カテゴリー「♖ 観劇」の547件の記事

2025/02/24

真っ赤な嘘に染め上げろ

2月12日に博多座にて歌舞伎NEXT「朧の森に棲む鬼」を見てきました。

思っていた以上に新感線でした。
2007年版は見ていないんですが、この役は古田新太さんだな、高田聖子さんだな、粟根まことさんだろうな、と思ったり。

それに加えて、凄絶な立ち廻りや思わず見惚れてしまう所作、見得や六方、だんまり、人形振り、本水にさいごは宙乗りなど歌舞伎的演出が目白押しで、そこに大向こうもかかって、歌舞伎初心者の私には目を瞠る瞬間の連続でした。歌舞伎って凄いなあと感嘆しまくりでした。(一昨年見た「流白浪燦星(ルパン三世)」での愛之助さんのレクチャーがいまも歌舞伎を見る面白さをマシマシにしてくれています)

そしてやっぱり脚本に惚れ惚れしてしまうのは性かなぁ。
脚本も演出も演者もどこをとっても凄いなぁと感服しまくり。この打ちのめされるような満足感はなかなか味わえないなぁと大興奮、大満足の観劇体験でした。
歌舞伎って凄いエンタメだなぁと思いました。

松也さんのライ、幸四郎さんのサダミツの回だったのですが、ずっと幸四郎さんがいないなぁ・・と思っていて、さいごのさいごのカーテンコールでサダミツ登場時に背景の映像に幸四郎さんのお名前が出て、えええーっと驚きました。まんまとしてやられていました。
幸四郎さんがライをつとめる大千穐楽のライブ配信は平日だけれど見逃し配信もあるということなので購入しました。どんなライなのか楽しみです。
(けっきょく24日の松也さんのライブ配信も購入してしまって・・まんまとカモです・・)

松也さんのライは迫力が凄かったです。本当に剣に操られているように見えました。どういう体幹をしているんだろう・・。
口先では迎合しながら相手に顔が見えない向きで別の思惑がある表情を見せるのは「リチャード3世」ぽいなぁと思いました。
となると冒頭の3人の魔物(オボロ)に「王になる者」と言われるところが「マクベス」をリスペクトしているのかな。
歌舞伎以外の演劇にも挑戦してきた松也さんがいま、歌舞伎に誇りと充実感をもってこの舞台に立っている、そんな印象を受けました。

松也さんのライと尾上右近さんのキンタとの掛け合いもとても面白くて、シュテンの血人形の契りの意味がわかったときのライに僅かに動揺があったように見えたのは、端からシュテンと義兄弟の契りなどかわすつもりもなくて代わりにキンタの血をつかったことでキンタの命を危うくしたことを悟ってなのかな?
どんな相手も利用するし平然と騙し裏切ることもなんとも思っていないライだけど、ちょっとだけキンタに「あはれ」を感じているのかなぁと思いました。その本人さえ意識していないちょっとした「あはれ」が最終的に自滅につながるのがまたあはれでこの筋書きの痺れるところだなぁと思いました。
松也さんライと右近さんキンタの関係性がとても刺さったので、幸四郎さんのライとキンタではどうなるのだろうと興味がわいています。

時蔵さん演じるツナと坂東彌十郎さんのオオキミも好きだなぁと思いました。
時蔵さんのツナは女性性をほぼ封印した凛々しく美しい女性であるところがガツンと心を奪われました。すっとしたストイックな武人で女性で懊悩しがち。(まんまオスカルだな)それを女方が演じているところ。
(これまでもお嬢吉三や富姫や凜とした女方に心奪われていたから、ツナに惹かれるのは道理なのかな・・?)

オオキミは花道から登場のときから愛らしくて心掴まれました。「3人しかいないけど」もチャーミング。
玉座に上るため身を翻して打ちかけた着物を払う所作とタイミングがシキブともピタリと一緒で見惚れていました。
コミカルかと思いきやするっと様式美を決めるなど油断できない感じにぎゅっと心掴まれました。
坂東新悟さんが演じたシキブはじっさいに近くにいたら苦手なタイプだと思うのだけど、内に秘めたかなしみのようなものも感じて憎めない人だなぁと思いました。
そのかなしみというのは、ツナが感情を抑えているけれど心に嘘はないのとは対照的に、シキブは感情豊かに見せながら実は本心を隠して生きているからかなぁと思いました。そういうすごく女性ゆえな有り様にリアリティを感じてかなしくて憎めなかったのかなぁ。

観劇中のほぼどの瞬間も感動していてとても忙しかったです。演者のパフォーマンスにセリフに展開に。登場人物たちの名前にも。これってこういうこと? これってどういうこと? これって・・と。述べだすときりがないくらいに。とても面白かったです。

2月24日(松也さんライ千秋楽)と25日千穐楽(幸四郎さんライ)のライブ配信も購入したので、観劇中にこれは?あれは?と思っていたことを検証したり、ライが変わることでどうなるのかとか、また自分が何をどう思うのかとか、楽しみにしたいと思います。

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2025/02/18

今は漕ぎ出でな

2月3日に宝塚バウホールにて星組公演「にぎたつの海に月出づ」をマチソワしてきました。
平松結有先生のデビュー作でした。

星組の美しい3番手極美慎さんの2度目のバウホール主演作、そしてヒロインは宝皇女(皇極=斉明天皇)と知りこれはぜひ見たいと思いました。
宝皇女はその出自から即位、そして死に至るまで(なんならその子や孫に至るまで)謎の多い女性で、かつて私はその周辺の記紀の記述をなんどもなんども読み返してああでもないこうでもないと考えていました。

物語は齢60代の斉明帝(詩ちづるさん)が百済に救援をおくる決意をするところからはじまりました。
どうして大国唐を敵に回してまでも百済を救援しようとしたのか、その理由がこれからの物語となるようです。

百済と倭国の連合軍は白村江にて大敗。
そこから場面は数十年さかのぼり極美さん演じる百済の留学生智積が若き頃の斉明帝=宝皇女(寶皇女)と宮中で遭遇。Boy Meets Girl的に物語が動き始めました。
思いつめた様子の宝、これから高貴な人との謁見の場に向かう智積、これからどうなっていくのだろうと思っていたところ・・。
「推古天皇のおなーりー」に思わずずっこけました。そ、そうかこれはこういうわかりやすい世界観でいくのだな、と気を取り直して。(生前なのに諡号で呼ばれるのね、あいわかりました)

宝の最初の夫である高向王(颯香凜さん)が引き立てられて出てきたときは、よもや宝塚で彼の名前を聴くことがあろうとはと感慨一入。
彼は用明天皇の孫で両親については記紀にも記載がない人だけれど、名(諱)が示す通り渡来系の高向氏と関係があると思われます。宝とのあいだに生まれた子の名前も「漢皇子(あやのみこ)」で同じく渡来系の東漢氏と関係が深かそうです。
宝自身も、母方から見ると蘇我系の血を引く用明天皇と推古天皇の同母弟である桜井皇子の孫にあたるのでこの婚姻は妥当なものだったのだろうと思います。
高向王とは死別なのか離別なのかは記紀にも書かれていませんが、そののち舒明天皇の皇后に立ち、さらには自らが天皇になることになろうとは、若い宝皇女は思いもしていなかったのではないかなぁと思います。
舒明天皇(田村皇子)自身も、血筋からは蘇我とは無縁のように思われますが、蘇我馬子の娘や推古帝の皇女を娶っていたことで時の趨勢が彼の味方についたのではないでしょうか。
最初の婚姻が短く終わった宝皇女や年齢的に不釣り合いではないかと思われる推古帝の第3皇女を娶っていたこと、采女が生んだ子を皇子として養育していることなど、そういう一つ一つが女性である推古帝には信頼に足ると思われていたのかもしれません。訳がありそうな皇女を任せられるくらいには。
そんな舒明天皇ですが体が丈夫ではなかったのか、たんに夫婦で温泉好きだったのか、たびたび有馬や道後の湯に行幸しています。宝皇女は天皇になってからも白浜の湯を気に入っていたみたいなので、皇后につきあってあげていたのかな? そのせいかはわかりませんが、そんな天皇のもとで気持ちが緩んだのか群卿らは出仕を怠けていたと書紀に書かれています。政は専ら蘇我大臣まかせになっていたようです。

