成長しながら恋をし、憎しみや疑念、葛藤を抱きもがきながら成長していく様が手に取るように伝わり物語世界にどっぷりとはまりました。

「革命の兄弟」のロナンと、デムーランとロベスピエールとのやり取りは1人1人のキャラクターの違い、立ち位置、考え方、受け取り方の違いがよく見えました。
理想主義でロマンティストのデムーラン。懐疑的で原理主義のロベスピエール。

ロナンが「俺にも幸せ求める権利がある」と言えば「当然だ」と肯定するロペスピエール。
ロナンの「やりたい仕事につく権利がある」にはデムーランが「勿論だ」。
さらに「誰が誰を好きになってもかまわない」には前のめりに「その通りだ」と返すデムーランに対して反応薄めのロベスピエール笑。
さらに「自由と平等」でその違いが際立ちます。

ダントンは人情派で寛容、ファシリテーター的なところもある。デムーランとロベスピエールがかなり強烈なのでその努力が不発に終わることもあるみたい・・天華えまさん演じるこの作品のダントンはそんな立ち位置かな。
「パレ・ロワイヤル」はそんな彼がよくわかるナンバーだなぁと思います。
「氏素性なんて関係ない」「学問がなくてもかまわない」――その意味のリアルがわかっているのは実は革命家3人のうちではダントンだけなのではないかなと思いました。
だからソレーヌも彼の言葉に耳を傾けることができたんじゃないかな。
デムーランとロベスピエールがそのことを理解するのはもっと後、ロナンという存在に関わって現実を突きつけられ、その行動力と人々からの信頼を目の当たりにしてからだと思います。

「サ・イラ・モナムール」での恋人との関係も三者三様で面白かったです。
同じ理想を目指していることが大事なデムーランとリュシル。そばにいて共に戦うのが当たり前なダントンとソレーヌ。
危険行動に恋人を連れていく気がないロベスピエール。そもそも志を共有するという気がないのかな。また後顧の憂いは断ちたい人なのかなと。

私が「1789」が好きな理由はやはりこの革命家たちにワクワクさせられるからだと思いました。
革命家それぞれがセンターに立つナンバーが、その大勢のダンスパフォーマンスも含めて心が昂るところ、三者三様の個性がはっきりしてそれぞれに異なったロナンとの絡み方が面白いからなのだということを実感しました。

大劇場で喉を傷めている様子だった極美さんも難なく高音で歌い上げていて最高でした。
「誰のために踊らされているのか」のダンスパフォーマンスは舞台上の全員がいっそう力強くなっていて、見ていてドーパミン的幸福感が凄かったです。依存性が高いナンバーだなと再確認。

暁さんの朗々とした歌声と礼さんとのハモリも最高。
声が安定しているからこそフェイクも効いていて心地よかったです。

大劇場公演では大人しめに感じた有沙瞳さんのマリー・アントワネットも印象がまったく違いました。
1幕では誰よりも華やかで無邪気にチャーミングだったアントワネットが、2幕では動じない威厳を身に纏い質素なドレスを着ても存在感が滲み出ていました。自分自身の人生を自分で選び択る決意に溢れた「神様の裁き」は感動しました。

オランプは居方が難しい役なんだなとあらためて思いました。
猪突猛進でロナンの人生を変えてしまう、無茶ぶりで父親を危険に巻き込んでしまう。一歩間違うと反感をもたれてしまいそうなキャラを舞空瞳さんはいい塩梅で演じているなぁと思いました。
これこそがヒロイン力かなぁと。

東宝版を見ていた時にも思っていましたが、オランプは平民なんだろうかそれとも下級貴族なんだろうかと今回もやはり思いました。
姓にDuがつくので貴族かなと思っていたのですがアルトワ伯がオランプに銃を突き付けられた時に「平民に武器を持たせるとろくなことはない」と言うのがちょっと引っ掛かったり。

お父さんは中尉ということなので、平民から中尉なら出世した方だと思うし平民の中では裕福な部類かなと思うけれど、貴族なら年齢的にも中尉止まりだと名ばかりの底辺の貴族ってことになるなぁと。
いずれにしても娘に王太子の養育係ができるほどの教育を受けさせているのは凄いことだなと思います。
そしてアントワネットは意外とそういう倹しげで教養の高い人が好きですよね。
マリア・テレジアの教育の賜物でしょうか。

「神様の裁き」を歌うアントワネットの背後で戯れるルイ16世と子どもたち。この後のルイ・シャルルの運命を思うと、この愛らしいマリー・テレーズがのちにアルトワ伯以上に怖い人になるのだと思うとなんともやりきれない思いになりました。
(マリー・テレーズにとって母はどんな人だったのだろう・・)

瀬央ゆりあさん演じるアルトワ伯は、大劇場よりさらにクセの強い印象でした。
妖しくてシニカルで。
国王の孫で王太子の弟として生まれ、国王の末弟として育つってどんな感覚だったんだろうと思わず考えてしまいました。
アルトワ伯の人生にとても興味が湧きました。
それから今のこの瀬央ゆりあさんにオスカー・ワイルドの戯曲の主人公を演じてもらいたいなぁと思いました。田渕作品なんて面白そう。
(いやそれって「ザ・ジェントル・ライヤー」やんって思いますが、いまの瀬央さんの「ザ・ジェントル・ライアー」を見てみたいなぁと)

どの登場人物も魅力的で、この作品を上演する星組は幸運だなぁと思いました。
作品を引き寄せるのも実力のうちだなぁとも。

幸せな体験に感謝です。

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2023/07/14

いつか時代が変わったら。

6月28日に宝塚大劇場にて星組公演「1789-バスティーユの恋人たち-」を見てきました。

東宝版「1789」はこれまで見た中でいちばん好きなミュージカル作品と言っても言い過ぎではないくらい好きで、宝塚で上演されるなら礼真琴さん主演で見たいと願っていた作品だったので、星組で上演と知った時には飛び上がるほどうれしかったです。
タカラジェンヌの時間には限りがあり在団中に見たいと願う演目に当たるのは奇跡にも近いことだと思っています。たくさんの人が願ったからこそ実現した上演だと思います。

日本初演の2015年月組公演では大役マリー・アントワネットをトップ娘役の愛希れいかさんが演じ、主人公ロナンの恋人オランプ役は別の娘役さん(早乙女わかばさん、海乃美月さん)がダブルキャストで演じていたので、星組版ではどうなるのだろうと上演決定後は配役をあれこれと想像する日々でした。
 
