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2024/02/22

たゆたえども沈まず

2月15日に宝塚大劇場にて花組公演「アルカンシェル」~パリに架かる虹~を見てきました。

観劇直後は唖然とするばかりでしたが、これはちゃんと怒るべきなんじゃないかと思えてきました。
この脚本にGOサインを出してしまう(出さざるを得ない?)、そこに宝塚歌劇を危機たらしめている要因が潜んでいるのではないかと。
なかったのは時間? それとも別の何か?

わざわざ「ドイツ占領下のパリ」~「パリ解放」という特殊な時代を物語の舞台に選んでいるのだから、密告、猜疑心、自己保身か正義かの葛藤など、極限状況で揺れる感情や人間模様を丁寧に緻密に描かないと意味がないと思いました。分断や集団による私刑を招く群集心理も。
そこからいまにも通じる普遍的な人間の有り様、人間の尊厳や崇高な魂を見出すことができたら素晴らしい観劇体験になっただろうに。
なぜこうなってしまったのだろうと思いました。

フリードリッヒの当事者意識のない能天気さ

永久輝せあさん演じるフリードリッヒ・アドラーは、ホーゼンフェルト大尉(WW2中にユダヤ系ポーランド人ピアニストのシュピルマンらの命を救うも終戦後にソ連の強制収容所で死去したドイツ人将校)を念頭に創作されたのかなと思ったのですが、このお気楽さはなんなのだろうと呆然としました。

「エンターテインメントは世界をひとつにする」をお題目に、ナチス上層部を欺いて禁止されているジャズを上演するように柚香さん演じるマルセルたちに提案しますが、自分が当のジャズを禁止しマルセルたちパリ市民を苦しめているナチス政権下のドイツ将校(文化統制官)である自覚のないこと、ディートリッヒの亡命を語る時の軽さにしても、戦争も虐殺も自分には関係のないところで起きている他人事のように認識している人物でした。
ただただ自分が好きなエンターテインメントをやりたいだけの人物。そのためにマルセルたちに危険を冒させることにも無頓着。
キラキラしたスローガンで情緒的に訴えるやり方は薄ら寒ささえ感じました。

そのフリードリッヒの提案というのが、表向きはウィンナワルツのショーを上演していることにして、実際にはジャズの演目を上演するというもの。
そのために並行して2つのショーを構成・制作し、両方のショーができるように稽古をし、ナチスの前ではウィンナワルツを、それ以外ではジャズの演目を上演するという、思いつきはイージーだけど上演する側にはハードなもの。
これが露見すればどうなるか。相手は収容所送りや拷問もするナチスです。

フリードリッヒがマルセルたちにジャズを上演するよう説得する時に、「占領下のパリで観客の多くを占めるドイツ兵が求めているのはジャズだから」と言っていたことにもフリードリッヒの人間性を疑いました。
マルセルたちがどういう状況下に生きているかを理解していたらこういう言い方はできないでしょう。
フリードリッヒをとことん馬鹿に描こうとしているのか、もう訳が分かりませんでした。
そしてこの提案にのるマルセルたちもよくわかりません。
マルセルの側にそこまでしてもジャズを上演したいという動機があるように描かれていないので。

マルセルたちがジャズに自分たちの自由精神を託してなんとしてもやりたいと、表現者として手段を考え、それにフリードリッヒが協力する設定ならわからなくもないですが、あくまでフリードリッヒ主導なのが、その彼が自分の立場の自覚もなく、万一発覚した場合はどのような手立てがあるのかについての言及もなく、とてつもなく能天気なのが「どうゆうこと?」でした。

作品の見せ場として『ウィンナワルツのショーを上演する体でジャズショーを上演し、軍幹部の入場を知るや急遽ウィンナワルツに変更というスペクタキュラーな展開の場面を作る』のが目的なのかな?とも思いましたが(そうなら見てみたかったりはしたのですが)そういう場面はありませんでした。

加えて、彼のアネット(星空美咲さん)への積極的すぎるアプローチも疑問でした。
まともな大人なら、占領側のナチスドイツの将校である自分が被占領側の女性と特別な関係になるとはどういうことか、彼女がどういう目で見られるか考えられるはずなのに、その視点がないこと。彼女に対して本気であれば葛藤があると思うのにそれもないのかと。
自分のことしか考えられない、いつまでも大人になりきれていない人物なんだなと。ラストの言葉も含めてそう思いました。

占領下のパリで、人を踏みつけにしている側である自覚もなく(つまりナチスドイツに些かの非も感じていない)、自分に悪意がないから踏みつけにしている相手からも受け容れられると信じて疑わない様子も、虐げられている人びとの中から1人だけをピックアップして救出する残酷さの自覚もない、その独善さに何度も抵抗を感じました。
このキャラクターを「いい人」と描く脚本に疑問を抱かずにいられませんでした。

歴史的事実を軽んじていること/茶番が過ぎる

偽ってジャズをやっていることはすぐに発覚し、フリードリッヒは降格の上前線の任務に。
劇団は無期の公演中止でマルセルはSSによる厳しい取り調べ(拷問)を受け、星風まどかちゃん演じる花形歌手カトリーヌは交換条件をのまされて無理やり単独ドイツ本国に巡業へ。劇団員の1人ぺぺ(一樹千尋さん)は言動をとがめられて思想犯として子どもを残して強制労働収容所送りに。
結果はかくも悲惨です。

フリードリッヒの計画は最初から能天気すぎるし、占領軍を欺いたことが露見すればこうなることは当然予測できたことですが、にもかかわらず「のった俺たちもわるかった」と『フリードリッヒ無罪』みたいなダニエル(希波らいとさん)の軽いエクスキューズも含め、なんだこの茶番は?と思いました。
親を連行された少年イブ(湖春ひめ花さん)に対する周りの態度も鬼かと思いました。「思想犯として収容所に送られる」ということがどういうことか、歴史的事実の認識が軽すぎて容認できませんでした。
さらにその後のぺぺ救出茶番劇には、こんな描き方がゆるされるのかと疑問でいっぱいになりました。

公演中止が解かれたのち、一座の花形カトリーヌを失った劇団はアネット(星空美咲さん)を中心に華やかにラテンショーを上演。ジャズは禁止だけどラテン音楽はOKなんだそうです。
えーそうなんだ、あの危険極まりない無謀なジャズの上演とはなんだったのか状態です。
あれだけのことを引き起こしておきながら、どうしてもジャズでなければならなかった理由付けが弱すぎだと思います。

さらにナチスがジャズを解禁すると、それをフリードリッヒが自分たちの勝利のように言うことも、ちょっと待った、と思いました。
ナチスは彼らに屈したのではなく、ジャズの人気が侮れないことを察知してプロバガンダの喧伝に利用しただけ。いくらフィクションでもそこは曲げてはいけないと思います。
エンターテインメントをプロバガンダに利用するのに長けていたのがナチスドイツだし、日本においても宝塚歌劇が戦争に利用されていた時代もあるくらい。
能天気な「エンターテインメントは世界をひとつにする」は危険で害悪だと思います。

プロットをなぞるだけの2幕/占領下のパリの人々の解像度の低さ

1幕のあいだはまだ華やかなレヴューシーンや柚香光さん&星風まどかさんのトップコンビの美に目が喜んでもいたので、これを2幕でどう収拾するのだろう? フリードリッヒの背景や事情を知ったら納得できるのかも? などと思ったのですが、期待は裏切られ・・2幕はプロットをそのまま、なにも肉付けせずに見せられているようでした。
時間が足りていなかったのは間違いなさそうです。

なぜ上手く事が運んだのか、どんな葛藤がそこにはあったのか、主人公まわりの人々(劇団員たち)はそれぞれどんな背景をもつ人々でそれぞれに何を考えてそういう行動をしているのかの描写が二幕を通じてありませんでした。
レジスタンスに入るかどうか1つとっても人それぞれに葛藤や背景があるでしょうに。まるで部活の勧誘のような軽さで、露見したら拷問や収容所送りになるかもしれない重い決断であることも伝わってきませんでした。
ドイツに協力的な人、そうせざるを得ない人、反独感情が強い人、ユダヤ人への感情などさまざまな人がいるはずなのにそれもわからない。
そもそもなぜ彼らは占領下のパリにいるのか、パリを離れる選択だってできたはずなのに。家族は恋人は。
せめてアルカンシェルのダンサー役の帆純まひろさん、希波らいとさん、美羽愛さんくらいにはストーリーがあっていいんじゃないのかな。
せっかく見た目は目立っているのにもったいないと思いました。

パリ解放に至っても一様に喜ぶのっぺりとした人々がいるだけになっていて、あえてこの設定にする意味があったのかと疑問でした。
パリ解放後の対独協力者への私刑(特にドイツ兵の恋人を持った女性に対して)を知っていれば、アネットはもちろんカトリーヌも無事だったのかと心配になるのは当然だと思うのですが、その後についてはなにも触れられず、ハッピーエンドでめでたしめでたし。
人々が苦難を強いられた時代背景を拝借して実相とはかけ離れた安易な世界観で描くことに嫌悪感がありました。
積み重ねてきた歴史や命の重みを疎かにしていること、しかもこのやっつけ感に憤りを覚えました。