さてしかしそういうことはここでは置いておいて、舞台では宝の最初の夫である高向王は女性(妻である宝)に暴力をふるった咎で盟神探湯(くかたち)にかけられようとしています。熱湯に手を入れて火傷をしなければ潔白という裁判です。
ん?妻に暴力をふるったら罪に問われる世界観なんだ。歴史物としては新鮮だなぁ。盟神探湯ってこの時代でもやっていたのかな。

熱湯に手を浸けられ火傷を負った高向王を見て、智積が大王の玉座に駆けのぼり薬箱を掠め取って高向王の手当てをしようとする。智積の師である観勒僧正(悠真倫さん)の機転によって咎を免れるけれど、推古天皇めちゃくちゃ寛大じゃない? 歴史物としてびっくりな展開にちょっと心がついていかない・・。これはファンタジイとして見たほうがいいのかな。

自分の歴史観との折り合いがつかず初見の観劇はかなり苦戦しました。
渡来僧観勒僧正が開いた学堂がお習字教室だったり(暦とか政とかを学ぶのではないんだ)皇族と農民の子が一緒に学んでいたり・・やっぱり歴史物語というよりもファンタジイ寄りで見た方がいいのね。

ところで智積という名前は平松先生の創作かと思いきや、皇極紀にその名前が2度出てきます。「大佐平」という臣民として最高位の身分の人で、最初は舒明帝崩御の年に「大佐平智積が死にました」という百済弔使の従者の言葉でいわゆる「ナレ死」。
ところが翌年皇極帝即位の年には百済の使者として宮廷で饗応されたという記述があり、死んだんじゃないんかーい!ってかんじです。
平松先生はそういう謎なところから名前を採用したのかなぁ。

設定に関してはファンタジイだと割り切って見るのがいいとはわかったのですが、心を通わせ愛し合い未婚で生んだ子の育児を全面的に担ってくれていたイクメンのジェントルラバー智積くんのことを、かんたんに讒言を信じて拒絶してしまう寶に、えっ?と思いました。彼を信じてかばってあげないの?
そしてもしやとは思っていたけれど、やっぱりその子は中大兄か。
田村皇子に対して自分との結婚の条件として未婚で生んだほかの男性の子を田村皇子の実子として育てるよう要求する寶にも引いたけれど、自分の血を引かない子を皇子(しかも大兄)として育てることを承諾する田村皇子にも、いくら恋に目が眩んだとはいえ皇統の自覚はないん?と思いました。(いちおう中大兄皇子=天智天皇の血統が現在までつづいていることになっているんだけど・・いいのかなそれで・・まぁ記紀自体が誰かに都合よく書かれたものだものなぁ・・)

瀬戸内海の熟田津(愛媛県松山市)から小舟で朝鮮半島の百済にたどり着くことなど万が一にもないでしょう。蘇我氏の謀によってそれを強いられる智積。この船出は死にゆくとおなじこと。
ここまで自分や自分の家族に誠意を尽くしてくれる智積の命乞いを、なぜ宝はもっと中大兄を我が子として育てることを田村皇子に要求したとおなじ圧をもってしようとしないのだろう。物語全編をとおしてちょいちょい私は宝の気持ちがわからなくなりました。この決定を覆すために奔走することもなく、どうしてその死出をかくもやすやすと受け容れてしまえるんだろう宝は。
自分のためにこれから死に向かう智積に対して「(百済で)待っていてくれますか」とか、それから20年後にあたりまえだけど彼は百済に帰国することはなかったと聞いて「まだ迷っているのですね」とか、詩的に表現されてもそれはないんじゃない?と。
「帰る国(百済)がなくなっては困るでしょうから」というセンチメンタルで百済救援を決意することも。自分がために独り大海に漂流し果ててしまった人の死でうまいこと言わないでと。私はずっと宝に腹を立てていたように思います。あまりにも自分本位に思えて。
智積は納得したうえだったのかもしれないけれど、それは納得せざるをえなく宝がしたからですよね。
私的な感傷で国運を賭けた戦をするのも苦しかった・・。このあと多くの人々が亡くなったり捕虜になったり、国防のために家族から引き離され遠く壱岐対馬筑紫の防人となり故郷に帰れず悲しい歌を詠んだりしているのだけどと。

というかんじで呆然としたまま初見は終わってしまったのですが、2回目の観劇ではそういうことは一切考えないようにしてイクメン智積くんの美しさをひたすらに堪能しました。その美しさに釣り合う実力を身につけた極美さんに惚れ惚れとしながら。宝皇女を愛しそうにみつめる立ち姿頭のてっぺんからつま先まではいにしえの少女漫画もかくやと。美しく舞台に立つことの尊さをしみじみと感じました。
若くて無分別ですらある宝皇女と老年の域にいる斉明天皇を演じ分ける詩ちづるさんの確かな実力。貴女のせいじゃんと思いつつも、かつて智積が乗った小舟と百済に向かう倭国水軍の船の大きさの違いを嘆く彼女に感情を揺さぶられました。

理性的な青年皇族だった田村皇子が内面の阿修羅を表出し嫉妬の炎を燃やす姿、そして良心の呵責にやつれた舒明天皇としての姿を演じて見せた稀惺かずとさんも目を瞠るものがありましたし、その舒明天皇や主役である智積を追い詰めていく 蘇我入鹿役の大希颯さんも悪役としての気迫が素晴らしかったです。(稀惺さんと大希さんとで「あかねさす紫の花」を見てみていなぁと思いました)

威厳と美しさに溢れ、宝皇女にすすむべき未来を示唆する推古天皇役の瑠璃花夏さんも重要な役どころを絶妙に演じているなぁと感嘆の思いでした。高貴な女性としての身のこなしも素敵だなぁと思いました。
輝咲玲央さん演じる蘇我蝦夷はもう、見るからに腹の黒い悪しき大臣の役作りで、この人が表に出てきたら誰も太刀打ちできないんじゃない?と思いました。彼のひと言により策略を巡らした入鹿によって舒明帝も智積もまんまとやられてしまって・・陰で物語を動かす人でした。

智積の親友で同じく百済からの留学生の覚従役の碧海さりおさんは頼もしかったです。舒明帝の遺勅を奪うために入鹿が放った追手に襲われる智積と宝皇女たちのまえに颯爽と登場して敵を斬り払う姿は惚れ惚れしました。
親友である智積をあのようなかたちで失わねばならなかった彼の心中は、その遣る瀬無さを思うと胸が痛みます。
凰陽さや華さん演じる宝皇女の弟軽皇子は癒しでした。その存在に和まされついつい目で追っていました。

鳳花るりなさん演じる小鈴は演じるのが難しいだろうなと思いました。智積と宝が袂を分かつきっかけをつくる大事な役なのだけれども設定があまりにファンタジイで。
着ているものにしても母親が仏教に帰依することにしても国で最高峰の支配階級の若者たちが集い学ぶ場に被支配民の子が混じる設定も、飛鳥時代の「百姓」としての解像度が粗いわりに、物語の進行上担っている役割が大きくて、プロットからあまり肉付けがされていない感じだなぁと思いました。でも作者の社会的な関心が投影されているようなところもあって、肉付けし出すとと収まりきらなくなりそうで、それを削る作業がまた膨大になりそうな役でもあるなぁと思いました。(そこが愉しさでもあるのでしょうけど)

小鈴が智積の日記を持ち出す動機として、「宝への嫉妬心を利用された」と描けば典型的でわかりやすくドラマになりそうではあるのだけれども、そうしなかったのが平松先生らしさなのかなぁと思いました。
そうであれば、そこに期待したいなぁと。私の世代では持ちえない新しい感覚の平松先生がこれから描かれていく物語のなかの別の「小鈴」をたのしみにしたいなぁと思います。
なによりもこのデビュー作で主役を魅力的に描ける才をお持ちだとわかりましたので(私が宝塚でいちばん望むことです)今後の作品も大いに楽しみです。
私は書紀にならって智積が宝皇女や皇子たちと愉快に宴会をしている夢を見ていたいと思います。素敵だったフィナーレを思い浮かべて。