舞空瞳さんがあの王妃様の超絶豪華なドレスを纏ったらそれはそれは映えるだろうなぁ。でもやっぱり東宝版みたいに礼さんが演じる主人公ロナンの相手役として激動の時代を懸命に生きる“ザ・ヒロイン”なオランプを舞空瞳さんで見たいなぁ。でもどっちも捨てがたいなぁ。
ロナンを苛むペイロール伯爵は専科で礼さんの同期の輝月ゆうまさんだったらいいのになぁなどなど。

じっさいに発表された配役は意外でもあり納得でもありいっそう期待が高まるもので、これはチケットが取れるだけ見たいなぁと浮き立っていたのですが―― 蓋を開ければ当然の超人気公演で手に入ったチケットはたったの1枚・・呆然とするしかありませんでした。

その貴重な1枚もどうなることかと青ざめる事態が。6月2日に初日こそ開けたもののその翌日から出演者体調不良のため公演中止、当面はいつ公演が再開されるのかわからない状況となり、脳裡にはこの2年あまりのコロナ禍で経験した数々の出来事が過り震える日々を送りました。
けっきょく1か月間の公演期間のうちの半分が中止となって公演再開となったのは6月18日の15時半公演から。
もうこれ以上は1公演も止まりませんように千秋楽まですべて公演できますようにと祈り続けて観劇日に漕ぎつけました。

そんな顛末の末の待ちに待った観劇日。
客席に座るもさらに高まる緊張。
(なにしろ昨年は博多座で開演10分前に中止を告げられたトラウマもありますし)

幕が開き主人公の故郷であるボースの農民たちが絵画のように舞台に浮かび上がり、奏でられるイントロダクションに体温が一気に上がる感覚。
軍隊が国王の名の下に農民たちを虐げ礼さん扮するロナンが「肌に刻まれたもの」を歌い始めた瞬間さらに体中の血が沸き立ちそれ以降はひたすら「1789」の世界に圧倒されつづけました。見たかったもの聴きたかったものが目の前に存在する幸せに酔い痴れました。

礼さんロナンの素晴らしさも期待以上でしたが、若き革命家たちデムーラン暁千星さん、ロベスピエール極美慎さん、ダントン天華えまさんが想像以上に見応えがあり気持ちが爆上がりしました。
若きイケメン革命家が歌って踊ってこそ「1789」――1幕から「デムーランの演説」「革命の兄弟」「パレロワイヤル」と畳みかけるように好きなナンバーがつづきここからすでに涙目に。

暁さんはその声量と声の深みに驚きました。かなり下級生の頃から抜擢されていた方だけにその成長ぶりを目の当たりにして感慨深いものがありました。
2幕の「武器をとれ」でセンターで朗々と歌い上げる暁さんを見て彼女がデムーランにキャスティングされた理由に合点がいきました。配役発表されるまでは暁さんがロベスピエールだろうと思っていたのでした。

「武器をとれ」は宝塚では今回はじめて歌われるナンバーですが、その演説によりパリ市民が決起しバスティーユ襲撃へとつながる重要な局面で、壇上から市民を歌(演説)によって盛り上げ扇動する暁さんの堂々とした姿に心が震えました。
ちなみにですが、このデムーランこそ「ベルサイユのばら」のベルナールのモデルとなった人物なんですよね。この「武器をとれ」のシーンもベルばらに描かれていました。東宝版を観劇した時にどこかで見たことがある図だなぁと思ったのも然り。(詩ちづるさん演じる婚約者のリュシルはロザリーということになりますね)

もともと天華さんの実力は信頼しているのですが難しいパートも難なく歌い上げるのは流石、危なっかしい仲間たちに目を配るお兄さんみたいなダントンだなぁと思いました。
そしてたぶんおそらく私は「1789」のロベスピエール役者に心底弱いようで・・。悔しいけれど極美さんのロベスピエールに幾度と撃ち抜かれました。それはもう易々と・・。
2幕最初のロベスピエールの「誰のために踊らされているのか?」は超好きなナンバーなのですが、その日の極美さんは声を潰されているのかフレーズ毎の高音の第一声が全て出ていないようでした。(千秋楽のライブ配信ではすべて音程を下げて歌われていたのでやはり喉を潰されてしまったのかな)東京公演では元の声に戻っているといいなと思います。

有沙瞳さんのマリー・アントワネットはとても大人しめに感じました。
これまで宝塚や東宝で同役を演じた人たちが伝説的なトップ娘役(花總まりさん、愛希れいかさん)であったり華やかなトップスター経験者(凰稀かなめさん、龍真咲さん)だったこともありどうしてもその記憶と比べてしまうのかもしれませんが、有沙さんも「龍の宮物語」や「王家に捧ぐ歌」などで艶やかなプリンセスを演じてきた方なので威風堂々と華やかな王妃像を作って見せてくれるだろうという期待がありました。

初演ではトップ娘役が演じた役だったものが2番手の娘役さんが演じることになって、場面や持ち歌が減り比重が変わっているのだとは思いますが、それでもやっぱりかの「マリー・アントワネット」ですから圧倒的な輝きと存在感を期待します。有沙さんはそれができる役者さんだと思っています。たとえばかつて伶美うららさんはトップ娘役ではなかったけれど無冠でも記憶に残る大輪の花のように存在していましたので有沙さんにも期待せずにいられません。
この公演が最後となる有沙さんの最高の輝きをこの目で見たいです。

ひとりの女性として家族を愛して家族のために生きたいと願う2幕の「神様の裁き」のアリアは素晴らしくてとても心に響きました。そういうマリー・アントワネット像を目指されているのかなと思います。さらに1幕からのギャップを表現して魅了してほしいなぁと贅沢なことを願ってしまいます。
オランプに決心を促す場面もとても好きでした。

瀬央ゆりあさんのアルトワ伯は媚薬を用いて淫蕩に耽るようなタイプではなく冷静に虎視眈々と王座を狙う切れ者に見えました。彼の眼には兄ルイ16世は凡庸で無能な人間に見えているのだろうなと。
王妃の醜聞を利用して兄を失脚させるのが目的でそのためにオランプを見張らせているのであって恋情を抱いているようには見えないアルトワでした。
教会でオランプに媚薬を使おうとするのもオランプに執着があるわけではなく自分にとって邪魔な相手として危害を加えるのが目的かなと。
いずれロンドンから戻ったらいつのまにか王座に就いていそうだなぁと思いました。
これまでのアルトワ像とはタイプが違うけれど居住まいや目線が知的で含みがあって面白かったです。

輝月ゆうまさん演じるペイロール伯爵は鞭を振るったり蹴りを入れたりのタイミングが琴さんとぴったりで本当にロナンを甚振っているようで今回の「1789」の見どころの一つでした。(虐げられる琴さんの反応がとんでもなくリアルで凄すぎて瞠目でした)
大義に忠実で情け容赦ない軍人貴族だなぁと思いました。