好きだったところ/まどかちゃんのドレス姿と役

柚香光さんのピエロのマイムはもっと見ていたいほどでしたし、このスーツ姿と完璧な後頭部も見納めかと思うとせつなさでいっぱいになりました。
星風まどかちゃんのお芝居の衣装は過去最高に好きでした。腰高で細いウエストに高い胸の位置、ゴージャスなまどかちゃんの体型にぴったりで。やっとまどかちゃんの美しい肢体にフィットしたドレス姿が見れたと嬉しかったです。
柚香さんとまどかちゃんが向き合っている横からのシルエットが美しくて愛おしかったです。
そしてまどかちゃんの役が、人生に仕事に責任をもって生き、愛し苦悩するカトリーヌという自立した女性だったのもエモーショナルでした。何か(誰か)に巻き込まれる役やキャンキャンした役が続いた頃もあったのに、見事に大人の女性の役で卒業するのだなぁと。

つくづくこんなにセンシティブで難しい時代設定でなくてもよかったのになぁと思えてなりません。
せめて占領下のパリでレヴューの火を絶やさないように奮闘する人々のお話ではだめだったのかなぁ。
永久輝さんは潜伏するレジスタンス運動家でエトワール歌手をめざず星空美咲さんと恋に落ちる設定とか。
もしドイツ人を絡めるなら、若いドイツ兵と淡い恋に落ちる美羽愛ちゃん、相手のドイツ兵は若手のたとえば希波らいとさんとか・・。(お2人が可愛くてとても目立っていたのにストーリーがなかったのがとても残念で・・)
ジャズやシャンソンなどあの時代ならではの音楽や歌でをふんだんにちりばめ、苦難の時代に屈しない人々の群像劇だったらなぁ・・(妄想)。

ともあれ東京公演では良くなっていることを切に願っています。

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2024/02/04

ホームズは生きていた

2月1日に東京宝塚劇場にて雪組公演「ボイルド・ドイル・オンザ・トイル・トレイル」「FROZEN HOLIDAY」を見てきました。
昨年の11月に宝塚大劇場で見るはずの公演でしたが、中止になってしまったので1回限りの観劇になりました。

生田先生、アタマ沸いてる?

作者のコナン・ドイルと架空のシャーロック・ホームズの対話という興味深い発想に期待して見た「ボイルド・ドイル・オンザ・トイル・トレイル」は、生田先生アタマ沸いてる?という作品でした。
このかんじ、「Shakespeare 〜空に満つるは、尽きせぬ言の葉〜」の時と一緒だ・・期待が大きいとこうなるんだ・・涙。
生田先生の作品解説がすこぶる刺さって甚大な期待で見てしまい撃沈・・このパターンを何度か繰り返しています。
着眼や発想は面白そう!とっかかりも面白い!・・けれどいつしか行方知れずの迷作に・・迷い込んだ感覚に陥ってしまう。
今回、ポスターもプログラムも刺さりまくったためにその感覚が大きいです。
生田先生は自分ひとりで散々楽しんで、アウトプットする頃には飽きてしまうのかしら・・。

ルイーザやばいよ?

受け容れ難かったのは、過剰に妻にケアされて当然なドイルの感覚です。
妻ルイーザのあのテンションは心を病んでいるんじゃないかと思いました。
ひたすらドイルのことばかりに一生懸命で、彼を鼓舞するためにつねにハイテンションで明るく振舞い、彼ができない出版社との交渉にも出かけて、アルコール依存症で施設に入所しているドイルの父親にも会いに行き心を尽くす。そんな場面が次から次に織りなされていて。
家族的な幸福に恵まれなかったドイルの願いを知っているから。彼が医者であることより作家になりたいのを知っているから。本当に書きたいのはホームズシリーズではなく歴史小説なのを知っているから。
・・なのでしょうが、それにしても自分のことは一切捨て置いてドイルの希望を叶えることばかり。
いったいどうして?と思わずにいられませんでした。彼女の心の中には得体の知れない不安が巣食っているように見えました。まるでドイルの落ち込んだ顔を目にすることに強迫観念があるみたいに。
この人(ルイーザ)やばいよ・・?と思いながら見ていました。
いつかプツンといってしまうよ・・と。
(劇中で彼女自身については、日常のこともバックボーンにも一切触れられていないのも疑問でした)

精神がプツンといってしまう前に、ルイーザは病(結核?)に倒れてスイスに療養に行くことになりましたが、そこでもケアされるのは彼女ではなくてドイルのほう。
ドイルは彼女を療養させる資金は出しているのかもしれないけれど、彼女の心身のために何一つするではなく、反対にチアされてホームズシリーズを再開させる。
それがうまくいってルイーザの病気も完治して手を取り合って大団円??でしたが、これはもうドイルの妄想の世界だよねと思いました。
ルイーザが亡くなったことを認められない最後まで身勝手な人だったんじゃない?と。

家族に対してもおなじで、自分がほしかった家族的な幸福を再建するために豪華な容れ物を用意して、個々の気持ちはおかまいなしに呼び寄せようとする。
彼の夢を邪魔するでもなく自分の人生を生きている母親の立場も考えずに。

コンポジションは観客にお任せ

『現実を生きている人びとや、目の前にいる妻のこともまともに見もせず、対話もできず、妄想の中に生きているコナン・ドイル』を描きたい作品だったのかな?
シャーロック・ホームズたち、妻、父母、妹たち。物語を面白くしそうなピースをあちこちに置くだけ置いて、コンポジションは観客にまかせるパターン?
作者が散々ひとりで楽しんだ玩具を、ハイッどうぞ!こんどは君が好きなように楽しんでね!と渡されたようなそんな感覚になった作品でした。
役者も物語のピースも私には魅力的だっただけに戸惑いが大きいです。
(プログラムの彩風咲奈さんのドイル、どれもこれも好きです)
(次の作品解説にもまたわくわくして、こんどはと信じて見に行ってしまうんだろうなぁ)

「FROZEN HOLIDAY」

「FROZEN HOLIDAY」は雪組らしいピュアで美しいショーでしたが、雪に覆われた館のホリデーシーズンという縛りが強すぎて、各スターのもっと別の魅力も見たかったなぁと思いました。
時空を飛び越えてアジアンテイストな春節などもあったらよかったのになぁと。
夢白あやちゃんのいちごのショートケーキみたいなドレスがとても可愛かったです。
和希そら君の空気を操る感じが素敵でした。卒業さみしいです。

CAST

アーサー・コナン・ドイル(彩風咲奈) シャーロック・ホームズシリーズの作者
ルイーザ・ドイル(夢白あや) アーサー・コナン・ドイルの妻
シャーロック・ホームズ000(朝美 絢)ドイルの書いた小説の主人公
ハーバート・グリーンハウス・スミス(和希そら) 「ストランド・マガジン」の編集長

チャールズ・ドイル(奏乃はると) アーサー・コナン・ドイルの父
ヘンリー・シジヴィック(透真かずき) 心霊現象研究協会の現職の会長
ウィリアム・ブート(諏訪さき) 「ストランド・マガジン」の副編集長
ロティ・ドイル(野々花ひまり) アーサー・コナン・ドイルの妹
ミロ・デ・メイヤー教授(縣 千) 心霊現象研究協会に招かれてやってきたフランスの催眠術師
ビアトリス・エリザベス・B・ハリスン(音彩 唯) 「ストランド・マガジン」の編集部員
アーサー・バルフォア(華世 京) アイルランド問題担当大臣、心霊現象研究協会の会長

 

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2024/01/23

ナートゥをご存知か?

1月16日と17日に宝塚大劇場にて星組公演「RRR×TAKA”R”AZUKA~√Bheem~」「VIOLETOPIA」を見てきました。

暁ラーマ事変

暁千星さん演じるラーマがカッコよすぎて大変です。
歩き方、体重の乗せ方、肩の上げ方下げ方、少し振り向く時、髭眉毛額後頭部横顔脚胸板、私の喜びのツボをすべて圧していかれる感じです。
どの動きも隙の無いソルジャーなのにビームといるときだけはラフなお兄さんなのも素敵です。
険しい表情の時と甘い瞳のギャップも危険です。
弓を弾く暁ラーマに射抜かれとどめを刺されました。
暁千星ラーマ事変です。
(自分で何を言っているのかよくわからない)

「Dosti」の尊さ

「Dosti」の尊さはその後の展開を知ればこそ。
2回目の観劇では泣きました。
諸行無常。
1回見た後だと礼真琴さん演じる“あの超人的なビーム”がラーマ兄貴に懐く姿がよりいっそう愛おしくなりました。
(礼さん相手に兄貴ぶっている暁さんがたまらないと騒ぐもう1人の私がうるさくて大変)

圧巻の「コムラム・ビーム」

礼さんビームが歌う「コムラム・ビーム」は圧巻でした。
表現力に震えました。
鞭打たれるたびに体を震わせ、あの体勢で、どうしてあんなに歌えるのかと。
ラーマの真実を知って覚醒後の長槍を投げる構えは、それだけで類稀な身体能力がわかる完璧な美しさでした。

天晴れの宝塚化

映画を見て、その綿密な脚本力とそれをなんとしても映像化しようとする強烈な意志に驚き、果たしてこれをどう舞台にするのだろうと思っていましたが、宝塚歌劇ならではの舞台美術・技術、そして演者の能力をもって見事に「宝塚化」したなぁと思います。

ビーム役の礼真琴さん、ラーマ役の暁千星さんの身体能力、歌唱力は言わずもがな。
冒頭のWATERRR男女の希沙薫さん水乃ゆりさんのダンスで「これは宝塚のRRRなんだなぁ」と印象付けてからの、深い森に心地よく響くマッリ役の瑠璃花夏さんの歌声で一気に心は「RRR」の世界へ。

スペクタクルな場面を水と火の群舞で表現されているのも、タイミングを計算された電飾もわくわくさせられました。
SINGERRRの美稀千種さんと都優奈さんが本当に良い仕事をされていて「RRR」を見ているのだという気持ちが盛り上がりました。
映画でビームとラーマの属性がそれぞれ水と火であったように、水と火それぞれのダンサーたちが2人の登場に合わせて心情や情景を表現するのも見応えがありました。
WATERRR女の水乃ゆりさんの優美で涼やかな表現と、FIRRRE女の鳳花るりなさんの目力のある力強さが対照的で目を引きました。