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2025/02/09

ただひとときは与えられ

1月21日22日そして28日に宝塚大劇場にて宙組公演「宝塚110年の恋のうた」「Razzle Dazzle」を見てきました。
21日はイープラスの貸切公演、28日はローソンチケットの貸切公演でした。

幸せな気持ちと言葉にならない思いで溢れる観劇となりました。
「宝塚100年の恋のうた」は芹香斗亜さん演じる藤原定家が桜木みなとさん演じる「八千代(春日野八千代さんの姿をした宝塚歌劇の化身?)」のいざないによって、過去からの宝塚歌劇の日本もの作品の登場人物となって宙組生たちとともに選りすぐりの名曲を歌い継いでいく作品でした。
芹香斗亜さんの狩衣姿や若衆姿やその美しい舞台姿に心に幸福感が溢れ出し、またその心地よい声に酔えば歌詞のひと言ひと言が心に沁みるそんな舞台でした。
名曲というのは物語を離れても折々のひとりひとりの心に寄り添うものなのだなと思いました。
ひたすらにキキちゃん(芹香斗亜さん)と宙組が美しくて愛おしかったです。

ことに「恋の曼荼羅(新源氏物語)」「琴時雨(夢浮橋)」「生きるときめき(星影の人)」はひたひたと心に浸みわたっていきました。
そしてこの作品の主題歌となる「定家葛」。和歌を読み上げる式子内親王役の春乃さくらさんのかくも美しい歌声に聞き惚れ、定家を演じる芹香さんとの切ない恋の重唱に言葉にならない気持ちが溢れて、私のこの気持ちもまた執心だなぁと思いました。

フィナーレの総踊りで桜木みなとさんが夢の間惜しき春なれば・・と歌う「花の舞拍子」も沁みました。桜木さんのたしかな表現力はこういう場面を引き立てるなぁと思いました。
酒井澄夫先生が紡ぐことばの儚くうつくしいこと。ただ聞き惚れるひとときのなんとしあわせなこと。
そして華やかに「花吹雪恋吹雪」で幕がおり、晴れ晴れとした心のそのずっと奥底に、もっと聞いていたかった ― まだまだこれでは足りないと叫ぶ声なき声が存在していました。
この執心のゆくえを季春のそのときまで見とどけていかねばと思っています。

「Razzle Dazzle」は盛りだくさんだった前物の日本ものレヴューのあとにふさわしい軽快な作品でした。
笑いありせつなさもあり、世間知らずで人生を軽んじているような自分本位な青年が自分とは異なる世界の異なる価値観で懸命に生きている人びととの出会いから確固たる自分の夢を見出していくストーリーは田渕先生の作品らしいなぁと思いました。
主人公の軽やかで洗練されたハリウッド一(いち)裕福な孤児レイモンドはその軽妙さも朗らかさも時折見せる寂しい顔も芹香さんの魅力にぴったりでした。
宙組の面々がこぞって芝居の間が良くてとてもよい作品に仕上がっていました。

とくに目を惹いたのはやはり女役に初挑戦の瑠風輝さん。『お騒がせ女優』の異名をとるシャーリーンという長身でゴージャスな映画スターの役でしたが『お騒がせ』と言われるも憎めないチャーミングさもきちんと表現されていて素敵だなぁと思いました。
「ハビロンの落日」の大階段を使ったクライマックスシーン撮影の場面の存在感と女役としての歌声の素晴らしさが秀逸でした。

もうひとり目を瞠ったのはレイモンド(芹香さん)の婚約者アビー役の天彩峰里さん。
レイモンドに対して高飛車だけれど、じつはもっともなことしか言っていないし、レイモンドのことも父親のことも心から考えている愛情深い女性なんだなと、そしてとても有能なんだなと。そういう女性であることがしっかりとつたわる芝居をする天彩さんにさすがだなぁと感心しました。
きっとレイモンドのことをほんとうに愛しているのだと思うし、きっとこれまでもずっとレイモンドが気づかないだけでアビーに助けられていたんじゃないかなと思いました。ほんとにもう、レイモンドったらコノヤロー!ですよね。あんなこと平気で言っちゃって。ドロシーとハッピーエンドはうれしいんだけど。

春乃さくらさん演じるヒロインのドロシーもまた幸せになってほしいなと思わせる素敵なキャラで、きっとレイモンドはさいしょに遇ったときから彼女に好意をいだいていたよねと思います。
桜木さん演じる映画スターのトニーも、鷹翔千空さん風色日向さん亜音有星さんたちが演じる映画のエキストラの面々もそれぞれに映画を愛していてそれに一生懸命に携わっているのがわかって、皆が愛するこの映画の世界がずっと守られますようにと心から思いました。
桜木さんのトニーを中心に映画に携わる人びとが歌う「Over the Rainbow」は感動的でした。

そういえば若翔りつさん演じる鬼軍曹とたとえられる怖い映画監督ハワードの役作りは芹香さんが新人公演で主演をつとめた「愛と青春の旅立ち」のオマージュかしらと思ったりも。(版権問題で見たことがないのですが映画のイメージで)
ひとりひとりのパフォーマンスも申し分なくこの充実したメンバーでこのミュージカルコメディが演じられる贅沢さを堪能しながらこんな舞台をもっともっと見たかったという思いが湧き出づるのをとめられませんでした。

日本物レヴューの後物のお芝居ということでハッピーエンドのあとに付いたフィナーレのショーがこれまた贅沢で素晴らしかったです。
さいしょの桜木みなとさん瑠風輝さんによる歌唱指導は、瑠風さんが本編にひきつづき女役のドレスで登場し歌唱もいつもの男役の声ではなく女役の歌声で。桜木さんとのハモりがそれはそれは心地よくて次回の大劇場公演ではもうこの2人のハモりは聞けなくなるのかと思うと遣る瀬無い思いでした。

大階段の真ん中でステキなドレスをまとった娘役さんたちに囲まれる芹香さんはおしゃれで華やか。KAORIaliveさんの振り付けがほんとうに似合う人だなぁとしみじみ。
男役群舞を率いて歌う「Fooling Good」も洗練されていてとても素敵。
芹香さんが去って桜木さん中心の男役群舞はまたちがった趣き。キレキレのダンスでキメる男役さんたちに思わずふふっとなりました。
そして芹香さん春乃さんのデュエットダンスは「Smoke Gets In Your Eyes 」。長身の2人のスタイルの良さと品の良さが際立って宙組らしい素敵なトップコンビだなぁと思いました。
ジャズが似合う芹香さんの雰囲気が私はとても好きでこんなフィナーレをもっと見ていたいと思いました。が、1月は自分の予定が合わずこの3回しか見られませんでした。(東京公演も1回分しかチケットがない状態です・・涙)
早く映像でこの美しさ儚さそして粋でおしゃれな宙組を繰り返し摂取したいと、いまはひたすらにBlu-rayの発売を待っています。

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2025/02/05

This is me(唯一無二)/礼真琴 日本武道館コンサート

1月19日に日本武道館にて礼真琴コンサート「ANTHEM-アンセム-」を見てきました。

歌もダンスも破格の比類のなきタカラジェンヌ礼真琴さん、そのコンサートならばきっと凄い体験ができるだろうなと、これはぜひ行ってみたいと思うものの、日本武道館ってどうやって行けばいいの?会場はどんな感じ?といつも通う劇場とはちがうアウェイ感がハードルでした。

行きたい気持ちと不安で葛藤していたところ、かつて同じジェンヌさんを応援していた都内在住の知人がつい先ごろ礼真琴さんに激落ちしたと聞いて、とんとん拍子に一緒に行くことになり憂いなく武道館までたどり着けました。(知人は18日の初日も見ていたので中の雰囲気や内部の気温のことなども細かに教えてもらえてほんとうに助かりました! ちなみに彼女は全通でした)

コンサートは想像以上に素晴らしかったです。
不安の1つには、私は礼さんのCDも聞いていないし近年の流行りの歌などまったく知らないのだけど、その状態で楽しめるのかな?というのもあったのですが、まったくの杞憂に終わりました。じっさいコンサート前半で使用された宝塚以外の楽曲は知らない曲ばかりでしたが、礼さんと星組メンバーのグルーヴィーなパフォーマンスですべての楽曲を愉しんでいました。