ソレーヌ役の小桜ほのかさんはお上手なのは知っていましたけど、こんなに地声で凄味のある歌い方ができるとは。地声から澄んだ声への切り替えも素晴らしくて観劇後も「夜のプリンセス」が頭から離れませんでした。

フェルゼン役の天飛華音さん、ルイ16世とマリー・アントワネットがようやく心通わせる場面でのセリフの入り方が素晴らしかったです。
「しかし御一家が危機に瀕する時あらばこのフェルゼン命に代えてもお守りいたします」
本当に芝居センスのある方だなぁと今後も楽しみです。

オランプ役の舞空瞳さんのヒロイン力はやっぱり素晴らしいなぁと思いました。彼女が登場すると目が勝手に追ってしまいます。
けっこう理不尽なことや辻褄が??な行動もするのですが受け容れて見てしまうのはそのヒロイン力によるものだなぁと。
与えられた役割、職務に一生懸命なオランプの姿が舞空さん自身とも重なってきゅんとしました。

1幕ラストの「声なき言葉」の盛り上がりは宝塚版ならではの感動でしたし、2幕もまた「次の時代を生き抜くんだ」と言い残し息絶えたロナンを囲んで打ちひしがれていた皆が前を向いて高らかに述べる人権宣言は名場面だと思います。そこからのラストナンバー「悲しみの報い」に感動は最高潮――となるはずが、今しがた皆の嘆きの中で息絶えたばかりのロナンがピカピカの白尽くめの衣裳でせり上がりで登場した時だけはえええっと戸惑いました。

あそこはもう少し人の世の遣る瀬無さや、未来への希望にデムーランやソレーヌたちとともに浸っていたかったなぁと思います。
志半ばで彼は逝ってしまったけれど、そんな名もなき人々の願いと行動の積み重ねがいまの世の中の礎を作っているんだと。命を燃やした彼らの願いを踏み躙ろうとする力は今の世も隙あらば頭をもたげようとするけれど、それに負けてはならないのだという強い意思を噛みしめる時間をあと少しだけ持ちたかったなぁ。

キラキラのロナンの登場が早すぎて心が宙ぶらりんのまま享楽的なフィナーレを見たせいか今回のフィナーレは気持ちがいまいち盛り上がらずに終わってしまった気がします。
本編は本当に最後のタイミング以外最高だっただけにちょっと残念かなと思いました。

というものの最高の舞台を見られた満足感たるや凄かったです。
あと1枚だけ東京のチケットが取れたので無事に観劇できることを心の底から祈っています。

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2021/05/07

僕は怖い。

4月23日に東京宝塚劇場にて星組公演「ロミオとジュリエット」B日程を見てきました。

ムラでAB日程をそれぞれ見て、A日程はこの後ムラの千秋楽と東京の千秋楽をライブビューイングで見ることができるけれど、B日程はもう二度と見られないのかと思うと居ても立ってもいられず友の会にエントリーしたところ幸運にもチケットを手にすることができました。
(緊急事態宣言の再々発出により4/26以降の公演が中止となり、結果的に5/2にB日程の無観客上演のライブ配信をもう1度見ることができたのですが)

A日程とB日程、より宝塚度が高いのはA日程のほうだと思うのですが、B日程には私を中毒にさせる要素がありました。
愛ちゃん(愛月ひかるさん)の死はもちろんのことですが、礼真琴さんのロミオ、綺城ひか理さんのベンヴォーリオ、天華えまさんマーキューシオが作り出す関係性が好きでたまりませんでした。3人で歌う「世界の王」のハモリはとても心地よく、マーキューシオの「マブの女王」ベンヴォーリオの「どうやって伝えよう」そして皆で掛け合う「街で噂が」は、こんなふうに歌って聞かせてもらえるとはと。なんども聴きたくなるくらい好きです。
「決闘」はナンバー内のそれぞれのキャラクターの心情が、ムラで見た時よりもさらに鮮明に見える気がして、ロミオの気持ちを思うベンヴォーリオも見たいし、ティボルトにだけはムキになってしまうマーキューシオの狂気と挑発のぶつかりあいも見たいし、目が足りなくて困りました。

ロミオ、ベンヴォーリオ、マーキューシオの3人のバランス、モンタギュー家に連なる者とはいえバックボーンのちがう3人の若者がそれぞれに漠然とした不安や苛立ちを抱えてそこに存在する感じが好きでした。
“チーム・モンタギュー”としての絶秒な距離感。チームであることがいちばんのアイデンティティーであること。まだ社会的責任を負う必要のない青春の輝きと万能感のグルーヴ。それが綻びていくときの葛藤や希求や狂気、無力感。普遍的な懊悩を抱える若者像が胸に刺さりました。
私にとってそれが魅力でした。

それもみんな主演のロミオ役の礼真琴さんとジュリエット役の舞空瞳さんが安定の実力と魅力で舞台を引っ張っているからこそだと思います。
2人とも可愛らしくてピュアピュアしてて、夢見るロミオとロミオよりはちょっと現実的だけどやっぱり世間知らずなジュリエットの関係性が微笑ましくて、見ている私の頬は緩みっぱなしでマスクをしていて本当に良かったと思いました。
自分を16年間育ててくれた乳母さんが結婚していたことも思いつかないジュリエットの自分のことにしか興味がない若さが眩しくて。素直で我儘で自分がどれだけ守られているかも知らない舞空瞳さんのジュリエット像が大好きでした。

有沙瞳さんの乳母は宝塚大劇場で1か月前に見たときよりもさらに素晴らしくなっていて感動しました。彼女のジュリエットへの愛はどこまで深いのだろうと。
歌唱力のある娘役さんですが、ムラで見た時はさすがの有沙瞳さんでも乳母のアリアの音域の広さに苦労されているなぁと思ったのですが、東京公演では歌唱法を変えられたようで、余裕で歌いあげられているうえに情感が増していました。と同時に巧さに驕らず研鑽を怠らない姿勢に感銘をうけました。
キャピュレット卿役の天寿光希さんもムラとは歌唱法が変わったように感じました。娘に対して巧く愛情表現できない父親の心情がムラで見た時よりもより響いて胸が痛かったです。

基本的に関西での観劇が主なので、宝塚大劇場で1か月上演された公演を東京宝塚劇場で観劇する機会があるとそのパフォーマンスの深化に驚かされます。もっと頻繁に東京公演を観劇できたらどんなに良いだろうと思います。