「インドの誇り」は薄め

映画で強く感じた「インドの誇り」は宝塚版では薄めに感じました。
映画ほどスコット総督(輝咲玲央さん)は憎々し気ではないし夫人のキャサリン(小桜ほのかさん)も残酷ではないので、英国の統治下で虐げられるインドの人々の印象が薄いからでしょうか。のちにインド独立運動の英雄となる2人の前日譚という印象はほぼないかなと。

「ナートゥ」の場面は映画では、白人の価値観が唯一無二で世界を統べるとばかりに得意げに西洋のダンスを踊って見せ、それを知らないインド人を貶める英国人に対して、自分たちの踊りで彼らの度肝を抜いて周囲を席巻し相手側の英国人女性たちの称賛の的になるという、英国に対するインドの誇りと高揚(とてもホモソーシャル的な勝利)が描かれているなと思いましたが、そこもふんわりになっていたように思います。
ビームを侮辱するジェイク(極美慎さん)の描かれ方が英国紳士の可笑しみを纏う憎めないやつ(というかむしろ愛すべきやつ)になっていることもあり、宝塚版では英国人全般の印象がそれほど悪くないのだと思います。ジェニー(舞空瞳さん)はもちろんだし。

そして上記のようにスコット提督夫妻がそこまで悪辣に見えないので、インドを支配する大英帝国の象徴であるスコット提督とその軍隊を相手に戦う2人というよりは、マッリという少女を救出するため個人的に共闘する2人という意味合いに変貌していました。
(ビームを主役においてラーマの過去がばっさり割愛されているのでそうなるよねと思います)
宝塚版でいちばん憎々し気なエドワード(碧海さりおさん)でさえもやっぱり憎めず「ほうほう言いよるな」とすら思ってしまうのは私がヅカファンゆえですかね。(さりおちゃん良いなぁ~としみじみ思ってました)
やはり全体を通して映画ほど残酷な場面がないからですよね。きっと。

「RRR」に嵌った俄か者の戯言

映画で個人的にツボだった場面がほぼすべて割愛されていたのはしょうがないかなぁ。しょうがないよねぇと思います。
水と森と大地とともに生きるゴーンド族のビームがそのへんの薬草でなんでも治してしまうのとか、ジェニーが話す英語がわからないところとか、虎さえ倒すビームがやたらと可愛いところのすべてとか。

映画では偽名を使って潜伏するビームを親身になって居候させ、ともに逃亡もしてくれる(ビームを当局に売るほうが簡単だし利益になるにもかかわらず)親切なムスリムの親方とその一家が描かれていましたが、宝塚版ではその親方(大輝真琴さん)とその一家がムスリムの装束ではなかったのが気になりました。
毒蛇の解毒もゴーンド族のビームよりも心得ていそうだし、やはりあの親方一家はムスリムではない設定なのかな。
ビームを匿うのがムスリムの人たちであることに意味があると思うのでその設定はなくしてほしくはないのですが。

それとシータがビームたちを助ける場面やラーマ王子とシータ姫の祠の前に腰かけるシータの場面がとても好きだったのですが(ようはシータが大好きだったんです)、ラーマを主役にしていないので割愛されてもしょうがないのかな。しょうがないとは思いつつもっとシータ(詩ちづるさん)に登場してほしかったのでした。
3時間の映画を1時間半の舞台にするのだから諦観大事。。

「映画を見ておいた方が宝塚版をより楽しめますよ」とアドバイスを受けて、そのためにだけに見たつもりなのにあまりにも緻密にできた脚本に目を瞠り、描かれる内容の社会性や細部に宿る気配りに感銘を受けたばかりの俄か者の戯言ですね。
宝塚歌劇で上演するにあたって日本ではなじみのないディテールを入れて観客を混乱させては意味がないですから。
映画でツボったところは映画で楽しもうと思います。
(Amazonプライムでレンタルして見たのですが、宝塚観劇後思わず購入してしまいました)

「ダウントンアビー」に登場するシュリンピーことフリントシャー侯爵(ローズの父)が高官としてインドに赴任するとかなんとか言っていたのがちょうどこの「RRR」の頃だなぁとか。スコット提督がナイトに叙勲されたパーティを開くってことは、彼は貴族の出身ではないのだなぁ。その彼が提督に登りつめたということはそうとうなやり手で本国に対してのアピールも凄かったんだろうなぁ。なんて思います。

「RRR」最高!!

舞台や映画を見ていろいろ考察するのもまた楽しいものです。
そんな機会を与えてくれたこと、なによりこの作品に出会わせてくれたことに感謝です。
そして映画の世界観を崩さず宝塚化し、楽しませてくれた星組と宝塚歌劇のスタッフに心からの敬意を。

「VIOLETOPIA」

併演のショー「VIOLETOPIA」は指田珠子先生の大劇場デビュー作でした。
指田ワールドが心地よかったです。
個人的にいちばん盛り上がったのは「ハイウェイ・スター」から「リストマニア」の場面です。
このナンバーを歌いこなし踊りこなすタカラジェンヌに時代は変わったなぁとしみじみしました。
礼真琴さんのヘビのダンスもとても印象的でした。
パレードで大羽根を背負って降りてきた暁千星さんを見ておもわず涙ぐむ幸せ(・・ただの1観客でしかないのに・・)これが宝塚だなぁ。

両演目とも浮世を忘れてとても楽しかったです。
宝塚歌劇に幸あれ。

CAST

コムラム・ビーム(礼 真琴)
ジェニー(舞空 瞳)
A・ラーマ・ラージュ(暁 千星)
ジェイク(極美 慎)

バッジュ/SINGERRR男(美稀千種)
ネハ(白妙なつ)
オム(大輝真琴)
スコット提督(輝咲玲央)
ペッダイヤ(天華えま)
キャサリン(小桜ほのか)
エドワード(碧海さりお)
ジャング(天飛華音)
シータ(詩ちづる)

ヴェンカテシュワルル(ひろ香祐)
ロキ(紫 りら)
ヴェンカタ(朝水りょう)
ステファニー(澪乃桜季)
FIRRRE男(夕渚りょう)
ジェームズ(天希ほまれ)
カマル(世晴あさ)
ユクタ(七星美妃)
ポピー(二條 華)
WATERRR男(希沙 薫)
ヘンリー(煌えりせ)
アヴァダニ(颯香 凜)
オリヴァー(夕陽真輝)
リリー(彩園ひな)
ルードラ(奏碧タケル)
SINGERRR女(都 優奈)
ロバート(鳳真斗愛)
WATERRR女(水乃ゆり)
マッリ(瑠璃花夏)
チャーリー(紘希柚葉)
アルジュン(碧音斗和)
カーター(御剣 海)
FIRRRE女(鳳花るりな)
ラッチュ(稀惺かずと)
ライアン(大希 颯)

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2023/11/29

ナバーラ*式の構えだな

(*12月9日に鑑賞したライブ配信で演者の方々が「ナバーラ」とスペイン語風に発音されているのを確認したので、フランス語風の「ナバール」を改めました。引っ掛かってはいたのですがメリメが書いたフランス語の小説が原作だからかなぁと思っていました)

11月20日に梅田芸術劇場メインホールにて宝塚歌劇花組全国ツアー公演「激情」と「GRAND MIRAGE」を見てきました。

「激情」は2016年に月組全国ツアー公演を地元で観劇した時の印象が強く残っています。
当時はトップスター就任前の月組2番手男役だった珠城りょうさんが主役のホセを務め、トップ娘役の愛希れいかさんがカルメンを演じていました。

今回の花組も2番手男役の永久輝せあさんが主役のホセ役。
現花組トップスター柚香光さんが次回大劇場公演の演目をもって退団を発表されているので、次期花組トップスターは未発表だけど永久輝さんで決定でこの全国ツアーが顔見世的公演ということなのかなあ。
実力、経験ともに永久輝さんはいつトップに就任されても大丈夫だしあとは発表のタイミングの問題かなと思っています。

今回のカルメン役は星空美咲さん。別箱公演や新人公演でのヒロイン役を幾度も務めていてこちらも実力、実績ともに問題なし。
ただ今回にかぎっては、カルメンがカルメンでなくては作品が成立しないけど大丈夫かなぁという心配はありました。

2016年月組版ではカルメンを演じた愛希れいかさんのしなやかで精気溢れるダンス。心を振り絞るような声。どうにもならない葛藤に激しく心が泣いているように聞こえた「カルメンはどこまでも自由なカルメンでいたいんだ!」に心を揺さぶられた記憶がいまも脳裏に刻まれています。
けれどその近代的な葛藤がどうにも私が思い描いていたカルメン像としっくりこなくて・・すごく心を揺さぶられとても共感を覚えたのだけど複雑な思いになった記憶があります。
のちに愛希さんのエリザベートを見てこれだ!と膝を幾度も打ち鳴らしたい衝動に駆られました。いま生きている場所に対する居心地の悪さ、抗ってもどうにもならない無力さに地団駄を踏んで泣いているような愛希さんが演じる女性像に私は心を掴まれるのだとわかりました。
ただそれは私の中ではカルメンではなくエリザベートだったんだなと。

そんなふうにカルメン像にこだわりが強いため、星空さんはどんなカルメンを見せてくれるのかなぁとドキドキしながら観劇しました。

星空さんのカルメンは、最初はとても幼いカルメンだなぁという印象でした。身のくねらせ方やフラメンコは頭の中の愛希カルメンと比べてしまってぎこちない気がしていたのですが、見ているうちにどんどんカルメンとしての生き様に引き込まれていきました。