とりわけ印象に残っているのは、副組長さん(白妙なつさん)の可愛さ。小桜ほのかさんのいつもとはちがうアイドルのような歌唱。ほんとうにタカラジェンヌってなんにだってなれちゃうんだなぁと思いながら。
礼さんと暁千星さんが向かい合い手を握り合って「ぼくたちは同じ星座だと信じてるから」と歌うナンバーはとてもエモーショナルで幸せな気持ちになりました。
トロッコにのってサインボールを投げまくりながら愉しそうに歌う礼さんも印象的でした。力いっぱい投げてもまったく声がブレないのは凄いなぁと思ったり。

日替わりのトークコーナーでは、その日選ばれしメンバー4人が「ANTHEM(応援歌)」に因んで、礼さんに背中を押されたエピソードを礼さんを前に礼さんのものまねをしながら披露するというもので、エピソードを披露するメンバーが礼さん役で、礼さんがそのエピソードを語る本人役になってて、そのやりとりも含めてとても面白かったです。(小桜ほのかさんだけは礼さんのものまねはされなかったのですが、それもまた小桜さんらしくて笑)
エピソード自体はとても真面目で「いい話」な内容なんですが、皆さんエンターテイナーだなぁと笑。
皆さんそれぞれにとても礼さんリスペクトなのがよくわかりましたが、とりわけ鳳真斗愛さんが熱狂的に礼さんフリークなのがじゅうぶんすぎるほどつたわりました笑。

後半の宝塚ナンバーのターンのさいしょは、星組のメンバーたちが1人ひとり、礼さんがかつて演じた役の扮装でその役のナンバーを歌いだし途中から礼さんと向かい合いみつめあってともに歌い、そして礼さんがひとりで歌い聴かせるという構成でとても胸が熱くなりました。下級生1人ひとりの礼さんへのリスペクトをひしひしと感じとれました。これは宝物になる経験だなぁと。
初々しい人もいれば、柳生十兵衛に扮した天飛華音さんなどは思わず「巧っ」と思うのですが、礼さんが歌いだすとやっぱり圧巻レベルで、しみじみと礼さんの凄さを感じる場面でもありました。

10数名の礼さんがかつて演じた役と絡んだ最後には皆で「BIG FISH」のナンバーを歌い上げて、そこからがらりと舞台が暗転。
礼さんが1人で「VIOLETOPIA」の孤独を歌い踊る場面は圧巻でした。暗転からライトが当たってそこには2階建てのセットに礼さんの演じた役に扮した星組メンバーたち。
さいごにすべてが愛おしいと歌う礼さん。
「VIOLETOPIA」という劇場の光と影を幻想的に描いたショーの終盤のソロダンスで使用されたナンバーゆえに、礼さんが演じた役の扮装をした星組メンバーを背景にして礼さんがその歌詞を歌う光景に鳥肌がたちました。
役たちと星組生たちと宝塚への礼さんの思いが重なって見えて・・。

つづく「ヴィランズ・メドレー」ともいえる場面も礼さんの悪い魅力炸裂で見ている私は魂がどこかに抜けて出でてました。
2~3曲で終わるのではなくて、「BIG FISH」の魔女の歌(都 優奈さん)や「ディミトリ」で礼さんと敵対したアヴァク(暁千星さん)のソロも含めて6曲ほどをとことん歌舞と舞台美術を駆使して見せる演出が素晴らしかったです。
はじまりの「バラ色の人生」(オーム・シャンティ・オーム)は咥え煙草で斜に構え酷薄な流し目の礼さんが最高にクールでした。
そして暁さんのレッドにティリアンとして対峙する「宿命」(エル・アルコン-鷹-)ではレッドを気魄で凌駕していくさまが圧巻でした。
「私から憎しいを奪うな」(モンテ・クリスト伯)はもう、うひょう~で。闇落ちした礼さんと礼さんをとりまく邪悪な雰囲気の星組メンバーズ。とりわけ礼さんにすがりつく天飛華音さんはいったい・・?! ほんとうにもうタカラジェンヌって何にでもなれちゃうんだなぁと思いました。
ここまで悪の華を見せながらも嫌悪感を抱かせないのも大優勝だなぁと思いました。
「マダム・ギロチン」(THE SCARLET PIMPERNEL)の振り付けはゾクゾク。とてもショーらしい振り付けで、コンサートならではの場面だなぁと思いました。

そしてそして礼真琴さんのトート。こんな「最後のダンス」を聴ける日がこようとは・・滂沱。
個人的に歌いあげ系のミュージカルナンバーが苦手なもので、こういう抜け感のある「最後のダンス」は大好物でした。
この体験から「死ぬまでに礼さんの『エリザベート』ガラ・コンサートを見たい(聴きたい)!」という夢ができました。(どうかどうかよろしくお願いします!)

つづく「栄光の日々」(THE SCARLET PIMPERNEL)のあとはまた宝塚以外のナンバーでしたが、とても元気をもらえる曲ばかりでした。
その中で「soul」という曲が礼さんが作詞したものだそう。

アンコールの1曲目は「星を継ぐ者」(龍星)。礼さんにとってとてもとても大切な曲を満を持して歌ってくれました。この曲を歌える喜びのような、いまだからこその礼さんの言葉にできない感情をかんじることができた気が勝手にしました。
そして「グレイテスト・ショーマン」の「This Is Me」。ラストにこの曲なのがまたなんとも言えない気持ちで聴きました。(これを礼さんが歌っているんだ・・いろんなことが思われて・・ことにこの数年の・・これは泣く・・)

こんな体験をこれから何回できるだろうと思うくらいの素晴らしい演出や振付や構成。そしてそれにじゅうぶんに応えた礼さんと星組生に心からの拍手を贈って高揚感に酔いながら武道館を後にしました。
さいしょはどうなるかと思った日帰り遠征でしたが、本当に実行してよかったと心から思いました。

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2025/01/27

きれいはきたない

1月13日に博多座にて、祝祭音楽劇「天保十二年のシェイクスピア」を見てきました。

とにかく醜悪。これほどの醜悪さをこれほどまでに情熱的に描こうとする理由はなんだろう。そこになにを見出そうとしているのだろうと思いました。

私も知っているシェイクスピア作品のセリフやシチュエーションがいくつもあって「あーこれは!」と思う楽しみがありました。東京公演を見た方からシェイクスピア作品を知っていると楽しめるとは聞いていましたが、こんなにたくさん織り込まれているとはとびっくりでした。私の知らない作品もたくさん散りばめられているんだろうなと思いました。

浦井健治さん演じる佐渡の三世次はリチャード3世だなぁと思いました。その見た目も。
私のリチャード3世のビジュアルイメージはBBCの「ホロウ・クラウン」のベネディクト・カンバーバッチですが、カンバーバッチも凄いなぁと思っていましたが、舞台上でずっとあの姿勢でどす黒い気を放つ浦井さんも凄いなぁと思いました。

三世次がこの世界を憎んでいるのはその見た目による拒絶や排除を受けつづけた過去があるから、ってことなのかな。登場したときからすでにこの世への憎悪で満ち満ちているかんじだったけれど。
きれいは汚い、汚いはきれいと、この世で価値あるとされるものを見下して嫌悪されるものを持ち上げて冷笑していないと生きていられない人だというのはわかりました。
そのくせ美しいおさちに横恋慕して彼女の夫を殺めたうえに自分の妻にして。おまえの美しさが悪いのだという理屈は自分勝手な男の常套句すぎて呆れました。

大貫勇輔さん演じるきじるしの王次はハムレットでロミオ。
母親のお文がああだからかもしれないけれども女性蔑視がひどすぎる。姿がすこぶる良いぶん罪深くて。お冬に対してあんまりすぎて引きました。
ああこれは、自分の姿がすこぶる良かったらこうやって女に報復してやるのにという作者の怨念が凝り固まった役でもあるのかな。
三世次とおなじで「すべて悪いのは女」なのだな。
それでいて好きな女性と相思相愛になったら浮かれまくってまわりが見えなくなってしまう。(女性を蔑視する人ほどその傾向があるのでとてもリアル)