じつは、今回の上京自体が昨年の2月の宙組公演「エル ハポン -イスパニアのサムライ- 」以来で、3月に観劇予定だった雪組公演「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」が公演中止となって以降ずっと東京公演の観劇を見送っていました。
今年の3月に第2回目の緊急事態宣言が解除され、以降はオリンピックに向けてワクチン接種もすすんで感染拡大も収まっていくのではないかという甘い見通しで今回の観劇を計画しました。
時節柄、空港も機内もホテルも細心の感染予防対策が取られ、私自身もできうる限りの感染予防を考え、公共交通機関の利用はラッシュ時を避け食事はすべてテイクアウトでホテルで1人で摂るようにしたのですが、まさかのまさか劇場であんなに会話が飛び交っているとは。
「会話はお控えください」と繰り返し繰り返しアナウンスされ、劇場スタッフの方々もいつもとはちがう強ばった表情で拡声器を使い会話を控えるように呼び掛けているのもかかわらず、ずっと談笑をやめない人たちがいて驚きました。
その会話を続けていることで周囲を不安にさせている事実を認識してほしいなと思いました。

帰宅後
第3回目の緊急事態宣言の発出により4/26以降の公演の中止が発表になり、予定していた宙組「恋千鳥」と「ホテルスヴィッツラハウス」、花組「アウグストゥス」の観劇が泡と消えて愕然としましたが、反面ホッとしたのも事実です。あの不安な客席に座らなくてよいのだと思うと。
どれだけ自分が注意していようとまったく気にしない人がおなじ空間に一緒にいるのだという現実。その不安が劇場から人びとの足を遠のかせてしまうかもしれないということをもっと重く受け止めてほしいと思います。
こんご公演が再開される折にはその不安が解消されていることを切に願います。

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2021/04/03

誰が誰だかわからないさ。

千秋楽も終わってしまいましたが、3月15日と16日に宝塚大劇場にて星組公演「ロミオとジュリエット」を見てきました。
なかなか終わらない感想のつづきです。

梅芸/博多座の初演を除いて、宝塚大劇場での上演のたびにこの「ロミオとジュリエット」にはなにがしかの役替わりが必ずあり、今回の上演もティボルト、ベンヴォーリオ、マーキューシオ、パリス伯爵、そして愛と死がダブルキャストでそれぞれA日程・B日程の2つに分かれました。
かつコロナ禍の感染症対策として出演人数に制限があり下級生がA日程・B日程に振り分けられました。
だからでしょうか、私が見てきた宝塚のいろんな演目の役替わり公演でも、ここまでA日程とB日程で印象が変わった公演もなかった気がします。

とくにB日程は、2番手であり二枚目も性格俳優的な役も演じることができる愛ちゃんこと愛月ひかるさんが、セリフのない死という役を演じた結果、これまでとは異色の「ロミオとジュリエット」になっていた気がします。

ベンヴォーリオとマーキューシオ、そして彼らに敵対するティボルトのパワーバランスが均衡に見え、作品自体の筋立てや登場人物それぞれの芝居をB日程ではバランスよく楽しめたように思います。
私自身が愛月ひかるというタカラジェンヌに思い入れがあり、また愛ちゃんの芝居が好きというのもあり、A日程だとどうしてもティボルトから情報過多になりがちで想像も膨らんでしまって、結果的にかなり消耗もしてしまうので、作品全体に目を配る余力が残らないというのもありますが、B日程は自由に新鮮に作品全体を楽しむことができました。
愛ちゃんの死を通して作品世界を見ることができたのも新鮮に感じた理由かもしれません。

それからB日程は全体を通じての音楽性もとても好きでした。こんな「マブの女王」が聴けるとは。
B日程を見たあと、もうこれを見ることができなくなるのかと思うと居ても立っても居られず、東京公演の先行抽選にエントリーしていました。
甘辛の法則ではないけれど、Aを見たらBが、Bを見たらAが見たくなるという無限螺旋のような役替わり公演でした。

ここからはA・Bそれぞれの役替わりについて、現時点で思いつくままに。

ベンヴォーリオは、原作によるとモンタギュー卿の甥でロミオの従兄弟。西洋の歴史物などを読むとアバウトに従兄弟の息子のことも甥と書かれていることもあるのでロミオの従兄弟か再従兄弟かな。いずれにしても親戚の子。

A日程の瀬尾ゆりあさんのベンヴォーリオは、幼い頃からロミオとともに育ってきた人みたい。ロミオを溺愛するモンタギュー夫人が息子の遊び相手として血縁のなかから選んで息子付きにした同い年の子どもというかんじ。きっと遊びもおやつを食べるのも一緒。子犬がじゃれ合うみたいに悪戯もいっしょにして、いっしょに叱られる関係かなと思いました。キラキラのロミオをそばで眩しく見て彼を誇りに思ってる。ロミオこそが彼のアイデンティティーになっている印象。まさにロミオは彼の王様だなぁと思いました。
ラストの霊廟の場面でロミオの亡骸を前に崩れて泣いている姿は胸が詰まりました。その気持ちを想像するのもつらくて。彼はこのあと大丈夫なのかな。

B日程の綺城ひか理さんのベンヴォーリオは、ロミオよりもお兄さんに見えました。モンタギュー夫人からロミオを諫める役目を仰せつかっているのかなと。生真面目にその役目を果たそうとしている部分と、キャピュレットとの諍いでは厳酷な面も垣間見えた気がします。友だちを守るためには容赦しない烈しさもあるのかなぁと思いました。
ふわふわしてすぐに心が此処(現実)じゃない何処かへ飛んで行ってしまいそうなロミオと、感情に支配されたら逸脱してしまう天華マーキューシオを、この地上に繋ぎとめる枷となっているのが綺城ベンヴォーリオかなぁと思いました。彼がいるから3人は友だちとして青春の時を過ごせたのじゃないかな。
2人の死で彼の青春も終わったのだなぁ。このあとは重責をひたすらに果たしていくベンヴォーリオに思えました。生まれ変わっていくヴェローナで。

マーキューシオは、ヴェローナ大公の甥。原作によるとパリス伯爵の従兄弟か再従兄弟でもある。ヴェローナでもトップクラスの高貴な血筋なんだけど、軽口を叩きモンタギューのロミオとベンヴォーリオとつるんで馬鹿をやってる若者。
モンタギューに入り浸っているのは自分の家よりは居心地が良いからかなと思いました。あまりエリートっぽくなくて子どもには居心地のよい単純さがあるモンタギューの家風が。