束縛されるのは嫌。所有物にされて囲い込まれたくない。ホセが勝手に思い描く「彼が心地よい人生」の一部にされたくない。
先の約束なんてできない。いまこの刹那に心が動くものを追いかけたい。
幼さもありながら迷いなくがんがん突き進む、この強さはどこから来るのだろう・・。
星空カルメンの「カルメンはどこまでも自由なカルメンでいたいんだ」にガツンとやられました。

彼女の気持ちを無視して自分のために彼女を縛り付けようとするホセに嫌気がさしているのもエスカミリオに惹かれるのもよくわかりましたし、自分を貫き通して死んでいく自分に納得しているのもよくわかりました。

ホセはポテンシャルは十分にあるのに、それを他人が作った規律の中でしか活かせない、どの集団に属しても有能なのに「自分の外の何か」にしがみついていないと生きていけない「自分が自分の王」にはなれない人なんだなぁと思いました。
カルメンが「あたいはオオカミ、あんたは犬」と言うのが胸にストンと堕ちました。

自由なカルメンに魅せられながらも、彼女を既成の檻の中に閉じ込めないと不安でしようがなくて彼女の芯から目を逸らすホセ。
彼女の本質を潰しても自分の囲いの中に置いて自分が安心したい。結局カルメンにミカエラのように生きることを望んでいる。
根本的な価値観が「ナバーラ式」なんだろうなぁ。それならミカエラと結婚すればいいのにと思いながら見ていました。
けっきょく「男らしい」という借り物の規範に自分が縛られて「男らしく女を従わせるという幻想」に囚われて自滅したんじゃないかなぁと。

19世紀のパリに生まれ洗練された時代の先端を生きるメリメには、自分にはできない純粋で泥臭い人生を生きたホセへの憧れと共感があるのだろうなぁとも思いました。
現代を生きている私がカルメンに強く惹かれるものがあるように。

そのホセがカルメンを刺殺してから処刑されるまで。
舞台だとほんの刹那ですが、その時の永久輝ホセの瞳がとても印象的でした。
それまでとはまったく違う顔をしていて、ああホセはたどり着いたんだなぁと思いました。
メリメもこのホセの瞳に触発されて小説を書いたんじゃないかと思うほど。
そうかホセがこの境地にたどり着くまでの物語だったのだなぁと勝手に納得してしまいました。
永久輝さん凄いなと。

永久輝さんのホセも星空さんのカルメンも、2人を取り巻く人々もとても解像度が高くてクリアでした。
いままで漠然としていた「カルメン」という物語に一瞬眩しい光が当たって明るく見えたような感覚を覚えました。
書物の中では感じ得なかった19世紀の感触が一瞬掴めたような・・それが現代と交錯した瞬間を私は見たんじゃないかなぁと思いました。

ロマのカルメン、誇り高く勤勉で真面目といわれるバスク人のホセ、そこにブルジョワ青年でフランス人作家のメリメの視点が加わる。
交わるはずのない3人がスペインのセビリアで出遭う。
人物配置が決まった瞬間からもうドラマが起きないわけがないやんという神設定の物語だったのかとあらためて気づきました。

2016年の月組版では、ホセ役の珠城さんとカルメン役の愛希さんが激しく心をぶつけ合っているそばで、ふわふわしたモラトリアム青年のメリメがお花畑の人みたいで正直イラっとしたのを覚えています。
メリメが説明しているようなことは言われなくても珠城さん愛希さんの芝居でわかっているのにいまさら?みたいに。

ところが今回はそう感じませんでした。
脚本は変わっていないはずなのに。演じているのも月組版の時とおなじ凪七瑠海さんなのに。

今回のメリメは小説家だなぁという印象でした。
このホセとカルメンについて受容しリスペクトしながらも異なる文化を生きている人だったように感じました。
ホセ、カルメン、メリメのバランスの違いで見える景色が変わったのかなぁ。

月組版の時は私の気持ちが「ホセ」と「カルメン」に引っ張られて行っていたのかもしれません。それはそれでとても見応えがあってよかったと思います。
今回はメリメの存在を視野に入れることで引きの目線で「ホセとカルメン」を感じることができたのかなと思います。

同じ作品でもこんなに異なった印象や感想になるなんて、やっぱりお芝居は面白いなぁと思います。

「GRAND MIRAGE」は今年大劇場で上演したばかりの岡田敬二先生のロマンチック・レビューの新作の再演。
大劇場公演での観劇では、新作だけど新場面だけど既視感があるのが面白いなーと思った作品でした。

全国ツアー版では少人数になって主演コンビが変わって、どうなるのかなぁと軽めの気持ちで見ていたら、プロローグからうるうるしてしまって結局最後まで涙目のままの観劇になりました。

舞台の上のタカラジェンヌの皆さんが煌めいていて華やかで気品があって・・。それを間近に見るだけでこんなにも心震えるんだと思いました。
「岡田先生のいつものレビュー」なんて軽い気持ちで見てゴメンナサイでした。
「岡田先生のいつものレビュー」・・なんて貴い・・と感動しました。

全身紫陽花色のくすみパステルの夢夢しいスワローテイルにロングドレス。
こんなコスチュームが似合う人たちがこれだけ舞台に揃うってあり得る?
どれだけの努力をしたらこのコスチュームが似合うフェアリーになれるの?
と。

美しさに感動できる体験なんて日常のなかでそうそうあるものではないのに。それをこんなに間近に感じられる幸せに涙しました。

カーテンコールの挨拶で永久輝さんが「皆さまが愛する宝塚、私たちが愛する宝塚を全国に届けてまいります」とおっしゃったことも胸に沁みました。
この幸せな体験がたくさんの方に届きますように。
そして花組の皆さんが健やかに全国を巡られますように。
心から祈っています。

「激情」CAST

ドン・ホセ(永久輝せあ) 
カルメン(星空美咲)
プロスペル・メリメ/ガルシア(凪七瑠海)

フラスキータ(美風舞良)
スニーガ(紫門ゆりや)
エスカミリオ(綺城ひか理)
ダンカイレ(帆純まひろ)
レメンダート(一之瀬航季)
ミカエラ(咲乃深音)
モラレス(侑輝大弥)

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2023/11/20

完璧じゃない生きてくことは(Eres mi amor ―大切な人―)

11月14日付で宝塚歌劇団が発表した調査報告書を読みました。

さまざまなことが千々に思い巡らされ、文字にしようとしてもとてもまとめることができませんが、なにか一つを考えるごとに、これだけの放置状態であのとてつもない舞台をとてつもない数こなしていたんだなぁという驚きが心の中から溢れてきます。

「すみれコード」や「フェアリー」という呼称に代表されるような夢の世界にそぐわないからと「存在しないもの」「無いもの」とされていたもの。
それは彼女たちを守るためのものではなく彼女たちの人間としての尊厳そのものを犠牲にさせることだったとあらためて悟りダメージを受けています。
機関誌や専門チャンネル、お茶会などでの彼女たちの発言から断片的に感じるものはあったのにその本質を見ないようにしていた自分が情けないです。

阪急電鉄本体、そして歌劇団の運営側にとっても、彼女たちが命を燃やして頑張っていることは「勝手にやっていること」という認識だったのだなぁと報告書の文面を追いながら考えました。組織全体として俯瞰的な現状把握もなく意識改革もされず、無理が生じるたびに部分最適を繰り返してきた結果が一般社会の常識とはかけはなれた文化の形成につながり、そのことが彼女たちにますます負荷をかけ今回の出来事につながってしまったのだろうと推測して遣る瀬無い思いに心塞がれています。

世間一般から隔絶され放置された状況であれだけの数のあれだけのクオリティの公演(一つ間違うと危険を伴うパフォーマンス)をこなしていくために形成されたガラパゴス的文化はとうてい1人だけで担えるものではなく現場にいる人びとの途切れぬ協力があってこそのはず。
そこに過ちがあったことは間違いはないと考えますが、支え合うことでなんとか成り立っていたものがなにかをきっかけに崩壊してしまった。
それがなんだったのか。それを審らかにできなくては、この先の安全な公演も無理な気がしてなりません。
もちろんなによりも全構成員の意識改革が最優先だと思います。

罪の意識がなかろうと構成員の誰もが加害者であり被害者であり得たこと。
同時に彼女たちに身勝手な夢を託していたファンもまた加害の一端を担っていたことを認める必要があると思っています。

認めるにはつらいことがたくさんありますが、彼女たちが人として尊重されますよういまは心から願っています。

Eres mi amor ―大切な人―/星組公演「シークレットハンター」

 

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2023/11/12

みんながhappy!