天保12年という日本のエンタメの危機の時代を舞台にして、シェイクスピアの全作品のなにがしかを登場させた戯曲を描くという難業を成し遂げた凄さに唸り演者のレベルの高さに驚きつつも、なんでもかんでも性的なものにこじつけてそれがカッコイイとされていた昭和(戦後)の価値観と、女性にはなんでも無条件に受容する聖女と寝首を掻く悪女とどうでもいい女(はけ口にはする)しかいないかのような世界観にうんざりしてしまったのが正直なところでした。
いまこの作品を上演したかったのはどうして?と思わずにはいられませんでした。

CAST

佐渡の三世次/浦井健治
きじるしの王次/大貫勇輔
お光、おさち/唯月ふうか
お里/土井ケイト
よだれ牛の紋太、蝮の九郎治、ほか/阿部 裕
小見川の花平、笹川の繁蔵、ほか/玉置孝匡
お文/瀬奈じゅん
鰤の十兵衛、大前田の栄五郎、ほか/中村梅雀
尾瀬の幕兵衛/章 平
佐吉、ほか/猪野広樹
お冬、ほか/綾 凰華
浮舟太夫、ほか/福田えり
清滝の老婆、飯炊きのおこま婆/梅沢昌代
隊長/木場勝己
(1月13日博多座)

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2025/01/11

普通のとなり

1月6日に博多座にて「next to normal」を見てきました。
私にとっての2025年の初観劇です。(ちなみに2024年の観劇おさめは「モーツァルト!」でした)

望海風斗さんが博多座に来るなら見なくちゃと思ってチケットをとってから作品の概要を知りました。(1年に1度は博多で望海さんを見たいですよね)
双極性障害の女性の役だと知って俄然興味が湧いて観劇を楽しみにしていました。そういうミュージカルってあるんだ!?ってかんじで。

冒頭から躁状態のダイアナと振り回される家族の描写。これは家族も疲弊しそう。だけどなんだろうな違和感がぬぐえない。
舞台を見すすめながら、ダイアナが抱えている問題は双極性障害以外にあるのではないかなと思えてきました。なにかとても違和感。

夫のダンはダイアナをいつも通っているらしいクリニックに連れて行くけれど、そこのドクターは薬の説明ばかり。ダイアナ自身を診ているようには見えないし、ダイアナも治りたがっているように見えない。
戯曲的な誇張もあるのかもしれないけれど、このドクターはダイアナには合っていないんじゃないのかな。(っていうかこのドクターが合う患者がいるのかな。とにかく向精神薬がほしいという人なら歓迎だろうけど)

ダンはダイアナを治療に通わせたら良くなると思っているみたいだけど、そうじゃないんじゃないかな。
ダイアナは苦しんでいるようなんだけど治ろうとは思っていないみたいでそれも違和感。躁状態のときだからかのかもしれないけれど。
ダンの説得に、ダンの彼女のために良かれと思う気持ちに抗うすべがないままに医者にかかっているだけみたい。
家族を疲弊させている自覚はあると思うんだけど、治療して自分の感情を自分でコントロールして自身もふくめて家族のひとりひとりが憂いなく前向きに生きていけるようにしたいと思わないのかな。
かかっているドクターがよくないのは不幸だなと思うけれど。自分からドクターを替えるように動いたり、それについてダンと正面から話し合ったりはしないんだな。
筋道が見えない、先の見通しができない、それがダイアナが抱えている困難(障がい)そのものなのかもしれないけれども。それってダイアナだけの問題なのかな。

突然感情を爆発させたり、興奮したら自分の行動を止められなかったり(床にパンを拡げてサンドウィッチを作りまくったり)、その場にふさわしくないきわどい言葉を発したり、と異常行動といえばそうなんだけど、とんでもない浪費とか反社会的行為とか性的奔放でトラブルを起こしまくっているというわけではないみたいで。どういうきっかけでメンタルクリニックを受診したのかなとも思いました。
自分自身をやばいと自覚しているというよりは、抱えきれないもので心がいっぱいいっぱいなんじゃないの?と。
こうなるにいたった精神的負荷がなにかあるんじゃないのかなと。

と思っていたところ、ナタリーが言った兄は自分が生まれる前に亡くなっているという言葉にそういうことか!と思いました。
冒頭で18歳の息子から自分の昼間の行動について尋ねられたダイアナが思いつくままに答えたような内容を息子があっさり受け容れることに違和感があったし・・。
処方された向精神薬をトイレに流してしまうときにも都合よく現れてダイアナを唆していたし。
そうかイマジナリーサンだったのか。
ダイアナはなぜイマジナリーサンを生み出したのか、それが解けないと家族は前にすすめないような気がしました。

ダンは家族とは夫婦とは「かくあるべき」が強い人のように見えました。
「かくあるべき」から外れたことからは目を逸らす。息子ゲイブの死からも、本来のダイアナからも。(「かくあるべき」から外れた気分障害の妻には治療を勧めるのが夫として「かくあるべき」なのかな)
ダイアナは真実はとことん突き止めたい人なのではないかと思いました。原因や責任をはっきりとさせないと前にすすめない人なんじゃないかな。
それをしなかったから、その先にすすめなかったのかも。

ダイアナは若くして予期せぬ妊娠をしたことで人生が大きく変わってしまった。
妊娠出産という自分の体の変化を受け容れること、描いていた進路、歩むはずだった未来から外れて家事育児に専念することを受け容れること、そして扱い方もわからない赤ん坊の存在を受け容れること、を極めて短い数か月のあいだに一気に余儀なくされたのだろうなと思います。
ひとつひとつの変化を完全には受け容れきれないまま必死で育児をして、もはや自分のすべてになっていた生後8ヶ月の息子の死という現実に直面して、彼女にはもうそれを受け容れるキャパシティが残っていなかったのじゃないのかなと思いました。

夜通し泣きつづける我が子にパニックになってしまっていた彼女にダンは「大丈夫、きっと良くなる」と言ってなだめたのだろうと思いました。いま困難を抱える彼女にそう言っているように。
なにもわからず手探りで育児をしながら、幾度か医者にも相談して・・そのたびに心配ないと、乳児は泣くのが仕事だからとか乳児によくあるぐずりだとか言われていたのかなと思います。
(権威ある者の言葉に全責任を委ね自分では判断しないのがダンの癖のように思います)

ダイアナの母親は、少女の頃のダイアナのことを元気な子だったと言っていたそう。
娘のナタリーはダイアナに似ているのだと思いました。
ナタリーのようにダイアナも活発で才気に溢れ寝ることも惜しんでどんどん課題をやっつけてしまうような少女だったのかなと。
だからナタリーのことをダイアナはまっすぐに見ることができなかったのかもしれないなと思います。置き去りにした自分がそこにいるから。
ダイアナには置いてきた自分と向き合うことが必要なのじゃないかな。
置いてきた自分をいまの自分のなかに取り込んで、止まっていた鼓動を動かす作業が必要なのじゃないかなと思います。

抱えきれない目の前の問題に直面したときに「大丈夫、きっと良くなる」と根拠が稀薄でも自分にも家族にも言い聞かせて(難しいことは専門家に丸投げして判断を仰いで)有無を言わさず前にすすもうとするダンとは反対に、ダイアナは立ち止まって現実をしっかり自分で咀嚼して責任や根拠を明確にしたいタイプなのじゃないのかなと思いました。
ダンといるとダイアナは抱えきれないモヤモヤをいっぱい抱えてしまう気がします。ダンの長所ともいえる性質がダイアナと相性が悪そうです。
ここはいったん離れて、自分のことや、ダンについてや、息子や娘のことをいままでとはちがう目線で見て考えてみることがダイアナには必要なんだなと思いました。
だからこれは前向きなラストなんだなと。そう思いました。
普通じゃないけど普通のとなりで普通に生きようともがきながら生きている人びとが暮らしている。そうなんだよなぁと肯いてしまう作品でした。