A日程の極美慎さんのマーキューシオは、たとえるなら親戚兄弟皆東大出身なのに、中学受験で失敗してドロップアウトした子どもみたいな印象でした。自棄になって荒れていたときにロミオとベンヴォーリオに出会って、ありのままの自分を受け容れてくれた友だちが彼の世界のすべてになった人みたい。2人といっしょにいることでまともに息ができ、彼らについてまわっている。根っこは1人になるのが耐えられない寂しがり屋に見えました。
そういう脆さを愛月ティボルトに見透かされて嬲られキレて、むきになって放った一撃がクリティカルにヒットしてティボルトを逆上させたのが命取り。狂った獣の牙にかかってしまった。
致命傷を負ったことも自分でもよくわかっていなくて、友だちの慌てぶりと気が遠くなる感覚で自分が瀕死だと悟ったよう。
奥手で自分に何も隠し事がないと思っていたロミオが、自分の知らないところで恋をして結婚してしまった。でもそういうところがあるやつだよなっていうのも、やっぱり酸欠に陥った頭でわかっているんだよねと思いました。
自分のことを分け隔てなく受け容れてくれたロミオ。おまえってそういうやつだよなって。だからジュリエットが敵の娘だろうがやっぱり分け隔てなく愛することができるやつだよなって彼は知っているのじゃないかな。だからこそジュリエットを愛し抜けと言い遺すのかなと思いました。ロミオに希望を託していつも気にかけてくれていたベンヴォーリオを思って事切れるせつないさみしい子犬みたいなマーキューシオでした。

B日程の天華えまさんのマーキューシオは、どんなに良い家に生まれても埋められないものがある人なのかなぁという印象でした。彼の苦しみや苛立ちはこの世に生きているそのこと自体にあるような。
ロミオには救いを見出しているような。ベンヴォーリオには安堵を。
大人に囲まれ大人の顔色を見ながら育ち、見えなくとも良い残酷な人間の本質が見えてしまう子どもみたいだなぁと思いました。信じたい人を信じられずに育った子どもみたいだなぁと。
不用意に相手の本質をついてしまうところがありそうな彼は、たぶん大人たちに嫌な顔をされてきただろうなと思うし、たしかにその言葉には毒があるなぁと思いました。彼の挑発に瀬央ティボルトがブチ切れるのがわかりました。
こんなにも人も自分も傷つけ信じることができない彼が、ロミオとベンヴォーリオと一緒にいるときだけは安心できたのかなと。
そんなロミオのことさえ詰るように本質をついてしまう。どうしてそんなに不器用なんだと。でもある意味自分もだし、ここには不器用な子どもしかいない。
ただ彼は確信してもいるのかな。自分が一生懸けてもできなかったであろうことをロミオならきっとやり遂げることができるはずと。それがマーキューシオにとっての救いなんだろうなと思いました。誰かを誠実に愛し抜くこと——それこそが彼にはどうしても埋められないピース、求めても得られないと思っていたことなのではないかな。だから今際の際で「ジュリエットを愛し抜け」と告げたのではないかなと思いました。

パリス伯爵は、ヴェローナ大公の親戚。だからマーキューシオとも親戚。原作でも家柄がよくハンサムでお金持ち、ただし子持ちで年若いジュリエットと再婚しようとしている男性。このくだりはミュージカル版にはないみたいなので、結婚相手としては申し分ないスペックの男性になってると思います。
また原作のパリス伯爵は、仮死状態のジュリエットが安置されている霊廟でロミオと鉢合わせて返り討ちに遭い殺されてしまいます。
モンタギューとキャピュレットだけではなく、大公の家も2人の未来ある青年を失ってしまう。
このままではヴェローナは次世代のリーダーたちをすべて失ってしまうという大公の危機感は大げさでもなんでもないのですよね。

A日程の綺城ひか理さんのパリス伯爵は、たしかにジュリエットに退かれちゃうかも・・という役づくりをされていたと思います。ロミオが「気取り屋の間抜け」というのも肯けます。自分が年若い女の子に好かれないとは思ったことがない人なんだろうなぁ。
彼を見た愛月ティボルトも嫌そうな複雑な表情をしていた気がします。大事なジュリエットをこんな男に・・と思ったら遣る瀬無さがいっそう募ったのではないかなと。仮面舞踏会でも本気で彼からジュリエットを守ってて、そんなだからその隙にロミオに大事なジュリエットを浚われてしまう。
愛月ティボルトに余裕を失わせるには綺城パリスである必要がある気がします。

B日程の極美慎さんのパリス伯爵は、ハンサムで自分が大好きそうで素直そうで何事にも肯定的なかんじが私の好きなタイプのど真ん中で、彼を振っちゃうなんてもったいないなぁと思いました(笑)。ジュリエット、ちゃんと彼と向き合っていないからなぁ。もしロミオより先に彼と向き合っていたら。なんて思ってしまいます。
キャピュレット卿もなんでマスクを着けてなんて提案をするのかなぁ。まちがってるよぉ。ふつうのパーティでよかったじゃん。と思いました。
良縁にめぐり逢うチャンスがだったかもしれないのに、困難な相手と恋に堕ちてしまうのが運命のいたずら。ロマンスってものなのかなぁと別の意味で激しく納得しました。
B日程が好きだったのは極美パリスが好みだったのも大きいです。毒々しいキャピュレット家で彼を見ていると幸せな気持ちになれました。でもティボルトは彼みたいな人が生理的に受け付けないかもしれないなぁ。いやでもひょんなことをきっかけに打ち解けることができたかもしれないとも思えて。
ほんとうはちょっとしたことで考え方が変わったら、しあわせになれた彼らなのかもしれない。
そう思うとせつなさに溺れそうです。

書いているうちにまたB日程を見たくてたまらなくなりました。どうかどうか無事に見ることができますように。

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2021/03/30

報われぬこの恋にけじめを。

3月15日と16日宝塚大劇場にて星組公演「ロミオとジュリエット」を見てきました。
という感想を書いていますが、書き終わるまでに時間がかかって(そうなることは予想していました)
とうとう千秋楽となってしまい、ライブビューイングでA日程を見てしまって、脳みそからいろいろ溢れて整理がつきません。(これは予想外でした)

A日程を見てティボルトで頭がいっぱいになり、B日程を見たらでもこっちが好きかもとなったのですが、昨日29日にライビュでA日程を見て、やっぱりティボルトが~涙。。と。
ということで、いったんまた少々ティボルトについて書いてから、ベンヴォーリオやマーキューシオについて書いていたものを整理しようと思います。

ティボルトは憎しみが渦巻く街で叔父叔母から心理的虐待と性的虐待を受け育ち、純粋さも夢も心の奥深くに封じ込めることでギリギリ今を生きている若者。彼を庇護する存在はどこにも見当たらない。
それでいて「跡取り」とか「御曹司」という重責を背負わされている。
親や乳母に無条件に愛されて夢を語れるロミオやジュリエットとは育ち方がちがう。
だからジュリエットに夢を見るのだろうし、ぬくぬくと育ったロミオにはイラついてしょうがないだろうと思います。