10月31日と11月2日に博多座にて宝塚歌劇星組博多座公演 「ME AND MY GIRL」を見てきました。
この公演は主役のビルと遺言執行人のジョン卿を、専科の水美舞斗さんと星組2番手の暁千星さんが役替わりで演じていました。
10月31日の観劇はソワレで水美舞斗さんビルの千秋楽、11月2日は大千穐楽で暁千星さんがビルを演じていました。

お二方とも初日に比べると余裕綽々。アドリブも満載でした。
11月2日の千秋楽では次回大劇場公演「RRR」のPRがチョイチョイ入っていて期待を膨らませました。
どちらのビルもパーティのレッスンの場面などで小桜ほのかさん演じるディーン公爵夫人マリアに対していく通りものアドリブを仕掛けて思わず公爵夫人も笑いそうになっていました。

暁さんビルは公爵夫人が目を離した隙に机の下にするりと隠れてしまいました。落ち着きのないビルならやりそうです。
急に消えてしまったビルに小桜さんは内心とても焦ったようですが、公爵夫人としてビルを探し心配し叱責していた小桜さんはさすがでした。
小桜さんの公爵夫人は怒っていてもどこか可愛らしいところがあるのですが、急に隠れてしまったビルにプンプンしながらもちゃんと舞台にいたことに内心ほっとしている様子もうかがえてさらにチャーミングさが増していました。
ジョン卿が30年以上愛し続けた理由がよくわかりました。
私も公爵夫人がさらに好きになりました。

この博多座公演でビルの役替わりという世にも稀なものを見ることができましたが、演じる人によってこんなにも印象が変わるのだなぁとあらためて思いました。
多動で落ち着かなくて礼儀知らず、でもその人間的な魅力で人々を巻き込んでしまう水美ビル。
危なっかしくて悪戯っ子、内省的で人々との関わりによって気づきを得て変わっていく暁ビル。
そんな印象をうけました。

「私が考える理想のビル」にしっくり合ったのは水美さんですが、暁さんビルと舞空瞳さんサリーの対はこれはまた「私の理想の一対」で、けっきょくどちらも好き❤というのが結論です。

舞空瞳さんはこの個性の異なる2人のビルとそれぞれに心を通わせて、はつらつと陽気に愉快に登場し、健気でせつない心情を歌にのせ、最後はメイフェアレディに大変身というヒロインのサリーを魅力いっぱいに演じていてとても素敵でした。
泣きそうなのに「笑ってるのさ」と言うときのお芝居などなど、本当に表情ゆたかで見ていて胸がきゅんとしました。

ジェラルド役の天華えまさん、ジャッキー役の極美慎さん、パーチェスター役のひろ香祐さん、ジャスパー卿役の蒼舞咲歩さん・・と役のひとりひとりが予想以上にクオリティの高いパフォーマンスで最高にたのしかったです。

それから輝咲玲央さんが演じたヘザーセットがもうこれぞ英国貴族の邸の執事!という感じがして内心たいへん興奮しました。
口には出さないけれど目がものを言っているところとか。目に映る人物ひとりひとりについて、尊敬、愛情、侮蔑・・等々思うところがあるようだけど、それを匿しつつ慇懃な物腰で余計なことは一切言わないかんじがとてもプロフェッショナルで好き❤と思いました。

そういえば、ふつう支配階級の人は邸の執事のことは敬称なしで姓を呼ぶと思うんですが、ジャッキーは彼を「チャールズ」とファーストネームで呼んでいたのが、なにか意味があるのかなと気になりました。邸の人間ではないから? 世代的なもの? なぞです。
それからアドリブだったのか、誰かが「チャーリー」と呼んでいたようにも思います。
(ミーマイは次々に物語が展開していくので思考を止める暇がなくて記憶が曖昧になります・・汗)

あんまりヘザーセットが好きすぎて彼の周辺、彼の反応だけを見ていたい気持ちも湧きましたが、そんなことは無理!(登場人物ひとりひとりが面白くて目が足りない!)
でも叶うなら「ヘザーセットの一日」とか「ヘザーセットの一週間」とか彼の目線でお邸の人々を見てみたいです。
(スカイステージでやりませんか?)

ところでプログラムによると舞台はメイフェアのヘアフォード家の邸宅ということらしいのだけど、冒頭で招待客がトランクを積んだ車に乗り込んでヘアフォード邸での休日の滞在を楽しみにしていると歌っていたり、彼らが領地内でクリケットやテニスやガーデンパーティをしていたり、ビルが狩りや乗馬をしていること、階下にたくさんの使用人がいること、領地内にパブがあることなど(パブの客がビルのことをご領主様と呼んでいる)を見ると、舞台となるお屋敷「ヘアフォード・ホール」はロンドンの邸宅(タウンハウス)ではなくてロンドンから車で小一時間くらいの郊外のカントリーハウスだと思うんです。
たとえば「ダウントン・アビー」に使用されたハイクレア城みたいな。

上級階級といっても皆が皆、カントリーハウスを所有しているわけではないと思いますし、時代的(1930年代)にもカントリーハウスは手放してロンドンに常住している貴族も多いと思うんですが、ヘアフォード伯爵家は領地とそこに歴史ある屋敷を所有している由緒正しい貴族ということだと思います。

その継嗣が他人のポケットからモノを掏るのが特技というランベス育ちでコクニー訛りの行商人ときては、反発が強いのが本当だと思うんです。
ジョン卿が難色を示すのは当然だし、ジェラルドが繰り返しビルの訛りについて言及し我慢がならないと口にするのもまあそうだろうなぁと思うのです。

ですが、ビルの信じられない無作法さを見ても兄の息子なら伯爵に相応しい紳士になる(血筋が必ずものを言う)と公言する公爵夫人も凄いし、お金持ちの伯爵であれば無作法さは不問にできるジャッキーも凄いと思いました。
2人ともとてつもなく器の大きい寛容な心の持ち主なんじゃ・・? それこそ血筋?

ジャッキーのような英国の上流階級の娘にとって爵位と財産がある貴族の長男と結婚できるかどうかは人生の最重要課題。
なりふりかまわず「自分のことだけ考えて」行動するのは至極当然で、現代の受験や就活以上に一生を左右するシビアな問題なのですよね。
自分の力を100%発揮して幸福を掴もうと努力する心意気は立派だと思いました。
こんな彼女ならおそらくこの先の世界の変化にもついていけそうな気がします。仕事に就いても成功しそうです。

ビルだって「伯爵家を継ぎ愛するサリーと結婚してハッピーエンド」のその先は・・その領地やお屋敷を維持していくのはかなりの困難になりそうな時代です。
数年後には第二次世界大戦が勃発しますし英国もこの先いろいろな問題が待ち受けているわけで。
などど、ついつい暗いことも考えてしまいますが、ビルならなんでもやれそうだし、職業を持つことにも抵抗がないだろうし。セールスなんてお手の物じゃないかなと思います。
この時代にビルを第14代伯爵として迎えたことはヘアフォード家にとってなにより幸運といえるかもしれないなぁなんて想像しました。

サリーもジャッキーもたくましくて頼りになりそうです。
2人でメイフェアにブティックを共同経営したりしてたらいいなぁ。
あ、たぶんジェラルドは働いていないと思います・・笑。
でも彼は彼でなんとなくそこにいるだけでいいような・・誰かの対話の相手であったり時代を共有する仲間であったり、その存在が関わる人の安らぎになりそうだなと思います。なにより突っ走るジャッキーを引き留めたりは彼にしかできない役割じゃないかなと。

そんなふうに時が経ってもみんながハッピーでいたらいいなぁと想像しています。

2023年の10月に博多座でこの星組公演「ME AND MY GIRL」を見れたことはずっとずっと私の大切な思い出になると思います。

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2023/11/06

夢を見たの

10月25日と26日に宝塚バウホールにて星組公演「My Last Joke -虚構に生きる-」を見てきました。

天飛華音さんの初主演公演で主人公はエドガー・アラン・ポー、詩ちづるさんが彼の妻となるヒロインのヴァージニアを演じていました。
作演出は竹田悠一郎先生。場面ごとの登場人物たちの有様と言葉を追いながら読み解いていくような宝塚バウホールだからこそできる作品で、脚本は役者を得てはじめて命を宿すのだということがわかる公演でした。
手島恭子先生作曲の憂いを帯びた美しい音楽が舞台を包み込み物語世界に刹那の煌めきをつくり出していました。

肉親の縁に薄く愛着に問題を抱え誰とも信頼関係を築けぬまま、亡くなった母を理想化している青年の物語。
天飛さん演じるエドガー・アラン・ポーの印象は幼児性が抜けきれない癇癪持ち。
人としてしてはならないルールををすでに36破っています。とミーマイのディーン公爵夫人マリアの声が聞こえてきました。

相手に罪悪感を抱かせて行動や考えを支配してはいけません。
「離して」と言われたら離さなくてはいけません。
反論できないからといって癇癪を起こして怒鳴ってはいけません。
自死を示唆して恐喝してはいけません。
病に冒され心細がる妻を独りで放っておいてはいけません・・

独善的でどうしようもない人間でした。エドガー・アラン・ポーという人は。

エドガーに取り憑かれ命をすり減らしていくヴァージニアが不憫でなりませんでした。
最初は興味本位で近づいた年上の男性に手懐けられ、その寂しさに引き寄せられ、激しく責め立てられて彼の世界に取り込まれてしまう彼女が。
おそらく女手一つで娘を育てているヴァージニアの母マリアの心中を思うと心が痛みました。
彼女の真っ当な意見にも癇癪を起こし冷静な話もできない男に、まだまだ手許で愛しんでいたい年頃の娘を・・。委ねたくて委ねるのではないでしょう。

初見ではヒロインの母の心情に共鳴してしまい、エドガー・アラン・ポー、とんでもないやつだと思いました。
とはいえ娘の結婚相手を見つけるために観劇しているわけではないのだから、気持ちを新たに見てみようと翌日の観劇に臨みました。

2回目に見たエドガーも、やっぱりどうしようもない人でした。
恐ろしいほど幼くて純真で邪悪。

他人を陥れる企てに躊躇もなく、期待以上の才を発揮して相手を打ちのめしていました。
これには顔も人も好いロングフェローはひとたまりもない。豆鉄砲を食らった鳩みたいに立ち尽くすだけ。

初めて自分の領域に入り込んで来た人類であるヴァージニアを手放すことができず彼女が自分から離れることを恐れるあまりに無理な結婚をする、まるで孤独な冥王のようでした。