CAST

ダイアナ/望海風斗
ゲイブ/甲斐翔真
ダン/渡辺大輔
ナタリー/小向なる
ヘンリー/吉高志音
ドクター・マッデン/ドクター・ファイン/中河内雅貴

(2025年1月6日博多座)

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2024/12/27

いのちのある限り求めつづける

11月30日に博多座にてミュージカル「モーツァルト!」を見てきました。
この日はツアーの大千穐楽でした。

感想を書こうとして前回この作品を見たのはいつだっけ?と記録を辿ったら2005年11月の博多座公演(19年前!)でした。
ああそれで、こんな内容だったっけ?と不思議なかんじがしたのだなと合点がいきました。
ヴォルフと父、コンスタンツェ、ナンネール、ほかの人物たち、そのそれぞれとの関係、そして男爵夫人の歌など、一つ一つが記憶していたものとはちがった印象でいまの私の心に映りました。
演出やキャストが変わったこともあるのでしょうが、なによりも自分自身の状況が変わったことが、そう思った一番の理由だったのかなと思います。なにしろ20年近くの歳月を経ているので。

博多座での上演自体が2005年以来19年ぶりの2回目のようですが、その間、帝劇にも大阪にも見に行っていなかったのも自分としては衝撃でした。
地元で公演がなかったこともありますが、中川晃教さんのヴォルフガングで正解を見た気がしていたのも遠征しなかった理由だったと思います。
(2018年と2021年は同時期に公演していた作品=「1789」とか星組ロミジュリとの日程調整も難しかったみたいです・・遠征の民のつらさ・・)

前置きが長くなりましたが、19年の月日を経て2024年版「モーツァルト!」を見た私の感想です。

古川雄大さんのヴォルフガングの解像度の高さに、なるほどそうなのかと肯きながら見ていました。
こんなに精神が幼くて気分の浮き沈みが激しく衝動的で自己管理が甘かったらトラブルばかりに見舞われて生きにくいだろうな。
本人に代わって管理してくれる人が必要なのに、そういう人とは距離を置きたいんだな。言いつけや約束を守る自信がないものね。正しい行いができなかったことを指摘され自己肯定感削がれるのはつらいものね。
「このままの僕を愛してほしい」んだよねと。
そのままが好きだと言ってくれたコンスタンツェにそばにいてほしかったんだなと。
だけど彼女は「彼女に見えるそのままのヴォルフ」が好きで。父レオポルドほどにはヴォルフのことを理解しているわけではなくて。だからすれ違ってしまうのはしょうがないなと思いました。

父レオポルドは息子の特性はよく理解していて、どうすべきかは示せるけれども、息子の気持ちを汲んで寄り添ってやることは得意じゃないみたい。
短絡的な息子に、そのままの彼をその特性ごと愛している父の深い思いを理解させるのは難しいことだなぁと思いながら見ていました。
狡さがなくては生きていけない世間を生きる人びとに簡単に騙され利用され尽くしていく息子の未来が父だからこそ見えてしまう。そうなってほしくはなかったから、自分の目の届く範囲にいてほしかったんだろうな・・と父の気持ちをしみじみと感じてしまったのは、いまの私だからこそだなぁと思いました。
ヴォルフを自由にしてあげればいいのにと思って見ていた19年前とはちがう感想を持ちました。
ただ自由に解き放ってあげればいいわけではない。それはいまだからこそわかります。

19年前は男爵夫人が歌う「星から降る金」に感じ入って感動の涙だったのですが、今回は「とは言っても・・」と思いつつ聞いている自分がいました。何より「王様は息子を愛していた」の歌詞が胸に刺さりました。こんなに奇跡のような、こんなに特性の強い息子をもってしまったら親はどうしたらいいのかな。
それにしても涼風真世さんの男爵夫人はキラキラとしていて、本当に特別な人なんだなぁと思わせられました。でも俗っぽさも見えて、そこが以前見た男爵夫人とはちがっていて惹かれました。

コンスタンツェ役の真彩希帆さんは、「LUPIN~カリオストロ伯爵夫人の秘密~」で演じたクラリスが面白かったのでどんなコンスタンツェになるのだろうと楽しみでした。
『推し』を目の前にして自分の妄想に耽るようなクラリスにいたく共感した記憶があります。
今回のコンスタンツェも1幕ではいまをときめくキラキラのヴォルフに気後れして距離を置いて眺めているような様子、才能ある姉にくらべて自分なんかと思っている風情がオタクっぽくて好きだなぁと思いました。
ヴォルフに「そのままのあなたが好き」と言うのも、タカラジェンヌのお茶会で憧れのスターへの告白タイムをいただいちゃって、気の利いた言葉も浮かばず振り切ったテンションのままとっさに口走ってしまった・・みたいなシチュエーションが思い浮かんで、既視感があるなぁなんて思ってしまいました。(どういう限定シチュエーション。。)

そんなコンスタンツェが2幕では、自分の存在意義がわからなくなって絶唱するところは、いったい彼女になにが?!と思いました。
いやいや。わかる気はしたのです。姉たちにくらべられ、出来が悪いと親に見下されて自己肯定感が低かった娘が、愛するヴォルフのために存在意義を示さなくてはと思えば思うほどなにもできなくて。やらなくてはと思えば思うほど逃げ癖が出てしまうそんなかんじなんだろうなぁと。
そんな不如意な現実もなにもかも忘れて無我の境地になれる、時間を忘れられる行為に没頭してしまう。
踊り続けることで到達する恍惚感は彼女に万能感を感じさせてくれるのだろうなと。
でも醒めると自分が放り投げたままの現実が目の前に。そのくりかえし。
しみついた負の行動パターンを変えられない。新しい行動に出る勇気をもてないのは成功体験が乏しいからだろうなぁとか。
ヴォルフに愛された理由もおそらく正しくは理解していなくて、なにかがきっと掛け違っている。彼にどうしてほしいかも言語化できていなくて。
そんな彼女をだれも助けてくれない。それどころか2人のあいだにあったものまで毟りとっていってしまう。
2幕までにどんなことがあったのかは描かれてはいないけれども、想像できました。

狡猾に見える人も居丈高な人物も、どの登場人物も時代を必死に生きていているのだなぁとそれはしみじみと思いました。生きていくというのは誰にとってもイージーモードではないんだと。
そんな世の中で才能(アマデ)とヴォルフとコンスタンツェはどう共生したらよかったのだろうと考えてしまうけれど。正解があるとしても、その通りに生きられる人など極々僅かなのだろうと思います。
それでも死ぬまでは生きていかなくちゃならないのだなぁ。そんなふうに思う作品でした。

大千穐楽の挨拶では、古川雄大さんが珍しく1人で長い間話つづけていたことが印象的でした。それくらい思いの深い作品なのかなと。
自分よりももっとこの役に相応しい役者がいるのではないかと思う中で主演のヴォルフガングを演じることになった2018年の頃の話や。(恐れながら私もそう思った1人です。それはまったくの見当違いだったと舞台を見て思い知りましたが)
そのときから父親役として成長を見守りつづけてくれた市村正親さんとの関係。さらにミュージカル俳優として駆け出しの頃にルドルフとトートとして対峙した山口祐一郎さんとのことや(なんと祐一郎さんから手を取られて一緒に『闇が広がる』のステップを披露!)。

古川さんの話を聞きながら、はじめてルドルフとしての彼を見て、なんという王子感だろうとドキドキしたことなども思い起こされて、その彼がいまここに主演として立っていることに深い感慨を覚えました。さらに今回同じヴォルフガングをダブルキャストで演じられた若い京本大我さんに先輩としてエールを贈られていることにも。
私が10余年ただただ劇場に通って観劇資金のためにちまちまと仕事をしている間に想像もつかないような努力を重ねて役者としても人としてもこんなに成長したのだなぁと尊敬の念が溢れました。(頼もしく成長されたなぁと思う様子もありながら周囲の人々が思わず見守りたくなるのではという雰囲気も相変わらずで、そういうところが魅力なのかなぁとも)