無力感や絶望をなんど味わってきただろう。夢は潰され希望には耳を貸してもらえない。称賛されてきたことといえば敵を威嚇する態度と暴力、そして異性に対する魅力。それが自己肯定できるすべて。
ジュリエットを好きだけれど、愛されたことがないので、愛し方を知らない。愛され方も知らない。
彼女が愛するロミオを殺してその屍を前に告白しようなどど。憎まれる方法しか知らない憐れな子。

愛月ひかるさんティボルトは、葛藤の末に今は諦観し自分の立場をわきまえ周囲の期待に適応しているように見えました。本当の俺はちがうと思いながら。
いまでは敵からも一族からも恐れられるリーダー。些細な刺激をきっかけに衝動的にキレるけれど、ジュリエットを思う時はまるで別人。
あまりにジュリエットのことが好きすぎて、ロミオを憎いと思う以上に、ロミオと結婚したジュリエットに復讐したい「今日こそその日」に見えました。
彼にとってこの世で唯一の美しいものが壊れてしまい、彼自身も壊れてしまったよう。
ジュリエットの存在。ジュリエットを好きという気持ちこそが、彼がこの世にとどまる理由だったのではないかと思えてなりません。
禁断の愛を叫び、咆哮する彼の「けじめ」とは。
ジュリエットに告白するその日とは、自分にとって世界が終わる日だとわかっているのですよね。
それ以外の道もきっと考えていたはず。いつまでその別の選択肢をもっていたのか。いつからその道を考えなくなったのか。
「その日」を覚悟した彼にもう躊躇いのだろうな。人を刺殺することも死も。
昨日はつらすぎて、頭がぐるぐるしてしまいました。

16日に見た時の印象なのですが、瀬央ゆりあさんのティボルトは、予想以上に狂気に溢れていました。
狂いでもしないと人を憎めない、わかってほしいから皮肉屋になる、怯えを隠したいから冷笑する、そんな感じ。いまリアルに心から血を流している、そんな感じがして痛々しくて胸が痛むティボルトでした。
もっと繊細で機微のつたわる街に生まれるべき人だよね。生まれてきたことの痛みや悲しみが憎しみに変容しているよう。きっとまだ葛藤の只中にいるティボルトなんだなぁと思いました。
まだロジカルに処理できない。ジュリエットのことも。
舞踏会ではジュリエットを守ろうと一生懸命。そこよ、そこをもっとジュリエットに見せるチャンスがあれば・・なんて不器用なの・・涙。
彼に必要なのは対話だと思いました。こんがらがったもの、本当の自分を対話によって整理すること、その相手。恋人よりも友。
意外とジュリエットが良い話し相手になったかもしれないのに、彼女けっこう辛辣に指摘しそうよ、身内とか親友には!(ジュリエットに泣かされるティボルトが目に浮かびました)
でもこんなに棘を出しまくっていたら誰も近寄れない。それが彼の悲劇だなぁと思いました。

A日程だけ感想がアップデートしてしまった感があり、なんだかアンバランスだなぁと我ながら思いますです。
AB1回ずつ見て、千秋楽ライビュは大劇場も東京もA日程と知り、もう1度どうしてもB日程が見たくて友の会にエントリーした結果4月に見に行けることになりました。
深化したB日程を楽しみにしています。

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ここはヴェローナ。

3月15日と16日に宝塚大劇場にて星組公演「ロミオとジュリエット」A・B日程を見てきました。(前記事のつづきです)

15日に役替わりA日程を見てこの上なく満足したのですが、甘かった。
翌日に見たB日程はA日程と世界観がちがいました。A日程に満足したからこそ役替わりによる異なる世界観を楽しめたのかもしれません。

B日程は先にライブ配信を見ていたので、如何なるものかはわかっていたつもりだったのですが、カメラが追う映像と実際の舞台を見るのとではやはりちがいました。
プロローグで舞台に伏せた死(愛月ひかるさん)が顔をあげた瞬間にゾゾゾッと鳥肌が立って、そこから別の世界に引き込まれてしまった感覚。
ヴェローナという街に淀む瘴気や恐怖や憎しみといった人々の精神を蝕むものが凝り固まって妖美な存在となって人を死へと導いている。そんな禍々しいものが操る世界で生きている人びとの物語が進行しているようでした。
A日程の天華えまさんの死はプリミティブで人間の怯えを増幅させて愉しんでいるような怖さで、Bの愛ちゃんの死は高知能で無慈悲に無力な人間を絡め落としていく怖さがありました。

A日程では、なぜ?と思わずにいられない登場人物たちの言動に心をかき乱される物語を見たのですが、B日程では、目に見えないもの、運命とか偶然とか論理的ではないものに操られてしまう人間の果敢なさを見せられた気がしました。責任の所在がちがうといいますか。

Bの「僕は怖い」では、愛ちゃん(愛月ひかるさん)の死と琴ちゃん(礼真琴さん)のロミオのシンクロ度に目が離せませんでした。ほんとうに死に操られているようにしか見えないロミオ。背後から操る死の指先にビクッと反応するロミオ。琴ちゃんは後ろにも目があるの???とびっくりしました。トップさんと2番手さんが息ピッタリって好きだわぁと思いました。

死に意思があるとしたら、命を奪う相手は無作為に選んでいるのか、それともこの人間と狙っているのか。どっちだろう。
私には愛ちゃんの死はロミオの命に吸い寄せられているように思えました。ロミオの魂が発する怯えがなによりも好物なのだろうなと。その魂の匂いや手触りをたしかめようとしているみたい。
そしてロミオの命をたいらげたら、ジュリエットというドルチェがついてきたかんじ?

A日程とB日程、死の居方がちがうことで物語の見え方が変わったのも面白かったです。
A日程は街を支配するドグマに抗うことができない人間たちの悲劇が見えましたし、B日程は運命に操られる人間たちの葛藤の物語のようでした。
また、ABで赤青のパワーバランスがちがったのも、物語を別の視点から見せてくれたように思います。

(昨日のライブビューイングでまた脳みそが膨張してしまったのでいったんここまででアップします)

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2021/03/23

本当の俺はちがう。

3月15日と16日に宝塚大劇場にて星組公演「ロミオとジュリエット」を見てきました。(前記事からのつづきです)

琴ちゃん(礼真琴さん)トップの星組で「ロミオとジュリエット」が上演されるなら、ティボルトは愛ちゃん(愛月ひかるさん)でベンヴォーリオは瀬央ゆりあさんだろうなぁと思っていました。
もし役替わりがあるとしても、愛ちゃんはベンヴォーリオってかんじでもマーキューシオって柄でもないからティボルトは役替わりしないんじゃないかなぁと漠然と考えていました。
配役が発表になって、愛ちゃんがまさかのティボルトと死の役替わりでびっくり。その手があったか。2013年の星組の真風涼帆さんパターンですよね。ただ真風さんは当時3番手とはいえ新人公演を卒業したばかりの研8くらいの学年ではなかったでしょうか。
じきに研15の2番手が演じる死は、いかなるものになるのかこれは絶対に見に行かなくてはと思いました。(まんまとしてやられている)