彼女を自分の世界に縛り付けておきながら自分の心の暗黒の淵から目を離すことができず現実の彼女を見ることができない。
ヴァージニアを伴侶に得たことでさらに彼の不安は大きくなってしまったみたいです。
喪失が耐えられなくて病に冒されたヴァージニアを抱きしめにも行けない。
ヴァージニアが彼に捧げる真の言葉も彼の耳には届かない。
かわいそうなヴァージニア。

物心ついてからずっとエドガーにとってのリアリティは憎しみや誹りや妬みに満ちた世界に立ち尽くす孤独で、愛とは儚く指の間からすり抜けるもの。
独りで見る夢の中にだけ在るものだったのかもしれません。
幼い頃に築けなかった愛着の関係が彼の人生に影を落としているように思いました。

幼い子どもが向き合うにはあまりに過酷な環境にいたから夢の世界、自分の内的世界に没入したのかもしれません。
夢想の中の母はやさしく儚く彼に微笑み彼に夢を見させる。
思い出を煌めくような言葉で書きつけておくことで自分の世界を作り出し、内的世界を広げて育っていった人なのではないかと思いました。

海原に浮かぶ砂上の机に向かい、ひとりペンを走らせている青年、そんな心の風景が浮かびました。
喪失の怯えに苛まれ続けた彼は、愛する人がこの世のものではなくなってやっと安心して愛せたのかもしれません。

誰しもが抱える心の奥に潜む影に怯えながらも目をそらさず見つめ続けた人だったのかなぁと舞台を見て考えました。
決して誉められはしない人生かもしれないけれど、だからと言って断罪して終わりにはできない。
そんなエドガー・アラン・ポーの魂の断片は、いまも世界のどこかで誰かの心に沁みているのだろうなと思います。

CAST

エドガー・アラン・ポー(天飛華音) 親切な脚本とはいえない分、天飛さんが繊細な芝居で時々の心情を表現しているのが凄いなぁと思いました。エドガーから感じられた幼さと純心は天飛さんに由来するものかもしれないなとも思います。いきなり感情を爆発させるところはびっくりでした。
ヴァージニア・クレム(詩ちづる) 生命力溢れる少女がおとなしい女性になってしまうのがせつなかったです。詩さんの透明感と安心感、すべてを包み込むような歌声が印象に残っています。
ルーファス・W・グリスウォルド(碧海さりお) 自分の感性に絶対的な自信があり創作物に対する見切りも異常に早い編集者。その裏には創作の苦しみを味わった経験と創作を続ける人への妬心もあるのかな。しかしそれゆえに素晴らしい創作物に出遭った時の衝撃も大きくそれを認めざるを得ない葛藤がある複雑な人物を碧海さんは絶妙に演じていました。個人的には「ベアタ・ベアトリクス」でダメダメな主人公を最後まで見捨てない好い人を演じていた碧海さんが真反対の役を演じられていた衝撃が大きかったです。
大鴉(鳳真斗愛) エドガーの心象が具現化したような役。登場が禍事の予兆であったり葛藤するエドガーの影のように踊ったり佇んだりという存在でした。セリフもない役でしたがその存在に自然と目が行き、とくに長い手足で禍々しくも美しく踊る姿には引き込まれて見てしまいました。
フランシス・S・オズグッド(瑠璃花夏) 自らも詩人でありエドガーが書く詩を心から愛しているという役どころ。現実のエドガーと恋愛したりともに暮らしたりすることがどれほど危ういことかを知っているくらい大人なのだと思いました。だからこそヴァージニアが心配なのだろうと思いますし、でもヴァージニアがエドガーの創作の源であることもわかっていて、エドガーの創作を愛しているゆえにエドガーから彼女を引き離すことができないのではないか、だから彼女がヴァージニアに寄り添うのは贖罪の意味もあるのかなと思いました。瑠璃さんの鈴の音のような声がとても心地よかったです。
ナサニエル・P・ウィリス(稀惺かずと) エドガーの同業者で理解者。エドガーとロングフェローとの文学的論争をけしかけたりする曲者でもあり、1840年代の米国文学界を簡単に説明する狂言回し役も担っていましたが、稀惺さんの流暢な説明セリフがとても聞き取りやすくてその口跡のよさ、話を聞かせる技量に驚きました。これからもさらに注目したいと思いました。
ヘンリー・W・ロングフェロー(大希颯) エドガーの同業者で顔も良い育ちも良い人物。グリスウォルドに気に入られて一躍有名人になったけれどもエドガーに一方的に批判されて豆鉄砲を食らった鳩のような顔がまた人の好さと育ちの良さを表していました。エドガーが「大鴉」で成功を収めたときも潔く負けを認め受容するところもまったく嫌味がない好人物に見える大希さんのお芝居がよかったです。

そのほかの演者の皆さんについても、それぞれが自分の役と向き合い作品世界での居方を考えて演じているのがつたわる舞台でした。
この経験はきっと実を結び次の作品につながるはずだと期待しています。
こういう作品を上演できることがバウホールという劇場が存在する意義なのだと思う公演でした。

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2023/10/23

離さないよこの手を‥

10月9日と13日に博多座にて宝塚歌劇星組公演「ME AND MY GIRL」を見てきました。
この公演は、主人公の下町育ちの青年ビルと遺言の執行人である貴族の紳士ジョン卿を、専科の水美舞斗さんと星組2番手の暁千星さんが役替わりで演じるのですが、それぞれの初日を見ることができました。

それぞれの初日

10月9日の正真正銘の初日。
きっと出演者全員が緊張していたことと思います。(開演に先立って理事長の挨拶もありましたし)
けれどそんなことを微塵も感じさせない素晴らしい舞台で、ミーマイってこんなに泣ける作品だったっけ?と驚きでした。

カーテンコールの水美さんの挨拶で、開演前にサリー役の舞空瞳さんと顔を見合わせて泣きそうになっていた話をされて、えっそうだったのかと思いました。
ハットトリックも懐中時計の出し方もとってもスムーズでステップも軽やか、これが初日かと思うくらいだったのに。
でも言われてみると、水美さんは緊張するとテンション高めに陽気になる人なのかも。
それが、じっとしているのが苦手で片時もなにかしていないといられなくて人をからかったり悪戯をしたりと表面上はふざけている(ふざけるしかない)けれど、本当はとても考えていて心優しいビルという人物造形と重なって、物語の本質をわかりやすくしていたのかもと思います。

逆に暁さんは緊張するとおとなしくなるタイプなのかなと思いました。
10月13日の役替わり初日では、さいしょのうちは少々ぎこちなさも感じましたし段取りが大変そうだなとも感じました。でもまっすぐにサリーを愛するビルでした。
敵わない相手にも真正直に打ちのめされて傷ついても一途にサリーを愛する健気なビルが涙を誘いました。
対立する公爵夫人やジョン卿に対しても無意識に甘えているところがあって、それがチャーミングだなぁと思いました。彼らが次第にビルを愛していくのがよくわかりました。
そんな彼に別れを覚悟した公爵夫人が呼び掛けた「ビル」がとても心に沁みました。

わかりやすい演出

以前のヴァージョンと比べて物語がとてもクリアになっているように感じました。(以前のヴァージョンって一体どれやねんですけど)

記憶ですと執事のヘザーセットあたりの英国らしい慇懃なセリフがあったと思いますしビルももっと無礼なことや皮肉を言っていた気がしますが、今回の公演ではそのあたりが控えめになって物語の核心を追いやすく、セリフやナンバーの一つ一つが心に沁みました。
ミュージカルコメディなので笑いも大事なのですが、今回はテーマを人が人に持つ愛にフォーカスしていたのがとても効いていたと思います。

英国の貴族社会の奇妙さや労働階級との対比が滑稽に描かれていることがこの作品の面白さでもありますが、本国では常識でも日本ではあまり知られていない事柄をネタにしたものやサリーたちが話しているコックニーについてなど、日本語で演じるにあたって何を削って何を残すか、どう表現するかは大事かなと思います。

また初演の頃は問題視されなかった差別的なジョークなどはカットが正解だと思いますし、宝塚歌劇は観客がオトナなリアクションを取りづらい演劇でもあることも踏まえての取捨選択も必要かと思います。
再演を重ねるごとにそういった部分が洗練されていくのか、今回は細かなところで引っ掛からずに観劇できました。
(ジャッキーのラスト近くのアレはギリギリかなぁ・・)

そのほかに「ONCE YOU LOSE YOUR HEART」をはじめ、以前から訳詞がおかしいとの指摘がある作品ですのでそこはどうするのかなと思っていましたが、そのままの歌詞で歌われていました。
今回は焦点を人と人との愛情に絞って、それ以外のところに引っ掛かりをつくらない芝居が功を奏したといいますか、各登場人物の心情に心を動かされる作品になっていたので歌詞に違和感を持たずにすみました。
原作に忠実というより歌詞に合わせた宝塚版らしい心のやりとりの作品になっているなと思いました。

ザ・ミュージカル

メインの3人(水美さん、暁さん、舞空さん)が現在の宝塚でも屈指のダンサーであることはもちろん知っていましたが、やはりダンスシーンは期待以上に素晴らしかったです。
また、この3人だけでなくアンサンブルもダンサー揃いなのにびっくりしました。
「街灯によりかかって」でビルの両サイドの男役さんたちのダンス。そのあとの娘役さんたちも加わったダンスシーンはとても素敵で、わぁミュージカルだー!と心躍りました。
主題歌のタップダンス、「ランベス・ウォーク」、「太陽が帽子をかぶってる」、公爵夫人とご先祖様たちの「ヘアフォードの歌」、ビルとジョン卿の「愛が世界を回らせる」どのダンスナンバーも愉しかったです。
ダンスだけではなくて歌も素晴らしくて、お屋敷の階下で使用人たちが歌う「英国紳士(English Gentleman)」のコーラスは気持ちがよかったです。
「ヘアフォードの歌」の公爵夫人マリア役の小桜ほのかさんにも聞きほれました。
総じて歌・ダンスのレベルが高いことも観劇後の満足感の高さにつながっていたと思います。