その後古川さんの紹介をうけて登壇された演出の小池修一郎氏の話はさらに長くて、さすが小池氏だなぁと思いました。
高みをめざして努力をつづけ成長を遂げていく1人の人と長く関わり見守りつづけることの喜びが感じられる話で、かつこの「モーツァルト!」という作品とも照らし合わせながら、どんなことがあろうと人は生きていかなくてはいけないという話に(話の内容は次々と多岐に展開していましたが)そうだよねぇと深く肯かずにいられませんでした。
作品に登場する人物にも、舞台上で演じる人びとにも、それを支える人びとにも、それぞれに生きなければいけない人生がある。きっと私自身にも。
と、そんな思いを心に刻んだ観劇でした。

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2024/12/09

この道が未来へと続いているから

11月20日に東京宝塚劇場にて星組公演「記憶にございません!」「Tiara Azul ーDestinoー」を見てきました。
9月22日の宝塚大劇場の千秋楽以来の観劇でした。
(その後12月1日に地元映画館にて東京宝塚劇場公演千秋楽のライブビューイングを見たのでその感想も混じります)

「記憶にございません」は開幕早々の黒田総理役の礼真琴さんのこれでもかという眼つきの悪い様子にうけました。ムラ(宝塚大劇場)ではここまで悪くなかったのにと思って。
記憶を失くして以降の彼の態度が真逆になるのがとても面白かったです。逆にこんなに誠実で人のよさそうな人がどうしてあんなに悪い人になっていたの??とそちらのストーリーが気になりました笑。

官僚の皆さんもいっそう誇張された芝居になっていてそれぞれのキャラクターを生きているかんじが面白かったです。いかにも星組だなぁと思いました。
演じている人びとが頑張っているだけに、ムラの観劇時から引っ掛かっている脚本上のあれこれが惜しいなぁと思わずにいられませんでした。
海難事故の犠牲者を「海の藻屑」というのはモズクの言い間違い以前に大臣の発言としてデリカシーに欠ける気がして笑えませんでした。

熊本のご当地アイドルが登場する意味も、彼女たちが投票を呼びかける仕事を請けて活動しているところまでは理解するとしても、特定の議員や政党の街頭演説に現れるのは変だなぁと思いました。
生活保護受給についての表現、特定の人物(国)にあてこすっているようなセリフやミソジニー臭いセリフなど一方におもねり訳知りに他方を踏みつけるセリフがどうにも苦手でした。

柳先生との場面も初歩から政治を学びなおしたいという黒田総理の真面目な一面が描写できればそれで良いと思うのだけど、論点ずらしなことをよいことを言っている風情で言い出す柳先生とそれに同調する秘書たちにモヤりました。
「負けて得とれ」は納得しているわけではないという思いが根底にあるわけで、議論を諦めて受容したフリをするのは不誠実だろうと思いました。もちろん交渉事においては必要な局面はあるとは思いますけども。
納得もしていないし相手の言も軽く考えているからまたすぐに蒸し返す。
いつまで経ってもハラスメントを自覚しないのもこんな人だろうと思いました。

書き出すとあれもこれもになってしまいますが観劇中はなるべくスルーを心がけて楽しみました。
やはり筋の運びや場面の配分はさすがだなぁと思います。
レストランでの家族の会話は何回見ても面白かったです。3人ともセリフの間が絶妙。瞬発力があって快感でいつまでも見ていたいラリーでした。

「Tiara Azul ーDestinoー」も何度見てもワクワクしてどの場面も大好きであっという間のショーでした。
銀橋の板付きチョンパの幕開きからもう大好き。いや幕開きの前に銀橋にタカラジェンヌたちが集まってくるところからそわそわとして好き。
2番手の暁千星さんが出て来て継いでトップスターの礼真琴さんが高い装置の上に登場するそのエスカレーション感がわくわくして好き。
極美慎さんオーナーのブティックの場面がぜんぶ好き。詩ちづるさんのドレス姿が可愛くて好き。ミュージカルみたいなダンスシーンが好き。

山車がどんどん迫ってくるようなカルナバルの場面の一連がぜんぶ好き。客席降りで踊るタカラジェンヌにわくわく。
心を寄せ合う礼さんと舞空瞳さんのシーンから、それを見た暁さんが夜の店でヤケ酒をあおってタンゴの場面になる流れが大好き。店内の人間模様に視線を奪われるかんじも好きでした。
礼さんと舞空さんの裸足のダンスに心がふるえました。舞空さんの表情がせつなくて礼さんの表情がやさしくて。
サリダデルソルの小桜ほのかさんの歌に涙腺をやられて、希望に満ちた星組生の表情、躍動感あるダンスに涙して、退団する4名をしっかりと目に焼き付けることができる場面が大好きでした。

礼さんを中心に娘役さんたちと踊る場面は、礼さんの歌もダンスもグルーヴ感最高でした。もっと尺がほしいくらい。娘役さんたちもかっこよかったです。ドレスの色と照明も印象的な場面でした。
男役群舞は皆キザが過ぎて思わず笑っちゃいました毎回。お芝居の松爺だったとは思えない金髪のイケメンの天希ほまれさんととても気持ちよさそうに踊っている蒼舞咲歩さんに目を奪われていた記憶があります。

デュエットダンスの前に大階段を1人で降りてくる舞空瞳さんは豪華な生地とレースでふくらんだドレスを纏っているにもかかわらずまったく重さを感じさせない足取り・・というか水面をすーっと進む白鳥のようでこのうえなくアメイジングでした。
銀橋で礼さんによってティアラを戴く姿を客席の皆で見守る演出はなんど見ても素敵で、星のティアラを冠したプリンセスとして私たちの記憶に刻まれたのだなぁと思いました。

千秋楽は映画館でライブビューイングを見たのですが、サヨナラショーはやはり構成が素晴らしいなぁと思いました。
トップ娘役の単独サヨナラショーで、相手役のトップスターがここまで絡む構成はなかなかないのではないかと思いました。ファンが見たいのはこういうロマンティックな世界観だと思います。
「めぐり会いは再び~」の『ミッドナイトガールフレンド』からの「ディミトリ」の『運命に結ばれて』の流れは涙を誘われました。
ラストナンバーになる『The Next Generation!』(めぐり会いは再び~)はライブビューイングの画面では星組生とハイタッチしていく舞空さんが映し出されていたけれど、大劇場で見た舞空さんと星組生をあたたかいまなざしで見つめていた礼さんを思い出して、いまこの時も舞空さんと星組生たちを見守っている礼さんが舞台袖にいるのだなと思いながら感極まっていました。
サヨナラショーそして大階段での退団の挨拶、カーテンコールでの言葉、礼さんと並んで緞帳前でしあわせそうに言葉を紡ぐ舞空さんの姿・・さいごのさいごまで心にあたたかいものが満ち満ちた千秋楽でした。

それから・・場面が前後してしまいますが、ショーで極美慎さんが銀橋で未来への決意を歌うナンバーが、いつもは極美さんのこれからの道に思いを馳せながら聴いていたのですが、なぜか千秋楽だけは作演出の竹田先生の心情のように聞こえました。孤独の闇を払い大劇場デビュー作を世に送り出して決意もあらたに自分の道を歩んでいく若い演出家のこれからに心からのエールを送りたく思いました。
タカラジェンヌのみならず演出家の先生にまで親心?になっていくのも、宝塚ファンの通るさだめなのかなと思いつつ・・笑。

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2024/11/30

すべての世代はその絶頂期において道を譲り若者を招き入れて良き日を分かち合わねばならない

11月11日に福岡サンパレスにてミュージカル「ニュージーズ」を見てきました。
この日は公演の大千穐楽で、ヒロインの星風まどかさんのお誕生日でした。

そもそもの観劇の動機は、星風まどかちゃんが地元に来る?!ならば見に行かねば!ということで、作品についてはほとんど知らないままでした。
幕が上がり、まず思ったのはみんな若い!ということ。よく動くなぁ、よく跳ぶなぁ!とまぁびっくり。
大勢で踊っている中にシスター姿の晴華みどりさんを見つけて嬉しかったです。相変わらず素敵だなぁと思いました。
劇場の女主人役に霧矢大夢さんも登場しておお~!っと思いました。懐深い役で謎の説得力がありました笑。