観劇前の予想では、愛ちゃんのティボルトはタイプ的にも経歴的にも初演に近いのかなと思っていました。ですがじっさいに見ると予想とはまるでちがっていて、そうかこういうティボルトなのか・・と思いました。

これまで私がティボルトにもっていたイメージは、堂々した見た目とはうらはらの内面の脆さを隠すために虚勢を張って、目が合うすべての者たちに斬りかかる不穏な若者というものでしたが、愛ちゃんのティボルトは鍛え抜かれた心をもち、人に囲まれるだけで凄味を放っていました。
期待され、リスペクトされ、キャピュレットの跡取りとして相応しい者であるか否かをつねに試される場所に立ち、評定と好奇の視線を浴びつづけてそれに応えようとしてきた、認められつづけるために張りつめて生きてきた、その試練と葛藤の末に存在するティボルトだなぁと。

モンタギューと敵対することだけではなくて、むしろキャピュレットに認められることのほうが彼には試練だったのではないかなと思います。
ジュリエットの従兄、キャピュレット卿の甥で跡取りと言われるティボルトだけれども、彼には両親の影が見当たらない。
「実の叔母とあやしい」とマーキューシオが言っていたけれど、その実の叔母とはキャピュレット夫人のことですよね。
ティボルトとキャピュレット夫人が血がつながっているということは、キャピュレット卿自身は継嗣ではなく結婚したことで伯爵となった人なのでしょうか。ではディボルトの親は、キャピュレット夫人の実の兄か姉かで、すでに鬼籍に入っているということでしょうか。
そうであるなら庇護する親のいない彼が居場所をつくるには、ここで認められるしかなかったのじゃないかなぁと。
そして庇護をうける必要のないくらいに成長して彼は気づいてしまったのだと。
子どもの頃に夢見ていた自分といまの姿の乖離に。
ジュリエットの瞳にかつて思い描いていた自分を映し見ることでしか、自分は救われないのだと知ってしまったティボルトだなぁと思いました。でもそれを叶えるには自分は遠く隔たったところまで来てしまっている。
壁にもたれる彼の瞳はせつない憂いを湛えていました。

パリス伯爵のことを、ロミオは『気取り屋の間抜け』と評しますが、彼もティボルトの目には同様に『仲間とつるむことしかできないガキ』くらいに映るんじゃないかなと思います。
そのガキが、ずっと大事に想ってきたジュリエットと結婚したなどと聞かされたら・・世界のすべてを憎み呪う気持ちもわかる気がします。
どす黒い感情に支配され眷属を引き連れてロミオの命を奪いに行ってしまう。そこには冷静な判断などすこしもない。ジュリエットの心を思いやる愛も微塵もなくて、ただ自分の憤怒と憎しみと報復しかない。
幸福な人生のために大人が若者に繰り返し教えるべきは、怒りや憎しみといった他人や自身まで傷つけようとする感情をコントロールするスキルだと思うのだけど、両家の大人たちはそれを教えるどころか、憎しみを増長させるばかり。
敵と見做した一方に害をなすことが称賛されるのだから、ロミオの命を奪いに行くティボルトを諫める者は誰もいない。
むしろそうやって感情をギラつかせて威嚇し恐れられることでいまの彼があるのだろうなと思います。彼は自分自身とキャピュレットの名誉のために敵地へ向かったと彼らは思っているのかな。

ロミオを探して街をうろつきその仲間と小競り合いとなり、自分よりも格下と見下しているマーキューシオを嬲っていたら思わぬ反撃の一発を喰らってしまい、カッとなってナイフを繰り出す。極美慎さんのマーキューシオと愛ちゃんのティボルトはそんな印象でした。

アドレナリンに支配されて目の前のマーキューシオを倒すことしか頭になくなり、刺すか刺されるかの極限の状態でここぞというタイミングで相手を刺し遂げた興奮で多幸感に満たされた状態の彼は、自分を誇示し、女たちをはべらかし勝利の旨酒に酔う。
その姿は、ジュリエットのバルコニーの下で佇んでいた彼とはまるで別人のようでした。
そんな自分は本当の俺じゃないと言っていたのに。
またきっと絶望と悲しみでジュリエットを見上げることになってしまうこともすっかり忘れ去って。
そんな我を忘れた絶頂にいるティボルトに、ロミオの刃が突き刺さり、あまりにも呆気ない最期が彼に訪れてしまう。

マーキューシオ、ティボルト、ロミオ、彼らの手にナイフを握らせたものは何か。
その状況を作り出した両家の大人たちは、ただただ相手に罪をなすりつけるばかり。取り囲む街の人びとも誰かに罪を贖わせようとするばかり。
ここで自分たちの過ちを反省し和解の道をさぐっていたら、ロミオとジュリエットの悲劇はおきなかったかもしれないのに。
自業自得というにはあまりに惨い若者たちの死と罰。
さらに悲劇を重ね、ロミオとジュリエットの死の悲しみを経てようやく手を取り合うことができた両家。
でもその前にも犠牲となった若者たちがいたことをどうか忘れないで。と思いました。

幕が下りてフィナーレの冒頭に下手のセリから登場したキラキラの愛ちゃんがバルコニーの愛の誓いをほほ笑みながら歌い渡っていく、その優しいオーラに包まれた姿に見ている私の心まで浄化されるような至福を感じました。と同時になんだか泣きたいような気持にもなりました。
パレードの終わりに皆が手を振っている最中も、私はもうこのティボルトを見ることができないのか、なぜ明日のチケットはB日程なのかと泣きたい気持ちになりました。
でも翌日役替わりBを見た私は「こっちのほうがより好きかも・・」となったのでした。

(つぎはB日程の感想を・・・)

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2021/03/20

恋の翼にのって。

3月15日と16日に宝塚大劇場にて、星組公演「ロミオとジュリエット」を見てきました。
なにから語ろうというくらい、思うことがたくさんある観劇となりました。ほんとうに見に行って良かったです。

いまから10年余まえ、博多座で初演を見ました。
当時の星組の男役スターは長身スレンダー揃いで、赤青のレザーの衣装を身にまとった姿はビジュアル系バンドのメンバーかと見紛うばかり。
赤青はそれぞれロックグループのメンバーとその信者(ファン)の抗争みたいにも見えました。
クールでエモで尖りまくった若者とかれらを焚きつける大人たち。その渦中でうまれた恋。子どもを愛する親の心。そして悲劇。。。
楽曲はどれも好みで芝居には泣かされたのだけど、そんなふうに歌うのか・・そんなふうに踊るのか・・という思いがぬぐえませんでした。
いつもはタカラジェンヌの技量よりもその心映えに感動する性質の私なのですが、そのときは作品とタカラジェンヌが身に着けている音楽性になんともいいようのない乖離を感じてしまって複雑な気持ちでした。これは外部で上演したほうが合うのではないかと思ったのを覚えています。