舞空瞳さんのサリー

舞空瞳さんが演じるサリーは、まず登場でたいへん元気でガサツな下町っ子という風情を前面に出していて、その後の物語の流れにメリハリをつけていてとてもよかったです。
ビルとの阿吽のやりとりに深い愛を感じました。
最初の印象とかちがい、じつは学校でもよく学んでいて、でも自分の境遇もよくわかっていてそれに相応しいふるまいをしている、とても聡明な女性なんだな思いました。
生まれ育った町を受け容れ、その町でビルと一緒に愛を育んで生きていこうと最善を尽くしているところだったのだろうに、いきなりその柱であった愛するビルがかけ離れた世界の人間になってしまった。
愛するビルに最良の人生を送ってもらいたい、そこには自分の居場所はないのだと自覚していく流れがとてもせつなかったです。

キャスト

ビル・スナイブン(水美舞斗/暁千星) 水美舞斗さんのビルは次から次へと思いつくものを口にするような落ち着きのなさがいかにもコメディアンらしいビルだなぁと思いました。するりと懐中時計を差し出すタイミングも絶妙。いつもひとをおちょくって馬耳東風みたいな彼が実は心の奥では傷つき真摯な思いを秘めていることがわかるところのギャップがよかったです。サンドイッチのハムの比喩の身の置きどころないせつなさが無性に沁みました。サリーが幸せでないと彼も幸せでいられない魂の結びつきを感じました。「街灯によりかかって」の後ろ向きのステップがとても洒脱で思わずステキ!と心で叫びました。
暁千星さんのビルは隠し事ができない真正直さが見えるビル。笑顔で振り払いながらもヘアフォード家の人々の言葉が刺さり揺れ動いているのが見えるビルでした。サリーと生家の人々両方のために最善を尽くしたいけれどどうしたら良いのか混乱した彼がせつなさといろんな形の愛を受け取りながらアイデンティティを再構築していく物語に見えました。サリーが笑うと彼も輝くサリーの表情が曇ると彼も曇る合わせ鏡のようなサリーとビル。「街灯によりかって」の幻想のデュエットダンスが夢のような2人でした。

サリー・スミス(舞空瞳) 登場時のインパクトがとても強いサリーでした。それは愛するビルのキャラに合わせたものなのだ、見かけよりずっと聡明な娘なのだとわかると懸命にガサツにふるまっている彼女がいっそう愛おしかったです。
それからフィナーレです。こういうフィナーレを見てみたかった!と思いました。ラインダンスのレディルージュ、そしてデュエットダンスの前のソロダンス、存在感が素晴らしかったです。水美さんとのペアの時のピンクのドレス姿の可愛らしさ、暁さんとペアの時のアイスブルーのドレス姿の気品。うっとりでした。

ジョン・トレメイン卿(水美舞斗/暁千星) 水美さんは頼りない感じがチャーミング。優しさと包容力を感じるジョン卿でした。ビルに向ける瞳もサリーに向ける瞳も温かくて、この瞳で何十年もマリアをみつめていたんだろうなぁと。
暁さんは予想外にダンディで厳しさもあるジョン卿でした。ロマンティックな物語を紡ぎそうな甘さも魅力的でした。いかにも貴族らしい上品な立ち振る舞いは月城かなとさんを彷彿させるところもあり月組で培ったものが活きているのかなと思いました。
どちらのジョン卿もビルとのブラザーフッドが楽しくて「愛が世界を回らせる」が最高でした。

ディーン公爵夫人マリア(小桜ほのか) 若めの公爵夫人ですが、宝塚版はビルも若いのでその叔母だとしたら40代くらいに見えたらいいのかも。なにより水美さん暁さんのジョン卿ともお似合いですし。小桜さんは声がとてもよくて「フェアフォードの歌」も素晴らしかったです。ビルとのパーティのレッスンで笑いを誘い、彼が出ていく決意をした時にいつも呼んでいる「ウィリアム」ではなく「ビル」と呼び掛けるのが涙を誘いました。ラストのウェディングドレスはチャーミングでとっても素敵でした。

ジャクリーン・カーストン(極美慎) 美しかったです。まずは極美さんにジャッキーをキャスティングしてくださったことに感謝。「美しい」と思うこの気持ちって何なんでしょうか。いつかは答えが出ることなのでしょうか。美しいとはなんぞと自分に問いかけるほど美しかったです。相手によって態度をコロコロと変える抜け目のなさ、でも嫌な女に見えないのは彼女が自分の人生を主体的に生きようと必死なのがわかるからでしょうか。結婚相手を間違えないことはとっても大切ですよね! 綺麗事で自分を誤魔化さないところにも惹かれるのかな。水美さんビルと暁さんビルによっても反応がちがうのも面白かったです。フィナーレのタンゴも眼福。水美さんとのペア、暁さんとのペアそれぞれ見られてラッキーでした。(ウィッグもそれぞれに違ってどちらも素敵でした)
今回は美しい娘役姿を堪能させていただきましたが、存在感や実力も着実に身に着けている極美さんの男役姿も楽しみになりました。

ジェラルド・ボリンブローク(天華えま) 労働は不名誉だと思っているいかにも貴族の子息。オナラブルという儀礼称号保持者なので(以前のヴァージョンだとセリフでそのことに触れていた気がするのだけど今回は言及がなかったような)彼自身に受け継ぐ爵位はないみたいだけど、なにか偶然が重なれば転がり込んでくる可能性も0ではない・・かな。でもほぼ可能性はないのでしょう。だから継嗣が行方不明のヘアフォード家の財産を狙っていたのにビルが現れてしまい目論見は水の泡。そのうえフィアンセまで取られてしまいそうという踏んだり蹴ったりの状況なんだけど、その割には自分から動いてなにかをしようとは思っていなさそうなのがジェラルドという人物の面白さかなぁ。(そもそもヘアフォード家の財産を狙っていたのもジャッキー主導で彼は口車にのせられていただけかも) いかにも英国の貴族社会の一隅にいそうな青年を天華さんがいい塩梅で演じていて面白かったです。
そんな彼が初めて主体的に行動したのが例のアレなんでしょうね。前時代的な価値観が反映されていてやっぱりうーん・・とは思います(ほかに替わる象徴的な行為があればと思うんですけど)。
フィナーレの冒頭で公爵夫人役の小桜ほのかさんと一緒に歌う主題歌が小粋で素敵でした。センスのある人がどんどん起用されるのはいいなぁと思います。

パーチェスター(ひろ香祐) とっても楽しい家付き弁護士さん。彼が歌い踊るとヘアフォードの皆さんも一緒に踊る不思議。弁護士さんも奇妙だけどヘアフォードの皆さんも変わってるなぁと思います。
ひろ香さん良い味出してるなぁと思いました。財産のある貴族にくっついて生きる彼には役に立っているアピールはとっても大事なことなんだろうなぁと思いました。
ところで彼のファーストネームは本当にセドリックなのか問題は解決しているんでしたっけ。あれはビルが勝手に言っていることなのかな?(本国版では役名がハーバート・パーチェスターになっているのがずっと気になっています)

ジャスパー・トリング卿(蒼舞咲歩) 蒼舞さんのジャスパー卿はセリフを発するタイミングが絶妙で独特の可笑しみを醸し出していました。ヘアフォード家に彼がいることの意味は大きいなと。彼の椅子はいつも用意されていて何をするわけでもないけれど若い人たちが自らに問いかけて答えを出していく場に居合わせるそんな存在のよう。相手によって態度を変えるわけでもなく、そもそも相手の属性に気が回っているふうでもない、誰の利害にもならない。それがいいのかなぁ。「泣いているのかね」「泣いてないよ」というサリーとの禅問答みたいなやりとりに毎度涙腺がやられます。

チャールズ・ヘザーセット(輝咲玲央) お屋敷の執事。お屋敷の皆さんが大騒ぎしていても寡黙に端正に佇んでいる様子が素敵でした。以前のヴァージョンだとなにか慇懃なセリフがあったような気がしますが今回はそれもなく由緒あるヘアフォード家を陰で支える頼りになる執事という印象が強かったです。

メインキャストはもちろん助演、アンサンブルキャストの1人1人の力が感じられる公演でした。
今月は宝塚バウホールにておなじ星組の別公演「My Last Joke-虚構に生きる-」も見に行く予定なので、次の「ME AND MY GIRL」観劇は公演日程の終盤になってしまうのですが、どれだけ進化しているか楽しみにしています。

 

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2023/10/10

私たちは正しい扱いをうけると心を動かされがちになるのです

10月9日、博多座に宝塚歌劇星組公演「ME AND MY GIRL」の初日を見に行きました。
開演に先立って歌劇団理事長より急逝された歌劇団生徒への哀悼の意とお客様に心配をおかけしていることについての謝罪、そして今後は出演者の心身に配慮して公演を行っていくこと、その判断のもと博多座公演については予定通りに上演することなどのお話がありました。

歌劇団には二度とこのようなことが起きないように従業者のメンタルヘルス対策にしっかりと取り組んでいただきたいですし、変えるべき体質は変えていただきたいと思います。

それと同時に私たち宝塚ファンの在り方も、団員のメンタルに深く関わっているということを認識して改めるべきことは改める必要があると考えます。
「タカラジェンヌなのに」「娘役なのに」「男役なのに」「下級生なのに」と属性についての過剰な理想を投影して青年期にある彼女たちの個々の人格を否定してはいないか。彼女たちの健全な成長を阻害してはいないかと。