主演のジャック役の岩﨑大昇さん、声が良く出るなぁ。大きいなぁと思いました。
大千穐楽ということでカーテンコールのあとに登壇した演出の小池修一郎氏によると、この公演中にもさらに大きく育ったとのこと。役者としても体格の面でもってことかな。(肩幅50cmを超えたとか!)
磨けば光るポテンシャルと真ん中に立てる風格が備わっていて彼が出演する舞台をこれから私はきっといくつも見るようになるんだろうなぁと思いました。

そしてヒロインのキャサリン役の星風まどかさん、臆することなく舞台に立つ勇ましさも健在でうれしく思いました。
彼女がヒロインを演じた「アナスタシア」が大好きでしたし、宝塚在団中は本格的なミュージカルで歌い踊るまどかちゃんをもっと見たいと思っていたので、退団して間もなくこのように活躍している姿を見ることができてうれしいなぁと思いました。これからもっともっと舞台でのびのびと輝く姿を見られることを期待します。

加藤清史郎さん(ディヴィ役)も相変わらず巧いなぁと。これからどんな役者に成長していくのか楽しみだなぁと思いました。
クラッチ―役の横山賀三さんは初めて見る方でしたが、役柄も相まってかなり惹かれました。今後の出演作も見てみたいなぁと思います。

ニュージーズ(新聞少年たち)の存在はこの作品ではじめて知ったくらいに無知でしたが、ニューヨークも19世紀末の闇を抱えていたのだなぁと作品を見ながら思いました。工業化や人口流入による住宅不足や生活困窮者の増加、労働環境の問題。頼る者もなく自分の力で生きていくしかない子どもたちがたくさんいた時代なんだなぁ。

ニュージーズを窮地に追い込む敵として描かれるピューリッツァー(石川禅さん)ってピューリッツァー賞のピューリッツァーだよね? 勝手に高潔な人物のイメージを抱いていたけれど、なかなかのやり手実業家だったんだなぁとか。
同様にセオドア・ルーズベルト(増澤ノゾムさん)ってあの‟テディ”のルーズベルトだよね?と。大統領時代にはパナマ運河の件でピューリッツァーとやりあっていたよね? この作品ではまだ州知事なのでそれはこののちの話になるのかなぁとか。
歴史上の人物が物語の中で描かれる姿に興味を惹かれました。

セオドア・ルーズベルトがワシントンやジェファーソン、リンカーンと並んでアメリカ人に人気の理由がいまいちピンときていなかったのだけど、この作品に描かれる役どころで、なんとなくその理由がわかったような気がしました。
警察の汚職と戦ったり生活困窮者の問題に取り組んだ人として人々の記憶に残っているんだなぁ。

セオドア・ルーズベルトには格言が多いというか、民衆受けする格好の良いことを言う人だという印象があるので、劇中のセリフも「彼らしいなぁ」と思いました。
曰く「すべての世代はその絶頂期において道を譲り若者を招き入れて良き日を分かち合わねばならない
自分の理想の人物になるために努力を惜しまず生きた人らしいなと思います。そういうところが尊敬されるのかなと思います。
同時にやっぱりそういう生き方ができる環境に生まれた人だよねとも思います。
ディズニー作品ゆえなのか、いくつかの綺麗事すぎる部分に「ふふん」と思ってしまう自分がいました。

作品の上ではピューリッツァーが悪者でセオドア・ルーズベルトが正義の人だけれど、ピューリッツァーがセオドア・ルーズベルトのやり方を批判するところはやっぱりジャーナリストらしくてなるほどと思いました。

大千穐楽の挨拶でピューリッツァー役の石川禅さんが、セオドア・ルーズベルトのこの言葉(すべての世代はその絶頂期において道を譲り若者を招き入れて良き日を分かち合わねばならない)を引用して、岩崎さんをはじめとする若い出演者の皆さんの未来に期待しご自分たち先達のなすべき道をお話をされ、霧矢さんや増澤さんたちがそれに肯いている様子が印象深かったです。

そして自身を含め舞台上にいる若い共演者たちにご期待くださいとこれから精進していくことを舞台で宣言する岩﨑さんの言葉に、時代は変わっていっているのだなぁとしみじみと思いました。
これからを担う若い舞台人の活躍に私も期待したいと清々しくも感慨深い思いに浸り、本邦のミュージカルの未来に明るい兆しを感じながら劇場を後にしました。

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2024/11/15

運命ってやつにもう一度挑戦しようじゃないか

11月4日に鹿児島市の宝山ホールにて宙組全国ツアー公演「大海賊」と「Heat on Beat!」をマチソワしてきました。ツアーの大千秋楽でした。

素晴らしいパフォーマンス、それを余すところなく楽しもうとする客席の意気込み、圧巻の熱量が充満する空間を体験しました。
楽しくて幸せで忘れられない観劇になりました。

このところ宙組生に疎くなっていたのですが、お芝居ショーともに多くの出演者にセリフや見せ場のある作品で、それぞれの出演者がイキイキと演じている姿を見ることができて解像度が高まり、宙組を見る楽しみがまた増量しました。

ヒロインの義姉マリア役の湖々さくらさんの「与えられたものを受け取って」真摯に生きる年長の婦人としての威厳と慈愛をうかがわせる落ち着きのあるセリフ回しと歌。タカラヅカニュースのナビゲーターとしての姿には馴染みがあったものの、こんなお芝居をしてこんなふうに歌う人だったのだとのは初めて知ったように思います。

初見で主人公の母上の悪者に抵抗する際の身のこなしのキレにおっ?と思っていたらやはり水音志保さんで、それ以降ずっと美しい母上から目が離せずその美しい死に顔に見惚れている間に照明が落ちてはっと我に返る、というのを初見の福岡公演から繰り返していました。
ショーでもたくさん活躍されていて、なかでも「Fly me to the moon」を歌う芹香さんを天彩峰里さんと挟んでのおしゃれでキュートなダンスや「ジェラシー」での瑠風輝さんとのタンゴのペアは目が釘付けでした。

スキンヘッドにびっくりした輝ゆうさんの鉄砲玉は愛嬌たっぷりキャラでいつも仲間と面白いやりとりをして楽しませてくれました。
ちょっと斜に構えたネコザメ役の嵐之真さんは、サンタ・カタリーナ炎上の場面では前回の大劇場公演(ルグランエスカリエ)に引き続きソロで歌を聴かせてこれからも宙組の歌い手として注目したいなと思いました。
聞き耳役の真白悠希さんもルグランエスカリエに引き続きお芝居ショー共にやはり舞台センスで目を引きました。見ていてとても快感でした。

フレデリック役の泉堂成さんは、福岡サンパレスの感想にも書きましたが、歌唱力のある瑠風輝さん鷹翔千空さんとともにしっかりとハモっていてすごいなぁと思いました。これからの成長がますます楽しみです。
海賊たちをまとめる拝み屋役の鳳城のあんさん、最初は鳳城さんとは思わず上級生かなぁと思っていたほど荒くれ者の海賊たちをまとめる年長者の落ち着きと声の張りがあって、あとで鳳城さんと知ってびっくりしました。
まだ106期だとか。宙組に欠かせない存在に成長しそうでたのしみです。
ウミネコ役の渚ゆりさんも少年役が溌溂としてとても可愛くて愛でたい存在でした。どういう経緯で海賊に加わったのかも気になるし、海賊たちにも可愛がられているんだろうなと想像をめぐらせました。

コロナ禍では出演人数に制限が設けられていたり、昨年の出来事以降は公演ができない状況が続いたりでなかなか舞台に立つ機会を持てなかった彼女たちが、活き活きと役として舞台上で生きている姿を見られて嬉しく思いました。
見たかったものをやっと見ることができた。ブランクなど感じさせない素晴らしいパフォーマンスを。そのために重ねただろう努力や意志を尊く愛おしく思いました。

顔覚えがわるいので、一度にはたくさん覚えられないのですが、これからもっと下級生を覚えていきたいなと思えた公演でした。

同時期に公演されていたバウホール公演のほうは見ることができなかったのですが、この全国ツアー公演のメンバーにバウのメンバーも合わさった宙組の次回大劇場公演を心から楽しみにしています。
いまの宙組、これからの宙組が輝くことを願っています。

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