それから10年を経て今回なぜ見に行こうと思ったかというと、この10年で宝塚の音楽性が変化している実感があったから。
なによりロックオペラ「モーツァルト」や大劇場と梅芸の「Ray」で見た礼真琴さんと星組にフレンチロックミュージカルへの親和性を強く感じたからです。
そして宙組の下級生のころから見続けてきた愛月ひかるさんのティボルトと死を見ないではいられなかったからです。

ということで、1泊2日でA・B両日程が見れる日を選んで観劇しました。

やっぱり礼さん凄いわ。上手いわ。かっちょ可愛いわ。と思いました。
聴きたいように歌ってくれる。これはたまらないです。
歌声で繊細なところまで感情がつたわる。エモーショナルな歌声なのにエクスキューズなしで歌い切りますよ。
宝塚でこういうヴォーカルができる人は稀少だと思うのだけど、これからも宝塚でロックミュージカルを上演するなら必要な技術だと彼女のヴォーカルを聴いてしまうと思います。
その彼女がロミオを演じるチャンスがある場所、それが宝塚なんだと思います。

これまで私が見たロミオは柚希礼音さんと古川雄大さん、そりゃあ女性たちに追いかけられるでしょう、なにもしなくても。いけない遊びも経験しちゃっただろうなぁと思うロミオでした。(柚希ロミオは自分の魅力を試してみたい若気の至り、古川ロミオは相手の勢いのままに、のイメージ)
今回の琴ちゃん(礼真琴さん)は、なんとも思っていない女の子とカフェでお茶しながら「空しい・・」と心ここにあらずになっている絵が浮かぶロミオでした。それ、遊びでつきあったとは言いませんからーと訂正に行きたくなるようなロミオでした笑。
奥手で夢見がち、たんぽぽの綿毛みたいにふわふわのお坊ちゃま、そりゃあベンヴォーリオも心配になるでしょう。

舞空瞳ちゃんのジュリエット。好き。
好きなロミオの前では声が高くなるのに、身内には遠慮がなくてドスが効いた声で残酷なことも言うところ。家族に愛されていることを無意識に知っている、『親には一度も逆らったことがない』と自分では思っている、とっても思春期の少女だなぁと。
そのジュリエットがロミオに対峙するときの様子がなんともいえない可愛らしさで、とってもロミオのことが好きなんだなぁとニヤニヤしてしまいました。

ロミオが「結婚しよう」と湧きあがる思いを唐突に口にするのに対して、ジュリエットが「おしえて、いつどこで結婚式をあげるか」と具体的なアシストで返すのも面白いなぁと思いました。
夢を語るロミオと夢を叶えることを考えるジュリエット、そういう2人なんですね。
「恋の翼にのって」あとさき考えずに人様(敵同士の家の!)のお屋敷のバルコニーに登ってきちゃうロミオ。はらはらさせます。
唐突に自分の愛を「月に誓おう」と言い出すロミオ。なんで? なんで月? そのとき目に着いたいちばん素敵なものだから?? それは保証になるの??
「誓うのはやめて、月はかたちを変える、あなたの愛も変わる」とバッサリなジュリエット。
「変わらない愛をふたりで育てよう」といういちばん聞きたい言葉を導き出した。賢い娘だわ(笑)。

とにかく2人が可愛くて。
出逢ってからロミオが追放を言い渡されるまでに2人がもっと長く過ごせたら、ジュリエットがタダで死を選ぶような娘ではないことをロミオもわかっただろうにと思うとせつないです。
ともに成長し幸せになれたであろう2人の未来を奪ったもの。
憎しみと報復が繰り返されることがないように。そのためになにができるだろうと・・・。

(つづきます)

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2019/12/02

薔薇の上で眠る。

11月23日に梅田芸術劇場メインホールにて、宝塚歌劇星組公演「ロックオペラ モーツァルト」を見てきました。

星組さん、こんなに歌が上手なんだとびっくり。私のなかではいわゆる“美貌枠”の生徒さんも、実力ある方々に引き上げられてか思ってた以上に歌えてて、これから星組さんを見に行ったらこのレベルの舞台が楽しめるってことかとポテンシャルの高さにわくわくしました。

作品自体は、私的にはあまり好みではありませんでした。
花組宙組の大劇場公演を見たあとだったのもあるかもしれませんが、やはり私は宝塚らしい舞台が見たいのだとあらためて思いました。

全体的に邪悪さも華も希薄で下世話さが強調されてて、宝塚でもなければロックでもないなぁと。
モーツァルトは卑俗な男なんだとは思うけども同時に愛される魅力もあると思うのだけど。
なんというか、モーツァルトには才能しか愛すべきところはないような印象を受けて、それはどうなの?と。
才能だけを愛されてほんとうの自分を愛されない孤独っていうのは芸術家あるあるだとは思うけど、彼もまた孤独なアーティストなんだろうけど、見ている観客には彼の愛すべき魅力がつたわるように描かれていてほしいなと思いました。

彼のピュアさ、信じやすさ、エキセントリックさ、身勝手さ、喜び、悲しみ・・・それらに心震わせられたかったなぁ。
孤独はすごく感じました。

世界観が矮小でスケールが小さく感じたのはなんでだろう。帰路ではそれをぐるぐる考えました。
親子間の愛情も姉妹間の確執も、どれも浅くしか描かれていないから、役者がやりようがないのではないかな。
なぜ、いまなおモーツァルトの人生が描かれ、人びとがそれに共感するのか。
とくにロックオペラとして描かれ、支持を得ているのはなぜか。
その答えとなるものとは真逆ななにかが散見されて楽しめなかったのではないかなぁと思います。
楽曲本来の活かし方次第ではそれも挽回できたかもしれないけれど、そもそも宝塚はそこは得意分野じゃないからなぁ。だからこそ、ストーリーの作り方が大事なんだけどなぁ。

1幕ラストの舞空瞳さんのダンスが印象的で幕間の脳内はその残像で埋め尽くされました。
フィナーレも素晴らしかったです。紫藤りゅうさんと極美慎さんのダンス場面は最高に好みでした(笑)。
そしてデュエットダンス! こんな心高鳴るデュエットダンスはひさびさに見るかもしれない。(コムまー以来かも???)
礼真琴さんと舞空瞳さんの新トップコンビを心から祝福した瞬間でした。
これからどんな作品を見られるのかたのしみです。

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