『私たちは正しい扱いをうけると心を動かされがちになるのです』
「ME AND MY GIRL」のサリーの言葉の一つ一つが心に沁みる観劇でした。

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2023/08/13

朝まで歩こう肩を組み。

8月4日東京宝塚劇場にて星組公演「1789」を見てきました。

終演直後自分は成仏したんじゃないかなと思いました。
もしかして私は迦陵頻伽の聲を聞いていたんじゃないかなと。
これが法悦というものなのかな。
自分の語彙では表現できない満足感に脳がバグを起こしておりました。

数日経ち幾分冷静になってきたので感想を書こうとするのですが、やはりなかなか言葉がみつかりません。
刹那刹那に感じた技術的な凄さや舞台の上の1人1人から漲っていたものを表現する言葉を知らない自分にがっかりです。
でも感動を書き残しておきたいのでどうにか書いてみようと思います。

1か月ちょっと前に宝塚大劇場で見たものとは別物だと感じました。
あの時は大好きなナンバーをようやく自分の耳で生で聴けたことに心が震えましたが、今回は1つの作品としての完成度の高さに打ちのめされました。
舞台の上にいる1人1人から漲るものが凄まじかったです。
オケも宝塚大劇場よりもドラマティックで色っぽい印象でした。(音の聞こえ自体は大劇場の方がよかったのですが)

「ロミジュリ」初演を観劇してから13年(私は博多座で観劇)、タカラジェンヌがフレンチロックミュージカルをここまでアーティスティックに上演する日が来ようとは。頭を抱えたあの時には想像もできませんでした。

あの時は宝塚とフレンチロックとの音楽性のあまりの乖離に頭を抱えてしまったのでした。
宝塚には音楽性よりも「宝塚らしいもの」をという思いをいっそう強く抱き、以来宝塚で上演されるフレンチロックミュージカルには食指が動かなかったのですが、礼真琴さんなら・・とロックオペラ「モーツァルト」を見に行き「ロミジュリ」を見に行き、そのたしかな実力と感性に心酔し礼真琴さんの星組で「1789」が上演されることを熱望して、いまここ。
そしてこの満足感たるや。

でもこれはメインキャストだけが巧くてもどうにもならないことだということも実感しました。
この10余年で宝塚歌劇の音楽性が大きく変わったこと。下級生に至るまで1人1人の体にこのリズムが沁み込んでいるんだということをしみじみと感じました。
あの時無謀ともいえる挑戦をし宝塚ファンに衝撃を与えた初演「ロミジュリ」のメンバー・関係者の手探りの努力があってこそのいまなんだなぁということも強く思います。
さらに、宝塚の番手主義とは相容れない群像劇をそのヒエラルキーを崩してまでも上演した、2015年のあの「1789」月組初演があったからこそ。

すべてはあの一歩から。生みの苦しみを経て、綿々と積み重ねられた努力の末に結実した一つの公演がこの「1789」であり、そしてこれから生み出されていく作品なんだなぁと深く思います。

話を今回観劇した「1789」東京公演に戻します。
大劇場の観劇時にはもどかしく思ったところも、今回の観劇ではまったく感じませんでした。
それどころか期待以上のものを体感することができて感激もひとしお。

ラストのロナンのせり上がりも心の準備ができていたので問題なしでした。
座席の位置も関係があったのかもしれません。今回は1階の下手端っこだったので人権宣言をじっくり堪能してからロナンが登場した印象でした。(大劇場では2階最前センターだったので人権宣言が終わるか否かで目に入って来たのが大いに戸惑った原因ではと思います。座席位置大事)

礼真琴さんは私の快感のツボを全部圧していかれました。
こんなふうに歌って聞かせてもらえたらもう思い残すことはござらん・・です。
いえチケットさえあれば何回でも見たいし聞きたいですが。

父親を殺され農地を奪われて衝動的に故郷を飛び出したロナンが、若き革命家たちやともに働く印刷工たち、再会した妹、フェルゼン伯爵らを通じて成長しながら恋をし、憎しみや疑念、葛藤を抱きもがきながら成長していく様が手に取るように伝わり物語世界にどっぷりとはまりました。

「革命の兄弟」のロナンと、デムーランとロベスピエールとのやり取りは1人1人のキャラクターの違い、立ち位置、考え方、受け取り方の違いがよく見えました。
理想主義でロマンティストのデムーラン。懐疑的で原理主義のロベスピエール。

ロナンが「俺にも幸せ求める権利がある」と言えば「当然だ」と肯定するロペスピエール。
ロナンの「やりたい仕事につく権利がある」にはデムーランが「勿論だ」。
さらに「誰が誰を好きになってもかまわない」には前のめりに「その通りだ」と返すデムーランに対して反応薄めのロベスピエール笑。
さらに「自由と平等」でその違いが際立ちます。

ダントンは人情派で寛容、ファシリテーター的なところもある。デムーランとロベスピエールがかなり強烈なのでその努力が不発に終わることもあるみたい・・天華えまさん演じるこの作品のダントンはそんな立ち位置かな。
「パレ・ロワイヤル」はそんな彼がよくわかるナンバーだなぁと思います。
「氏素性なんて関係ない」「学問がなくてもかまわない」――その意味のリアルがわかっているのは実は革命家3人のうちではダントンだけなのではないかなと思いました。
だからソレーヌも彼の言葉に耳を傾けることができたんじゃないかな。
デムーランとロベスピエールがそのことを理解するのはもっと後、ロナンという存在に関わって現実を突きつけられ、その行動力と人々からの信頼を目の当たりにしてからだと思います。

「サ・イラ・モナムール」での恋人との関係も三者三様で面白かったです。
同じ理想を目指していることが大事なデムーランとリュシル。そばにいて共に戦うのが当たり前なダントンとソレーヌ。
危険行動に恋人を連れていく気がないロベスピエール。そもそも志を共有するという気がないのかな。また後顧の憂いは断ちたい人なのかなと。

私が「1789」が好きな理由はやはりこの革命家たちにワクワクさせられるからだと思いました。
革命家それぞれがセンターに立つナンバーが、その大勢のダンスパフォーマンスも含めて心が昂るところ、三者三様の個性がはっきりしてそれぞれに異なったロナンとの絡み方が面白いからなのだということを実感しました。

大劇場で喉を傷めている様子だった極美さんも難なく高音で歌い上げていて最高でした。
「誰のために踊らされているのか」のダンスパフォーマンスは舞台上の全員がいっそう力強くなっていて、見ていてドーパミン的幸福感が凄かったです。依存性が高いナンバーだなと再確認。

暁さんの朗々とした歌声と礼さんとのハモリも最高。
声が安定しているからこそフェイクも効いていて心地よかったです。

大劇場公演では大人しめに感じた有沙瞳さんのマリー・アントワネットも印象がまったく違いました。
1幕では誰よりも華やかで無邪気にチャーミングだったアントワネットが、2幕では動じない威厳を身に纏い質素なドレスを着ても存在感が滲み出ていました。自分自身の人生を自分で選び択る決意に溢れた「神様の裁き」は感動しました。

オランプは居方が難しい役なんだなとあらためて思いました。
猪突猛進でロナンの人生を変えてしまう、無茶ぶりで父親を危険に巻き込んでしまう。一歩間違うと反感をもたれてしまいそうなキャラを舞空瞳さんはいい塩梅で演じているなぁと思いました。
これこそがヒロイン力かなぁと。

東宝版を見ていた時にも思っていましたが、オランプは平民なんだろうかそれとも下級貴族なんだろうかと今回もやはり思いました。
姓にDuがつくので貴族かなと思っていたのですがアルトワ伯がオランプに銃を突き付けられた時に「平民に武器を持たせるとろくなことはない」と言うのがちょっと引っ掛かったり。

お父さんは中尉ということなので、平民から中尉なら出世した方だと思うし平民の中では裕福な部類かなと思うけれど、貴族なら年齢的にも中尉止まりだと名ばかりの底辺の貴族ってことになるなぁと。
いずれにしても娘に王太子の養育係ができるほどの教育を受けさせているのは凄いことだなと思います。
そしてアントワネットは意外とそういう倹しげで教養の高い人が好きですよね。
マリア・テレジアの教育の賜物でしょうか。

「神様の裁き」を歌うアントワネットの背後で戯れるルイ16世と子どもたち。この後のルイ・シャルルの運命を思うと、この愛らしいマリー・テレーズがのちにアルトワ伯以上に怖い人になるのだと思うとなんともやりきれない思いになりました。
(マリー・テレーズにとって母はどんな人だったのだろう・・)

瀬央ゆりあさん演じるアルトワ伯は、大劇場よりさらにクセの強い印象でした。
妖しくてシニカルで。
国王の孫で王太子の弟として生まれ、国王の末弟として育つってどんな感覚だったんだろうと思わず考えてしまいました。
アルトワ伯の人生にとても興味が湧きました。
それから今のこの瀬央ゆりあさんにオスカー・ワイルドの戯曲の主人公を演じてもらいたいなぁと思いました。田渕作品なんて面白そう。
(いやそれって「ザ・ジェントル・ライヤー」やんって思いますが、いまの瀬央さんの「ザ・ジェントル・ライアー」を見てみたいなぁと)

どの登場人物も魅力的で、この作品を上演する星組は幸運だなぁと思いました。
作品を引き寄せるのも実力のうちだなぁとも。

幸せな体験に感謝です。

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